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市史年表 金沢の百年 大正編

  • はじめに

     この年表は、一昨昭和40年5月に刊行した『金沢の百年(明治編)』の続編である。前編にも述べたように、別途編さん中の『金沢市史』の副本的性格を持つものであるが、同時に独立した年表でもありたいと心がけた。既刊の明治編とあわせて、これで金沢市のおおよそ百年間の推移が概観されると思う。
     前編編さんの終わると同時に取りかかった本編は、当初は、早ければ昨年中に、遅くも今年の一月中には刊行の目算であったが、当然のことながら年次の接近するにつれ取り上げる事項もふえ、これに伴う調査にも手間がかかる一方、印刷進行の事情なども加わって予定よりもだいぶ刊行が遅れたことは遺憾であるが、それだけに地方史年表としては今後様々な方面に利用いただけるだけの内容を集録し得たと思う。
     ひろく活用願えればしあわせである。
     資料は既刊の新聞、雑誌、官公庁公刊物、各種記録、先覚の著述などをつとめてひろく渉猟参考にさせていただいた。また北国新聞社、県立図書館、市立図書館をはじめ多数の方々のご協力や貴重なアドバイスを得た。あわせてお礼申しあげる。


     昭和42年5月

     金沢市史編さん審議委員会 
    <凡例>
    • 事項の分類は、大まかに『政治・経済』と『社会・文化』の二つとし、常識的判断に従って振り分けた。開巻偶数ページが『政治・経済』、奇数ページが『社会・文化』である。人の死亡は社会事象として扱った。

    • 配列は年・月・日の順に従い、日不明のものはその月のおわりに、月不明のものはその年のおわりに記載した。ただし月日明確を欠くがおよその見当のつくものはできるだけ推定の月日付近に入れるようにした。

    • 金沢市の区域は現在の区域とした。ただし、地名(町村字名など)は当時のまま用いた。

    • 中央、県内、他地方など市域外の事項でも、市に関係、あるいは強い影響があったと思われるものは( )でつつみ記載した。

    • 前記とは別に、日本および世界の歩みとの対比に資するため当該年中の日本および世界の目立った出来事を奇数ページ脇欄に摘記した。記事上の○の数字は月を示す。数字のないものは「その年中」を示す。


  • 市史年表 金沢の百年(大正編)

    和暦
     (西暦) 
    月日 分類 事項 出典
    和暦
    (西暦)
    月日 分類 事項 出典
    大正元年(1912) 7月30日 政治・経済 (午前0時43分明治天皇崩御、30日以後大正と改元された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 7月31日 政治・経済 (大喪につき本日から5日間廃朝仰せ出され、歌舞音曲の停止も発令された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 8月1日 政治・経済 北陸線野々市駅(後の西金沢駅)が営業開始した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 8月9日 政治・経済 由雄元太郎が貴族院の石川県多額納税議員に当選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 8月15日 政治・経済 片町有志者らが発起して認可を得た乗合自動車事業は本日開催の発起人協議会の結果、資本金3万円で北陸自動車株式会社をつくることに決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 8月21日 政治・経済 金沢、鶴来間の電気鉄道敷設を発起人総代木尾久雄、才賀藤吉、堀喜幸が連名で認可申請した。会社の資本金は50万円。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 9月5日 政治・経済 金沢鉄道工場は中部鉄道管理局から離れて独立した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 9月6日 政治・経済 (米券倉庫の制定後はじめて松任の吉田茂平と美川の永井正三郎の倉庫が、米券倉庫に指定された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 9月21日 政治・経済 金沢から河北郡深谷温泉に至る道路は県から特別補助を受け工事を始めた。また小立野端から湯涌温泉に至る道路改修は本月末完成の予定である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 9月30日 政治・経済 日本硬質陶器会社は宮野直道社長が不正事件で退任、専務取締役原知信が大株主早川千吉郎の意を体して経営の大刷新を断行し、京都松風嘉定を社長に迎えた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 9月30日 政治・経済 五宝町から木ノ新保に至る貫通新道路工事(別院通)が完成して開通式を挙行した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 10月2日 政治・経済 金沢市選出県会議員補欠選挙が1日おこなわれ、乾亮が当選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 10月10日 政治・経済 野々市郵便局区内の電話が開通した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 10月16日 政治・経済 (大聖寺出身の瓜生外吉が海軍大将になった。陸海軍を通じ県人最初の大将である。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 10月22日 政治・経済 金沢商工協会は物産を信越地方に出張紹介することになり汽車で発送した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 11月1日 政治・経済 金沢市内電話の本年度増設電話66個が本日開通した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 11月4日 政治・経済 金沢商工協会が長野県で実施した県物産紹介は引続き10月30、31両日新潟県高田で、11月3日長岡で開催していずれも好成績をおさめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 11月14日 政治・経済 広坂通に新築中の金沢警察署が完成した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 12月2日 政治・経済 市役所に隣接する外人所有地買収の内談が成立、明年度において実現することになった。外人には代地として尻垂坂通の税務署跡を買収して提供する。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 12月20日 政治・経済 北陸自動車会社の営業が許可された。(10人乗り10台) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 11月5日 政治・経済 江沼郡動橋村乗合馬車営業人広崎寅吉が申請中の市内乗合馬車営業が許可された。馬車は8人乗り3台を使用し、路線は金沢駅前から大樋、小立野、野村兵営に至るもの。営業開始期は未定。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 12月21日 政治・経済 本市出身陸軍中将男爵木越安綱が第3次桂内閣の陸軍大臣になった。石川県人として最初の大臣である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 12月25日 政治・経済 尻垂坂金沢地方裁判所跡地(後の北鉄車庫)の払下げ入札がおこなわれ谷口吉次郎(片町の九谷焼商)が8,880円で落札した。(1坪3円70銭) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 12月26日 政治・経済 第9師団長神尾光臣中将が第18師団長に転じ、後任は第9旅団長川村宗五郎少将(鹿児島県人)が中将に昇任のうえ補せられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 12月30日 政治・経済 知事李家隆介が長崎県知事に転じ、後任に茨城県知事坂仲輔が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 12月31日 政治・経済 市調査による本年末現在の金沢市公簿人口は36,342世帯、123,893人(男61,212人、女62,681人)である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 7月30日 社会・文化 明治天皇崩御に県庁、市役所ならびに各学校は遥拝式をおこない市民は弔旗を掲げて奉悼の意を表した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 8月10日 社会・文化 書家前田黙鳳が来沢した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 9月1日 社会・文化 金沢市では鍔甚楼と並んで古くからの料理屋として知られた里見町大野屋が没落閉店した。石川郡林村荒屋の小倉周六が同家を1万1,000円で買取った。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 9月9日 社会・文化 泉、久安両小学校が合併し、三馬小学校となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 9月13日 社会・文化 明治天皇の大葬。市民の遥拝式が兼六園でおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 9月23日 社会・文化 暴風雨で犀川菊橋の一部と浅野川の応化橋仮橋が流失した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 9月24日 社会・文化 卯辰山公園建設のため市は山内の墓20余を無縁として適当な場所に移転することに決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 9月29日 社会・文化 金沢医専薬学科在学生と卒業生の団体、金沢薬学会が創立された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 9月 社会・文化 富樫南校と富樫北校が合併し、富樫小学校ができた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 9月 社会・文化 横安江町茶商林家新造の長男仲太郎が満州湯崗子で温泉を開発した。その弟友次郎も営口で旅館を経営している。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 10月1日 社会・文化 教育家沼田悟郎死去。62歳。旧津田家家臣、書店益智館館長、石川県専門学校長等をつとめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 10月10日 社会・文化 5代目中村歌右衛門一座が第一福助座で6日から5日間興業、大入りを続けた。(二の替りで日延べ)観覧料、桟敷鶉出(4人)4円80銭、平坪3円80銭。なお歌右衛門は卯辰真成寺で初代加賀屋歌右衛門の追善法要を営んだ。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 10月8日 社会・文化 ジゴマという悪漢の活動写真や小説が流行して子どもに悪影響を与えているから、年少のものに活動写真を閲覧させたり図書館でその本を閲覧させることを制限すべきであるとの説が高い、と金沢の新聞が報道した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 10月23日 社会・文化 日蓮上人賛仰の人たちにより天晴会の金沢支部ができ、市会議事堂で発会式を挙行した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 10月25日 社会・文化 県は県立高等女学校を増設に決定し、大谷派の経営する金沢高等女学校を将来無条件で県立に移すことをきめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 11月21日 社会・文化 午前11時45分ごろ片町商店街の谷口陶器店から出火、げた店、楽器店等5戸を半焼、納屋1むねを全焼した。市内目ぬき通りの火事のため、蒸気ポンプ3台と歩兵7連隊からも1台が出動した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 12月1日 社会・文化 小立野の県立金沢第二中学校で、夜9時すぎ寄宿舎へ5年生1人が忍びこみ、日本刀で舎監を切り、さらに1生徒を傷つけたうえ自殺をはかった事件があった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 12月2日 社会・文化 金沢医学専門学校教授に石坂伸吉、須藤憲三が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 12月3日 社会・文化 元石川県令(知事)千阪高雅死去。72歳。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 12月5日 社会・文化 金沢医学専門学校教授に医学博士土肥章司が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 12月9日 社会・文化 漢学者桂正直(石黒圭三郎)小野慈善院で死去。74歳。維新に加賀藩で勤王運動をして終身禁固に処せられた。明治元年大赦で許されたが2年本多政均暗殺事件と交渉があったため姓名を桂正直と変えた。17年金沢学校の教員となり廃校後隠せい38年。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 12月10日 社会・文化 私立金沢盲啞学校はかねて維持困難のうえに、校舎に使用中の公会堂も老朽がひどいので、市営として存続させよとの意見が有力となってきた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 12月10日 社会・文化 金沢の川柳作家の結社六華会では機関紙「六華」を発行することをきめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 12月12日 社会・文化 北国新聞社の新社屋が南町に完成、本日から15日にかけ移転した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 12月20日 社会・文化 金沢警察署は十間町の取引所付近に散在する空米師、俗に円太張と称する者を急襲して32人を検挙した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 12月27日 社会・文化 金沢医学専門学校教授下平用彩に医学博士号が授与された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 年月未詳 社会・文化 加越能子弟の奨学機関育英社(総裁前田利為)の明治45年度における現況は社員数5,071人、基本金48,493円、既往貸費生517人、現在貸費生131人、この貸費金総額118,925円、また特別貸費は既往貸費生150人、現在貸費生16人、この貸費金額34,411円となっている。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正元年(1912) 年月未詳 社会・文化 少女小説・母のおもかげ(河崎哲雄著)世界植物奇談(同著)などが刊行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 1月9日 政治・経済 政友会石川支部は尾崎行雄らを迎えて香林坊福助座で憲政擁護県民大会を開催した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 1月10日 政治・経済 金沢市調査による昨年末の市内家屋数は2万34戸で、前年末より209戸増加した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 1月26日 政治・経済 県物産陳列館は産業参考品として英、独、仏から購入した陶磁器39点、絹製品など34点、手工芸品30点など計200点を業者に公開した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 2月5日 政治・経済 金沢市会は知事から出された金沢瓦斯株式会社発起人(東京松方五郎ら7人)のガス管理設に関する諮問に対し、条件を付して承認した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 2月10日 政治・経済 小立野の亀坂改修工事が完成し開通式をあげた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 2月13日 政治・経済 (金沢地方裁判所管内の小松、大聖寺、高浜、飯田の4区裁判所は廃止と決定した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 2月28日 政治・経済 金沢箔業界は製品の販路打開のため京都に支店を設け、西陣の織物業者と直接取引をすることになった。(京都の岩坪五平、加児彦太郎と特約していたが契約通り実行されないため) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 2月28日 政治・経済 県物産陳列館は4月1日から1年間、県物産品を金沢駅構内に陳列することになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 2月 政治・経済 県調査の昨年末現在における県下の力織機械数は6,898台(一昨年末より998台増加)工場数は471工場、職工数は9,029人である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 3月8日 政治・経済 金沢商工会議所は毎月5日を勘定日とする慣習を月末勘定に改正することをきめ、郡部の商工会などにも呼びかけることにした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 3月18日 政治・経済 (大聖寺、山中間の山中温泉電車が開通した。5マイル44チェーン。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 3月24日 政治・経済 松金馬車鉄道会社は総会を開き、金沢-松任間の馬車鉄道を廃止し電車につけかえることをきめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 3月27日 政治・経済 金沢商業会議所の2級議員改選は25日、1級議員改選は27日おこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 4月1日 政治・経済 県立工業学校の付属図案所が県物産陳列館に移管された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 4月1日 政治・経済 富山、直江津間(76里)の汽車が開通した。1,200万円の工費で7年かかった。これで北陸線は全通した。金沢市内の商店街は模造桜樹で満街飾をして、開通祝いの福引づき共同売出しをした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 4月15日 政治・経済 県物産陳列館主催の重要物産展覧会がはじまった。(5月10日まで。1日平均5,000人以上の入場者があった) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 4月22日 政治・経済 3社競願になっていた金沢、鶴来間の電鉄敷設は総理大臣から石川軽便鉄道会社(発起人木尾久雄ら)に許可がおりた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 4月 政治・経済 富山、直江津間汽車開通による北陸線の全通は金沢市勢発展に一転機を画すものと期待されているが、早くも直江津商業会議所議員視察団18人、京都商業会議所主催視察団30余人、横浜実業団500余人、長野商業会議所主催視察団50余人などが来沢した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 5月5日 政治・経済 鉄道院行政整理で北陸線米原、直江津間は大阪鉄道管理局(神戸から大阪に移され改称)の所轄となり、金沢運輸、保線両事務所をはじめ金沢鉄道工場等の官署も同局の管下になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 5月6日 政治・経済 監獄官制の改正で福井、富山両監獄は廃止されて金沢監獄の分監となり、また七尾分監も廃止されて高岡と共に金沢監獄出張所となった。なお金沢監獄では看守等22人を整理し、定員を典獄1人、看守長6人、看守部長8人、看守66人、女監取締5人と改正した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 5月13日 政治・経済 金沢商工協会は舞鶴を皮切りに鳥取、松江など山陰各地で県物産の巡回展示会をひらき好評だった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 5月22日 政治・経済 金沢市会は街鉄会社発起人との間にかわす電車敷設条件の仮契約書安を承認した(市長提案)。契約書は「乗車賃の変更をするときは市の同意を要すること」等31ヵ条から成っている。(23日市長と発起人総代が仮契約書を取りかわした) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 5月 政治・経済 羽二重の引合不振で廃業者が続出しだした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 6月18日 政治・経済 犬養毅、尾崎行雄らが来沢、兼六園で聴衆約1万人を集めて憲政擁護演説会を開いた。(梅本町塚本旅館に宿泊) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 6月 政治・経済 羽二重の売れ行きはこの月にはいって持ち直した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 7月1日 政治・経済 米穀取引所は高岡と金沢のどちらかが廃止を伝えられていたが金沢取引所の存続許可指令があった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 7月1日 政治・経済 県物産陳列館主催の第2回輸出品展覧会がひらかれた(19日まで)。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 7月4日 政治・経済 市助役堀俊明は金福鉄道の創立委員長に就任のため助役を辞任した。(市会は16日慰労金5,000円を贈った) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 7月5日 政治・経済 市は市街電鉄の敷設に伴う道路拡張に備えて従来の市区改正調査機関を廃止し、新たに臨時市区改正調査委員会(委員は市会5人、市民3人)を設けた。委員会は今後、県高等官、商業会議所会頭等の関係者を特別委員に委嘱して意見を徴することができるようにした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 7月5日 政治・経済 市内および付近の牛乳業者が金沢牛乳販売組合を結成し、従来1合2銭5厘~3銭のものを一挙4銭に値上げしたので同組合や県当局に対し批判がおきた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 7月10日 政治・経済 昨年7月の出水で流失した中島橋の架けかえが完成、渡橋式がおこなわれた。長さ107尺、幅13尺8寸。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 7月21日 政治・経済 日本銀行金沢支店長大三輪奈良太郎の主唱で河北潟研究会が結成された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 7月26日 政治・経済 金沢市会は市助役に飯尾次郎三郎を全員一致で決定した。(28日就任認可) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 8月6日 政治・経済 さきに認可を受けた金沢市内初めての自動車営業が、東京から車両3台が到着したので、2台を乗合用に1台を貸付け専用にして開業することになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 8月12日 政治・経済 金石電車会社発起人会が商業会議所でひらかれた。資本金20万円(4,000株)は発起人(34人)で全部引受けることになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 8月28日 政治・経済 白菊町、野々市間の金野馬車鉄道が許可された。(軌道は山中馬鉄のものを使用する) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 8月30日 政治・経済 西町1番丁の市公会堂改築の追加予算が市会で議決され、改築費は合計3万5,274円となった。現在の公会堂建物は売却する。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 9月10日 政治・経済 堀川から梅沢町に通ずる浅野川の応化橋(昨年7月流失)が完成、渡橋式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 9月19日 政治・経済 大隈重信(76歳)は夫人および浮田和民、永井柳太郎ら早稲田大学関係者らとともに来沢、古今亭に投宿した。明治11年明治天皇に随従して来県以来35年ぶりで、市民多数が大隈を見ようと路上に出た。大隈は21日出発までの間に、歩兵第7連隊営庭で下士卒約3,000人に、女子師範で全市女学生に、県会議事堂で一般市民に、四高で四高と医専生に、一中で全市中等生にそれぞれ得意の弁説をふるった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 9月26日 政治・経済 坂知事が生糸羽二重倉庫精練会社設立の腹案を発表し、業界にいろいろ意見が出てきた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 10月3日 政治・経済 従来全市1区制だった市会議員の2級選挙に、選挙区(旧連区を1選挙区とする)を設ける2級選挙区条例が市会で可決された。2級有権者が増加したとの理由によるもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 10月3日 政治・経済 さきに結成された金沢牛乳販売組合に対する批判が高まり、乳価を従前の3銭に値下げする動きもでてきた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 11月6日 政治・経済 温泉電軌株式会社の創立総会が金沢商業会議所でひらかれた。出席者300余人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 11月11日 政治・経済 鉄道が尾張町29番地に小荷物扱所を開業した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 11月13日 政治・経済 長町に新築中の金沢煙草専売支局がほぼ出来あがって移転した。1階1,897坪、2階1,653坪。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 12月10日 政治・経済 金沢市会議員選挙の3級選挙(定員12人、7選挙区)が4日、2級(定員12人、7選挙区)が7日、1級(定員12人、全市1選挙区)が10日におこなわれた。党派別当選者は政友18人、実業協会8人、国民党4人、中立6人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 12月13日 政治・経済 犀川上菊橋の復旧工事が完成、渡橋式がおこなわれた。長さ81間、幅2間2尺。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 12月21日 政治・経済 金沢出身で朝鮮水産界の功労者竹中邦香の記念碑が釜山に建った。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 12月31日 政治・経済 市調査による本年末現在の金沢市公簿人口は37,592世帯、127,267人(男63,295、女63,972人)である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 月日不詳 政治・経済 (石川県の漁船が山口県へ初めて出漁した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 1月1日 社会・文化 私立総合病院尾山病院が閉鎖、院長藤本純吉が味噌蔵町下中丁で開業した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 1月10日 社会・文化 殿町豊国神社跡の能舞台は手入れして貸席になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 1月11日 社会・文化 小幡造次死去。77歳。旧藩士、藩政に精通し維新後藩政参与、のち富山藩大参事をつとめたこともある。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 1月13日 社会・文化 県立金沢病院に皮膚および花柳病科が設置された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 1月21日 社会・文化 石川郡二塚村の古墳琵琶塚は標札をかかげ保存することになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 1月23日 社会・文化 春日町の三浦八郎兵衛が困窮者救済活動を呼びかけた。八郎兵衛は前年米価暴騰のおり、農家を歴訪して手持ち米売出しを墾請した.。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 2月1日 社会・文化 米林八十死去。南町ガラス商。大野弁吉の最後の門弟であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 2月19日 社会・文化 百坂尋常小学校の階上の一部が授業中落下した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 2月 社会・文化 金沢市内の撞球熱は最近非常に盛んで、上松原町、片町、駅前等の撞球場では球技会の催しが日曜ごとにおこなわれており、近く浅野川口にも撞球場が着工される。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 3月23日 社会・文化 上森舎次郎創立の私立金沢盲啞学校(校舎は公会堂内)維持困難となったので、4月1日から石川県教育会(会長知事)が経営することになった。校名は石川県教育会付属私立金沢盲啞学校。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 3月28日 社会・文化 (夜、珠洲郡飯田町で大火、99むね全焼。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 3月29日 社会・文化 午前9時ごろ河北郡小坂村字三池から出火、4むね全焼、1むね半焼。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 4月1日 社会・文化 私立金沢高等女学校が石川県立第二高等女学校となり、また石川県立高等女学校は石川県立第一高等女学校と改称された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 4月1日 社会・文化 石川郡富樫尋常小学校に高等科を併置、富樫尋常小学校と改称した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 4月9日 社会・文化 尾山座で鴈治郎、梅玉、八百蔵の大一座が4日から6日間興行。金沢で初めてともいえる大芝居とあって連日満員の人気であった。料金は桟敷(4人詰)5円50銭、平坪(3人詰)3円80銭、1等70銭、2等40銭。鴈治郎の宿は下堤町の雨夜、梅玉、福助は殿町の山本屋、八百蔵は栄町の貴衆館。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 4月17日 社会・文化 午前4時ごろ河北郡浅川村字若松の鈴見尋常小学校から出火、校舎1むねを焼失した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 4月25日 社会・文化 三宅雪嶺夫妻が来沢、幼時の住居を訪れて一本松の下で記念撮影した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 4月25日 社会・文化 県は石川県育成院の収容生定員25人を(現在は満員)5人増しの30人とした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 4月30日 社会・文化 在米25年の高峰譲吉博士が天墓のため5年ぶりに来沢し、四高で「日米問題の真相」と題して講演した。2日市公会堂で官民約400人が参会して盛んな歓迎会を催した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 5月15日 社会・文化 金沢市湯屋組合は燃料騰貴を理由に入浴料金を大人2銭5厘(湯札は10銭で5枚)小人1銭5厘に値上げした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 5月20日 社会・文化 県は金沢市の孤児収容施設北国慈恵院(経営者真柄 貞)を認可取消し処分に付した。内紛から収容児を栄養不良におとしいれるなど経営の欠陥が明らかになったため。収容児10余人は小野慈善院に引取られた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 5月22日 社会・文化 野町1丁目泉野神社境内に新築の寄席神明館が開館した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 5月23日 社会・文化 午後10時ごろ木ノ新保1番丁の民家から出火、木ノ新保1番丁、荒町1丁目、田丸町で全焼34戸、半焼8戸を出した。金沢では10年ぶりの大火で軍隊も出動した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 5月25日 社会・文化 婦人競力会の女相撲の一行40余人が下尾張町空地で本日から晴天5日間の興行をした。入場料は大人10銭小人6銭。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 6月1日 社会・文化 小野慈善院幼年部が新築落成した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 6月1日 社会・文化 卯辰山観音坂の千歳が料理屋をやめ貸席になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 6月3日 社会・文化 (県人北条時敬が東北帝国大学総長に任命された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 6月10日 社会・文化 金沢市医師会所属の結核予防会は本日から市内7ヵ所(病院または医院)に結核早期診断所を開設し、多人数集合する場所に出入する職業のものに無料診断をはじめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 6月11日 社会・文化 俳人荻原井泉水来沢、金城楼で歓迎句会が催された。出席者30人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 6月15日 社会・文化 軍艦三笠が金石海岸3マイル沖に停泊、3日間一般に観覧を許した。海岸から軍艦までのハシケ賃1人往復15銭。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 6月18日 社会・文化 石川郡戸板村字北で子どもの火遊びから出火、4むね全焼、1むね半焼。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 7月12日 社会・文化 南画家小池梅處御歩町で死去。大聖寺出身。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 7月12日 社会・文化 金沢湯屋組合が夏季54日間大人1銭5厘、小人1銭に入浴料金を値下げした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 7月15日 社会・文化 金沢市大工組合は物価値上りを理由に本日から大工作料を1日1円に値上げした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 7月26日 社会・文化 奈良原式飛行機鳳号(操縦者白戸栄之助)の飛揚大会が野村練兵場で開催された。金沢における初めての飛行機飛揚だけに観衆約2万5,000人。第1回は高度50メートル、飛行距離600メートル(30秒)、第2回は離陸すぐ着地、第3回は高度80メートル、飛行距離300メートル。観覧料は特等30銭、普通15銭、児童5銭だった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 7月27日 社会・文化 奈良原式飛行機鳳号飛揚大会第2日目(日曜)は3万数千人の観衆を集めて野村練兵場で開催されたが、第1回飛行で50メートルの高度を約1,500メートル飛んで場内に落下破損し飛揚大会は中止された。操縦者は無事、落下原因は発動機の馬力低下のため。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 7月 社会・文化 画家俵屋宗達の墓が百々女木町の宝円寺で発見された、と新聞が報じた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 8月1日 社会・文化 和田尚軒が宗達の墓発見のてんまつを北国新聞に発表した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 8月11日 社会・文化 明治元年近江海津で自殺した加賀藩家老松平大弐の50回忌にあたるので蛤坂、妙慶寺でその法要が勤修された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 8月12日 社会・文化 本多政均贈位の記念事業計画が寄金2,000円をもとに進められることになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 8月13日 社会・文化 白菊町に北国劇場(定員1,745人)が新築完成、片岡我童一座で舞台開きがおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 8月25日 社会・文化 四高主催の北陸関西中等学校連合野球大会(出場9校)に東海の強豪愛知一中が名物校長日比野寛に引率されて来沢参加、優勝した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 8月30日 社会・文化 前田利為が3年の予定でヨーロッパ留学のため神戸を出帆した。金沢から坂知事、横山章ら多数が見送った。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 9月24日 社会・文化 上金石町ほか8ヵ町村伝染病予防組合経営の金石病院(大野村字寺中出)が新築落成した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 9月28日 社会・文化 東京東大久保の前田候邸で元治甲子殉難者50年祭が催された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 10月1日 社会・文化 俳人川口月華(栄次郎)富山で死去。33歳。金沢時代、句集「蕪ずし」を編む。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 10月3日 社会・文化 (北陸線大聖寺、細呂木間で豪雨による山くずれのため列車埋没、死傷10数人を出した。北陸線は6日開通。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 10月12日 社会・文化 金沢市神職会主催の元治甲子殉難者50年祭が市会議事堂で行なわれ、陸義猶の講演、勤王家遺墨展観などがあった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 10月15日 社会・文化 金沢一中同窓会発起の元一中校長久田督の銅像が同校玄関横に完成、除幕式があげられた。制作は水野源六、同窓会員の寄金は2,100余円に達した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 10月15日 社会・文化 金沢市医師会が当地医学界の先覚津田、太田、田中3氏の経歴書と肖像画を作って保存するとともに石川県医学発達史を編さんすることになり、その執筆を金子次郎、庄田喜太郎、山本貞次郎、藤本純吉、不破鎖吉に委嘱した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 10月16日 社会・文化 「ホト﹅ギス」主幹高浜虚子来沢、茨木町の大谷繞石(四高教授)方に滞在。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 10月17日 社会・文化 (早朝、富山県東岩瀬駅構内で団体客の臨時旅客列車と貸物列車が衝突、死者24人、負傷者66人。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 10月31日 社会・文化 香林坊大神宮下に金沢最初の活動写真常設館菊水倶楽部が開場した。観覧料は1等(2階)20銭、2等(1階いす席)10銭。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 10月31日 社会・文化 広坂通のヘルビー・ベラミー孤児院(英人ジョースト女史経営)が閉鎖した。(収容児が成長したため) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 11月30日 社会・文化 大日本武徳会石川県支部の演武場が広坂通に落成、記念演武大会が開かれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正二年(1913) 12月26日 社会・文化 京都帝大教授西田幾多郎(河北郡宇ノ気村出身)に文学博士、東京帝大助教授石川県農会名誉会員原凞(金沢市出身)に農学博士号が授与された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 1月8日 政治・経済 貿易品の製作奨励と販路拡張を目的とする金沢貿易協会の創立総会が市会議事堂で開かれた。会長は山森市長、総裁に坂知事、副総裁に横山商業会議所会頭が就任。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 2月2日 政治・経済 石川県農工銀行が石浦町に新築落成した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 2月14日 政治・経済 第9師団の朝鮮守備派遣命令が正式に到達した。第8師団と交代、派遣期間2年。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 2月25日 政治・経済 石川電気鉄道株式会社が創立総会を開いた。金沢、鶴来間に電鉄を敷設するもので『資本金35万円、社長笹原辰太郎。(大正4年3月臨時総会で電車を汽車に変えることを決議した) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 2月 政治・経済 冬期間の降雪がすくなかったため鮮魚輸送用の人造氷が10貫当り5円にもつき業界の問題になった。天然氷の場合の10倍にも当る。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 3月3日 政治・経済 金沢商業会議所は総会で金沢市に高等工業学校設置の請願をすることを決議、市当局と提携して実現運動に乗出すことになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 3月15日 政治・経済 渡鮮する第9師団の在金沢部隊は午前9時から出羽町練兵場で観兵式を挙行、引続き市民に告別のため市中行進をした。午後は官民合同送別会が各隊将校300余人を招いて兼六園で催され、また市は下士兵卒のため市内各劇場、寄席を開放した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 3月23日 政治・経済 第9師団渡鮮部隊の第一陣として騎兵第9連隊が金沢を出発、25日七尾港から乗船した。(最終の部隊は川村中将の師団司令部と共に4月14日金沢を離れた) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 4月6日 政治・経済 生糸羽二重倉庫精練会社設立調査委員会が県会議事堂で開かれ、計画実現の方針を確認した。知事の腹案発表以来賛否両論がたたかわされていたものである。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 4月11日 政治・経済 皇太后崩御(昭憲皇太后)。金沢市は12日から3日間、市会議事堂で市民の奉悼記帳を受付けた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 4月27日 政治・経済 市内の巡査派出所中、兼六園内と博労町の2ヵ所が廃止された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 4月29日 政治・経済 知事坂仲輔が新潟県知事に転じ、後任に休職山梨県知事熊谷喜一郎(山口県出身)が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 5月1日 政治・経済 金沢の市街電車は明治45年に敷設免許以来いまだに会社設立の運びに至らないので、市会は委員を選び1ヵ月以内に調査報告を提出させることを決議した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 5月8日 政治・経済 東洋拓殖会社主催の朝鮮人視察団63人が来沢した(2泊)。山森市長主催の歓迎会が金谷館で開かれ、知事、商業会議所会頭ら有力者多数が出席交歓した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 5月 政治・経済 加州銀行専務取締役に中司文次郎(高知県人)が就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 6月4日 政治・経済 金沢市会が街鉄会社成立促進について市長の奮励努力を要請する意見書を議決した。山森市長は「今後は市会一致の協力を得て、本多設立委員長らと共に各方面に株式引受けを勧説して会社創立を促進する」と述べた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 6月29日 政治・経済 生糸羽二重の倉庫精練会社設立のため交渉中の石川、帝国両精練会社が買収に応ずることになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 6月30日 政治・経済 松金電車鉄道会社から出願中の野町、松任間馬車鉄道を電車に改造する件が内務大臣から許可された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 7月2日 政治・経済 倉庫精練会社の株式は横山隆俊(1,250株)横山章(1,000株)八日市屋清太郎(500株)以下全額発起人引受けにきまった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 7月3日 政治・経済 金沢、金石間の馬車鉄道は電車敷設工事のため本日で馬車の運行をやめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 7月27日 政治・経済 早稲田大学校友会が大隈伯後援会を結成することになり、石川県の創立委員に横山俊二郎、松岡恒太郎、能沢栄太郎、篠原譲吉その他をきめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 8月10日 政治・経済 帝国精練、石川精練両会社合同による倉庫精練株式会社の創立総会が開かれ正式に会社が成立した。社長横山章、専務取締役渡瀬政礼。(9月1日業務開始) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 8月11日 政治・経済 金沢、金石間の電車軌道敷設が完工、営業運転を開始した。発車は15分間隔、運賃は片道10銭。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 8月23日 政治・経済 (日本、ドイツに宣戦布告。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 8月27日 政治・経済 大正博覧会の金沢市出品売上げは点数251点、金額4,839円、また付属金沢市売店の売上げは点数18,569点、金額10,099円であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 8月 政治・経済 世界大戦のぼっ発は金沢の羽二重機業に強く反応し、輸出ものの取引は一時中止にされるに至ったが、下旬ごろから北米向け取引が回復してきた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 9月13日 政治・経済 市内の県社以下各神社で一斉に対独宣戦奉告の臨時大祭が執行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 9月17日 政治・経済 金沢商業会議所は列車の増発請願書を鉄道院に提出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 9月29日 政治・経済 犀川新橋詰めから野々市駅の間に馬車鉄道を敷設しようという金野馬車鉄道会社に工事施行が認可された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 10月20日 政治・経済 日本銀行金沢支店長大三輪奈良太郎が明治銀行専務に就任のため退職、後任は本店検査役奥忠彦。大三輪は明治44年2月金沢主張所長として来任、ひきつづき初代支店長を勤めていた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 10月27日 政治・経済 (内閣統計局調査による全国総人口と府県別人口が官報で発表された。全国総人口54,843,083人、石川県人口799,040人。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 11月7日 政治・経済 (青島陥落。攻囲軍主力は久留米第18師団と第2艦隊、攻囲軍司令官は神尾光臣中将。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 11月27日 政治・経済 工兵第9大隊の約100人が25日から3日間卯辰山ふた割れ付近の回遊道路新設工事を実施した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 11月29日 政治・経済 大隈伯後援会の発起人会に出席のため尾崎法相、大隈信常らが来沢した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 12月31日 政治・経済 市調査による本年末現在の金沢市公簿人口は37,732世帯、128,660人(男63,520、女65,140人)である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 12月 政治・経済 輸出羽二重は北米や濠洲から需用がふえ、また印度方面からの広巾もの注文もあって一般に好況に向ってきた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 1月4日 社会・文化 陶芸家藤岡岩花堂死去。86歳。西町居住。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 1月20日 社会・文化 並木町の尾山座で本日から日活特派員撮影の桜島大爆発(1月12日)の惨状、鹿児島市民避難光景等の実況活動写真の特別興業がおこなわれた。また菊水倶楽部、神明館でも弥満登会社等決死撮影の実写を番外で上映した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 2月2日 社会・文化 小野慈善院は、第9師団の渡鮮で残飯の払下げが受けられなくなって困り、公私の援助を要請した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 2月20日 社会・文化 県立金沢病院に小児科が設置され部長に金沢医専教授林篤が就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 2月27日 社会・文化 卯辰山の松やカエデのうち150本を百間堀の路傍に植えることになり、本日から移植がはじまった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 3月4日 社会・文化 (国幣小社白山比咩神社が国幣中社に昇格した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 3月5日 社会・文化 午前3時ごろ石川郡上金石町字通町の柴田病院から出火、全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 3月20日 社会・文化 元尾山病院の建物(1,500坪)がさきに水害をうけた富山県小川温泉の復興資材に向けられることになり、取りこわしがはじまった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 3月22日 社会・文化 広坂通の佐野能楽舞台は建築15周年祝賀会を催した(21、22日)。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 3月24日 社会・文化 大正博覧会美術工芸部門に、石川県から彫刻の吉田三郎、都賀田勇馬、陶磁器の中村秋塘、石野竜山、漆器の石垣昌訓らが入選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 3月30日 社会・文化 安江町呉服老舗能久平死去。78歳。小立野川西屋長左衛門の4男、先代能登屋平兵衛の養子となり、藩主の呉服御用を勤めた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 4月1日 社会・文化 広坂通の師範学校女子部が独立して石川県女子師範学校となり、これに県立第二高等女学校を併置、開校した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 4月10日 社会・文化 金沢商業新聞は金沢毎夕新聞と改題した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 4月10日 社会・文化 医師の有志から結核予防上、小学児童の教室掃除を廃止するよう建言があったので、知事がこれを県医師会に諮問した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 4月25日 社会・文化 午前5時すぎ袋町から出火、袋町と桶町の15戸を全焼、5戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 4月 社会・文化 石川郡大野尋常小学校に高等科を併置、大野尋常高等小学校と改称した。(後の大徳小学校) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 5月5日 社会・文化 県当局調査による大正2年12月31日現在の金沢の医師数は291人で、医師1人に対する人口は363人となっている。医師291人の内訳は大学卒業17人、専門学校卒業198人、医師試験合格26人、従来開業のもの50人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 5月28日 社会・文化 旧派俳句の宗匠園亭萎文(渡辺太余文)越中町の自宅で死去。74歳。もと安江町で砂糖商を営み、金沢で最も古い洋行者の一人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 5月 社会・文化 犀川上流滝坂で発見されたラジウム鉱泉が浴場化され次第ににぎわってきた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 6月3日 社会・文化 大塚志良死去。73歳。兄長谷川準也らと銅器会社や製糸会社を起すなど明治初期の金沢産業界に尽し、のち県職員としても幅ひろく活躍した。初期の石川県美術協会もその提唱で創設されたものである。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 6月10日 社会・文化 北陸線に本日からはじめて1等寝台車が連結された。連結の列車は姫路、新潟間の夜行列車で寝台料金は1個3円。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 6月13日 社会・文化 松井須磨子の芸術座が10日から4日間第一福助座で開演、連日満員の人気。(観覧料は1円、80銭、50銭)島村抱月、中村吉蔵も同行来沢。「復活」で須磨子の歌うカチューシャの歌が評判になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 6月13日 社会・文化 十間町の米穀取引所付近に群がる空米師百余人が検挙された。(うち20人送局) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 6月13日 社会・文化 林賢徳東京で死去。78歳。旧加賀藩士、海軍士官から実業界に入り、日本鉄道株式会社を創立、また加越能の育英社の発展に尽した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 6月15日 社会・文化 勤王家駒井躋庵の碑が野田寺町浄安寺に建った。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 6月25日 社会・文化 明治9年3月11日焼失した東本願寺金沢別院本堂(焼失後仮堂のまま)の再建起工式が挙行された。連枝大谷瑩亮が臨席し、別院付近の人出は約3万人に達した。改築は10年計画、募金は5年間で30万円の目標。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 6月26日 社会・文化 浅野川口最初の活動写真常設館「第二菊水倶楽部」が尾張町に落成、開館した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 6月28日 社会・文化 八坂松山寺住職山腰天鏡死去。64歳。福井県南条郡の生れ、明治23年から松山寺住職を勤めていた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 7月3日 社会・文化 活動写真常設館スメル館が香林坊大神宮境内に落成、日活特約館として開館した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 7月14日 社会・文化 午前4時すぎ栄町から出火、9戸(うち旅館6軒)を全焼、5戸(うち旅館2軒)を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 7月 社会・文化 活動写真館がつぎつぎ建っているが、この月中にも下尾張町に北国電気館が起工、白菊町に金鵄館の建設が伝えられる。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 7月 社会・文化 宗達の墓の発見を機縁に中川忠順、斯波淳六郎、宮崎豊次らの間に宗達会設立の話が進み、その発起人会がひらかれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 7月 社会・文化 男の高級娯楽として市内で流行していた撞球も次第に下火となり、現在市内の球技場は金谷館(西町)、第一大勝亭(片町)第二大勝亭、林亭(片町)、遊楽園(専売局前)二口球技場(松原町)、明技館(尻垂坂通)ほか小立野2軒の計9軒となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 7月 社会・文化 金沢の代表的料亭の一つ、子来町「山の尾」が店主太田多吉老齢のため、7月限り廃業した。多吉は旧藩時代料理研究のため単身江戸に行き、帰国して開店したもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 8月7日 社会・文化 長町5番丁に建設中の聖霊病院(天主教会経営)が落成、開院式を挙行した。総経費16万円、病床数80余。院主ライネルス、院長医学士辻亮吉。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 8月11日 社会・文化 私立石川県教育会は私立の2字を削除し石川県教育会と改称した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 8月12日 社会・文化 宗達会の発会式が挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 8月14日 社会・文化 (富山県下大水害。富山市7,000戸浸水、北陸線約1週間不通。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 8月29日 社会・文化 田丸町専光寺が千代尼の墓を建てた。(専光寺は千代女の生家福増屋の檀那寺) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 9月1日 社会・文化 地万歳の小石喜久松死去。48歳。早くから地万歳の家元として売込み、犀川新橋詰めで理髪店を営むかたわら、毎年正月の寄席に出演、さらに東京、大阪等へも招かれて人気が続いていた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 9月9日 社会・文化 午前1時50分ごろ並木町から出火、14戸を全焼、3戸を半焼した。火元の家で老女1人焼死。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 9月12日 社会・文化 7月25日創設された市立菊川町尋常小学校の開校式が挙行された。新校舎の総工費は3万5,823円(うち建築費2万7,369円)。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 9月15日 社会・文化 市長山森隆の私行問題から非政友派による市長排撃問題が起つているが、午後兼六園で開かれた市長問責演説会のあと、群衆の一団が九人橋通の山森邸に押しかけ門戸、へいをこわし投石するなど暴行を働き、余波は3新聞社の社屋にまで及んだ。(のち首謀者10人が起訴公判に付された) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 9月19日 社会・文化 9月1日創設された市立此花町尋常小学校の開校式が挙行された。新校舎の総工費は5万5,533円(うち建築費3万6,184円)。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 9月21日 社会・文化 歌人高橋富兄味噌蔵町裏丁の自宅で死去。90歳。嘉永年間藩校明倫堂の国学講師をつとめ、のち第四高等学校教授に任ぜられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 9月28日 社会・文化 午後9時15分ごろ金沢駅構内にある鉄道工場から出火、工場2むねを焼失した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 10月11日 社会・文化 明治2年金沢城内で暗殺された本多政均の銅像除幕式が大乗寺境内でおこなわれた。制作は東京美術学校教授渡辺長男。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 10月11日 社会・文化 元金沢区長加藤恒(松塢)碑が小立野天徳院に建った。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 10月18日 社会・文化 小立野天徳院で弁天堂の起工式が挙行された。雨中、女の参会が多くにぎわいを呈した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 10月25日 社会・文化 下尾張町に活動写真常設館大手館が新築完成、日活特約館として開館した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 11月1日 社会・文化 値下げ競争で紛糾していた市内浴場の入浴料金は、湯屋組合で2銭5厘を2銭に統一(湯札は10銭に6枚)することになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 11月3日 社会・文化 香林坊大神宮下犀川市場花屋敷前に新築中の寄席「喜久席」が完成、開場した。収容力500人ないし700人という。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 11月9日 社会・文化 青島陥落を祝し正午に「全市鳴」を挙行。夜は県、市、商業会議所主催のちょうちん行列が各学校、団体から約1万5,000人参加して盛大におこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 11月11日 社会・文化 元陸軍中将塩屋方圀東京で死去。68歳。金沢出身で県人として初めての陸軍中将だったが、のち日糖事件で失脚した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 11月20日 社会・文化 山森市長邸襲撃の騒じょう事件の被告横地正果、松田文彦、宮本友吉らの第一審が金沢地方裁判所でひらかれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 11月 社会・文化 文化年間金沢にきて春日山にきて窯を築き春日山焼を創始した陶工青木木米の窯跡は和田尚軒、高井済好(春日神社神職)らと東京帝大奥田誠一が調査の結果、小坂村字山ノ上の唐津山(春日山の一部)の一角と考証的に確認した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 12月18日 社会・文化 午前2時すぎ落雷から上石引町で出火、5戸を全焼、2戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 12月25日 社会・文化 百坂尋常小学校の新築落成式がおこなわれた。前年2月老朽化で校舎が崩壊し問題になったものである。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正三年(1914) 12月30日 社会・文化 午前0時ごろ田丸町から出火、2戸を全焼、5戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 2月26日 政治・経済 市会は大正4年度市当初予算案の土木費中、浅野川昌永橋の架けかえを1年延期してその工費3,200円を削除する等の杉原幹男議員提出修正案を多数で可決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 3月18日 政治・経済 金沢市の衆議院議員選挙は中橋徳五郎と横山章が全国的に注目される激戦を展開中だが、首相大隈重信は横山の応援に来沢して尾山座で演説、また出発のとき金沢駅で車窓演説をした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 3月27日 政治・経済 衆議院議員総選挙は25日おこなわれた。開票結果次の通り。[金沢市部]当選1,840票 横山章(隈伯後援会)次点 1,066票 中橋徳五郎(政友)[郡部]当選 4,341票 室木弥次郎(同志)同2,977票 関戸寅松(同志)同2,743票 田中喜太郎(同志)同2,682票 西村正則(政友)同2,622票 桜井兵五郎(同志)次点 2,510票 戸水寛人(政友)2,496票 浅野順平(同志) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 4月1日 政治・経済 知事熊谷喜一郎は依願免官となり、後任に福島県知事太田政弘(山形県人)が任命された。熊谷は県高等警察課長らが与党同志会候補のため悪質な選挙違反事件を起した責めを負ったもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 4月5日 政治・経済 市収入役に由比勝之が就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 4月6日 政治・経済 政友会は、金沢市堀俊明ら県下有権者5人の名をもって、選挙長たる石川県知事を被告として「石川県下の今次衆議院議員総選挙は全部無効である」との訴訟を名古屋控訴院に堤起した。県下で使用した投票用紙が、だれに投票したかを透見できる粗薄な用紙であったのは、「成規の用紙を用いざるもの」であるから選挙法違反であるとの理由である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 3月25日 政治・経済 金沢商業会議所は総会を開き会頭に横山章を再選した。副会頭には4月19日西永公平が選ばれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 6月22日 政治・経済 石川鉄道(鶴来―新野々市間7.1マイルの軽便鉄道)が完工、開業した。総事業費14万余円、旅客運賃並等片道18銭、特等28銭。同鉄道は最初、電鉄敷設の計画で昨年2月電鉄会社を設立、着工したが、本年3月臨時総会で電車から汽車に動力変更を決定し、名古屋から不用機関車と軌道を購入、完成したもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 7月1日 政治・経済 報徳銀行金沢支店が上堤町に開店した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 7月13日 政治・経済 立憲同志会石川県支部の発会式が第一福助座で外相加藤高明らを迎えて挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 7月29日 政治・経済 山森市長は市会の決議により朝鮮駐とん第9師団将兵慰問のため出発した。市会は将兵に贈る慰問品代2,000円を可決。(8月22日帰沢) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 8月16日 政治・経済 市会は大典記念事業として卯辰山公園道路改修事業(経費1万5,000円、2ヵ年継続事業)を決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 8月27日 政治・経済 中崎与四右衛門の死去で空席になった上金石町長に安宅又吉が就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 9月25日 政治・経済 県会議員選挙が24日おこなわれた。金沢市の開票結果は次の通り。当選 米原於菟男(政友)餝谷与右衛門(政友)米村吉太郎(同志)辰村米吉(同志)篠原譲吉(国民)次点 西永公平(革新)清水兼之(中立) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 10月5日 政治・経済 加賀製糸株式会社が設立された。社長横山俊二郎、資本金10万円。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 10月14日 政治・経済 (県会議長に金沢市選出の辰村米吉、副議長に布施丑造が指名推薦された。) 0
    大正四年(1915) 10月23日 政治・経済 名古屋控訴院は3月の石川県衆議院議員選挙無効訴訟に対し「石川県下の選挙全部を無効とする」との判決(第1審)を下した。 0
    大正四年(1915) 10月25日 政治・経済 浅野川天神橋の架けかえ工事が完成、雨中盛大な渡橋式が挙行された。(3夫婦は橋場町呉服店友田家)橋はコンクリート塗装、鉄の欄干、工費4,800円で金沢第一の新橋。 0
    大正四年(1915) 11月15日 政治・経済 任期満了の金沢市長の選挙が市会でおこなわれ、山森隆が再選された。(12月15日裁可)なお選挙では第2候補者飯尾次郎三郎、第3候補者杉原幹男の順位であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 11月30日 政治・経済 石川県は大典記念事業として県立図書館拡張(3階建別館増築)と原蚕種製造所新設をきめ、両案とも県会で可決された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 12月17日 政治・経済 金沢専売支局は第2期工事の完成を機に、庁舎落成披露式を挙行した。同局の敷地面積は1万37坪、総建坪は2,634坪。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 12月31日 政治・経済 市調査による本年末現在の金沢市公簿人口は38,414世帯、137,047人(男68,959人、女68,088人)である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 1月5日 社会・文化 藤江永考朝鮮視察旅行中チフスで死去。51歳。金沢市出身、ドイツ人ワグネルに学んだ陶窯界の先覚で、京都陶磁器試験場場長だった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 2月25日 社会・文化 山森市長邸襲撃(騒じょう罪)事件被告10人に対し金沢地方裁判所で判決が言渡された。市議横地正果、宮本友吉が禁固1年2月の実刑、7人が禁固1年以下執行猶予3年、1人無罪。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 2月 社会・文化 石川県乃木会が創立された。創立委員長水島辰男、会員300余人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 3月25日 社会・文化 (鉄道院は北陸線信越線回りの上野、神戸間直通列車を本日から運行した。距離489マイル、運転時間52時間7分、3等運賃4円71銭でわが国鉄道開始以来の長時間運行列車である。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 4月22日 社会・文化 大正2年11月起工した西町の金沢市公会堂が完工、落成式が挙行された。建物総坪数189坪8合、階上広間の収容力は約1,200人、総工費3万9,571円。本館設計主任は河合工学士、付属一切の設計は市の松任技師、本館請負者直江竹次郎。なお1階陳列所は勧工場代用として市内各商店の即売品を陳列する。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 4月24日 社会・文化 午後8時ごろ柳町の酒造場から出火、酒造場(約100坪)を全焼、4戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 5月2日 社会・文化 蛤坂本長寺境内に芭蕉句碑が建てられ、建碑式が挙行された。「春もやゝ景色とゝなふ月と梅」 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 5月11日 社会・文化 金沢医学専門学校は創立25年記念式と校舎改築移転祝賀式を挙行した。(同校の大手町から小立野への移転は明治45年3月25日) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 5月15日 社会・文化 白菊町北国劇場の隣に活動写真常設館キシン館が新築完成、開館した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 5月20日 社会・文化 トマス・ウイン博士が来沢、旧知と交歓した。博士は明治初期数年間在沢してキリスト教の伝道に当る一方、北陸女学校の創立を後援するなどこの地方の開化に貢献した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 5月25日 社会・文化 金沢能楽会が創立15年(明治34年創立)の記念式をあげ、創立功労者などを表彰した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 5月30日 社会・文化 (能美郡苗代村字向本折小字出村で大火、住宅68むね全焼。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 5月 社会・文化 6代目尾上菊五郎一座が1日から6日間、また市川左団次一座が19日から5日間いずれも第一福助座で開演、金沢では近年の大芝居とあって両一座とも連日大人気だった。料金は桟敷鶉新出1間が菊五郎は3円60銭、左団次は2円90銭、平坪1間が菊五郎2円80銭、左団次2円10銭。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 6月10日 社会・文化 漆芸家沢田宗沢(次作)死去。86歳。梅田三五郎に学び描金の肉揚法に新機軸を出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 6月13日 社会・文化 北国新聞社主催第1回学生相撲大会が金石海浜で開催された。参加学校は金沢医専と県下中学校7校の計8校。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 6月18日 社会・文化 松井須磨子らの芸術座が本日から4日間第一福助座で開演した。金沢は2回目「サロメ」「其前夜」など。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 6月20日 社会・文化 香林坊大神宮境内で興業中の見世物小屋から長さ4間2尺の錦蛇が逃げ出したことを早朝発見、大騒ぎとなった。錦蛇は日銀支店の庭、山田医院裏庭、右衛門土橋下を通り、高岡町下藪ノ内の民家前の暗きょの中にひそんでいるのを午前11時ごろ発見、つかまえた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 6月21日 社会・文化 民間飛行家野島銀蔵の飛行大会(早鷹号)が野村練兵場で19、20、21の3日間開かれ、連日1万人以上の有料観覧者を集めた。飛行時間は1分間から最高11分間(市街上空訪問のとき)。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 6月28日 社会・文化 尾山神社で2代藩主前田利長の300年祭が執行され、前田侯夫妻、母堂らも来沢参拝した。市内は獅子舞、祇園ばやし、弥彦婆、二輪加などがねり回り大にぎわいを呈した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 6月 社会・文化 欧州大戦の影響はさまざまにあらわれて来ているが、輸入薬品の暴騰で金沢病院でも薬価値上げを余儀なくされるようになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 7月2日 社会・文化 石川県師範学校男子部校舎が泉野に完成、落成式が挙行された。6ヵ年継続工事で総工費23万7,000余円。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 7月4日 社会・文化 和田文次郎、瀬尾雅太郎、近藤磐雄ら主唱の加越能史談会が兼六園三芳庵で発会式をあげた。郷土史料の収集調査と発表、史跡の維持保存などが会の目的。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 7月9日 社会・文化 市は野町、菊川町、長土塀、此花町、馬場の各尋常小学校と味噌蔵町尋常高等小学校に特別学級を設置した。家計困難で昼間通勤できない学童に夜学をさずけるもの。修業年限4年。(大正9年度の児童数381人) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 8月5日 社会・文化 上金石町長中崎与四右衛門死去。62歳。明治37年から町長に2期就任、実業界でも金石銀行はじめ各会社の社長、取締役として活躍した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 8月18日 社会・文化 午後8時20分ごろ木ノ新保6番丁の民家から出火、3戸を全焼、1戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 9月10日 社会・文化 河北郡浅川村字小豆沢で火事、全戸数10戸のうち8戸焼失。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 9月16日 社会・文化 石川新聞(社長宮野直道)は横山家に買収され、高島伸二郎が経営担当者となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 10月12日 社会・文化 午後6時すぎ橋場町で通行中の婦人(58歳)が乗用自動車にはねられ重傷、自動車は逃走という金沢では珍しいひき逃げ事件発生。新町分署は犯人厳探中。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 10月17日 社会・文化 野田山にあった堀麦水の墓石遠山墳が菩提寺五宝町西勝寺に改葬された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 10月 社会・文化 野町の寄席神明館が廃業した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 11月10日 社会・文化 天皇即位式。大隈首相の萬歳奉唱の午後3時30分全国民が萬歳を3唱したが、金沢市でも同時刻に卯辰山山上で号砲を打ちあげ、これを合図に市民が萬歳を唱和した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 11月10日 社会・文化 大典奉祝のため金沢市内の大通りは大国旗、まん幕等で飾られ、また市民は軒にしめなわや幕を張り、ちょうちん、国旗を出し、開市以来の美観とにぎわいを呈した。本日から18日までの間、各学校、団体、町内の各種行列や催し物で昼夜わき返った。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 11月10日 社会・文化 (大典に当り能登の国幣中社気多神社の国幣大社昇格が発表された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 11月10日 社会・文化 大典に当り次の県人に贈位の発表があった。正5位・安達幸之助(勤王家)従5位・清水誠(わが国マッチ製造の元祖)同・関口開(県の西洋数学始祖) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 11月12日 社会・文化 動力機械製造の2代目津田米次郎死去。54歳。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 11月16日 社会・文化 市主催の金沢大礼奉祝会が出羽町練兵場で盛大に開かれた。参会者数約3,000人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 11月27日 社会・文化 中村吉右衛門一座が24日から8日間北国劇場に来演、連日大人気である。観覧料桟敷鶉新出1坪2円80銭、平坪2円10銭。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 11月30日 社会・文化 官民合同の兼六園保勝会が県会の決議を得て設立されることになった。会長は知事。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正四年(1915) 12月16日 社会・文化 石川県教育会が昨年9月来編さん中の金沢市教育史が脱稿した。同会の手で刊行予定。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 1月13日 政治・経済 市調査による昨年末における金沢市内の家屋数は2万1,224戸で前年末より907戸増加した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 1月15日 政治・経済 金沢、野々市間の馬車鉄道が開通した(社長横山俊二郎)。野町5丁目元村山吹屋跡の仮停車場と北陸線野々市駅間の料金は4銭。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 1月 政治・経済 箔の需要が伸び昨年1ヵ年に金箔500万枚、銀箔500万枚、洋箔1,000万枚、アルミ箔700万枚が輸出されて、このところ業界は活況を呈している。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 3月1日 政治・経済 松金電車鉄道会社の金沢、松任間軌道工事が完成した。施工は愛知県の加藤組。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 3月13日 政治・経済 松金電車鉄道会社の松任、金沢間電車が運転を開始した。松任、金沢間の料金は12銭(通行税とも)。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 3月17日 政治・経済 石川県衆議院議員選挙無効訴訟について大審院は「名古屋控訴院の判決を破棄し、改めて大阪控訴院に移送する」との判決を下した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 3月24日 政治・経済 故川村第9師団長の後任に憲兵司令官橋本勝太郎中将が補せられた。(橋本は東京から直接任地の朝鮮竜山に29日着任した) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 4月15日 政治・経済 石川県輸出麻真田同業組合が金沢商業会議所で設立総会をひらいた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 5月1日 政治・経済 朝鮮守備の任を終った第9師団は帰還を開始し、師団司令部と歩兵第35連隊が先頭部隊として金沢に帰着した。駅前には金沢市の歓迎門が建てられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 5月20日 政治・経済 東京早川千吉郎邸に本多、横山両男爵、和田豊治(日本紡績)らが集り、金沢に紡績会社設立計画を決定した。規模は初期、紡績機68台、撚糸機16台となっている。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 5月27日 政治・経済 下堤町に日本生命保険会社金沢支店の社屋が新築落成、十間町から移転した。赤れんが2階建、工費7万円。北陸随一のモダン建物と評判になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 5月30日 政治・経済 4月13日火災にあった日本硬質陶器の応急復興工事がほぼ完成したので、会社は職工1,000人の募集をはじめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 6月10日 政治・経済 県市共同主催の朝鮮帰還第9師団歓迎会が将校を招いて卯辰山公園で開かれた。参会者約2,000人。また下士卒には記念杯を贈り市内の劇場、活動常設館を開放した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 7月17日 政治・経済 金沢電気瓦斯会社は2,000馬力の発電計画を県に出願した。同社の直海谷発電所(1,800馬力)が明年春に送電開始になっても紡績(1,500馬力)電車(600馬力)の要求をみたすに不足という理由による。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 7月26日 政治・経済 大坂控訴院は石川県衆議院議員選挙無効訴訟の差しもどし裁判で選挙無効(知事の敗訴)の判決を言渡した。(9月5日知事は再度大審院に上告した) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 9月1日 政治・経済 一部開通した金沢、野々市駅間の金野馬車鉄道は千日町(北国劇場付近)までの工事が完成、これで全部開通した。千日町、野々市駅間の料金は6銭。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 9月13日 政治・経済 酒類取扱商の間に金沢酒造株式会社(資本金5万円、製造高2,500石)設立の案がまとまり創立委員長に市村孫太郎を選んだ。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 10月7日 政治・経済 9月末現在の金沢組合銀行は17行、うち本店銀行は加州、石川、金沢貯蓄、吉田の4行である。100万円以上の預金高あるものは次の通り。加州銀行245万5,110円、十二銀行159万5,440円、金沢貯蓄銀行124万8,371円、明治銀行120万444円、鴻池銀行118万5,361円。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 10月14日 政治・経済 知事太田政弘が熊本県知事に転じ、後任に高知県知事土岐嘉平(和歌山県出身)が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 10月15日 政治・経済 機業松田鳥文が廃業した。力織機150台、工員100余人の市内屈指の機業場だったが、同業組合内部の問題が原因。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 10月28日 政治・経済 加州銀行の加賀実業銀行合併が実現し合同総会がひらかれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 10月29日 政治・経済 金沢電気軌道株式会社の創立総会が市公会堂で開かれ、7年越しの懸案であった街鉄がいよいよ発足した。資本金150万円(3万株)、株主3,786人。取締役は本多政以、小曾根喜一郎、横山一平、小塚貞義、中泉三郎。(山森市長は11月1日、市の全吏員を公会堂に招き街鉄成立についての労苦を慰労した) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 11月3日 政治・経済 尾張町森八菓子店が東京日本橋に支店を出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 11月11日 政治・経済 5月に起工、10月完成した大典記念卯辰山記念道路の開通式が挙行された。延長394間(旧道は170間)、施工請負いは賢坂辻薄井久太、総事業費1万6,321円。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 11月27日 政治・経済 久しく係争中だった大正4年3月の石川県衆議院議員選挙無効訴訟は、大審院で上告棄却の判決が下って石川県知事の敗訴に帰し、選挙の無効が確定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 12月1日 政治・経済 松金電車と石川鉄道は野々市交差点に野々市連絡駅を設け、客貨の連帯運輸をはじめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 12月2日 政治・経済 石川県衆議院議員の再選挙は12月18日執行のむね告示された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 12月19日 政治・経済 石川県衆議院議員再選挙は18日執行された。開票は市部が19日、郡部が27日(能美郡の1村で事故のため)おこなわれた。〔金沢市〕当選1,275票 中橋徳五郎(政友)次点736票 横井伊佐美(憲政)〔郡部〕当選4,384票 戸水寛人(政友)同3,613票 浅野順平(憲政)同3,494票 桜井兵五郎(憲政)同3,474票 西村正則(政友)同3,227票 田中喜太郎(憲政)次点3,055票 米田穣(政友) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 12月25日 政治・経済 市会は金沢高等工業学校設置費の寄付金について承認した。設置費79万円は一般からの寄付にまつことになるが、寄付の不足分は市と県が負担することを決めたもの。なお横山章からはすでに10万円の寄付申出がある。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 12月31日 政治・経済 市調査による本年末現在の金沢市公簿人口は38,229世帯、136,492人(男67,908人、女68,584人)である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 1月11日 社会・文化 兼六園内金沢神社(社司守部齊)の保存会がうまれた。もと竹沢殿の鎮守で氏子がないためである。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 1月14日 社会・文化 金沢市における昨年中の死亡者は2,698人、死亡病名は肺結核が首位で229人(前年比21人増)、以下肺炎、脳出血、脳膜炎、気管支カタル、腎臓炎、胃ガン(72人)の順となっている。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 1月15日 社会・文化 野村円平の「空翠雑話」が和田文次郎により観文堂(南町)から再刊された。円平は幕末加賀藩の町人、はじめ風雅、のち国粋論者。空翠雑話は藩から版木を没収され絶版になっていた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 1月20日 社会・文化 午後7時すぎ殿町の民家から出火、1戸と隣接の元豊国神社境内の能舞台等を焼失した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 2月22日 社会・文化 午後8時すぎ野町2丁目の民家から出火、2戸を全焼、1戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 2月27日 社会・文化 郵便物の雪中輸送にスキーを使用するため、高田市のスキー講習会に出席した松原白峰郵便局長ら2人が帰県し、さっそく大乗寺山でその習得してきたスキー技術を関係者に披露した。白峰局では3月から使用することにした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 3月10日 社会・文化 松本幸四郎、沢村宗十郎一座が北国劇場に来演した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 3月10日 社会・文化 金沢毎日新聞と石川新聞とが合併して石川毎日新聞と改題した。発行所は南町の石川新聞発行所。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 3月18日 社会・文化 第9師団長川村宗五郎中将金沢で死去。59歳。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 4月1日 社会・文化 小野慈善院内に私立小野臥龍小学校が開校した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 4月3日 社会・文化 改築中だった香林坊の第一福助座が嵐冠十郎一座で開場した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 4月 社会・文化 兼六園保勝会(会長知事)が保勝設計委託のため招いた農学博士原凞が「日本式庭園として保勝をはかるならば入園制限(有料制)もやむなし」と結論したことについて、有料制是非の問題が各方面で盛んに論議されている。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 4月13日 社会・文化 横山隆興死去。69歳。尾小屋鉱山の経営に成功、また各種公共事業に多くの寄付をした。横山隆章の2男。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 4月13日 社会・文化 深夜、長町川岸の日本硬質陶器会社で窯が破裂して出火、工場倉庫など4むね約2,000坪を焼失した。損害約30万円。太田知事、山森市長らも現場にかけつけ消火の指揮にあたった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 5月4日 社会・文化 河北郡三谷村字柚木に大火、18戸焼失。市内から卯辰山の後方に火炎がながめられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 5月22日 社会・文化 来日中の米の鳥人アート・スミス(22歳)が野村練兵場で21、22両日宙返り飛行を演じた。新聞は有料入場者数を21日8万人、22日2万人と報じた。入場料の最低は小学生の5銭。福井、石動間に4本の臨時列車が運転された。金沢市の飯尾助役は2日目に市の感謝状と記念メダルをスミスに贈った。なおこの金沢の飛行大会主催者は井村徳三郎で、約1,000円の欠損だったという。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 5月 社会・文化 金沢市の撞球(ビリアード)熱は最近再興してきたが、現在市内の営業球技場は12軒、非営業の会社または個人の球技場は約10ヵ所である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 6月21日 社会・文化 元代議士杉村寛正死去。73歳。旧藩士、明治初期政治結社忠告社によって活躍し、衆議院選挙に第1回から3回まで連続当選、のち石川県勧業博物館長を勤めた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 6月28日 社会・文化 市の編さんになる「稿本金沢市史・市街編第一」が刊行された。執筆者和田文次郎。(稿本金沢市史は昭和12年の政治編第二をもって一応打ち切られた。全14巻。この間執筆者は和田から八田健一に代った) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 8月1日 社会・文化 石川毎日新聞(社長西永公平)の経営が横山家から名古屋新聞社長小山松寿に譲渡された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 8月1日 社会・文化 馬場小学校(校長北川友三郎)が卯辰山上で本年から夏期保養団体生活(林間学校)をはじめた。参加生徒約120人、期間10日間、費用1人1円50銭で宿舎は忠魂堂と覚林寺。金沢で初めての林間学校である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 8月5日 社会・文化 四高主催第4回北陸関西連合野球大会(参加13校)で長野師範が金沢二中を13対1で破って優勝し、本年から大阪府豊中で開催される大阪朝日新聞社主催第1回全国中等学校優勝野球大会に北信越代表として出場権を得た。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 8月8日 社会・文化 近く文部省が決定する高等工業学校の新施設は金沢のほか広島、横浜も候補地になっており、金沢設置は楽観を許さぬ情勢のため、市会(林議長ら5人)金沢商業会議所(横山会頭ら3人)の各代表は本日上京して、県会代表、県選出代議士と共に猛運動を始めた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 8月11日 社会・文化 県立図書館の大典記念の増築が完工、落成式を挙げた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 8月16日 社会・文化 政府は金沢の高等工業学校を明後7年度から4ヵ年継続事業として創立に着手することに内定した。(広島、横浜は6年度から) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 8月17日 社会・文化 陸義猶東京で死去。74歳。政治結社忠告社創始者の一人、島田一良らのため大久保利通の斬奸状を起草して終身禁獄に処せられたが10年で特赦された。その後金沢監獄教戒師をつとめ最後に前田家編輯員をしていた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 8月21日 社会・文化 四高教授八波則吉(其月)が文部図書官、文部督学官に転任した。八波は大学卒業後直ちに四高に来任し在沢16年、兼六園歌をはじめ多数校歌類の作詞を残した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 9月11日 社会・文化 兼六園保勝会評議員会が開かれ、原博士の案(禁園)を審議の結果、有料制による入園制限案は時期尚早とし、園内一部に立ち入り禁止個所を設ける折衷案をきめた。(案の実施はその後知事の更迭もあり立ち消えになった) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 9月16日 社会・文化 (富山、福井はじめ全国に流行中のコレラが石川県に侵入、鹿島郡田鶴浜村に真性コレラ患者が1人発生した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 9月16日 社会・文化 浮世絵師宮島常次郎(恒信)死去。66歳。新聞の読物等のさし絵を描き、また仏師(2代目左輔)としても有名だった。蛤坂居住。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 9月22日 社会・文化 山森市長は市民にコレラ予防の注意事項を列挙した論示を発表した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 9月27日 社会・文化 河瀬貫一郎死去。68歳。旧村井家家臣、明治10年代から県会議員に出て議長をつとめるなど地方政界に活躍、晩年は石川県乃木会の理事として精神作興運動に尽した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 10月5日 社会・文化 コレラがついに金沢に侵入、彦三3番丁で1人発生した。患家付近数戸はナワを張って交通をしゃ断し、その住人を隔離所へ収容した。交通しゃ断線は巡査や消防組員が監視するなど当局の処置が厳重を極め、一部市民から不満の声が出たほどだった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 10月9日 社会・文化 市はコレラ患者の発生に備え市立桜木病院に仮病室を増築中のところ本日完成、直ちにコレラ患者2人を収容した。新築病室は収容力20人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 10月10日 社会・文化 金沢市内のコレラ続発、金沢魚商組合は5日間休業した。県はコレラ根源地を大根布と断定し、「市内の河川、河北潟と大野川一円、大野川河口の南北各10町と沖合10町以内の海面」における漁業遊泳等を禁止した。(10月27日解禁) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 11月3日 社会・文化 第1皇子裕仁親王の立太子式挙行。金沢では午前9時30分祝砲を合図に市民は萬歳を唱和した。市会は奉祝文を可決、山森市長が直ちに上京奉呈した。市内では昼は小学生の旗行列、夜は中学生以上約4,000人のちょうちん行列がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正五年(1916) 11月12日 社会・文化 波吉宮門の古稀祝賀能が東京九段の能楽堂で催された。宮門は加賀藩最後のお抱え能役者。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 1月6日 政治・経済 加州銀行が加能銀行(羽咋)と津幡銀行を吸収合併した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 1月 政治・経済 (県調査による県下の昨年中の麻真田生産高は330万反、価格110万円。製造戸数は83、就働者3,000人余。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 3月20日 政治・経済 大典記念事業の石川県原蚕種製造所が西御影町に落成、開所式を挙行した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 3月27日 政治・経済 来月20日の衆議院議員総選挙に金沢市部は中橋徳五郎(政友)のひとり舞台と見られていたところ、早稲田大学教授永井柳太郎(憲政)が立候補を宣言し選挙は活気を呈してきた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 4月22日 政治・経済 20日おこなわれた衆議院議員選挙の開票結果は次の通り。〔金沢市〕当選1,319票 中橋徳五郎(政友) 次点1,116票 永井柳太郎(憲政) 〔郡部〕当選3,415票 桜井兵五郎(憲政) 同2,986票 米田穣(政友) 同2,859票 浅野順平(憲政) 同2,843票 戸水寛人(政友) 同2,807票 西村正則(政友) 次点2,573票 乾亮(政友) 2,508票 大味久五郎(憲政) 1,540票 藻寄鉄五郎(政友) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 4月22日 政治・経済 永井柳太郎が兼六園で感謝演説会を開き「来たり、見たり、敗れたり」の名演説をした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 5月7日 政治・経済 閑院宮載仁親王が特命検閲使として来沢、第9師団の当地諸部隊を検閲された(21日まで)。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 5月20日 政治・経済 西町に財団法人金沢銀行集会所が完成、落成式を挙行した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 5月28日 政治・経済 金沢紡績株式会社の創立総会が開かれた。資本金500万円。社長本多政以、専務取締役大脇康直。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 5月31日 政治・経済 金沢市医師会は総会の決議により上水道敷設調査機関設置の建議書を山森市長に提出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 6月23日 政治・経済 朝鮮硬質陶器株式会社(日本硬質陶器系)の発起人会がひらかれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 7月7日 政治・経済 金沢市選出県会議員の補欠選挙がおこなわれ、西永公平が当選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 7月18日 政治・経済 金沢電気瓦斯会社は電力節約のためカーボン電球をやめてタングステン電球を使用することになった。なお市内各戸の電灯は8割5分が10燭以下で、5燭が3万7,000灯、10燭が2万3,000灯である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 7月28日 政治・経済 市助役に飯尾次郎三郎が再選された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 12月10日 政治・経済 金沢市会議員選挙は3級が4日、2級が7日、1級が10日におこなわれた。当選者の政派別は政友派19、非政友派17。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 12月17日 政治・経済 市会は正副議長選挙をおこない、議長に林直(政友)、副議長に乾亮(政友)を選出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 12月28日 政治・経済 犀川大橋架けかえ用の鉄材は大阪で買入れることに決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 12月31日 政治・経済 市調査による本年末現在の金沢市公簿人口は38,549世帯、140,024人(男71,551人、女68,473人)である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 12月 政治・経済 金沢の箔の産額は大戦の影響を受けて著しい発展を示し、大正は4年(50万円)に比べ5年は2倍、本年は約3倍に達している。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 1月14日 社会・文化 元四高校長吉村寅太郎東京で死去。70歳。旧但馬藩士、四高名誉教授の称号を受けた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 1月15日 社会・文化 明治24年以来の大雪で3日から11日までの金沢の降雪量は計8尺4寸、4日には1日で2尺1寸9分も降った。本日までの金沢市の家屋全壊16戸、死者4人。(2月初め再度の大雪あり、全壊26戸に増加) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 1月17日 社会・文化 (県会は県立諸学校の授業料を4月から値上げすることを議決した。それぞれ20銭の増額である。中学校、高等女学校2円20銭、商業学校1円70銭、同予科1円40銭、工業学校1円40銭。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 1月20日 社会・文化 物価騰貴で市内の人力車料金も値上げされた。従来の5丁以内5銭を6銭に上げ、5丁以上1丁ごとに7厘増しとなった。また空気タイヤの大輪は2割増しときめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 1月26日 社会・文化 宮野直道死去。65歳。明治30年から市議県議に数回当選、市会議長、県会議長もした。硬質陶器、加能精練、石川新聞等の各社長をつとめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 2月11日 社会・文化 「稿本金沢市史・市街編第二」が市役所から刊行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 2月24日 社会・文化 石川郡富樫尋常高等小学校清瀬、坪野、倉ヶ獄の3分教場を併合して富樫尋常高等小学校坪野分教場と改称した。(後の富樫小学校坪野分校) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 3月7日 社会・文化 大乗寺住職堀麟童死去。84歳。鳳至郡出身、明治6年以来同寺住職の座にあった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 3月9日 社会・文化 (宝生流16代家元宝生九郎死去。80歳。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 3月10日 社会・文化 尾張町の活動写真常設館大手館が金城館と改称した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 3月14日 社会・文化 画家森春岳(京都在住)死去。84歳。金沢市出身。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 3月30日 社会・文化 文部省は金沢高等工業学校敷地買収費6万円を予算に計上した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 3月31日 社会・文化 物価高でこのところ学校の授業料や保育料もつぎつぎ値上げが発表されている。市立女子職業学校1円(旧80銭)、川上、白銀町、馬場各幼稚園30銭(旧15銭)。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 4月1日 社会・文化 河北郡鈴見尋常小学校が下田上尋常高等小学校分教場になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 4月6日 社会・文化 (鳳至郡鵜川村に大火、全焼130戸、半焼5戸、焼死4人。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 4月25日 社会・文化 選挙に敗れた永井柳太郎は午後7時5分金沢駅発列車で帰京したが、見送りの一団数百人が帰途、安江町新愛知新聞社金沢支局と南町北国新聞社に押しかけ一部のものは喚声をあげて投石した。17人が逮捕された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 5月5日 社会・文化 造営中の明治神宮神苑に金沢市からヒノキ150本、赤松53本、黒松34本献木することになり、本日汽車で発送した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 5月5日 社会・文化 北国劇場に中村吉右衛門、坂東三津五郎一座が来演した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 5月19日 社会・文化 書店主(横安江町)近八郎右衛門死去。81歳。俳諧を雪袋に学び、柳陰居素一と号し広い趣味の通人で、風俗稗史についての著作も多い。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 5月25日 社会・文化 卯辰山招魂社で北越戦役50年祭が挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 5月27日 社会・文化 「稿本金沢市史・市街編第三」が市役所から刊行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 5月27日 社会・文化 金沢地方で著名の裁縫師匠中田里子(彦三居住)の頌徳碑が門人の手で卯辰山忠魂堂付近に建てられ、門人百数十人が参列して除幕式が挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 6月3日 社会・文化 前田利為夫妻が来沢、野田山で前田利家夫人芳春院の300年祭を挙行した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 6月10日 社会・文化 金沢で古い由緒をもつ八幡町の県社宇多須神社の1,200年式年祭が本日から3日間催され、浅野川以北地区は非常なにぎわいを呈した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 6月25日 社会・文化 4月25日の新聞社へ投石の騒じょう事件の判決が金沢地方裁判所で言渡された。禁固3人(1年~3月)罰金13人、無罪1人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 7月3日 社会・文化 昨夜来の豪雨で犀川(5尺8寸)浅野川(4尺)金腐川(5尺)が増水、全市の浸水1,000余戸、卯辰山下の常盤町、豊国町、観音町にがけくずれがあった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 8月5日 社会・文化 帝国飛行協会の後藤正雄は協会のモーリス・ファルマン式飛行機で出羽町練兵場を離陸し、市内上空を約450メートルの高度で40数分間飛行、無事着陸した。市内の多くが屋根に登って見物した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 8月19日 社会・文化 加能史談会ははじめて市内の名所旧跡25ヵ所に、その由来を記載した標板をたてた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 8月25日 社会・文化 (東北帝国大学総長北条時敬が学習院院長に任ぜられた。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 8月26日 社会・文化 金沢医学専門学校教頭で金沢病院長の山碕幹が勇退、医専在職20余年。後任教頭には下平用彩教授が昇格、病院長は高安校長の兼任となる。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 9月1日 社会・文化 (富山県下にまんえんのコレラは能登地方に侵入し飯田、宇出津等に続発している。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 9月6日 社会・文化 県はコレラ予防のため県令で、富山県から魚貝、果実野菜類の移入を禁止した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 9月15日 社会・文化 画家竹久夢二(柿木畠藤屋に滞在中)の作品展覧会が15日、16両日金谷館で開かれ多くの入場者を集めた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 9月30日 社会・文化 勤王家松平大弐の石碑が野田山に建った。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 10月2日 社会・文化 30日来の暴風雨で県下に被害多く金沢でも各河川が増水、犀川大橋下流の堤防が決壊した。また能美郡尾小屋鉱山で沈澱池が決壊、鉱夫社宅が押し流され、27人死亡。(表日本へ襲来の台風は中央気象台創設以来の猛台風で、関西、関東地方は大被害を出した) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 10月3日 社会・文化 金沢東別院の再建工事の入札がおこなわれ、5万3,800円で富山県井波町の松井角平が落札した。入札資格を18間四面の堂宇を経験ある業者に限ったため入札者は3人に過ぎなかった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 10月10日 社会・文化 粟崎木谷藤右衛門邸庭園の木石(千代藤右衛門が数百万円を投じたもの)の売立てが9、10両日おこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 10月20日 社会・文化 水登勇太郎死去。65歳。金沢商業会議所会頭に3回就任、市議、県議のほか明治36年代議士にも当選した。金沢で最初にキリスト教の洗礼を受けた一人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 10月21日 社会・文化 (早大教授永井柳太郎は早大騒動事件で大学を退き、南支南洋視察の途についた。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 10月27日 社会・文化 能登地方のコレラは9月27日以来発生なく、県は終息と見て禁止していた内浦の漁業等を解禁した。初発以来57人、うち死亡39人。(富山県は患者累計446人) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 11月17日 社会・文化 大演習で滋賀県行幸を機に石川県関係の4人に贈位が発表された。(被贈位者総数44人)従3位 前田治脩(加賀11代藩主)正4位 前田利明(大聖寺2代藩主)従5位 堀四郎(旧藩士、勤王家)大野木克正(旧藩士、勤王家)。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 11月 社会・文化 警察が芸妓の検黴を強行することになったので西廓20人余、東廓86人、主計町30人の芸妓が廃業するといきまき、このため検黴はされずおわった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正六年(1917) 月日不詳 社会・文化 新潟県から転任してきた師範学校長中山文雄が、学校にスキー数台を備え生徒や付属小学校の児童に練習させた。当地方にスキーの普及しはじめたのはこの時からである。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 1月10日 政治・経済 街鉄会社は電車計画路線のうち中町、大手町を経て尻垂坂に出る路線を尾張町、枯木橋、味噌蔵町から裁判所前に出る路線に変更を主務省に更新中のところ認可された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 1月29日 政治・経済 金沢米穀取引所は28、29両日立会を停止した。三重県津市の岡某が米の買占めをして三重県知事から戒告されたことに基因して、相場が不穏当な高低を示したことによるもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 2月7日 政治・経済 市内電車線敷説のため市が実施する道路拡築工事が県から認可された。道路拡築のために買収を必要とする家屋は672戸。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 2月15日 政治・経済 片町通り竪町角の勧工場は市区改正を機会に閉業することになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 3月23日 政治・経済 かねて経済界から要望のあった県工業試験場設立がきまり、敷地も長土塀蚕業講習所跡に決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 4月1日 政治・経済 市長ら3役の増俸が市会の決議を経て実施された。新年俸は市長3,300円、助役2,000円、収入役1,000円。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 4月 政治・経済 金沢商業会議所調査による金沢の各種工賃は次の通り。大戦による物価高の影響で漸騰を示している。(カッコ内は昨年9月賃金)大工1円40銭(1円)左官1円20銭(90銭)石工1円30銭(1円10銭)瓦ふき1円30銭(1円10銭)れんが工1円70銭(1円50銭)建具職1円30銭(90銭)畳刺1円(90銭)人夫85銭(75銭) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 5月9日 政治・経済 材木町2丁目から突きあたりの旧木曽町道路を切り下げて、一直線に百々女木町に通ずる道路の開さく方を関係町民が山森市長に陳情した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 5月29日 政治・経済 "加州銀行は金沢市を引きあげる鴻池銀行金沢支店(香林坊)を買収、銀行業務を継続すると発表した。鴻池銀行金沢支店の創設は明治34年5月。  ◇備考(米騒動など一連の米価暴騰関係事項は社会問題として「社会・文化」      欄にのせた。)" 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 6月8日 政治・経済 北陸地方視察中の渋沢栄一が第一国立銀行支店設置のとき以来33年ぶりに来沢した。金沢一中と市公会堂で講演。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 6月10日 政治・経済 石川県貴族院多額納税者議員互選がおこなわれ、横山章が13票で当選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 7月10日 政治・経済 貴族院の男爵議員に、金沢市出身の横山隆俊(新)本多政以(再)斯波忠三郎(再)の3人が互選された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 7月24日 政治・経済 東久邇宮稔彦王が陸軍異動で歩兵第7連隊第1大隊長に任ぜられた。(8月19日着任、宿舎は成巽閣) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月22日 政治・経済 日本銀行金沢支店長奥忠彦が転出、後任に松方義輔(松方正義の9男)が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 9月3日 政治・経済 第9師団の各歩兵連隊から1個ずつ計4個中隊が青島守備のため出発した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 9月29日 政治・経済 金沢出身の中橋徳五郎(55歳)が原内閣の文部大臣に就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 10月2日 政治・経済 日本硬質陶器会社小黒安雄専務が職工の毎月1日、15日の定休日を毎月第1、第3日曜に変更することを提唱、金沢商業会議所もこの方が合理的だとして休日変更の実現に努力することになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 10月17日 政治・経済 街鉄会社の市内電車レール敷設工事が開始された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 11月10日 政治・経済 (鉄道小浜線が開通した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 12月3日 政治・経済 県の屋上覆葺規則で金沢市の家屋は本年末までに屋根をカワラぶきに改めなければならぬことに決められていたが、市の特殊事情を認めて、10年間(大正17年末まで)ふき替えの延期を認める県令が公布された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 12月31日 政治・経済 金沢手形交換所における本年中の手形交換枚数は14万5,851枚、8,343万4,638円71銭で枚数金額とも開所以来の数字である。また不渡手形は42枚2万7,721円で金額は新記録である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 12月31日 政治・経済 市調査によると本年末現在の金沢市公簿人口は39,210世帯、156,279人(男78,596人、女77,683人)である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 1月3日 社会・文化 石川郡犀川村字倉谷で積雪のため家屋倒壊、一家7人が圧死した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 1月13日 社会・文化 12月24日ごろからの降雪は金沢で数十年ぶりの大雪となり、市民は20日間に3度も雪おろしをし、市内道路は屋根より高くなった。野菜類(大根1本16銭)を筆頭に物価も高騰したが、ここ1両日来雪もようやくやみ汽車も開通した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 1月23日 社会・文化 日置謙の「石川県研究-神社篇」が石川県教育会から刊行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 1月 社会・文化 室生犀星が処女詩集「愛の詩集」を感情社から自費出版した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 2月1日 社会・文化 安江町の老舗能久呉服店は同町内の田守呉服店に店舗一切を譲渡し、田守呉服店として経営されることになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 3月1日 社会・文化 午前9時すぎ河原町の八百物商から出火、2戸を全焼、1戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 3月7日 社会・文化 金沢高等工業学校敷地は小立野に決定、測量が開始された。(10月15日建築着工) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 3月9日 社会・文化 "県の調査による今冬の金沢市の大雪被害は次の通り。(カッコ内は全県の被害) 死者4人(59人)住家全壊2むね(54むね)同半壊56むね(104むね)非住家全壊18むね(137むね)同半壊20むね(54むね)" 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 3月25日 社会・文化 主計町の演舞場が落成、開場した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 4月1日 社会・文化 野町5丁目に野町第二尋常小学校が創設され女児を収容した。野町尋常小学校は男児を収容。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 4月1日 社会・文化 石川県立金沢商業学校を石川県立商業学校と改称した。(大正10年4月石川県立金沢商業学校の旧称に復帰) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 4月1日 社会・文化 市立学校の授業料が値上げになった。女子職業学校1円50銭、尋常小学校20銭、高等小学校60銭。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 4月4日 社会・文化 前田家財務理事羽野知顕死去。68歳。旧藩士岸精一の2男、判検事を歴任し、十五銀行、金沢紡績等の役員も勤めた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 4月7日 社会・文化 石川県将校同志会の講習所が下本多町前田家所有地に落成した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 4月16日 社会・文化 河北郡浅川村字若松小字谷口で大火、家屋11戸、納屋10むねを全焼。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 4月20日 社会・文化 金沢で白米1升31銭という空前の高値となった。新聞は「神武以来の高値」と報じた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 5月4日 社会・文化 午後1時半ごろ石川郡野々市村字野々市で汽車の飛火から出火、11むねを全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 5月15日 社会・文化 午後3時半ごろ大衆免片原町から出火、3戸を全焼、1戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 5月22日 社会・文化 有栖川宮慰子妃(前田慶寧の4女)が展墓のため48年ぶりで金沢入りされた。(6月8日まで滞沢) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 6月1日 社会・文化 米価は一時値下りしたが、また値上りしているので市は本日から外国米(ラングーン米)の販売を開始した。販売所は各連区1ヵ所(全市7ヵ所)で1升19銭、1人5升以下と制限した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 6月3日 社会・文化 市が売出した外国米は2日間で150石2斗を売った。市はさらに10車分を注文した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 6月9日 社会・文化 尾張町菓子舗森八の食堂(三階建)が来沢中の渋沢栄一らを迎えて開業式をした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 6月27日 社会・文化 市が売出した外国米は1日30石以上売れ、26日までに1,000石を越した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 6月28日 社会・文化 「稿本金沢市史・学事編第一」が市役所から刊行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 7月21日 社会・文化 北陸旅行中の徳富蘆花夫妻が来沢、源円に投宿した。松任の千代尼墓や県物産陳列館へ行った。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 7月22日 社会・文化 市の外国米販売数量は21日までに1,652石に達し、手持ち量を売り切ったので後続分の入荷まで販売所を一時閉鎖した。飯尾助役は阪神地方に出張し出荷を督促中。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 7月26日 社会・文化 市は市在籍者で7月31日現在内地米10石以上を所有するものに、所持数量を報告するよう要請した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 7月31日 社会・文化 陶工友田安清死去。57歳。池田九華らに画を、内海吉造、ワグネルらに顔料調合を学び、のち顔料の製造に新機軸を出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月2日 社会・文化 (一時小康を保っていた米価は最近の出兵説、外鮮米の移入難が導火線となってまた暴騰、白米1升37,8銭から40銭台にせまった。大阪の堂島取引所が取引を禁止されたのを初めとして各地米穀取引所も政府の命令で取引を停止、深川正米は標準相場も発表されず国民生活は暗雲におおわれている。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月2日 社会・文化 長町小学校では、保健衛生上9月からの新学期から1、2年生のハカマの着用は儀式のほか廃止すると保護者に通知した。同校はさきに校内上バキも禁止しているが、こんどは父兄間に若干の反対意見も出ている。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月5日 社会・文化 伍堂卓爾死去。74歳。旧藩士、明治2年藩の留学生として滞欧中、医学教師スロイス、英学教師ウォード、鉱山学教師デッケンと交渉し金沢招へいを契約した(3人は明治3年来藩)。金沢医学館教師から陸軍に出仕、二等軍医正になった。長男卓雄はのちの商工大臣。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月7日 社会・文化 石川毎日新聞と北陸新聞が合併して北陸毎日新聞と改題、発刊した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月7日 社会・文化 (米価暴騰に生活難を訴えて、さる3日から富山県下の水橋、滑川、魚津、東岩瀬の各町で漁師の女房連を中心とする強訴の騒ぎが連続発生している。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月9日 社会・文化 市は購入した外国米420石を8日から1升20銭で(内地米の市中相場は1升43銭)売出したところ2日間で370石を売り残量50石となった。各連区の外米販売所は定刻前から市民が殺到し、小児や老女が気絶する騒ぎも発生、また市内の米商人で手を回して外米を買いあさる者がいるとの風評も流れ、情勢が次第に緊迫しているので市当局も苦慮している。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月10日 社会・文化 市が大阪の岩井商店に発注した外米は、農商務省の方針で米の最も不足している東京へ回送を命ぜられたので、市は農商務省に交渉のため飯尾助役を急ぎ上京させた。(交渉の結果、あとで半分だけ金沢市に返却してくれた) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月10日 社会・文化 (京都、大阪、神戸、名古屋など各地に米騒動がひろがっており、軍隊も出動。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月11日 社会・文化 もと消防組頭手下政五郎栄町の自宅で死去。75歳。会津戦争に藩から参戦の後、壮士生活を送り三つ星消防組頭となって「名火消し」をうたわれた。身内と称する者が全国に数千人いるという。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月11日 社会・文化 午前1時半ごろ巴新道の警鐘を乱打して「火元は十間町取引所」と絶叫する者が現れた。生活難の建具職人の行為とわかった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月12日 社会・文化 市内卯辰、大衆免方面の市民3,000余人は夕刻八幡町宇多須神社に集り、気勢をあげたのち、土岐知事官舎、山森市長邸、横山男爵邸その他市内の富豪、米穀商、手持米所有者ら20余人の家に押しかけて、白米1升25銭で売却を要求するなど大々的な示威運動をおこなった。新町分署は翌日首謀者8人を召喚取調べた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月13日 社会・文化 夕刻、卯辰、大衆免付近の市民数百人が再び宇多須神社に集ったが県警務課長の説諭で解散、また寺町台の約500人はハチ巻き、わらじ姿で菊川町小学校に集合したが警察の説諭で解散した。さらに兼六園、金沢署付近に集った群衆のうち、解散後の帰途、米商や手持米所有者の家に押しかけ、門戸をたたき応答しない家に投石した者もあった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月13日 社会・文化 金沢米穀同業組合代表は県庁に河崎勧業課長を訪れ「この際米の県外移出を禁止するよう」要請した。県側は「米の大都会回送は政府の政策だから移出禁止は不可能」と述べた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月14日 社会・文化 (三井、岩崎両家は米価高救済のため100万円ずつの寄付を内務大臣に申出た。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月15日 社会・文化 市は緊急対策として富豪有志等のきょ金で内地米を購入し、16日から平均価格より10銭安で市民に売ることにした。市発行の廉売通帳を受領した者は2日間で1万3,248人に達した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月16日 社会・文化 市の内地米廉売第1日の購入者は8,049人、販売高は218石(1人3升以内、1升28銭)に達した。なお内地米購入にあてる義援金は市取扱いが9万2,000円、各新聞社扱いの分を加えるとすでに12万2,500円に達している。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月16日 社会・文化 (政府は緊急勅令で穀類収用令を公布した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月18日 社会・文化 石川県新聞記者団は、米騒動の新聞記事取締りについての政府の態度糾弾と言論擁護の決議をした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月20日 社会・文化 米価高救済の御下賜金1万2,180円が県から金沢市へ配付された。また前田家は金沢市へ2万円、石川県、富山県、東京府へ各1万円を寄付した。市はこれらを白米購入費にあてた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月20日 社会・文化 前田家は金沢高等工業学校新設費へ20万円を寄付した。なお同校に対する県市負担は県22万円、市13万円で、ほかに横山章からも10万円寄付がきまっている。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月26日 社会・文化 市は白米廉価供給票(廉売通帳)の交付を本日で締切った。交付数は1万8,365冊で全市戸数の3分の2に達した。なお買いだめ防止のため廉売数量は家族1人1日4合以内に改めた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月28日 社会・文化 金沢米穀取引所の米相場は穀物収用令による収用価格の発表とともに、取引所開設以来の高値がたちまち下落して26円90銭と実に200丁の大暴落を見せた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 8月29日 社会・文化 金沢市が注文した外国米は神戸、横浜から続々到着しているので市は本日から市内7ヵ所で売出した。1升17銭(ラングーン米)。従って市内各販売所の販売米は内地米と外国米の2本立となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 9月4日 社会・文化 市が8月29日から売出した第2回目の外国米は6日間で売切れた。続いて契約ずみの大阪岩井商店から500袋、神戸三井物産からの400袋が到着するまで一時販売所を閉じた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 9月6日 社会・文化 県は内務省の指令によって施設改善の資料として県下特殊部落の調査をしたが、金沢市は部落数3、戸数426戸(県下837戸)となっている。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 9月9日 社会・文化 (米騒動による検挙者は全国で1万人に達すると新聞は報じている。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 9月12日 社会・文化 8月12日、13日の夜発生した金沢の米騒動の首謀者として7人が騒じょう罪等で起訴、金沢地方裁判所の公判に回付された。(収監者に対し嘆願書を検事局に出す市民があった) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 9月16日 社会・文化 県農会と産業組合中央会石川支会の共同経営にかかる野菜類の廉価販売所が犀川方面(新竪町3丁目)と浅野川方面(中町)で本日から開店した。販売品目は当分は野菜とみそ、しょうゆ、木炭類。(12月25日閉所) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 9月24日 社会・文化 23日夜来の暴風雨で犀川は6尺、浅野川は5尺以上の増水、犀川大橋の仮橋、大桑橋、浅野川の鈴見橋、一文橋が流失、両川の沿岸各町で床上浸水100戸以上を出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 9月25日 社会・文化 各地の暴風雨による米収穫減少予想のため金沢期米市場は一気に200~300丁方暴騰し、取引所は立会を休止した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 10月2日 社会・文化 市は本日から市販売の内地米を1升につき3銭値上げ(1升33銭)、また外国米を1銭値上げ(ラングーン米は18銭、サイゴン米は17銭)した。市内の白米小売相場が1升46銭になったため。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 10月2日 社会・文化 加越能史談会会長に本多政以男爵が就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 10月6日 社会・文化 卯辰山に建立された日蓮上人銅像の除幕式が雨中に村雲日栄尼公はじめ信徒数千人参列して盛大に挙行された。像は身長1丈6尺、重さ1,000貫、長土塀4番丁水野源六、郎父子の制作。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 10月11日 社会・文化 市は本日から市販売の内地米を1升につき2銭(1升35銭)外国米を1銭(1升19銭と18銭)値上げした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 10月20日 社会・文化 羽二重動力織機の発明者津田米次郎(2代)の銅像が卯辰山山腹に建てられ除幕式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 10月29日 社会・文化 世界的に流行している悪性感冒「スペインかぜ」が金沢にも侵入し、小将町、石引町、森山町、松ヶ枝町各小学校ではそれぞれ数学級が1週間休校した。(その後全市学校にひろまる) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 10月30日 社会・文化 さる8月の金沢市内の米騒動事件で首謀者として起訴された7人に対し、金沢地方裁判所は騒じょう、恐かつ、家宅侵入罪として次の判決を言渡した。懲役1年1人。同10月1人、同6月1人、同6月2年間執行猶予2人、罰金30円2人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 10月31日 社会・文化 8月16日から始めた市の内地米廉売は救急対策として目的を達し、また米の供給も潤沢になったので本日で廃止、明日から外国米の販売だけ続けることにした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 11月6日 社会・文化 (悪性感冒流行のため売薬アスピリン暴騰。数ヶ月前に1ポンド1円20銭が本月1日に2円、2日に5円、4日に8円50銭となる。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 11月9日 社会・文化 金沢医学専門学校長高安右人の在職30年祝賀会が挙行され、学校前庭に建てられた寿像の除幕式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 11月12日 社会・文化 流感による死亡が金沢市でも著増し、平常1日7、 8件に過ぎない火葬認可が昨今は24,5件と3倍以上の数字を示している。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 11月15日 社会・文化 市学務係の調査によると全市小学校児童1万5,300余人のうち流感にかかり欠席したものは1万2,183人(79%)に達した。なお児童の死亡は現在までに5人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 11月25日 社会・文化 流感はやや下火に向かっているが、県衛生課が22日に医師の届け出によって調査したところ金沢市の現在患者3,262人、肺炎に転移患者401人、死亡48人となっている。自宅治療者はこの3倍と推測される。(11月中の市の死亡者は昨年11月に比し307人増加している) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 11月28日 社会・文化 午前5時すぎ白銀町の履物問屋から出火、2戸を全焼、1戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 12月20日 社会・文化 香林坊の第一福助座は所有主が変り(富山市北陸活動写真株式会社)常設活動写真館「中央館」と改称、階下は土間腰かけ式に改められた。(8年1月1日開館) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 12月20日 社会・文化 国文学者武藤元信死去。65歳。旧藩士、明倫堂に学び明治14年から18年間師範学校に奉職、44年東京で出版した「枕草紙通釈」は名著の評が高い。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正七年(1918) 12月 社会・文化 政府の高等教育機関増設拡張計画で金沢医学専門学校は単科大学に昇格することになった。ただし金沢医専には附属病院がなく県立金沢病院を代用しているので、昇格の場合は同病院の寄付移管問題解決が必要である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 1月13日 政治・経済 市会は市収入役に吉田次太郎(41歳、元米穀組合長)を選任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 2月1日 政治・経済 街鉄の市内電車が部分開通し金沢市内にはじめて電車が走った。本日は午前午後を通じて招待者(各界有力者と50株以上の株主)の試乗運転で、営業運転は2日からおこなった。開通区間は金沢駅前から尾張町を経由上胡桃町車庫前間、運転車両は5台、電車賃は1区3銭、2区5銭、全線6銭。各停留場付近には巡査が出て、群がる見物人や線路に飛び出す子どもを整理制止した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 2月18日 政治・経済 市が昨年来実施してきた外国米の廉売は本日限りで廃止した。政府が外国米管理を廃したので市は低廉な外国米の入手が困難となったため。(市の従来の販売価格は1升19銭、米屋の販売価格は37銭) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 3月30日 政治・経済 架けかえ工事中の犀川大橋が完成、渡橋式が雨中盛大におこなわれた。鉄筋コンクリート造り、アスファルト舗装、電車軌道併用で総経費8万6,935円。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 4月1日 政治・経済 金沢市制実施30年記念式が市会議事堂でおこなわれ功労者表彰があった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 5月1日 政治・経済 市長山森隆が辞表を飯尾助役に提出した(14日付で内務大臣から認可)。市長在職9年4ヵ月。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 5月1日 政治・経済 市は全国都市に率先して遊興税の賦課微収を本日から実施した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 5月4日 政治・経済 金沢商業会議所が西町に新築完成、官民300余人参列して落成式がおこなわれた。木骨2階建て、工費約5万3,000円、設計は工学士木子七郎。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 5月18日 政治・経済 陸軍省は上金石町付近の海辺に無線電信所を新設することになり、逓信省と協力して現地調査の結果、設置個所を上金石町字相生町通称三角台に決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 5月21日 政治・経済 市会は市長候補者選挙をおこない、飯尾次郎三郎(助役)、清水兼之、杉原幹男の順に選出した。飯尾は30日市長に就任した。(28日裁可) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 6月2日 政治・経済 市会は助役に宮川米次郎(市第一課長)を選任した。また山森市長に慰労金2万円を贈ることをきめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 7月1日 政治・経済 対独講和調印。平和克復を祝い官民祝賀会(兼六園)、各学校生徒2万5,000人の旗行列、第9師団観兵式など各種の祝賀行事が盛大に催された。また臨時招集の金沢市会も賀表奉呈を決議した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 7月1日 政治・経済 金沢為替貯金支局が本日開局した。仮庁舎は長町5番丁元女子職業学校校舎。支局長早川了平、開局時の職員約40人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 7月2日 政治・経済 金沢市選出県会議員補欠選挙で松田潤次郎が当選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 7月13日 政治・経済 市内電車の第1期線工事が完成、全線が開通した。新開通区間は武蔵ヶ辻―堤町―南町―片町―犀川大橋間と香林坊―百間堀―車庫前間。(15日市公会堂で完成式と祝賀会開催) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 7月25日 政治・経済 第9師団長橋本勝太郎が待命になり、後任に歩兵第34旅団長松浦寛威が補せられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 8月28日 政治・経済 金沢電気軌道会社(街鉄)の本多政以社長が病気のため辞任、後任社長に専務小塚貞義が就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 9月15日 政治・経済 岩根町から浅野町に通ずる浅野川昌永橋のかけ替えが完成、渡橋式が挙行された。長さ20間5尺、幅2間2尺、工費6,880円。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 9月24日 政治・経済 県会議員選挙がおこなわれ金沢市では次の6人が当選した。宮本友吉(憲) 米原於菟男(政) 餝谷与右衛門(政) 乾亮(政) 高島伸二郎(中立) 坂野権次郎(憲) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 10月1日 政治・経済 青島守備に派遣されていた第9師団の4個中隊がそれぞれ原隊に帰還した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 11月24日 政治・経済 (県が新設しようとした土地増価税は県会で否決された。内務省が賦課不許可の方針を県に内示してきたため。) 0
    大正八年(1919) 11月25日 政治・経済 歩兵第7連隊第1大隊長少佐東久邇宮稔彦王は陸軍士官学校付に転補された。(金沢在任1年4ヵ月) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 11月28日 政治・経済 日本銀行金沢支店長松方義輔は大福海上保険会社へ転出のため退職、後任支店長に本店調査役関根善作が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 12月1日 政治・経済 飯尾市長は物価高による市費膨張を抑制するため市役所経費の節約を一般吏員に順示した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 12月5日 政治・経済 8月中旬起工した陸軍の金石無線電信所が完成し、本日から試験通信が開始された。 0
    大正八年(1919) 12月21日 政治・経済 加州銀行本店が下堤町に新築完成した。工費20万円。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 12月31日 政治・経済 市調査による本年末現在の金沢市公簿人口は39,882世帯、158,954人(男79,562人、女79,392人)である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 1月31日 社会・文化 「稿本金沢市史・学事編第二」が刊行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 2月23日 社会・文化 加越能史談会は農工銀行階上で例会をひらき、石川舜台、大西金陽らが講演した。同会は引きつづき月例的に会合して活発に活動している。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 2月25日 社会・文化 金沢警察署は署員約50人で金沢米穀取引所の8仲買店を手入れし悪質な仲買人、店員や円太張常習者等144人を検挙、うち48人を収監した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 3月5日 社会・文化 午前3時すぎ田丸町から出火、2戸全焼、3戸半焼、焼死者1人を出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 3月13日 社会・文化 盲啞学校創立者上森捨次郎死去。60歳。元市会議員。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 3月 社会・文化 石川郡米丸尋常小学校に高等科を併置、米丸尋常高等小学校と改称した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 4月1日 社会・文化 石川郡戸板尋常小学校に高等科を併置、戸板尋常高等小学校と改称した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 4月1日 社会・文化 石川郡二塚尋常小学校に高等科を併置、二塚尋常高等小学校と改称した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 4月 社会・文化 河北郡大浦尋常小学校と川北高等小学校を合併して大浦尋常高等小学校を創設した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 4月4日 社会・文化 「近時少年のいわゆる豆本(注・立川庫本のこと)を耽読する弊滔々として決河の勢がある。為に細密検査の結果男児に3割3分、女児に1割2分の近視眼を発見して驚愕している県下小学校がある」と北国新聞が報じている。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 4月20日 社会・文化 能楽家佐野吉之助、金沢能楽会の能舞台で松風を演能中倒れ死去。56歳。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 4月24日 社会・文化 石川県教育会金沢市支会編さんの「金沢市教育史稿」が刊行された。編さん委員は日置謙ら。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 4月29日 社会・文化 (能美郡鳥越村字下野で大火、部落58戸中41戸全焼。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 4月 社会・文化 市電開通当時まで金沢駅構内に130台ほどあった人力車が電車に客をとられ、みるみる100台をはるかに割ってしまった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 5月20日 社会・文化 県会議員篠原譲吉死去。44歳。市会議員、商業会議所議員も勤め国民党員として終始した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 5月 社会・文化 木彫家村上九郎作死去。52歳。小松の生れでのち金沢に移り、欄間彫刻で一家をなした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 6月1日 社会・文化 金沢出身の島田清次郎が処女作「地上」の第1部(地にひそむもの)を生田長江の推薦で新潮社から出版。ものすごい売れゆきで、たちまちベストセラーになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 6月11日 社会・文化 東京府知事井上友一死去。49歳。金沢市東馬場生れ、石川県士族井上盛重の長男、法学博士。東京府会は弔慰金5万円を贈り東京府葬をきめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 6月12日 社会・文化 大谷派金沢別院再建費は最初30万円の予定であったが、諸物価騰貴のため予算を100万円にあらため、このための追加募金許可を県に申請した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 6月13日 社会・文化 市姫神社は道路拡張を機に、拝殿を官幣大社大鳥神社(堺市)の大鳥造に改築することになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 6月14日 社会・文化 尾山神社の封国祭は本年から市の総祭(市祭)として盛大に挙行され、能楽、地萬歳、寄合相撲などの余興でにぎわった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 6月16日 社会・文化 加越能史談会は和田尚軒編「金沢墓誌」を刊行した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 6月 社会・文化 全国を驚ろかせた米商鈴木弁蔵殺し(5万円を奪い、バラバラに切断した死体をトランクに詰め信濃川に流す)の犯人農商務省技師山田憲と共犯渡辺惣蔵が、ともに四高卒業生であることが伝えられ金沢市民に衝動を与えた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 7月1日 社会・文化 口語歌歌人西出朝風は作歌専門の生活にはいるため北国新聞記者をやめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 7月3日 社会・文化 「金沢新報」が創刊された。発行所南町62番地、社長堀俊明。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 7月5日 社会・文化 島田清次郎の処女作「地上」の成功を祝う「地上の会」が知人たちにより兼六園内寄観亭で催された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 7月6日 社会・文化 加賀地方に豪雨(金沢で約12時間に186ミリ)、犀川と浅野川が約7尺増水、市内に浸水家屋が出た。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 7月17日 社会・文化 画家垣内雲嶙死去。74歳。右嶙の子で飛騨高山の生れ、金沢に12年住んだ。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 8月8日 社会・文化 金沢米穀商同組合は市の通牒により米節約のため内地米7、外米3の割合の混合米を売出した。値段は白米より5,6銭安の1升49銭。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 8月23日 社会・文化 大阪、金沢間長距離走破のため、17日大阪中之島公会堂前を出発した金沢二中選手が帰校した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 8月 社会・文化 室生犀星の「幼年時代」が中央公論に発表された。犀星はこのあと「性に眼覚める頃」その他を盛んに書いた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 8月 社会・文化 兼六園の日本武尊銅像が風致を害するとの世論がおこり、県は県市半額負担で卯辰山へ移転しようとの考えをもつまでになったが、これにもまた異論があり結局ウヤムヤにおわった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 9月6日 社会・文化 小川直子東京で死去。80歳。金沢の旧藩士河島良左衛門の3女で、自刃した藩の勤王儒医小川幸三の妻。明治5年より金沢で教職につき金沢女子師範教諭から県外に出て竹田、北白川両宮妃の教育係もつとめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 9月 社会・文化 高等学校令改正の結果、四高生徒の帽子の白線4本が2本に改められた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 9月 社会・文化 財団法人小野慈善院院長渡瀬政礼が辞任し、市長飯尾次郎三郎が院長に就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 10月20日 社会・文化 新竪町尋常小学校が創立50周年記念式を挙行した。(明治3年11月河原町の民家を校舎に、河原町小学所として創設されたものである) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 10月23日 社会・文化 馬場尋常小学校が創立50年記念式を挙行した。(明治3年小橋小学所として創設、のち現在地に移った) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 10月31日 社会・文化 上近江町に新築の金沢美術倶楽部が落成した。(創立は前年10月) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 11月3日 社会・文化 石浦町にカフェー・ブラジルが開店した。金沢最初のカフェー。(昭和6年12月レストラン仙宝閣となる) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 11月11日 社会・文化 文相中橋徳五郎の寄付による「中橋奨学資金」の設定が市会の議決を経てきまった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 11月23日 社会・文化 午後8時すぎ彦三7番丁の製綿工場から出火、3戸と納屋2むねを全焼、1戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 11月24日 社会・文化 市内の人力車賃が警察の許可を得て値上げされた。5丁以内は従来の8銭を10銭に、5丁以上は1丁増すごとに従来の1銭を1銭3厘に改正、雇い上げは半日1円10銭(従来90銭)1日2円(従来1円70銭)。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 11月28日 社会・文化 葬祭、婚礼その他諸儀式を営業種目にする金沢典礼株式会社(資本金8万円)が創立された。社長西屋飛良来。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 12月5日 社会・文化 金沢市出身の京大教授文学博士松本文三郎が帝国学士院会員になった。印度哲学の権威。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 12月10日 社会・文化 県衛生課が内務省の紹介により調査した市内の芸妓数は514人、娼妓は128人である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 12月18日 社会・文化 金沢商業会議所は農商務省の許可を得て職業紹介所を開設した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正八年(1919) 12月25日 社会・文化 家禄賞典処分法の公布により旧藩時代の下級吏(仲間、小者等)にも士族を称する資格が認められたが、市内の該当者は44人である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 1月9日 政治・経済 反対運動の起っていた河北潟埋立てが内務大臣から認可された。埋立て面積は905町歩、実施は1年以内に出願人らの新会社が実施設計をつくり、認可を得ておこなうろいうもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 1月14日 政治・経済 両砺銀行副支配人らの行金横領事件が発生したため尾張町の金沢支店が取付けにあい、支店の預金約20万円のうち5万円余が引き出された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 1月18日 政治・経済 金沢大工業組合は大工工賃現在の1日2円を2円50銭に引き上げることを決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 1月20日 政治・経済 明治銀行金沢支店(本店名古屋)が下堤町に新築完成した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 1月24日 政治・経済 吉田銀行(本店森下町)は個人経営から資本金200万円の株式会社に組織を変更することになり、大蔵省に認可申請した。発起人吉田外茂、石黒伝六、熊田源太郎ほか6人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 2月22日 政治・経済 市が実施した市内家屋調査の結果は次の通り。軒数21,757軒、戸数37,175戸、自己所有の家屋に居住するもの15,229戸、借家に居住する者21,946戸。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 3月11日 政治・経済 金沢、大阪間に直通電話線が開通した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 3月12日 政治・経済 (シベリアのニコライエフスクで、バルチザンと日本守備隊が交戦、この日から5月27日までの間に陸海軍将兵378人と石川県小松町出身の石田虎松副領事ら在留邦人約350人(計約730人)が殺された。=尼港虐殺事件) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 3月19日 政治・経済 1月完工した金石海岸の金沢陸軍無線電信所が開所式を挙行した。敷地2,400坪(金石町から寄付)、総工費10万円で所員は12人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 3月 政治・経済 市内の電話は創設20年に当るが現在加入者は2,500を超えた。(開設当初の加入者は183)。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 4月1日 政治・経済 金沢警察署新町分署が独立署になり新町警察署となった。同署の独立に伴い警察署の管轄区域に変動があり、小坂村は新町署管内にはいった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 4月1日 政治・経済 市役所内に無料調筆所(担当の筆生2人配置)が新設された。ただし紙代として1枚1銭をとった。(7月1日から紙代も無料にした) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 4月12日 政治・経済 金沢市の消防組11組(蒸気ポンプ4、普通組7)を17組に改組し、消防手は43人を増して450人にした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 4月16日 政治・経済 金沢電気軌道会社(街鉄)は臨時株主総会をを開き金野鉄道(馬鉄)の合併を決議、資本金を357万円に増資した。金野鉄道を買収し、犀川大橋-野々市駅間に電車を敷設、運行する計画。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 5月10日 政治・経済 金沢専売支局は賃上げ運動の代表者6人の首をきったので、男子工が報復怠業した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 5月11日 政治・経済 衆議院議員総選挙が10日おこなわれ開票結果は次の通り。第1区(金沢市)当選3,305票 永井柳太郎(憲政) 次点1,955票 米原於菟男(政友) 第2区(石川)当選4,585票 西村正則 次点2,797票 角田他十郎 第3区(能美、江沼)当選3,709票 神田重義 次点3,706票 戸水寛人3,369票 関戸寅松 第4区(河北、羽咋、鹿島)当選5,715票 米田穣 同4,692票 浅野順平 次点1,904票 笹川嘉農 第5区(鳳至、珠洲)当選3,989票 益谷秀次 次点3,764票 生垣聞蔵 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 5月20日 政治・経済 福岡市で開催中の全国機械工業大博覧会に全国から出品の織機30余種のうち、金沢から出品の津田式が最優秀として金牌をうけた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 5月22日 政治・経済 市内電車の1月から5月20日に至る月別乗車人員は次の通りである。1月16,718人、2月18,215人、3月19,155人、4月21,287人、5月21,367人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 6月1日 政治・経済 上金石町が本日から金石町と改称した。町内各戸は昼間は国旗、夜はちょうちんをつるして町名改称を祝った。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 6月1日 政治・経済 金沢市出身の桜井錠二、北条時敬、早川千吉郎、小池靖一が貴族院勅選議院に任命された(補充勅選議院数は10人)。なお早川は政治に専念するため三井合名の副理事長を辞任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 6月10日 政治・経済 金沢市は上水道敷設の急務を認め準備調査に着手することになった。飯尾市長は9日福井市へ出張の際、同市の水道新設計画について詳細な調査をした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 6月29日 政治・経済 市は上水道敷設計画具体化の第一歩として水源調査のため、大井清一、比企忠両工学博士の来沢調査を依頼することにした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 7月7日 政治・経済 飯尾市長は市役所庁舎の新築問題を市会協議会に提出、協議した。市役所庁舎は50年前の建築で老朽のうえ市行政の膨張で狭くなったもの。市長は土地の買収は市費で行ない、建築費は有志の寄付に仰ぐ意向を示した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 7月22日 政治・経済 飯尾市長は金沢市多年の懸案である電気事業の市営問題を進めるため静岡、神戸両市の実施例を調査し市会協議会に報告した。市会協議会は会社との買収交渉の一切を市長に一任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 7月26日 政治・経済 金沢市選出県会議員補欠選挙がおこなわれ、山田謙次が無競争で当選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 8月7日 政治・経済 水道水源地選定について市から調査を委嘱された大井清一博士、関谷新造(福井市水道技師)と比企忠博士は先日来相次いで来沢、調査した。犀川の河水引用、西念付近の地下さく井が検討されたが結論はまだ出ていない。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 8月15日 政治・経済 金沢の羽二重業者は不況のため休業を決めた。休業女工は2,200余人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 8月25日 政治・経済 市は市役所庁舎建設敷地の一部として広坂通りに面した民家を買収することになり、買収費2万8,476円を市会に提出、議決を得た。また庁舎設計費5万円も市会で可決された(設計者片岡安博士)。いずれも前年度繰越金から支出する。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 8月26日 政治・経済 金沢市設住宅貸与規程が市会で可決された。(入居資格者は中産階級以下の市民となっている) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 9月19日 政治・経済 小立野如来寺前の市営住宅6戸が完成、入居者を抽選できめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 9月21日 政治・経済 市は上水道敷設の専任技師として志谷百中を任命した。小樽、東京、横浜等の水道敷設にあたった人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 9月22日 政治・経済 市会は金沢逓信局の設置、北陸総合大学の設置、金沢―八尾ならびに金沢―勝山間鉄道速成の3件について意見書を関係当局に提出することを議決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 9月30日 政治・経済 市会は市庁舎建築を可決した。9、10両年度継続事業、総工費30万円。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 10月1日 政治・経済 第1回国勢調査が施行された。金沢市は師団当局、電気会社、社寺に交渉し午前0時に消灯、号砲発射、鐘太鼓等で市民の注意を喚起した。金沢市の調査結果は29,287世帯、人口129,265人(男62,842人、女66,423人)であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 10月5日 政治・経済 金沢市営職業紹介所が広坂通郵便局横に開設された。(金沢市職業紹介所規程公布)専任職員は当分2人、日曜祭日も無休。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 10月26日 政治・経済 野町金沢苗圃地跡に建築中の市営住宅35戸が完成した。(11月1日から入居) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 11月15日 政治・経済 市内電車の犀川大橋―野町5丁目間が開通し、松金電車との連絡ができた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 11月17日 政治・経済 金沢商業会議所は臨時総会を開き「金沢市に逓信局設置」の陳情書を野田逓相に、また「金沢―八尾間の鉄道敷設」の建議書を元田鉄相にそれぞれ提出して運動を開始することを決めた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 11月28日 政治・経済 金沢商業会議所の役員会で商業使用人の週休制度採用の可否が討議された。小黒(硬質陶器専務)平尾(金商校長)らは積極論だったが、大勢は消極論でおわった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 12月8日 政治・経済 地方産業の開発を目的とする石川県産業奨励会が発会式をあげた。会員は市会、県会、商業会議所の議員から成り、会長に米原県会議長、幹事に西永公平(会議所副会頭)林直(市会議長)が就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 12月10日 政治・経済 石川郡三馬村泉と三馬村有松が三馬村から分離して金沢市に編入したいと知事、市長に請願書を提出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 12月13日 政治・経済 電気ガス事業市営のため、金沢市が金沢電気瓦斯株式会社を買収する交渉がほぼまとまった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 12月15日 政治・経済 羽二重の市況悪化で在庫がふえたため、石川県輸出織物組合の決議により各工場が一斉休業にはいった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 12月16日 政治・経済 金沢市の金沢電気瓦斯会社買収交渉の進展により、同社株式は一挙87円に高騰した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 12月23日 政治・経済 第1回入札が不調に終った新市庁舎の建築工事は、竪町越田利右衛門と市の間に20万2,950円で随意契約が成立した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 12月28日 政治・経済 金沢市に都市計画の施行が臨時市会で可決された。市は即日都市計画の指定を内務大臣に申請した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 1月16日 社会・文化 小鼓の名手観世新三郎(湯浅勇吉)死去。71歳。材木町6丁目に居住、明治42年東京の前田邸に行幸の明治天皇の御前能にも出演した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 1月19日 社会・文化 加越能史談会が、上小川町竜国寺墓地で宮崎友禅斎の墓石を発見したと新聞に発表した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 2月6日 社会・文化 金沢市内理髪業組合が理髪料を値上げした。特等31銭ないし40銭、1等28銭ないし30銭、2等25銭ないし27銭、3等ないし24銭、4等20銭ないし21銭。(等級は店舗の階級) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 2月16日 社会・文化 スキー熱が次第にさかんになってきた。14日には第9師団の大尉日沢廉次郎をリーダーにした市民、学生ら10人余りが医王山踏破を企て、予定外の山中露営をしてきょう福光町に降りて来た。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 2月26日 社会・文化 欧州へ出張の侯爵前田利為と渼子夫人が竜田丸で神戸からフランスへ出発した。飯尾市長は市会の決議により神戸まで見送った。(4月7日マルセーユ着、8日パリにはいった) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 3月13日 社会・文化 (県は郡市町村長、学校長、警察署長に対し「従来学校や団体の儀式等で君が代を奉唱するとき、生徒児童以外の参列者は合唱しない風習があるが、今後は全員合唱するように」との依頼通牒を発した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 3月16日 社会・文化 午前11時ごろ大樋町の酒造業者の納屋から出火、4戸を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 3月21日 社会・文化 (河北郡倶利伽羅村字河内で大火、23むね焼失、焼死2人。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 3月31日 社会・文化 昨年5月から小将町に新築中の市立女子職業学校が完成、落成式が挙行された(西町旧校舎からの移転は3月初旬完了)。敷地は2,548坪、木造2階建の校舎延べ坪1,477坪、総工費14万466円。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 4月1日 社会・文化 味噌蔵町尋常小学校(女子)、材木町尋常小学校(男子)馬場尋常小学校の3校間に通学地域の変更がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 4月1日 社会・文化 石川郡三馬尋常小学校に高等科を併置、三馬尋常高等小学校と改称した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 4月1日 社会・文化 石川郡額尋常小学校に高等科を併置、額尋常高等小学校と改称した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 4月20日 社会・文化 午前2時ごろ上伝馬町の酒蔵から出火、29戸(上伝馬町2戸、下伝馬町7戸、裏伝馬町18戸、下川除町2戸)を全焼、11戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 4月30日 社会・文化 (能美郡尾口村字尾添で大火、人家66むね、小学校等を全焼。また河北郡井上村字川尻でも大火、人家42むね等を全焼。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 5月19日 社会・文化 明治3年から7年まで医学館教師として金沢に在住したオランダ人スロイスの長男、オランダの南米インド艦隊司令官スロイス提督(金沢生れ)が艦隊の神戸入港を機に金沢を訪問した。関係方面では同提督を、金沢医学界の恩人の子として心から歓待した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 5月21日 社会・文化 高嶋伸二郎死去。61歳。金沢市選出県会議員、若くして政界に入り精義社で活躍、明治27年から30年10月まで金沢市助役をつとめた。のち横山鉱業部に入り、かたわら青年党を統率した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 6月4日 社会・文化 医学博士高橋順太郎死去。65歳。東京帝大教授、加賀藩御算用場役人高橋作善の長男、薬物学の権威で肺炎特効薬レミチンを創製した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 6月25日 社会・文化 「稿本金沢市史・市街編第四」が刊行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 6月26日 社会・文化 尼港虐殺事件金沢市民大会が兼六園長谷川邸跡で開催された。わが救援軍の尼港到着により事件の詳細がようやく明らかとなるに伴い、全国の世論は沸騰している。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 6月 社会・文化 石川郡上金石尋常高等小学校を金石尋常高等小学校と改称した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 7月1日 社会・文化 県立金沢病院は本日から入院患者および付添人の自炊を禁止した。1等入院患者1日1円、2等80錢、3等60銭の賄料を徴収して病院から食事を提供する。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 7月1日 社会・文化 大日本労働総同盟友愛会金沢支部の大会が高岡町空地で開催された。会衆約2,000人、来沢の会長鈴木文治が演説した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 7月16日 社会・文化 料理店主鍔甚平死去。64歳。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 7月27日 社会・文化 前田利鬯(としか)死去。80歳。前田斉泰の7男で旧大聖寺藩主、子爵、貴族院議員、現に御歌所参候であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 7月27日 社会・文化 漢学者五香屋休哉(嘉兵衛)死去。58歳。戸板村北広岡に居住、三社の高島水翁について漢学を修め荘子の研究家として知られた。門人に細野燕台、小倉正恒がある。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 8月4日 社会・文化 金沢市地黄煎青年団員が白山で遭難し3人が凍死した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 8月9日 社会・文化 (内務省警保局はコレラ患者の本年発生以来の累計を3,360人と発表した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 9月18日 社会・文化 全市の小学校下青年団を指導統督する目的で金沢市青年団が組織された。団長は飯尾市長、事務所は市役所内。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 9月24日 社会・文化 長町川岸の日本硬質陶器会社と倉庫精練会社のばい煙防止問題が再燃、長町川岸、高岡町、穴水町、宗叔町、松ヶ枝町、堤町等の町民500余人は連署の陳情書を作成し代表者が県保安課に赴き「会社がばい煙防止設備をするよう勧告してほしい」と陳情した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 10月1日 社会・文化 一九席(下新町)が尾張町に新築完成し、東京落語三遊亭金馬一座によって新築披露興行がおこなわれた。(座主安江町中田義二) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 10月7日 社会・文化 最近金沢市内等で自動車事故がひんぴんと発生するので、県当局は事故の予防取締りのため、こんど自動車取締令、同取締規則、警察犯処罰令、街路取締規則等から必要条文を抜粋した「自動車運転手心得」を印刷して免許証と共に必ず携帯させることにした。なお自動車番号札の不正使用も事故ひん発の一因となっているので、発見次第厳罰にする方針。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 10月10日 社会・文化 「孝子市坊仁太三太兄弟および義人あめ屋小平」(巷説)の遺跡を記念するため十一屋の雑貨商松本松次郎が独力発起して建築中だった石碑が陸軍各部隊や市民有志の助力を得て歩35前路上に完工し、除幕式が盛大におこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 10月20日 社会・文化 午後7時ごろ石川郡犀川村字二又で大火、全焼20戸、半焼9戸、3戸を残して一部落ほとんど全滅した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 11月1日 社会・文化 明治神宮鎮座祭が執行され、金沢市では県市合同遥拝式が西町公会堂でおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 11月10日 社会・文化 九州の大演習に参加中の陸軍省軍務局員砲兵大尉木村三郎(金沢出身)が、自己の架設した電線が通信不能となった責任感から割腹自殺した。木村は千田登文の3男。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 11月26日 社会・文化 明春開校の金沢高等工業学校校長に名古屋高等工業学校教授青戸信賢(島根県出身)が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 12月7日 社会・文化 市会は明春開校する県立金沢第三中学校の仮校舎として長町5番丁金沢貯金支局庁舎の無償貸与をきめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正九年(1920) 12月18日 社会・文化 山原成太郎(号晩翠)死去。74歳。元金沢市収入役、県会および市会議員もつとめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 1月20日 政治・経済 金沢魚商組合が正月用の数の子で暴利をむさぼった、と市民の間から強い非難が起きた。市も公正価格維持のため公設市場設置を考えている。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 1月28日 政治・経済 市は現在の市営住宅合計86戸(小立野、桃畠)のほかにさらに桃畠に25戸、木ノ新保常福寺跡に3戸を近く建設することになった。全部完成すれば合計114戸となる。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 3月31日 政治・経済 第9師団にシベリア出動の命令が下った。(高田第13師団と交代するもの) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 3月31日 政治・経済 金沢商業会議所議員の改選がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 4月1日 政治・経済 市営住宅の家賃が約2割値上げされた。(従来は一畳平均37銭だったが44銭に引上げ) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 4月5日 政治・経済 金沢市役所旧庁舎売却の入札がおこなわれ、3,819円で松井徳太郎に落札した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 4月7日 政治・経済 シベリア出動の第9師団将校約500人を招いて県市主催の送別大園遊会が横山家別邸で開かれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 4月8日 政治・経済 歩兵第7連隊を第一陣として第9師団のシベリアへの輸送が開始された。(七尾港から乗船) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 4月11日 政治・経済 長土塀5番丁に建設した石川県工業試験場の開場式が挙行された。12、13両日一般県民に開放した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 4月16日 政治・経済 市は本日から市立職業紹介所で内職の紹介を開始した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 4月20日 政治・経済 市役所庁舎の新築費にあてる寄付金(予定額約15万7,000円)の集りは現在のところ前田侯5万円、横山両家1万円、早川千吉郎5,000円など計約10万円程度のため、飯尾市長は近く上京、各方面に依頼する予定。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 4月25日 政治・経済 金沢商業会議所の役員改選がおこなわれ、会頭横山章が退任、新会頭に横山隆俊男、副会頭に西永公平が選出された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 5月5日 政治・経済 金沢警察署を広坂警察署に、新町警察署を玉川警察署に改称した。(玉川警察署は15日玉川町の新庁舎に移転) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 5月27日 政治・経済 金沢市の電気市営問題は市と金沢電気瓦斯会社との間の買収交渉がまとまり、仮契約書を交換した(市の買収総価格982万円)。ガスの市営案と一括して近く市会に提出する。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 5月29日 政治・経済 金沢市の都市計画実施申請に関連して内務省から西大条技師が27日来沢、本日まで3日間にわたり現地調査をした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 5月31日 政治・経済 金沢出身の早川千吉郎が満鉄社長に任ぜられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 6月3日 政治・経済 知事土岐嘉平が関東庁事務総長に転任、後任に佐賀県知事沢田牛麿が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 6月4日 政治・経済 市は社会政策事業として市営質屋の経営を計画し、調査を開始した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 6月20日 政治・経済 電気ガス事業市営案が市会で正式に可決された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 6月24日 政治・経済 金石電鉄会社は大野町民多年の希望にこたえて電車線の大野まで延長を決定、金石終点から大野町字鍵町に至る1マイル12チェーンの単線軌道敷設工事認可申請書を提出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 7月10日 政治・経済 街鉄市内電車の第2期線の寺町線が開通した。延長1マイル。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 7月16日 政治・経済 市は職業紹介法の施行(7月1日)を機に、市庁舎内にある職業紹介所を労働者の集散する金沢駅付近木ノ新保常福寺跡の市営住宅に移転した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 7月22日 政治・経済 金沢市役所新庁舎の上棟式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 8月1日 政治・経済 石川鉄道株式会社の新野々市、鶴来間電車が開通した。従来の軽便鉄道から電車への転換工事を昨年9月着工、このほど完成したもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 8月29日 政治・経済 浅野川大橋かけ替え工事は指名競争入札の結果、7万1,300円で高岡市の中越土木会社に落札した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 8月31日 政治・経済 市が電気ガス事業市営のため内務、大蔵両省はじめ関係各省に提出した事業譲受けおよび起債等に関する許可申請に対し、関係各大臣の正式許可指令が到着した。市はさっそく市営電気局設立の準備をはじめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 9月16日 政治・経済 市は西町4番丁の元市立女子職業学校敷地915坪を売却した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 10月1日 政治・経済 市は下本多町6番丁11番地に金沢市電気局を設置、市営電気・ガス事業が正式に発足した。また「金沢市電気および瓦斯供給条例」が施行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 10月2日 政治・経済 犀川下菊橋のかけかえが完工、渡橋式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 10月6日 政治・経済 電気ガス市営のため市が金沢電気瓦斯会社に支払う買収総額は1,016万3,334円と決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 12月6日 政治・経済 金沢市会議員選挙は2級が4日、1級が6日おこなわれ、その結果非政友派23、政友派10、中立3の分野となった。(今回から選挙区が1級は大選挙区制に、2級は小選挙区制になった) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 12月14日 政治・経済 市会正副議長選挙で議長に坂野権次郎(非政友)、副議長に市川潔(非政友)が当選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 12月23日 政治・経済 (能登鉄道株式会社が創立された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 12月24日 政治・経済 (能登産業銀行が営業を認可された。本店七尾。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 1月5日 社会・文化 今春開校する県立金沢第三中学校の敷地は小坂村談議所地内の児安神社後方の高地に決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 1月14日 社会・文化 午前4時ごろ鍛治町の民家から出火、同町と象眼町の4戸を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 1月28日 社会・文化 宗規に触れ東本願寺から僧籍をはく奪されていた石川舜台(81歳)が処分を取消され、即日僧正に補せられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 1月30日 社会・文化 能楽家宝生嘉内東京で死去。68歳。金沢市出身、宝生流家元宝生九郎の父。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 2月2日 社会・文化 理学博士三宅恒方死去。42歳。加賀藩藩医三宅立軒の孫で三宅雪嶺の兄の子。コン虫学者として著名、東京帝大農学部講師であった。妻やす子は後年女流作家として有名。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 2月6日 社会・文化 金沢で初めてのスキー普及のための組織、金沢スキー会(会長飯尾市長)の発会式兼競技会が大乗寺山でおこなわれた。スキー会の中心指導者は金井県視学官、村井女師訓導、岡部師範、入江金商教諭ら。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 2月14日 社会・文化 午後9時40分ごろ野田寺町3丁目実成寺から出火、同寺を全焼した。出動の蒸気ポンプが犀川桜橋下から川水を寺町の高台へ吸い揚げて放水したので、郡衆は蒸気ポンプの偉力に驚いた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 2月16日 社会・文化 午後10時ごろ尾張町43番地付近から出火し楽器店、仕立屋、新富席、森八工場など4戸を全焼、2戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 2月18日 社会・文化 (能美郡尾口村で大火、小学校舎1むねと21戸を全焼。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 2月20日 社会・文化 「稿本金沢市史・学事編第三」が刊行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 2月24日 社会・文化 金沢市長町出身の建築家で第一銀行技師前田健二郎が、大阪市立美術館の建築設計懸賞募集の1等に入選した。(のち前田は妙本寺釈迦堂の建築と建築界につくした業績により昭和40年度の日本芸術院賞を受賞した) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 3月31日 社会・文化 新庁舎建設のため市役所は隣接の市会議事堂と街鉄会社創設事務所跡を仮庁舎として引越しを完了した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 4月1日 社会・文化 石川郡湯涌谷尋常小学校に高等科を併置、湯涌谷尋常高等小学校と改称した。(後の湯涌小学校) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 4月2日 社会・文化 石川県は本年度から臨時県史編纂係を置き、日置謙を任命した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 4月3日 社会・文化 新設の県立金沢第三中学校の開校式が長町5番丁の仮校舎でおこなわれた。生徒150人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 4月8日 社会・文化 金沢高等工業学校が開校し入学式がおこなわれた。学科は土木工学科、機械工学科、応用化学科。新入学生徒112人。(開校式は校舎完成後に挙行予定) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 4月11日 社会・文化 金沢市は各遊廓内の適齢児童に特別教授をするため、遊廓事務所に仮教室を設置した。収容児童は愛宕遊廓13人、東廓20人、西廓50人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 4月20日 社会・文化 通信事業創始50年を迎え、金沢郵便局、市内各三等局、貯金支局の各局員ら約800人が祝賀ちょうちん行列をおこなった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 4月23日 社会・文化 明治12年学校教師兼宣教師として来沢し、金沢で初めてキリスト教の伝道をしたウイン博士(70歳)が、自分の創設した金沢日本基督教会(石浦町教会)の創立40年記念伝道のため旅順から来沢した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 5月12日 社会・文化 往年の実話小説家石井一蛙(俊郎)犀川川岸町6扇沢方で死去。加越能新聞記者の明治10年代に近藤忠之亟かたき討ち事件「復讎名誉高岡街」をはじめ、藩政から幕末時代にかけての郷土実話小説を多数発表、刊行して読者をうならせた。死亡の時は福井県の三国新聞主筆であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 5月13日 社会・文化 代議士尾崎行雄が来沢、北国劇場で軍備制限講演会を開いた。金沢で初めての有料講演会(入場料50銭)であったが1,500人を超える満員の聴衆を集めた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 5月19日 社会・文化 金沢市医師会が市内開業医共通の半額施療券4,000枚を市に寄付した。市は中産以下の希望者に配布する。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 7月1日 社会・文化 金沢市は卯辰山公園頂上の旧善妙院広場に公設運動場を開設した。鉄棒、飛び台等の運動器具を設備しているが、継続事業として今後さらに完備したものにする。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 7月15日 社会・文化 加越能史談会は金沢市内の次の史跡に新しく標示板を建てた。松月寺の大桜、持明院の蓮花、高巌寺古道の老松、一柳監物手植えの桜、青木方斎の墓、生駒万子の墓、真成寺五十嵐道甫碑、中村歌右衛門の墓。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 7月16日 社会・文化 男爵本多政以死去。58歳。政均の長男で旧名資松、明治2年家禄5万石を相続した。金沢実業家を組織し、街鉄、金沢紡績等の社長として実業界に活躍、貴族院議員にも当選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 7月20日 社会・文化 市は実費診療所を桜木病院と殿町病院2ヵ所に開設した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 8月1日 社会・文化 市は市青年団協議会がかねて要望していた夏季夜間中学校を此花町小学校に開設した。試験的に一応8月の1ヵ月間だけとし、学科は英数国漢の4科目、授業は1日3時間。入学者は82人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 9月3日 社会・文化 皇太子、外遊から帰国。金沢市会は臨時市会を開き奉祝文を決議、打電した。また全市小学校の5年生以上約4,000人の旗行列、青年団員ら約1,000人のちょうちん行列がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 9月5日 社会・文化 香林坊の中央館が松竹キネマ直営となり松竹座と改名した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 9月20日 社会・文化 長谷川準也の15年祭が執行され、記念事業としてその伝記が刊行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 9月26日 社会・文化 早焼、秒速40メートルの台風襲来、市内各所で家屋が倒壊、兼六園の老松も倒れ、金石の金沢陸軍無線電信所の大ポール2本(高さ300尺)が折れた。(県下で死者6人、住家全壊27むね) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 10月5日 社会・文化 髹漆工鶴田和三郎(松斎)死去。79歳。髹漆は家業、研究を重ねて技法上種々の改良を加え、各種展覧会で最高賞を受けた。明治宮城御造営にも髹漆を拝命した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 10月14日 社会・文化 鉄道創立50年を祝して金沢在勤の運輸、保線両事務所、鉄道工場の職員約1,200人がちょうちん行列をした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 10月31日 社会・文化 画家中浜松香死去。65歳。祖父鶴汀、父龍淵もともに画家として知られた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 11月9日 社会・文化 第四高等学校長溝淵進馬が五高校長に転任、後任は二高校長武藤虎太。溝淵校長は明治45年以来在職10年余に及んだ。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 11月30日 社会・文化 明治3年以来医学館として明治天皇も行幸された大手町の乃木会堂(津田玄蕃旧邸)は、兼六園内に移築されることになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 12月2日 社会・文化 石川県第4区(河北、羽咋、鹿島)選出代議士米田穣死去。59歳。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 12月21日 社会・文化 北国新聞前社長林政通死去。74歳。長野県松本藩士、明治31年金沢に来て北国新聞経営に当り、大正9年5月社長を孫政武に譲った。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十年(1921) 12月 社会・文化 前年あたりから近代詩熱がさかんになり、詩や短歌の同人誌時代を現出した。これは中央詩歌壇の活況にそそのかされたものだが、直接には室生犀星らのはなばなしい出現の影響でもあった。雑誌は心音、凶鳥、翁行燈その他無数といってよく、同人は20歳前後の人が多かった。この傾向は、昭和の初期までつづいた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 1月12日 政治・経済 シベリアからの第9師団帰還4年兵約700人が金沢駅に帰着、市民の盛んな歓迎を受けた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 1月18日 政治・経済 第4区(河北、羽咋、鹿島)の衆議院議員補欠選挙がおこなわれ、米原於菟男(政友)が7,903票で当選した。次点は室木弥次郎6,147票。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 1月21日 政治・経済 明治31年創立の石川県農工銀行は日本勧業銀行に合併することに本日の株主総会で決定した。4月11日から日本勧業銀行金沢支店となる。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 1月27日 政治・経済 加州銀行頭取横山隆俊が辞任、新頭取に鴻池銀行専務加藤晴比古が就任した。同行の経営陣は従来横山家中心であったが、こんど鴻池銀行が経営の主体になったもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 2月5日 政治・経済 全国普通デー。金沢では石川県普選断行同盟主催の普選断交大会が高岡町空地で開かれ、閉会後参加者が示威の旗行列をおこない市内を行進した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 2月11日 政治・経済 金沢市役所新庁舎の落成式がおこなわれた。11、12両日にわたり官民代表、寄付者ら850人を招き新庁舎階下会場で祝宴会を開き、13、14両日一般市民に内部の縦覧を許した。新庁舎は近世ルネッサンス式半石造、3階建、建坪544坪、片岡安博士の設計、金沢市越田利右衛門の工事請負い、工費20万2,950円(付属工事と土地買収費を加えると総額約30万円)である。新庁舎での執務は20日から。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 2月20日 政治・経済 浅野川常盤町の常盤橋(旧一文橋)は昨秋来、犀川下菊橋の古材料を用いてかけ替え工事中のところ完成した。(通行許可は4月27日から) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 2月28日 政治・経済 金沢電気軌道会社(街鉄)は定期株主総会で135万円の増資を決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 4月6日 政治・経済 市長飯尾次郎三郎が辞表を提出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 4月16日 政治・経済 金沢市選出県会議員補欠選挙がおこなわれ、小森新太郎(憲政)が当選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 5月3日 政治・経済 市長候補推薦の金沢市会で相良歩が全会一致で当選した。相良は元樺太庁内務部長、47歳。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 5月18日 政治・経済 シベリアへ派遣される第9師団初年兵の歩兵第7連隊700人、騎兵第9連隊150人、野砲兵第9連隊200人が七尾港から出発した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 5月26日 政治・経済 市長に選出された相良歩は23日付で裁可になり本日正式登庁した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 5月 政治・経済 金沢市は農商務省令統計報告規則にもとづき全市で50人の統計調査を嘱託した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 6月23日 政治・経済 シベリア撤兵が閣議で決定。金沢市中は第9師団の帰還近しとにわかに活気づいた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 6月28日 政治・経済 市助役宮川米次郎辞任、新助役に元北海道庁警視松本弥次郎(金沢出身、59歳)の就任を市会で決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 7月3日 政治・経済 河北郡浅川村で、村長選挙に関して村会議場に非役場派の村民約300人が乱入暴行し、村会議員に負傷者が出た。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 7月13日 政治・経済 街鉄市内電車大樋線(浅野川大橋-小坂神社前)が開通した。浅野川大橋が未完工のため、車両2台を橋場町側から分解運搬し森下町の軌道上で組み立てた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 7月29日 政治・経済 市収入役吉田次太郎退職(7月17日)、後任収入役に市電気局総務部長河崎宇吉郎が就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 7月 政治・経済 金石電鉄の大野戦延長が、金石側地主と買収価格で折り合わずこのところ行き悩んでいる。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 8月8日 政治・経済 水害復旧の応急策を審議する金沢市会が開かれ「両大橋は橋杭を用いない鉄橋とすること」などを織りこんだ意見書の起草を全員一致で可決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 8月15日 政治・経済 (軍備縮小に伴う第1回の兵員整備が実施された。減員数は将校1,800人、下士官3,000人、兵5万3,000人。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 8月15日 政治・経済 第9師団の砲兵が野砲から山砲に変り、金沢の野砲兵第9連隊は山砲兵第9連隊になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 8月29日 政治・経済 市の水害復旧追加予算17万2,600円(ほかに電気局関係復旧費3万6,000円)が市会で可決された。このうち16万9,850円が桜橋ほか10橋の復旧架設費である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 8月 政治・経済 流失した犀川大橋の新架橋について「鉄筋コンクリート橋にするか鉄橋にするか」また「橋脚式か釣橋か」で各方面から盛んに意見が出ているが、県は結局、弧形釣橋式鉄橋とする方針にきめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 9月6日 政治・経済 相良市長は市政刷新の第一着手として市吏員8人を整理、また処務規程を改正し従来の4課を10課にふやした(10月1日実施)。10課は内記、庶務、産業、社会、教育、土木、衛生、戸籍、税務、会計。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 9月8日 政治・経済 市は都市計画法の施行に備えて金沢市都市計画準備調査会を設置(9月2日市会で承認)、本日付で都市計画準備調査委員17人を委嘱した。委員は県議・市議10人、学識者5人、県高等官2人、市吏員2人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 9月8日 政治・経済 シベリア撤兵による第9師団の第1陣(騎兵連隊など)が金沢に帰還した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 10月8日 政治・経済 シベリア撤兵最終部隊として第9師団司令部が金沢に帰還した。師団(派遣、留守各部隊)の戦没者は108人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 10月13日 政治・経済 内務省公示で金沢市は結核予防法により明12年9月30日までに結核療養所の設置を義務づけられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 10月16日 政治・経済 知事沢田牛磨が福岡県知事へ転じ、後任に内務省都市計画局長山県治郎が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 11月1日 政治・経済 市は市役所産業課内に金沢市商工相談所を設置した。商工業者のため無料で各種の紹介、あっせん、相談に応じるもの。(10月30日商工相談所規程を告示) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 11月4日 政治・経済 流失した犀川大橋の架設工事費は23万8,000円と決定。うち6万2,000円は街鉄会社が負担し残額17万6,000円の半額8万8,000円は国庫補助ときまった。橋は無脚式鉄橋で幅60尺(中央8尺5寸は軌道)長さ252尺。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 11月24日 政治・経済 第9師団長松浦寛威中将が待命になり、陸軍省航空局長星野庄三郎中将が後任に補せられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 12月5日 政治・経済 積善銀行(東京)の取付けの余波から片町の京和銀行金沢支店が取付けにあい、支払いを停止した。支店の預金は約60万円。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 12月9日 政治・経済 石川県庁新築工事の地鎮祭がおこなわれた。工費120万円。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 12月14日 政治・経済 報徳銀行(東京)が取付けにあい、同行金沢支店も2週間の休業を発表した。支店の預金は約130万円。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 12月14日 政治・経済 浅野川大橋のかけ替えが完成、渡橋式が挙行された。昨年12月起工、橋脚は2本で長さ180尺。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 1月10日 社会・文化 午前9時半ごろ風速17メートルの強風中に長土塀通りの綿打工場から出火、全焼2むね、半焼3戸(いずれも商店)を出した。歩兵第7連隊からも1個小隊が消火に出動した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 1月22日 社会・文化 交通機関の整備により金沢市内の地価は昨年末来1~2割上り、香林坊が坪500円~550円、武蔵ヶ辻450円、尾張町第二菊水付近400円~450円、泉一帯の住宅地100円~130円と新聞は報じている。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 2月3日 社会・文化 (午後8時すぎ北陸線親不知、青海間の勝山トンネル付近で旅客列車が大なだれに押しつぶされ、死者89人、重軽傷者35人を出した。糸魚川在住の歌人相馬御風が同町青年団長として救助作業に尽した理由で4月に鉄道省から表彰された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 2月8日 社会・文化 金沢出身の帝室技芸員諏訪蘇山京都で死去。72歳。青磁器作家としては最高技術者の一人で、明治20年から9年間石川県立工業学校の教師もつとめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 3月2日 社会・文化 並木町尾山座の経営者が坂下栄太郎から山森三九郎(松竹合名会社外交部長)にかわった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 3月8日 社会・文化 兼六園が内務省告示49号をもって史蹟名勝天然記念物保存法第1条により「金沢公園」の名で「名勝」に指定された。(大正13年3月内務省告示で称呼を兼六園に復した) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 4月1日 社会・文化 石川県立盲啞学校が長町5番丁の県立金沢三中仮校舎跡に開校した。生徒募集数は県立移管前より20人増の70人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 4月1日 社会・文化 金沢市立女子職業学校を金沢女子職業学校と改称した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 4月1日 社会・文化 石川郡内川尋常小学校に高等科を併置、内川尋常高等小学校と改称した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 4月1日 社会・文化 石川郡潟津尋常小学校に高等科を併置、潟津尋常高等小学校と改称した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 4月1日 社会・文化 県立金沢病院が文部省に移管され金沢医学専門学校付属病院と改称された。明年度から金沢医科大学付属病院となる。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 4月4日 社会・文化 飯尾市長ほか市吏員一同がきょ出して市役所新庁舎完成記念に豆樫樹1本(価格115円)を購入、新庁舎前庭に植えこんだ。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 4月12日 社会・文化 再建工事中の金沢東別院の立柱式がおこなわれ、横安江町一帯は5万人の人出でにぎわった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 5月1日 社会・文化 金沢市街を流れる用水で便器やオムツ等の汚物を洗ったものは科料に処するという県警察犯処罰令の新条項が本日から施行された。なお知事は兼六園の池水へ小立野台から汚水が流れこみ臭気を発するので、池に浄水を引く工事について県土木課に調査を指示した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 5月1日 社会・文化 金沢市診療所が広坂通元市会議事堂前別館に開設された。桜木病院と殿町病院の無料診療所は4月30日限りで閉鎖した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 5月8日 社会・文化 旧盈進社副社長、市参事会員横地正果死去。77歳。旧藩士、青年時代から盈進社で地方政界に活躍、明治22年金沢の第1回市議選以来ほとんど連続して当選(市会議長2回)、また県議にも当選5回(県会議長2回)、その間金沢新聞も創刊し、波乱にみちた生涯であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 5月17日 社会・文化 「稿本金沢市史・学事編第四」が刊行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 5月22日 社会・文化 能楽太鼓方辰巳孝太郎死去。65歳。観世流太鼓の地方における名手だった。上石引町で酒造業を営んだ。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 6月14日 社会・文化 県立工業学校初代校長納富介次郎の胸像除幕式が同校校庭で挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 6月22日 社会・文化 金沢箔業界の功労者向田武吉の銅像除幕式が市公会堂で挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 7月9日 社会・文化 前金石町長中崎与四右衛門の銅像除幕式が金石町で挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 7月22日 社会・文化 高峰譲吉ニューヨークで死去。68歳。金沢市梅本町生れ、工学博士、薬学博士、タカジアスターゼやアドレナリンを発明、創製した。妻キャロラインは米人。ニューヨークヘラルド紙は博士死去の報に博士の功績をたたえる記事をのせた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 8月3日 社会・文化 (舞鶴から七尾へ飛来の海軍飛行艇が豪雨中、邑知潟に墜落し2人が死亡、6人が重軽傷を負った。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 8月3日 社会・文化 金沢測候所開設以来の大雨で犀川浅野川が出水、金沢市内は大洪水。両川の橋は浅野川の天神橋を残して11橋ことごとく流失、堤防決壊は犀川60ヵ所、浅野川40ヵ所で延長3,000間。浸水家屋約4,000戸で被災市民約2万人(死者2人)。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 8月4日 社会・文化 大水害に市は3日午後7時、市内8ヵ所に事務所を設置して被災者の救助に当った。市は夕方、歩兵第7連隊に依頼し炊き出し用に白米3石をたいてもらい、握りめしを作り4日午前3時ごろ被災者に配った。また飲料水は散水車12台を動かして配給した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 8月8日 社会・文化 犀川大橋の仮橋が他の流失橋にさきがけてできた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 8月9日 社会・文化 3代加賀藩主前田利常正室珠子(天徳夫人)の300年祭が野田山前田家墓地でおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 8月10日 社会・文化 第9師団から、軍縮に伴い14日限り午砲(ドン)を廃止するむね県市当局に通知があった(全国一斉実施)。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 8月15日 社会・文化 14日限りの午砲廃止について第9師団司令部から陸軍省に「金沢市が午砲に代る報時施設の準備を完了するまでしばらく従来通り軍の手で午砲を続けたい」と申請した結果、陸軍省から司令部に午砲の継続指令が到着、本日以降も軍の手で午砲が継続されることになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 8月18日 社会・文化 中島徳太郎死去。57歳。家業の紙商のほか加賀製紙、石川県農業、樺太倉庫はじめ多くの会社の経営に当り金沢市会議員もした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 8月29日 社会・文化 軍縮で廃止の予定だった金沢の午砲は、市役所に電気サイレン取付けまでの暫定措置として、本日から市の手で発射を続けることにした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 8月30日 社会・文化 加越能育英社幹事長に北条時敬(貴族院議員)が就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 8月30日 社会・文化 家伝薬「蜜丸」で知られる旧人持組多賀家(当主は直春)が上胡桃町から安江町94番地に移転した。「蜜丸」の販売はつづける。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 10月13日 社会・文化 満鉄社長早川千吉郎死去。60歳。石川県士族早川忠恕の長男で金沢市生れ。前田家顧問。三井銀行専務理事から貴族院勅選議員となり、その間金沢電気、硬質陶器、街鉄の創設を援助するなど金沢市実業界のために尽した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 10月24日 社会・文化 県市合同主催のシベリア帰還第9師団凱旋祝賀会が兼六園銅像前広場で開催された。被招待者は各部隊の将校約350人で、下士官兵卒には陶杯などの記念品を贈った。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 11月10日 社会・文化 小坂村の篤農表与兵衛死去。72歳。明治17年河北郡吉原村ほか13ヵ村戸長となって治績をあげ、耕地整理の元祖であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 11月10日 社会・文化 金沢の輜重兵第9大隊183人が越中庄川上流の山地行軍中、上梨で釣橋が切れて人馬もろとも川に転落し、9人死亡(うち地方人2人)6人負傷した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 11月12日 社会・文化 孔子二千四百年祭が市公会堂で450余人が参列して執行された。主催は県下教育関係者らから成る金沢孔子祭典会。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 11月20日 社会・文化 田丸町専光寺本堂(13間四面)の再建起工式が挙行された。同本堂は300年前の建築、再建工費は20余万円、3ヵ年計画。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 11月25日 社会・文化 午前6時ごろ河原町の商店から出火、竪町通りの商店4戸を全焼、3戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十一年(1922) 12月9日 社会・文化 盈進社社長として自由民権を鼓吹した飯田秀魁、鳳至郡穴水町で死去。73歳。明治13年から官途にもつき、また一高、五高の舎監をつとめたこともあった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 1月9日 政治・経済 休業中の報徳銀行金沢支店の預金者大会が市公会堂で開かれ、二百数十人の出席者中から上京委員8人を選び本店と交渉することを決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 1月12日 政治・経済 国勢調査の結果県会議員定数31人が30人になり、金沢市の県議定員6人を5人に減らすむね県公報で告示された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 2月1日 政治・経済 藤本ビルブローカー銀行金沢出張所が上堤町に開店した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 2月1日 政治・経済 金沢商業会議所調べによる1月中の金沢の建築関係職人賃金は次の通り。大工、左官、石工、ペンキ工2円50銭、かわらふき2円80銭、れんが積工3円。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 2月3日 政治・経済 金沢の七ツ屋町から浅野川に沿って洲崎に至る電鉄敷設を目的とする電鉄会社設立協議会が駅前平沢製材所で開催された。出席者33人は手続き一切を平沢嘉太郎に一任、早急に会社を設立することになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 2月19日 政治・経済 石川県庁新庁舎建築工事請負入札が清水組、大林組、銭高組、日本土木会社、鴻池組の5社によっておこなわれ、日本土木(大倉組)が56万9,000円で落札した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 2月20日 政治・経済 市は市営公設市場を設置することになり、次の5ヵ所の設置箇所を決定した。六斗林広見、香林坊下、小立野波着寺前、並木町、巴町。(設置費4万円は簡易保険積立金から借入れ、3月30日起債許可) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 3月5日 政治・経済 金沢市堀川町から洲崎を経て向粟崎に至る間に電鉄を敷設する浅野川電気鉄道株式会社(資本金30万円)の設立許可申請が県を経て鉄道大臣に提出された。発起人は平沢嘉太郎(代表)、西村正則、辰村米吉、田守太平、中島徳太郎、西田儀三郎、小塚貞義ら25人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 3月5日 政治・経済 金沢電気軌道会社は百間堀線から右折して車庫前で小立野線に接続する連絡線と百間堀石川門下の複線設置の許可を県に申請した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 3月8日 政治・経済 市が横山町に建設する市営住宅は、馬場崎町に接した横山町2番丁の水田650坪を買収して敷地とすることに決定した。5戸建4むね(20戸)、1戸の建坪16坪7合の予定。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 5月1日 政治・経済 石川鉄道が金沢電気軌道会社に買収されて本日から同社の経営に移り、鶴来-金沢間の連絡が円滑になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 5月26日 政治・経済 出願中の浅野川電気軌道会社に鉄道大臣から免許がおりた。同区間の電鉄敷設には富山、石川両県人合同の金沢堀川電気軌道会社(資本金30万円)も競願していた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 6月10日 政治・経済 浅野川電鉄は発起人会を開き、起点を堀川から金沢駅前まで延長するため資本金を10万円ふやし40万円とすることをきめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 7月1日 政治・経済 金沢市に都市計画法が施行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 8月1日 政治・経済 (北陸線加賀笠間駅が本日から開業した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 8月1日 政治・経済 浅野川の中ノ橋が完成、渡橋式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 8月15日 政治・経済 金沢市に鉄道局誘致のため県、市、商業会議所、市実業組合連合会が協力して運動を開始した。北陸で誘致に乗りだしている都市は金沢、富山、長岡、新潟の各市。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 8月22日 政治・経済 金石電鉄の大野延長線が本日から運転を開始した。(26日大野町伝泉寺境内で開通式挙行) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 8月23日 政治・経済 浅野川の小橋が完成、渡橋式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 9月1日 政治・経済 (関東大震災。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 9月8日 政治・経済 犀川大橋の橋体工事は大阪橋梁株式会社に17万1,877円で落札した。完工限は12月31日。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 9月10日 政治・経済 広坂署は金沢豆腐商組合が8月17日決定した豆腐の値上げを9月10日から実施に決めたので組合長を呼び出し、「この際(関東震災直後)の値上げ実行は言語道断」と戒めた。組合は値上げを延期した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 9月11日 政治・経済 暴利取締令違反の検挙が全国的におこなわれている折から、広坂署は金沢金物商組合でトタン板などの値上げをきめたことが判明したので、組合役員を召喚して署長から厳戒した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 9月13日 政治・経済 犀川の新橋が完成、渡橋式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 9月19日 政治・経済 金沢商業会議所は震災後の市内物価の変動を調査した。騰貴したものは亜鉛引波形30番鉄板100斤20円が24円になり、その後下落して22円66銭に、同平板18円50銭が26円66銭に、ブリキ板90封度物1箱14円80銭が27円50銭に、洋クギ1タル14円が17円に、セメント1タル7円50銭が8円になった。木材類は比較的変動がなかった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 9月19日 政治・経済 金沢米穀商同業組合長林栄作は、市が震災救援米として東京方面へ送った白米300石の価格や買上げ手続きに不審があると市長あての公開状を発した。(相良市長は新聞で弁明を発表した) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 9月24日 政治・経済 県会議員選挙がおこなわれ、金沢市の当選者は次の通り。吉倉清久(政新)乾亮(政前)坂野権次郎(憲前)元正吉(憲新)市川潔(青新) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 9月26日 政治・経済 犀川の桜橋が完成、渡橋式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 10月13日 政治・経済 犀川大橋下流の泉用水堰堤の構造方式を不備とする片町、十三間町、古寺町、長町など関係町民は7月以来県に設計変更を要求して騒いでいたが、県は原案(両端木工、中央蛇籠)実施を明らかにして町民の要求を拒否した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 10月25日 政治・経済 知事山県治郎は広島県知事に転じ、後任に内務省土木局長長谷川久一が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 11月1日 政治・経済 片町の宮市洋物店が店舗を改築して宮市百貨店として開店した。金沢で初めての百貨店である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 11月10日 政治・経済 市所有の野田山墓地(約15万坪)のコッサ(落松葉)採集について、管理人の選定問題から野村の野田部落民(65戸)と長坂新部落民(47戸)の間で紛争が起こっていたが、市の調停で野田山総坪数の6分の1の新墓地区域の採集を長坂新側にやらせ、残りの全部は野田側にやらせることで解決した。昨年までは野田部落民が採集し、年間約3,000円の収入を得ていたという。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 1月25日 社会・文化 県立金沢商業学校3年生150余人は転出教諭の留任、1教諭の転任などを要求して同盟休校した。(26日解決) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 1月 社会・文化 不景気のため市内大通りの商家に貸家札の出ているのが随所に見られると新聞は報じている。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 3月5日 社会・文化 木ノ新保持明院の妙蓮(一茎多頭蓮)史蹟名勝天然記念物保存法によって天然記念物として内務大臣から指定された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 3月13日 社会・文化 大手町の乃木会堂が兼六園内に移築されて県の会館となり、乃木会(総裁は知事)では移転祭を挙行した。(会館は4月1日から兼六会館と命名) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 3月18日 社会・文化 元金沢市長男爵奥村栄滋熊本市で死去。71歳。旧加賀藩八家の出身(1万7,000石)で明治8年尾山神社宮司、31年1月から35年4月まで金沢市長をつとめた。昨年来熊本の長女の家に老後を養っていた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 3月25日 社会・文化 井口在屋死去。68歳。金沢市柿木畠出身、加賀藩の漢学者井口済の3男、工学博士、東京帝大教授をつとめ有名ないのくち式渦巻ポンプを発明した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 4月1日 社会・文化 昨年8月から市の手で続けてきた午砲を廃止し、市役所屋上の電気報時機(サイレン)で正午の時報を開始した。同時に水害、火災の場合のサイレン信号方法もきめ市広報で告示した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 4月1日 社会・文化 卯辰山登り口(常磐町)に元市会議員田口秀弘が動物園を設置し有料公開した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 4月1日 社会・文化 市は市立第一商業補習学校(県立商業学校内)市立第二商業補習学校(新竪町尋常小学校内)市立女子商業補習学校(高岡町高等小学校内)の3実業補習学校を設置した。いずれも修業年限は前期、後期および高等補習各2ヵ年、生徒定員は第一が500人、第二および女子補習は各300人、授業料は月20銭。(4月12日授業開始) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 4月1日 社会・文化 金沢医学専門学校が昇格、金沢医科大学になった。大学に付属医学専門部、付属薬学専門部が設置された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 4月1日 社会・文化 県立金沢第一、第二両高等女学校が5年制になった。(従来4年制) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 4月11日 社会・文化 市は本年から前田利家入城の日6月14日に金沢市祭を尾山神社で執行に決定、祭式は14日だけとするが、前後の各1日を加えた3日間を祭典日として各種の催しをすることにきめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 4月12日 社会・文化 午後1時40分ごろ小立野土取場の城端別院支院から出火、同寺院はじめ9戸を全焼、3むねを半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 4月12日 社会・文化 西町大谷廟所内の金沢高等予備校(仏教青年会館教育部経営)内に私立夜間中学校が開校した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 4月13日 社会・文化 午砲廃止で不要になった砲(クルップ式9センチ砲)が師団から市へ無償譲渡されたので、市は市所有の報時鐘と共に紺屋坂上り口右側の広場にすえつけて報時の記念にすることにした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 4月14日 社会・文化 加賀の名優として明治初年から金沢市民に親しまれてきた嵐冠十郎の引退興行が本日から下新町福助座でおこなわれ、冠十郎は座付連を相手に「吃又」を演じた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 4月17日 社会・文化 前田利為夫人渼子、肝臓炎のためパリで死去。37歳。前田家15代利嗣と郎子との間の一粒種で日本三美人の一人と称された。大正6年の来沢がお国入りの最後。大正9年欧洲出張夫君と渡仏、昨年末から旅舎で療養中だった。金沢では新聞が夫人の死去を報ずる号外を出し、また市会は議長名で弔電を送った。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 4月17日 社会・文化 卯辰山公園改良のため市が視察を依頼した庭園協会の林学博士本多静六ら4人が16日来沢し、2日間にわたり卯辰山、兼六園、野口別荘(彦三1番丁)、横山家庭園を視察した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 4月18日 社会・文化 両横山家所蔵の美術品約200点の売立入札がおこなわれた。総上り高40余万円。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 4月24日 社会・文化 市は公設市場の建築をまず香林坊、浅野川並木町、巴町の3ヵ所に着工することにし、入居商店46人の募集をはじめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 4月 社会・文化 金沢医大教授大里俊吾博士の「淋巴の研究」に対し日本内科学会から内科恩賜記念賞が授与された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 4月 社会・文化 文部省は中等教員不足の対策として第四高等学校内に物理化学科の第十臨時教員養成所を設置した。募集数は給費生30人私費生若干、入学試験は25日、26両日おこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 5月30日 社会・文化 金沢市祭を機に金沢市歌ができた。作詞は第四高等学校鴻巣盛広教授、作曲は市内小学校教員の唱歌研究会。(1)二つの流れ遠長く、霊沢澄んで湧くところ、甍の数の日に添ひて、おのづから成る大都会。(2)眺尽きせぬ兼六の、園には人の影絶えず、市人業をいそしめば、衢に生気溢れたり。(3)文化の潮早けれど、地の利人の和缺くるなく、ここ北陸の中心に、永久に栄えむ金沢市。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 5月30日 社会・文化 午後4時ごろ上野町から出火、2戸を全焼、2戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 6月2日 社会・文化 金沢高等工業学校の校舎が完成し開校式が挙行された。校歌「春日にめざめた若き吾れ・・・・・」が初めて歌われた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 6月5日 社会・文化 「稿本金沢市史・社寺編」が刊行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 6月14日 社会・文化 金沢全市の総祭としての第1回金沢市祭が13日から3日間盛大に挙行された。祭式は14日尾山神社で相良市長祭主となって執行、市政の状況を奉告した。祭の余興として手踊、能楽、花火大会、自転車競走、相撲、堀川町の大名行列はじめ各町の催し物、小学生の旗行列、ちょうちん行列などがあり市中はわき返った。旗行列には新市歌が初めて歌われた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 6月14日 社会・文化 市祭を記念して市主催の市自治展覧会が市庁舎2階で14、15の2日間、また加越能史談会主催の加賀藩遺物展覧会が市会議事堂で13、14、15の3日間それぞれ開催され、いずれも多数の参観者を集めた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 6月17日 社会・文化 上小川町竜国寺境内に市内染物組合員と呉服商有志が建築中の友禅堂が落成したので、友禅斎の木像を安置して落成式が盛大におこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 5月28日 社会・文化 棋聖本因坊の300年忌が本多町本行寺で営まれた。本行寺は本因坊が本多家に招かれて金沢に滞在中その手で創建した寺である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 6月30日 社会・文化 パリで客死した前田漾子の遺骨がフランス汽船で夫君に抱かれ神戸に到着した。嗣子利建ほか前田家や郷土関係者多数が神戸まで出迎えた。旧藩関係者として小幡酉吉が上海まで出迎えた。(遺骨は30日東京着、7月7日東京日倉里の墓地に埋葬) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 7月9日 社会・文化 午後2時35分ごろ六斗林2丁目のゴム製造工場から出火、同工場(55坪余)を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 7月10日 社会・文化 市の香林坊、浅野川、巴町3公設市場が開業した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 7月11日 社会・文化 井上啞々(精一)東京で死去。46歳。加賀藩士井上如苞の長男、一高、東大独文科(中退)に学び、籾山書店、毎夕新聞などに勤務、毎夕時代永井荷風の雑誌「文明」「花月」の編集に当り中央ジャーナリズムの名物男だった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 7月14日 社会・文化 前田利為が九谷焼の進歩発達をはかるためにと滞欧中買いあつめた独墺両国の陶磁器191点を石川県に寄付した。(後年石川県美術館に陳列) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 7月15日 社会・文化 雨のため天神町2丁目3丁目でがけくずれがあり2戸大破した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 7月18日 社会・文化 15日の雨でがけくずれの被害を出した天神町の町民が、広坂署に押しかけて105人連署の請願書を出し、小立野丘地の土地所有者にがけくずれ防止工事を至急施すよう指示してほしいと要望した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 7月18日 社会・文化 夜来の雨で浅野川が増水し、昨年来の仮橋が全部流出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 7月22日 社会・文化 元金沢市長渡瀬政礼死去。72歳。県議、市議、市会議長として地方政界で活躍の後、日露戦争をはさむ明治35年6月から42年11月までの7年5ヵ月間市長をつとめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 8月24日 社会・文化 六斗林と白山町(小立野波着寺境内)の両公設市場が開業した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 8月 社会・文化 宗達会(会長熊田源太郎)が俵屋宗達の墓所宝円寺に茶室対青軒を建てた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 9月1日 社会・文化 関東大震災。金沢でも相当の強震で市内人家では時計がとまり電灯は1、2尺もゆれ動き、師団の池水は水煙をあげて大波をおこした。地震直後金沢測侯所は「午後0時18秒に震度強き地震あり、発震より10秒を経て上下および水平両度ともに強度となり約2分30秒間は震度著明に経過し、その後弱震程度に入ったが当地方としては近年まれな強震だった」と述べた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 9月2日 社会・文化 関東大震災の詳報は2日に至って金沢の新聞社へ入電しはじめ、市内の新聞社は続々号外を発行した。2日中に金沢駅から警官10数人、憲兵11人、師団衛生部員数人、日赤支部看護婦10人等が途中の状況不明のまま東京へ出発した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 9月2日 社会・文化 大震災の情報が陸軍の金石無線電信と新聞号外のほか入手できないので、第9師団司令部と県は協議の結果、金石無線電信から船橋または銚子の無線局中継で東京中野の陸軍電信隊に対して震災の詳報を求めることにきめた。(午後、舞鶴海軍要港部から惨害の公電がきた) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 9月3日 社会・文化 埼玉県川口駅から乗車した東京の避難者第一陣が午前10時30分と午後2時18分金沢駅着列車で着いた。(金沢駅下車の避難者は7日までに906人) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 9月4日 社会・文化 緊急金沢市会は震災都市救援のため3万円の支出を可決、直ちに白米200石を東京市へ、50石を横浜市へ発送の手配をした。また市は吏員2人を状況視察のため3日上京させた。校下青年団では材木町ほか3団が代表を派遣した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 9月5日 社会・文化 震災地の治安維持のため第9師団に出動命令が下り、林智得歩兵第6旅団長指揮のもとに歩兵第7、第36連隊の将兵約2,500人が4日夜出発した。(第6旅団司令部は浦和県庁に置かれた) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 9月5日 社会・文化 石川県から東京地方へ送る救援物資として白米200石、塩8俵(80斤入り)梅ぼし500貫(23タル)が4日、貸車4両に積みこまれ米原経由名古屋へ発送された。名古屋港から5日または6日に汽船で品川へ送られることになったので、輸送指揮のため県から赤堀社会課長らが4日夜名古屋へ出発した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 9月6日 社会・文化 震災地でナベ、カマが不足しているので県は1,600個を調達、信越線経由で蕨駅まで急送した。(県中橋枝手同車) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 9月8日 社会・文化 金沢運輸事務所管内各駅から震災地へ発送した救援物資は8日までに90車両になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 9月11日 社会・文化 震災地から金沢郵便局に到着した無料電報の8日から9日朝までの分は1,692通、10日は1,790通に達した。(12日以後は料金受信人払いとなる) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 9月19日 社会・文化 震災地から避難してきて金沢市の小学校に転入学した児童は、18日現在男子24人、女子26人計50人で、ほかに未寄留児童は29人に達している。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 10月1日 社会・文化 金沢新聞(日刊、上堤町9番地)が創刊した。経営者瀬尾雅太郎。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 10月12日 社会・文化 金沢市内の震災避難者は現在554世帯、1,176人である。(県下全体では3,073世帯5,388人) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 10月28日 社会・文化 2代目金沢市長で市産業開発の先覚者長谷川準也の功績をたたえる記念碑が天徳院境内に建ち、除幕式が挙行された(建設委員長飯尾次郎三郎) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 10月29日 社会・文化 震災地警備のため9月5日出動した歩兵第6旅団(歩7、歩36連隊)が任務を終え帰隊した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 10月 社会・文化 作家室生犀星が一家をあげて東京から金沢へ疎開してきた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 11月15日 社会・文化 市調査によると震災避難者の金沢市内現住者は、本日現在で男1,098人女957人計2,055人である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 11月23日 社会・文化 市公会堂で県市合同主催の国民精神作興に関する詔書の奉読式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十二年(1923) 12月24日 社会・文化 午前1時ごろ裏五十人町の製材工場から出火、工場、倉庫と民家など5むねを全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 1月1日 政治・経済 石川郡野村字泉の桃畠市営住宅地が金沢市に編入されて、弥生町と名づけられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 1月14日 政治・経済 金沢は全国都市中金貸業の多いところであるが、金銭貸付業として課税されている業者は現在236人(うち会社15)で資本金合計額は334万円、税金は1万6,641円となっている。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 1月19日 政治・経済 金沢市は皇太子成婚記念事業として市立の大運動場設置を計画、調査をはじめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 1月23日 政治・経済 浅野川電気鉄道株式会社の創立総会が商業会議所で開かれ役員を選任した。総会後の役員会で「予期よりも創立が遅延したので全速力をもって土地買収等実際事業に当ること」を申合せた。取締役は平沢嘉太郎、辰村米吉、西村正則ほか5人、監査役は高桑勇次郎ほか3人、相談役として金沢市から10人、石川河北両郡から5人委嘱することをきめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 1月23日 政治・経済 市会は皇太子成婚記念事業の市立大運動場設置を満場一致で可決した。予算は6万円、財源は3万円が前年度繰越金、3万円が一般寄付金。運動場は敷地1万坪、トラック1周400メートル、普通観覧席の収容人員1万人、特別観覧席1,000人の計画である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 1月26日 政治・経済 皇太子結婚式。金沢市会は賀表を可決、また市公会堂で官民1,200人が出席して祝賀会が開かれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 1月29日 政治・経済 市立運動場建設に対し早くも石川郡三馬村字泉と地黄煎町が誘致運動をはじめ、泉の方は市長に運動場設置の請願書を出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 2月28日 政治・経済 都市計画石川地方委員が政府から任命された。委員は金沢市会議員6人、県会議員3人、金沢市助役、師団および各官庁代表5人のほか、学識者として高安右人、原凞、青戸信賢、横山隆俊、横山章、飯尾次郎三郎、片岡安の計22人である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 3月2日 政治・経済 政友会石川県支部解散ならびに政友本党支部発会式が約2,000人出席して北国劇場でおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 3月3日 政治・経済 今秋石川、富山両県下でおこなわれる陸軍特別大演習の参加部隊は金沢第9、高田第13、京都第16の各師団と予後備1個旅団、合計3個師団半と決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 3月3日 政治・経済 北陸冷蔵株式会社が白菊町の新社屋で創業披露をした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 4月1日 政治・経済 金沢市公報の第1号が発行された。毎月1日と15日の2回発行で個人の購読も自由である。(一部9厘) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 4月1日 政治・経済 金沢商業会議所が議員総会で金沢鉄道局設置と金沢駅改善の陳情書を議決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 4月26日 政治・経済 市は卯辰山登山道のうち、小坂神社横から山上の俗称ふた割れに至る全長660間の急坂のこう配をゆるめ、幅を広くする改修計画を決定、関係地主2人から拡幅に必要な土地1万2,000坪寄付の内諾も得たので工兵第9大隊の援助を得て近く着工することになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 5月11日 政治・経済 衆議院議員選挙が10日におこなわれ開票結果は次の通り。第1区(金沢市)当選3,458票 永井柳太郎(憲政)次点2,057票 曄道文芸(政本)第2区(石川)当選5,299票 堀喜幸(政本)次点2,474票 武谷甚太郎(憲政)第3区(能美、江沼)当選6,052票 米原於菟男(政本)次点5,530票 相川久太郎(政友)第4区(河北、羽咋、鹿島)当選7,307票 青山憲三(憲政)同6,459票 室木弥次郎(憲政)第5区(鳳至、珠洲)当選4,330票 佐藤実(憲政)次点3,758票 益谷秀次(政本) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 5月15日 政治・経済 芥川竜之介が室生犀星の招きで来沢、7日間兼六園内三芳庵別荘に滞在した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 6月8日 政治・経済 大正11年12月着工した石川県庁庁舎の落成式が挙行された。鉄筋3階建、一部4階、延べ2,599坪で総工費123万円。設計は工学博士矢橋賢吉。県は新庁舎で3日間県勢展覧会を開き、県民に庁舎を開放、また市電気局の寄贈送電で新庁舎を電飾した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 6月19日 政治・経済 犀川の上菊橋から野田寺町1丁目に出る坂の拡張工事が完成したので不老坂と命名、落成式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 6月20日 政治・経済 市の道路改良事業の一つ、大手町から味噌蔵町を横断し玄蕃町に出て天神橋に至る道路の大手町―味噌蔵町下中丁間の新設工事が完成、開通した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 6月22日 政治・経済 各方面から誘致運動がおこっている市の公設運動場は地黄煎町に決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 6月23日 政治・経済 今秋石川、富山両県下で挙行の陸軍特別大演習に摂政宮が来県されるので、下検分に宮内省、侍従武官府、参謀本部から係官が来県、県庁で県、金沢市との合同打ち合せ会を開いた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 6月24日 政治・経済 知事長谷川久一が和歌山県へ転じ、後任に島根県知事長延連が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 7月1日 政治・経済 (石川郡野々市村が野々市町になった。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 7月10日 政治・経済 一昨年8月流失し昨年5月起工した犀川大橋が完成、渡橋式がおこなわれ、両岸は約3万人の人出でにぎわった。長さ200フィート、総工費26万7,000円。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 7月11日 政治・経済 石川郡野村は金沢市に編入方を県に対して陳情した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 7月13日 政治・経済 市は上水道敷設のため大井博士を嘱託とし、石井主任技師以下吏員を準備調査にあたらせることにした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 7月15日 政治・経済 不況のため金沢箔同業組合の銀箔部はさる1日から1ヵ月間休業、洋箔部も本日から2ヵ月間休業を決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 7月30日 政治・経済 県は下新町の旧新町警察署庁舎の売却を臨時県会に提案、議決を得た。同庁舎は警察署の移転後、金沢市消防組連合会事務所に無償貸与されていた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 8月27日 政治・経済 金沢市の大演習関係予算8万4,000円が市会で可決された。(県の同予算は26万3,073円) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 9月19日 政治・経済 かねて休業中の大正昼夜銀行金沢支店(本店富山市)が預金者に整理案を示した。(支店の10円以上預金者は約120人) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 9月24日 政治・経済 金沢市都市計画事業の計画区域の調査が終り、県を通じて内務省に申請された。都市計画編入区域は浅川村を除く隣接8ヵ村で、村全体が区域にはいるのは崎浦、三馬、米丸、戸板、弓取の5ヵ村、村の一部がはいるのは野、富樫、小坂の3ヵ村。面積は1,345万4,788坪で現在の金沢市の約4倍半、人口は約15万人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 10月7日 政治・経済 11月2日からの摂政宮宿泊所は成巽閣にきまったので、東京前田家から係員が来沢して邸内の補修、避雷針5ヵ所の設置、飲料水用鉄管の敷設などを終り、また宮内省は邸内に判任官用仮食堂、洗面所などの設備をした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 10月7日 政治・経済 工兵第9大隊の将校以下230人が卯辰山山上―小坂神社間の道路開さくに出動した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 10月14日 政治・経済 市は名所旧跡案内規程をきめ告示した。これは観光客誘引の方法として約20人以上の団体には、申込みにより市吏員をつけて金沢市内を案内することにしたもの。そのため社会課に案内委員を置いた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 11月2日 政治・経済 摂政宮は陸軍特別大演習統裁のため名古屋から午後4時金沢駅着、大本営の成巽閣にはいられた。夜、学生生徒6,000余人のちょうちん行列がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 11月2日 政治・経済 大演習参加の各皇族は1日から2日に来沢、各宿舎にはいられた。久邇宮邦彦王は高岡町横山章邸、閑院大将宮は柿木畠横山男爵邸、梨本宮守正王は彦三1番丁野口吉次郎邸。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 11月3日 政治・経済 大演習開始。摂政宮は富山県埴生村で統裁、午後3時すぎ汽車で金沢に帰られた。大演習の甲軍司令官は町田経宇大将、乙軍司令官は田中義一大将。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 11月4日 政治・経済 摂政宮は風邪のため大演習第2日の戦線巡視を取りやめられた。夜、加藤高明首相が陪観のため来沢した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 11月4日 政治・経済 摂政宮は午前、成巽閣で退役歩兵中尉七五三亀吉(江沼病院副院長)の「金沢城の沿革」についての御前公園をお聞きになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 11月5日 政治・経済 大演習は午前11時石川平野の攻防戦で終了、摂政宮は大乗寺山で統裁された。同夜、参加部隊将兵のうち2万3,783人が金沢市内民家に宿泊した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 11月5日 政治・経済 摂政宮は大演習講評場の石川師範学校で退役歩兵中尉角永敬次(野々市町三等郵便局長)の御前講演「富樫戦記」をお聞きになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 11月6日 政治・経済 大演習参加部隊に対する大閲兵式が金沢市中でおこなわれた。摂政宮は四高前から片町、寺町通りを経て野村練兵場まで左側路上と練兵場内に並ぶ約4万の将兵を乗馬で閲兵された。午後兼六園で官民3,500人に賜饌がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 11月7日 政治・経済 在郷軍人会金沢支部総会が会員1万5,000人参加のもとに総裁閑院宮を迎え出羽町練兵場でおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 11月9日 政治・経済 摂政宮は県庁、師団司令部、裁判所、医大、二中(生徒奉迎式場)をまわられた。また小学生1万4,000人の旗行列があった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 11月10日 政治・経済 全市小学校5、6年生男児と青年団員5,300余人のちょうちん行列がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 11月11日 政治・経済 摂政宮は午前10時金沢発の列車で帰京の途につかれた(同夜高田泊)。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 11月20日 政治・経済 街鉄社長小塚貞義が辞任、後任社長に大株主の横山一平が就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 12月4日 政治・経済 浅野川電鉄は3日までに堀川口から須崎終点までの軌道敷設を終った。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 12月5日 政治・経済 浅野川電鉄は付帯事業として向粟崎に大遊園地を経営することになり、社長平沢嘉太郎の個人経営として準備に着手した。遊園地は土地6万坪を村から借り、資本10万円を投じる計画。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 12月5日 政治・経済 都市計画石川地方委員会の調査作成した金沢市の都市計画区域は、内務大臣の決裁を終り知事から関係市町村に諮問されることになった。(大正14年2月3日諮問) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 12月19日 政治・経済 大正13年度の市内清酒造石数は約2万5,850石で500石以上の酒造家は次の通り。4,254石中村栄助、3,397石福光松太郎、2,130石金沢酒造、1,778石京谷与三兵衛、1,469石石丸吉太郎、1,080石岡田久太郎、994石辰巳孝一郎、936石大桑実、823石越田喜三郎、827石渡辺正松、741石酒井四郎、731石金沢製氷、684石坂野権次郎、620石堀貫五三郎、569石岡重雄、504石高村藤三郎。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 1月9日 社会・文化 市内在住の青木外吉ら60余人の美術家で結成された金城絵画同人会が発会式をあげた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 1月13日 社会・文化 前四高校長溝淵進馬の胸像(吉田三郎作)が同校前庭に建ち、溝淵前校長(現熊本五高校長)はじめ約200人が参列して除幕式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 1月19日 社会・文化 「地上」の作家島田清次郎(27歳)は失意の身で昨年末帰郷、市内小将町の借家で中から錠をかけ焦燥の日を送っていると新聞は報じている。(金沢出身の舟木海軍予備少将家の娘を誘惑したとする事件のあとである) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 1月20日 社会・文化 初代の一中校長富田輝象死去。71歳。旧藩士富田象直の長男、青年時代政治結社「忠告社」社員として地方政界に活躍し、官界入り後は鹿島、能美、石川各郡郡長も歴任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 2月10日 社会・文化 午前5時半ごろ安江町34番地付近から出火、2戸を全焼、2戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 2月11日 社会・文化 皇太子成婚記念の贈位で金沢の勤王家野村円平(通称次右衛門)が正5位を追贈された。円平は慶応元年82歳で死去、国体擁護を論じた空翠雑話などの著がある。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 2月16日 社会・文化 午後11時ごろ旧城本丸の9師団経理部酒保から出火、1むねを全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 2月23日 社会・文化 金沢医科大学付属病院長医学博士下平用彩死去。62歳。和歌山県人で四高、医専、医大在職27年。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 2月 社会・文化 金沢で初めての自動車学校が白銀町に開設されることになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 3月1日 社会・文化 内務省は金沢公園(大正11年3月8日指定)の名松を「兼六園」の旧称に改めるむね告示した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 3月5日 社会・文化 七宝町で飼犬が狂犬になり3日から5日までの間に付近の子ども14人をかみ、県衛生課員に毒殺された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 3月7日 社会・文化 明治41年から17年間四高教授(英語)として金沢に住んだ大谷繞石(正信)が広島高校教授に転任し本日赴任した。繞石は松江市出身、夏目漱石の門下で小泉八雲の研究家、金沢の俳壇にも大きな足跡を残した。北間楼での送別句会で「梅咲けば梅に思はん雪の国」の一句を残した。(繞石は昭和8年11月17日広島で死去) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 3月10日 社会・文化 横山家の所蔵品入札が京都美術倶楽部でおこなわれた。総売上げ高は71万円に達した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 3月12日 社会・文化 金沢湯屋業者の協定入浴料金5銭に対し組合非加盟業者が3銭にしたことから値下げの競争がはじまり、3銭、2銭にまで値下げする湯屋も出てきた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924※日にち間違いの可能性あり) 3月17日 社会・文化 金沢医大付属病院長に教授土肥章司が発令された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 3月13日 社会・文化 加越能史談会は金沢市内でさらに五枚町の豆腐座跡など史跡10ヵ所に標示板を立てた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 3月24日 社会・文化 県下で流行の兆がある狂犬病予防のため、県は本日から金沢市をも狂犬病警戒区域に指定するむね県令で告示し、畜犬の移出入を禁止した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 3月24日 社会・文化 句空庵賢外宗匠今村東郊死去。86歳。大手町に住み、北陸俳壇の重鎮であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 4月1日 社会・文化 犀川を取水源とする金沢市の水道計画に対し、犀川流域の7用水管理者および町村長が県に反対を陳情した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 4月1日 社会・文化 県立盲啞学校が廃止され、新たに県立盲学校と県立聾啞学校が開設された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 4月1日 社会・文化 森山町尋常小学校に高等科を併置、森山町尋常高等小学校と改称した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 4月1日 社会・文化 菊川町尋常小学校に高等科を併置、菊川町尋常高等小学校と改称した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 4月1日 社会・文化 私立金城女学校が高等女学校令による高等女学校に昇格した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 4月2日 社会・文化 午前4時ごろ上近江町の民家から出火、7戸を全焼、5戸を半焼した。近くの取引所は運びこまれた家財道具や避難者で混雑したため本場立会を休止した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 4月9日 社会・文化 金沢医大学長高安右人が辞任、教授須藤憲三が後任学長となった。高安は明治21年帝大卒業後第四高等中学校教諭となって以来37年間、医学教育に尽した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 4月10日 社会・文化 午前4時半ごろ此花町の民家から出火、3戸(6世帯)を全焼、1戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 4月15日 社会・文化 金沢市は従来市公会堂を政談演説の集会に使用させなかったのを改め、今後は政談集会に開放することにした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 4月25日 社会・文化 (県下の天然痘はまだやまず、本年にはいってからの発生数は15人に達し、現在の患者は江沼郡4人羽咋郡3人計7人である。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 4月26日 社会・文化 尾山神社遷座50年祭が挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 4月30日 社会・文化 前代議士、実業家西村正則死去。59歳。石川郡出城村出身、北陸土木、朝鮮興農会社その他多くの会社の役員をし、現在石川郡から衆議院議員選挙に政友本党より立候補中。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 4月 社会・文化 実業補習学校令による金沢市立工科学校が開校した。修業年限は予科1年本科2年で土木、建築、電気、機械、応用化学の5科。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 6月6日 社会・文化 金城画壇展覧会の作品審査のため荒木十畝、中沢弘光が来沢した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 6月12日 社会・文化 県立金沢第三中学校の校舎落成式が挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 6月13日 社会・文化 市は野町広小路、香林坊、車庫前、枯木橋、武蔵ヶ辻の5ヵ所にそれぞれ500燭光2個、200燭光1個の街灯を鉄柱に取りつけ今夜から点灯した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 6月14日 社会・文化 横安江町東別院再建工事の上棟式が挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 6月 社会・文化 白銀町に北陸で初めての3階建貸ビル金沢万歳ビルディングができた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 7月1日 社会・文化 育英社幹事長柴野義広死去。80歳。加賀陸軍の先達で退役陸軍中将。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 7月5日 社会・文化 五宝町西別院内に初めての市営託児所が設置された。在籍児50人、保母2人で付近の労働者家庭から喜ばれている。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 7月6日 社会・文化 西町大谷廟所前にできた仏教青年会館の開館式が挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 7月10日 社会・文化 不景気が深刻化し市内に貸家が非常にふえてきた。盛り場片町にも現在6軒に貸家札が出ていると新聞は報じている。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 7月15日 社会・文化 市は野田山墓地内を整理するため無縁墓を集めて合葬すると発表した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 7月19日 社会・文化 市が内務省の指定により設置する結核療養所は、河北郡浅川村若松に問を購入して建設することになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 7月23日 社会・文化 大阪心斎橋北詰めの貿易商和田栄太郎(金沢出身)が寄付した藩祖前田利家銅像(吉田三郎制作)の除幕式が公会堂階上でおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 7月28日 社会・文化 市参事会員山田定吉(野町、米穀商)死去。53歳。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 8月1日 社会・文化 日蓮宗信徒によって味噌蔵町に立正閣が建設されることになり地鎮祭が挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 8月13日 社会・文化 本月初めから降雨がなく市内各所で井戸がかれたので、市は飲料水として小将町の街鉄会社用水を4斗ダル約300本に入れて渇水のひどい地区に配給した。(降雨のあった21日まで配水を継続) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 8月23日 社会・文化 蓮如上人銅像建設会は蓮如上人の銅像を卯辰山料亭みがけ跡地に建立することになり、1,000坪の地ならし工事を開始した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 9月5日 社会・文化 医師不破鎖吉死去。74歳。金沢医学界の先達の一人、明治17年田中信吾、藤本純吉と尾山病院を創設、大正2年閉因院して味噌蔵町で開業した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 9月6日 社会・文化 昨年3月県下に狂犬病が初発してから8月末までの発生狂犬は55匹(うち金沢市30匹)、咬まれたもの172人(金沢市86人)、恐水病発病4人(金沢市なし)である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 9月9日 社会・文化 歩兵第7連隊で軍旗親授50年祭典が盛大におこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 9月13日 社会・文化 俳人高浜虚子が来沢、14日野田寺町高岸寺で句会が催された。参会者200余人。15日越前永平寺へ向った。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 9月20日 社会・文化 金沢出身の貴族院議員河村善益死去。石川県士族河村輝朝の3男で東京控訴院長を退官後勅選議員になり、竹田宮宮務監督、前田家評議員を勤めていた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 9月27日 社会・文化 県が募集した摂政宮奉迎歌は応募142編の中から四高3年生二宮竜雄の「尾山の岡辺秋たけて……」が首位に決定、発表された。作曲は師範学校大西嘱託が当り、奉迎旗行列とちょうちん行列に歌う。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 10月1日 社会・文化 香林坊の北国劇場が帝国座と改名した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 11月2日 社会・文化 茶道家野村寛死去。93歳。加賀藩の御作事奉行を勤め、廃藩後は尾崎神社の神官をしたこともあった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 11月12日 社会・文化 金沢最初の代言人沢田宇三郎死去。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 11月30日 社会・文化 高さ100尺の鉄塔警鐘台が犀川と浅野川の両大橋詰めに建った。犀川は蛤坂と新道の分岐点、浅野川は森下町巡査派出所脇。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十三年(1924) 11月30日 社会・文化 金沢孔子会がつくられ、孔子祭を兼六会館で催した。祭主は武藤四高校長(孔子会会長)で吉田吉太二中教諭の論語講義、児島献吉郎文学博士の講演があった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 2月15日 政治・経済 上水道敷設を時期尚早として反対する一部市民が市公会堂で水道反対市民大会を開いた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 2月20日 政治・経済 金沢市医師会が水道敷設促進の建議書を相良市長に提出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 2月23日 政治・経済 犀川流域の7用水主催の犀川水源地反対農民大会が帝国座で開かれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 2月24日 政治・経済 金沢市から金沢の地下水調査を委嘱された京大比企忠博士の報告書が提出されたが、「金沢市の水道水源を地下水に求めることは不可能」と結論された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 2月27日 政治・経済 市水道事業(総事業費395万円4ヵ年継続事業)の調査費が市会で議決された。水道敷設に対し市会内部が賛否両派に分れているので市は予算の水道敷設準備費を撤回し、調査費に改めて提案したものである。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 2月27日 政治・経済 犀川を金沢市の水道の水源にすることに反対する流域農民大会の実行委員は市役所に松本助役、県庁に長知事、雨宮土木部長を訪れ、強硬に反対意見を述べ反対陳情書を出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 2月28日 政治・経済 市会は金沢に高等師範学校設置の意見書を可決した。高師設置は県市一体の運動となる。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 3月2日 政治・経済 真田河北郡農会長ら河北潟沿岸民代表が沿岸耕地の水害防止のため、県に河北潟排水工事の施行を陳情した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 3月3日 政治・経済 (能登鉄道羽咋、高浜間が開通した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 3月23日 政治・経済 白鳥堀と大手堀を小公園にするための払下げ(大蔵省から)問題について、市会と市長が協議の結果、5,000円ぐらいなら市は支出するがそれ以上なら断念することに意見一致した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 3月26日 政治・経済 日本硬質陶器株式会社の社長が更送、大正2年以来の社長松風嘉定が退き、釜山商業会議所会頭香椎源太郎が後任社長に就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 3月27日 政治・経済 軍縮により富山歩兵第69連隊の廃止、金沢野村の歩兵第35連隊の富山移駐が発表された。これに伴い旧城内の歩兵第7連隊は野村の歩兵第35連隊兵舎へ移転することに決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 4月1日 政治・経済 石川郡野村が金沢市に編入された。野村の戸数450戸、人口2,677人。編入にともない村立野尋常小学校を金沢市立十一屋町尋常小学校と改称した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 4月10日 政治・経済 石川郡弓取村が金沢市に編入された。弓取村の戸数295戸、人口1,515人、金沢市の人口は140,132人となった。編入にともない村立弓取高等小学校を金沢市立諸江町尋常高等小学校と改称した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 4月19日 政治・経済 富山へ移駐する歩兵第35連隊の告別観兵式が金沢駐留全部隊が参加して野村練兵場でおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 5月1日 政治・経済 第9師団長星野庄三郎は待命、後任に参謀本部第一部長伊丹松雄中将が補せられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 5月10日 政治・経済 浅野川電気鉄道会社の第1期線七ツ屋-須崎間3.3マイルが完工、開通した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 5月10日 政治・経済 歩兵第7連隊の旧城内から野村(35連隊跡)への移転が終った。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 5月14日 政治・経済 日本硬質陶器会社は臨時株主総会を開き、本社を金沢から工場所在地の朝鮮釜山府に移し支社を金沢に置くことを議決した。(朝鮮内に本社を置けば朝鮮総督府の補助金交付の対象となるため) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 5月29日 政治・経済 金沢都市計画区域決定の件が内務省から認可になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 5月29日 政治・経済 金沢市の公設運動場工事の入札がおこなわれ、入札人員33人中山田菊太郎が1万3,740円で落札した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 6月25日 政治・経済 県下無産党の先駆ともいえる政治研究会金沢支部の発会式が香林坊大神宮で挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 7月9日 政治・経済 金沢市から賦課申請中の特別税「戸別税」条例が内務大蔵両大臣から許可された。これは市内で県税家屋税の賦課されぬ官舎、社宅、神社、寺院等の住人に賦課するもので市内で約540人、税額は約4,000円になる予定。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 7月16日 政治・経済 不況のため金沢銀箔業者は本日から無期限休業にはいった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 8月15日 政治・経済 労農ロシア承認後石川県からはじめて渡航する石川県シベリア実業視察団は16人と決定した。金沢市からは坂野権次郎(酒造)指江長太郎(木材)本多政樹(機業)野村喜一郎(水産)東与三郎(機業)高林義一(魚網)が参加。(9月13日出発) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 8月31日 政治・経済 (能美電鉄の新寺井-新鶴来間電車が全通した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 9月3日 政治・経済 市内6公設市場の売上高は不景気を如実に示して逐月減少の傾向にあり、8月中の売上高は合計1万6,610円で昨年同月より3,035円の減少、また前月より1,404円の減少である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 9月10日 政治・経済 石川県の貴族院多額納税者議員選挙は政友、政友本党、憲政会の三派協調により横山章が無競争で当選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 9月29日 政治・経済 金沢市会議員の選挙区制が廃止され、全市1区の大選挙区制になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 10月1日 政治・経済 第2回国勢調査と初めての失業統計調査がおこなわれた。金沢市の国勢調査結果は32,455世帯、人口147,420人(男73,045人、女74,375人)であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 10月2日 政治・経済 油車および新竪町住民は鞍月用水使用料の不当を訴えて、市長に対し「市中を貫流する部分を金沢市の管理に移すよう」陳情し、市の善処を強く要望した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 10月4日 政治・経済 金沢市会議員選挙を前に、立憲労働党の発会式が市公会堂で200余人が出席しておこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 10月16日 政治・経済 金沢商業会議所会頭横山隆俊が辞任、後任会頭に副会頭辰村米吉、副会頭に市村孫太郎が選任された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 10月23日 政治・経済 青草辻市場路面アスファルト工事落成記念開通式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 11月1日 政治・経済 片町から竪町への入口の三角地面(勧工場)取りひろめ問題は、地主辰村米吉が市の買収を承諾したので近く着工に決定した。三角地面は24坪4合9勺。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 12月1日 政治・経済 市設貯蓄機関の金沢市信用組合が事業を開始した。加入者360人、加入口数4,000口、組合長相良市長。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 12月3日 政治・経済 (10月1日の第2回国勢調査による石川県の人口は75万854人と発表された。なお内地総人口は5,973万6,704人、朝鮮、台湾、樺太を加えた全領土人口は8,345万4,347人。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 12月7日 政治・経済 金沢市会議員選挙の2級議員選挙が4日、1級議員選挙が7日おこなわれ、立候補者62人から憲政会15、青年党6、政友本党10、実業同志会3、政友会1、中立1が当選し、市役所派である自治会派が21人、非市役所派が15人の色分けとなった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 12月16日 政治・経済 市会は正副議長選挙をおこない議長に坂野権次郎(憲政)副議長に市川潔(青年)を選出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 12月29日 政治・経済 米谷銀行と松任銀行との合併が決った。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 1月4日 社会・文化 実業家横山隆一死去。63歳。横山男爵の分家で500石の旧藩士。神戸に本店、京城、台北、京都、奉天の各地に支店を置き洋家具類を手広く扱っていた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 1月8日 社会・文化 震災後疎開していた作家室生犀星が東京に引き揚げた。3月には家族も引き移った。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 2月3日 社会・文化 前田利為侯の結婚に当り、金沢在住の加越能出身現役退役の陸海軍将校団約300人はお祝いに青銅の大花びんを贈った。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 2月4日 社会・文化 市は木ノ新保6番丁持明院妙蓮池の天然記念物「妙蓮」に対し、200円の補助金を交付することになり明年度予算に計上した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 2月7日 社会・文化 侯爵前田利為(41歳)と酒井菊子(22歳)の結婚式が東京本郷の前田邸で徳川家達、近衛文麿両夫妻の媒酌でおこなわれた。前田家の結婚総費用は10万円を超えそうだと新聞は報じている。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 2月16日 社会・文化 金沢市に開設される簡易保険健康相談所の敷地は玄蕃町南側の空地(地主尾張町山田勝二)に決定、建物は地主が建てて(2階建67坪)保健局に賃貸することになった。完成は8月ごろの見込み。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 2月19日 社会・文化 加賀谷市会議員の調査によると金沢市内の共同井戸は231個、使用戸数は2,186戸である。衛生上危険な旧式ツルベを用いている共同井戸も相当あるという。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 2月24日 社会・文化 19日以来、幹部店員排斥を店主に迫って同盟罷業をしていた宮市百貨店店員30人(男16人女14人)は店員側が謝罪して解決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 2月26日 社会・文化 県参事会は下新町の新町警察署跡の土地建物を日本赤十字社石川支部の産院開設用に払下げることをきめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 2月28日 社会・文化 金沢西別院輪番石原堅正から設立認可申請中の金沢女学院が知事から認可された。(4月1日開校) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 3月1日 社会・文化 最近、金沢市と郡部を通じ電灯光力がひどく暗いので、県保安課は県下19の電気会社に警告を発した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 3月3日 社会・文化 県が昨年末現在で調査した県下の寺院数は1,244、うち金沢市は244であった。宗派別では大谷派が県下で3分の2を占めている。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 3月5日 社会・文化 結婚披露と展墓のため1日から帰省中の前田利為、菊子夫妻を招いて官民合同歓迎会が市公会堂で開催された。参会者約500人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 3月10日 社会・文化 長惣右衛門死去。58歳。壮年時内国通運会社に入り、のち独立して土木建築請負業を経営して成功した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 3月10日 社会・文化 石川郡金石町町会は銭屋五兵衛の銅像建設費補助金1,000円を否決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 3月14日 社会・文化 (能美郡苗代村字向本折に大火、全焼32むね、納屋6むね、土蔵1むね。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 3月22日 社会・文化 東京芝浦の仮放送所でラジオ放送開始。北陸地方のラジオ放送局の設置認可申請は現在金沢から2件、高岡から1件あり、猛運動がおこなわれている。金沢の申請者は商業会議所系の実業人によるものと電気事業者によるもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 3月27日 社会・文化 金沢市高道新町浄土宗心蓮社所蔵の絹本着色阿弥陀三尊来迎之図が国宝に指定された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 3月31日 社会・文化 高岡町尋常高等小学校の補習科が廃止された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 4月1日 社会・文化 金沢簡易保険健康相談所が仙石町に開設された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 4月3日 社会・文化 石川県各政党合同主催の普選通過祝賀会が、午後3時から兼六園長谷川邸跡で約3,000人が参集して開かれ、さらに午後7時からちょうちん行列がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 4月7日 社会・文化 第34回矯風会全国大会が本日から3日間市公会堂と兼六会館で開かれ、廃酒、廃娼、婦人参政権について協議した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 4月9日 社会・文化 昨春立柱式をあげた田丸町専光寺の上棟式がおこなわれた。(再建費は50万円) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 4月15日 社会・文化 備中町慈船庵に建てられた元盈進社同人故斎藤知一の石碑除幕式がおこなわれた。題字は頭山満。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 4月28日 社会・文化 新内の新人岡本文弥一九席に来演。文弥は震災後来沢して「金沢情話」を新作、また金沢を題材にした竹久夢二の「秘薬紫雪」を新内化した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 4月29日 社会・文化 金野鉄道の西金沢駅が5月1日から白菊町駅と改称されることになったので、野々市町では「省線野々市駅が西金沢駅と改称される前提でないか」と改称阻止の町民大会を開き、野々市駅名存続を決議した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 4月 社会・文化 金沢一中、二中、三中および金沢商業の寄宿舎が廃止された。(寄宿舎が少なく経費節減のため) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 4月 社会・文化 (石川県で初めて琵琶湖の稚アユ2万匹が大聖寺川に放流された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 5月3日 社会・文化 富山へ移駐する歩兵35連隊の小林連隊長以下740人は、軍旗を先頭に市中行進し午前8時55分金沢駅発列車で出発した。沿道および金沢駅には市内中小学校生徒、市民ら数千人が見送った。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 5月10日 社会・文化 天皇皇后の銀婚式奉祝会が県市合同のもとに県会議事堂で挙行された。全市小学生や金沢魚商組合の奉祝旗行列がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 5月10日 社会・文化 石川県体育協会の財団法人組織が文部大臣から許可になり、協会が正式に設立された。会長は長知事。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 5月13日 社会・文化 正午すぎ木ノ新保3番丁から出火、4戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 5月13日 社会・文化 柿木畠横山男爵家の地所2,500坪と庭樹庭石約3,000点のせり売りがおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 5月15日 社会・文化 本日から3日間帝国座でラジオ放送の試聴会がひらかれ、JOAKの放送を受信した。金沢市内で一般が放送を聞いたはじめである。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 5月16日 社会・文化 本因坊算砂(棋聖本因坊の一世)の記念碑が本多町欠原町本行寺に建設され除幕式がおこなわれた。算砂は京都寂光寺日海上人で、藩臣本多政長に招かれ弟子本照坊日至と共に金沢に来て、囲碁を教授し本行寺を建てた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 5月17日 社会・文化 暮柳舎甫立の句碑が大衆免中通浄行寺内に建った。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 5月18日 社会・文化 金沢の指物業の指導者仙石町家具商越田外次郎の銅像が、同業組合員の手で大乗寺境内に建てられ除幕式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 5月23日 社会・文化 但馬大震災。金沢地方も午前11時10分ごろかなりの地震があったが、時計の振子がとまった程度で被害はなかった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 5月25日 社会・文化 県参事会は柿木畠横山邸敷地の一部960坪を買収し、知事官舎を新築することをきめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 5月27日 社会・文化 東京前田家の所蔵品売立てがおこなわれた。総売上高110万円、5,000円以上の落札品は42点に達した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 6月1日 社会・文化 金沢市役所に無料戸籍相談所が開設された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 6月7日 社会・文化 多年石川師範、女子師範、第二高女の書道教員として名声のあった書家畠山擲山の鋳碑が、旧門人の手で野田寺町松月寺境内に建ち除幕式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 6月25日 社会・文化 「稿本金沢市史・工芸編第一」が刊行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 6月28日 社会・文化 義太夫の豊竹呂昇が本日から5日間尾山座で引退披露興行をし、初日から満員の大人気だった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 7月4日 社会・文化 加越能史談会は創立10周年記念式と記念講演会を兼六会館で開いた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 7月5日 社会・文化 幕末金沢の勤王歌人大友粂満の歌集「蓬壺集」が発見(藤本純吉襲蔵)されたので、十一屋町烟硝倉跡の墓前で発見報告法要が営まれた。粂満は藩の御料理小頭で作歌5,300余首、明治2年53歳で没。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 7月7日 社会・文化 簡易保険局の低利資金と勧銀融資で建てる金沢市初の月賦売却住宅建設案が市会で議決された。上本多町、横山町、下中島町等に約90戸を15万余円で建て、入居者の当初月賦償還額は14円50銭、25年償還。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 7月14日 社会・文化 日本赤十字社石川支部経営の産院が新町(元新町警察署跡)に開設された。産院内に愛国婦人会石川支部、恩腸財団済生会経営の診療所も開設された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 7月19日 社会・文化 粟崎遊園が開場した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 7月31日 社会・文化 不景気、生活難で小野慈善院の収容者は今年になって70余人ふえ193人になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 9月6日 社会・文化 十一屋町小学校長夫妻(上本多町居住)と近くの知人2人計4人が、昆布で巻いたボラの刺身を食べ中毒死した。県衛生課で試験の結果ボラが腐っていたものと判明。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 9月23日 社会・文化 元代議士浅野順平南町の自宅で死去。71歳。明治23年石川県第3区から代議士に出て以来当選9回、憲政会の長老として県政界に重きをなしていた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 9月29日 社会・文化 四高の外人教師用住宅2戸(木造2階建、建坪各40坪)が上鷹匠町に年内に建築されることになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 10月1日 社会・文化 省線野々市駅が西金沢駅と改称された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 10月2日 社会・文化 県は県立金沢商業と盲、聾啞学校の新築敷地として天徳院裏手(崎浦村字上野新)の買収を地主と折衝中のところ交渉成立、近く買収手続きを終り着工する。商業学校敷地は9,232坪4万6,160円(地主横山章)盲、聾啞両校敷地は1,627坪9,619円(地主横山、上野、綿屋、佐々木)。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 10月10日 社会・文化 書家畠山擲山(観成)死去。77歳。明治初期盈進社に対抗する正義社を創設して政治運動に従い、その後県吏員から北陸では初めての書道の中等教員検定をとって、今春まで26年余各学校に奉職した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 10月13日 社会・文化 卯辰山登り口付近で動物園を経営している田口秀弘は、動物園拡張と付帯事業経営を目的として資本金3万円の株式会社金沢動物園を設立のため、株式募集を開始した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 10月25日 社会・文化 金石電鉄直営の遊園地濤々園が開場した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 10月31日 社会・文化 皇太子成婚記念金沢市設運動場の開場式が挙行された。広さ約1万坪、工費5万9,896円(うち土地買収費2万1,500円)。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 11月1日 社会・文化 国文学者武藤元信の遺稿「むかしのおもかげ」が刊行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 11月3日 社会・文化 和田文次郎(尚軒)著の「金沢叢語」が加越能史談会から刊行された。巌如春のさし絵入り。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 11月10日 社会・文化 市の貧困児童就学奨励費(本年度予算4,500円)を受けている児童数は現在100人で、甲乙丙の3種に分類して食費、衣服、学用品、日用品等を補給し、金額は最低2円最高8円となっている。一方、特別学級には56人(夜学)遊廓特別学級には61人を収容しており、就学率は著しく向上した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 11月26日 社会・文化 午前2時40分ごろ此花町の機業工場から出火、同工場1むねと工場内の長屋3戸を全焼し、住家5むねと長屋1戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 11月27日 社会・文化 加賀の歌舞伎名優嵐冠十郎宗叔町の自宅で死去。75歳。本名河合理之助、はじめ璃之助といった。地元福助座(座主太田七兵衛)の座付き役者として明治大正を通じ郷土人に親しまれた。当り芸は赤垣源蔵、仁木彈正、沼津平作、女形では板額、葛の葉など。大正12年4月引退した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 12月9日 社会・文化 金沢一中で同校生徒の組織大和倶楽部員と鎧袖倶楽部員との間に乱闘事件が起り重傷者数人を出した。(学校は17日首謀者5人を退学、10人を停学処分に付した) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 12月15日 社会・文化 (石川郡河内村字久保で大火、22戸全焼。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十四年(1925) 12月31日 社会・文化 本年中の市立桜木病院の入院患者総計は次の通り。入院患者数128人(うち全治者102人死亡者26人)、病名別入院患者数は腸チフス98人、パラチフス14人、赤痢11人、ジフテリア3人、ショウコウ熱1人、流行性脳炎1人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 1月4日 政治・経済 米谷銀行が七尾銀行、松任銀行を合併してできた新銀行名は加能合同銀行(資本金1,060万円)ときまった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 1月10日 政治・経済 金沢商業会議所は金沢運輸事務所に「金沢、森本両駅中間にある小坂信号所を駅にしてほしい」との陳情書を提出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 1月12日 政治・経済 金沢市金属工芸同業組合の創立総会が開かれた。組合は貴金属工芸部と美術工芸部から成っている。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 1月19日 政治・経済 金沢出身の桜井錠二が枢密顧問官に親任された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 2月6日 政治・経済 金沢電気軌道会社が申請中だった市内電車の金沢駅から小坂神社前に至る直通電車路線の新設は鉄道、内務両大臣から認可の指令があった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 2月9日 政治・経済 明治34年創立の石川銀行(資本金50万円)は福井銀行(資本金560万円)と合併することに決定した。支店はそのまま福井銀行支店となる。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 2月10日 政治・経済 犀川7用水関係者で組織する金沢市水道水源地反対期成同盟会は、関係村民約140人が出席して協議会を開き犀川水源地反対を決議した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 2月16日 政治・経済 水道水源地反対期成同盟会の委員40余人は宮脇県内務部長に犀川を水源とする水道反対を陳情した。宮脇は「県は犀川水源の水道を許可する方針」と答えた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 2月27日 政治・経済 市会は4月から市長俸給を現在の年額4,950円から6,500円に、また助役俸給を3,000円から3,500円に引上げることを可決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 3月6日 政治・経済 市会は旧城内歩兵第7連隊跡(7連隊は前年旧野村の35連隊跡に移転)を市に無償払下げされたいとの内務大臣あて意見書を全会一致可決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 3月6日 政治・経済 金沢市政の総合調査機関として金沢市是調査会の設置が市会で議決された。調査会に財源部、交通部、水道部を置き、委員23人は全部市会議員をあてた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 3月9日 政治・経済 歩兵第7連隊の旧城内復帰内定説が伝わり、利害関係のある地元野田寺町と大手町がそれぞれ復帰反対、賛成の猛運動をはじめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 3月16日 政治・経済 中島町、横山町、馬場崎町、本多町に市が建てた月賦売却住宅の申込みは66戸に対し217人に達した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 3月20日 政治・経済 金沢市漆器同業組合主催の金沢漆器展覧会が本日から1週間商品陳列所階上で開催された。出品総数800点。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 3月22日 政治・経済 県が3月1日現在で調査した普通選挙による衆議院議員選挙有権者数(25歳以上の男子、住居制限1年以上等)は県下で17万9,849人、うち金沢市は4万5,400人である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 3月29日 政治・経済 街鉄の市内電車賃均一制が市会で承認された。新料金は片道5銭、往復9銭、早朝割引は往復6銭。(昭和2年2月11日から実施された) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 3月30日 政治・経済 金沢市施療病院の敷地は野田寺町1丁目元横山章別邸跡(570坪)にきまった。市の買収価格は坪27円。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 4月7日 政治・経済 河北電気鉄道株式会社(代表小塚貞義)が大正12年に出願した金沢市下大樋町から本津幡駅前に至る7マイルの電車敷設は鉄道省から不許可の指令があった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 4月7日 政治・経済 金沢市における14年度の納税貯金組合は総数90組合に達した。加入人員は2,900人、納税額は47万4,868円余、市はこれに対し奨励金を交付した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 4月7日 政治・経済 政府が明治45年6月28日金沢電気軌道会社(街鉄)に対し免許した街鉄第2期線中の野町5丁目-有松間、白銀町-長田町間、山ノ上町3丁目-下大樋町間の3線は、規定の期限内に工事の認可申請をしなかったため免許は無効となったむね、鉄道省と内務省から公告された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 4月9日 政治・経済 市是調査会水道部委員会は水道水源問題について、犀川の水源のほか地下水も再調査することになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 4月11日 政治・経済 金石の陸軍金沢無線電信所が公衆電報の取扱いを開始した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 4月12日 政治・経済 加州銀行が鹿島銀行(本店七尾町、資本金30万円)を買収した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 4月12日 政治・経済 金沢市会の多数派自治会に対抗して、少数派の政友本党、実業同志会、政友会に所属する11議員が公同会を結成した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 4月21日 政治・経済 金沢電気軌道株式会社(街鉄)の経営が放漫に流れているとして、金沢市会は同会社の財政調査をすることを全会一致で決めた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 4月28日 政治・経済 金沢市の月賦売却住宅第2期分の泉野町14戸、北安江町8戸は近く完成するので申込みを受付けた。(申込者58人) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 4月30日 政治・経済 日本硬質陶器会社は経営不振のため、全職工400余人のうち102人を解雇した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 4月 政治・経済 金沢市が本年度から備えつけることになったゴミ運搬自動車は横浜フォード会社から購入、近く到着する。価格は付属品を合せ約2,200円。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 5月6日 政治・経済 金沢市の招きで4日以来水道計画を調査中の内務省河口協介技師は、市是調査会水道部委員会で「金沢の地勢上から地下水を水源にすることは不可能だ」と報告し、これで水源地問題は犀川案が決定的になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 5月8日 政治・経済 柿木畠横山男爵邸跡に新築中の知事官舎が完成、長知事は森町の官舎から引越した。新官舎は土地購入費と建築費計約7万8,000円。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 5月12日 政治・経済 相良歩市長の任期満了に伴う後任市長推薦市会が開かれ、相良が28対1で再選された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 5月12日 政治・経済 国粋会石川県本部の発表会が帝国座で挙行され、陸軍予備少将吉野文四郎が本部長、青山憲三が名誉会長に就任し、知事、市長、貴衆両院議員らを顧問に推薦した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 5月13日 政治・経済 市会少数派連合の公同会は市長選挙を契機に分裂した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 5月13日 政治・経済 北陸企業銀行が徳田銀行(鹿島郡)を買収合併した。新資本金330万円。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 5月15日 政治・経済 市は15年度救済民として215人を4月中に許可した。この救済金は3,747円で内訳は老衰82人、疾病68人、廃疾56人、白痴3人、啞者1人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 5月18日 政治・経済 浅野川電鉄の七ツ屋-金沢駅前間が開通、これで市内電車と連絡した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 5月25日 政治・経済 金沢米穀取引所新築工事入札が行なわれ2万3,560円で長惣右衛門が落札した。9月末完工の予定。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 5月27日 政治・経済 かねて金沢市編入運動をつづけている河北郡小坂村の卯辰、乙丸、浅野、談議所、神宮寺、山上、大衆免、浅野中島の8字代表が相良市長に会見し編入希望を伝えた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 5月28日 政治・経済 金沢魚商組合(組合長野村喜一郎)は県の食品市場規則制定を前に、卸売市場の金沢魚市場組合(組合長能沢栄太郎)に対し、市場の統一、せり売制度確立、問屋自己仕入禁止など魚市場対魚商組合の協定事項(大正12年協定)の履行を要求した。(両組合の対立は次第に激化の方向に向う形勢) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 6月11日 政治・経済 北国銀行(能美郡川北村)と能美産業銀行(根上村)は合併のためいったん解散して、新たに資本金138万円の北国銀行を新設することにきまった。現在の北国銀行鶴来支店を本店にして9月1日から開業する。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 6月13日 政治・経済 金沢市電気局の電灯器具陳列販売所が下堤町にできた。照明についての相談にも応ずる。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 6月13日 政治・経済 金沢郵便局は集配人優遇策として日曜祭日の郵便集配回数の減少を本日から実施した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 6月16日 政治・経済 市会議員と水道技師らの一行が市水道水源のため医王山、戸室山方面に横穴式水源を求めて踏査したが、金沢市の水道水源に必要な水量は得られないことがわかった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 6月24日 政治・経済 陸軍大臣から第9師団長に対し、旧野村の歩兵第7連隊を大手町の旧営舎に復帰させる命令がきた。大手町、中町、尾張町の有志は早くも歓迎準備の相談会を開いた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 6月24日 政治・経済 市会の決議により市が実施していた街鉄会社の財政調査が終り、市会で報告した。市は街鉄から提出の書類によって調査し、使途不明の借入金や疑点10数ヵ所についてはさらに立証書類の再提出を求めた。(しかし会社経営に不当の点があったとしても、市には追及する権能はないから不徹底のそしりは免れぬとの批判が出ている) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 6月26日 政治・経済 金沢市が購入した2台目の自動車ポンプが到着、玉川署に常設となった。(価格5,830円、放射水程150フィート)なおこれに伴い市の消防組織が一部改正された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 6月30日 政治・経済 歩兵第7連隊が野村兵営から1年と50日ぶりで大手町の旧営舎に復帰した。営門付近には地元民約300人が出迎えた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 6月30日 政治・経済 本日限り郡役所が廃止された(明治11年12月創設以来49年になる)。石川県では珠洲支庁が飯田町に設置された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 7月1日 政治・経済 金沢市内で14ヵ所の青年訓練所が一斉に開所された。入所者は全市で2,480人。青訓終了者は在営年限短縮(歩兵で在営期限1年6ヵ月)の特典が付与される。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 7月1日 政治・経済 30日の金沢電気軌道会社総会で取締役に選出された中島徳太郎が就任拒絶を横山社長に通告した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 7月4日 政治・経済 政友会と政友本党の合同による新しい政友会石川県支部の発会式が、田中義一総裁、中橋徳五郎顧問らを迎えて市公会堂で開かれ、尾山座、帝国座で演説会が催された。県会の分野は両党の合同で政友派17人、憲政派13人となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 7月23日 政治・経済 市の委託により金沢商工協会が東京日本橋区南伝馬町第一相互ビルに設けた金沢物産販売所は本日開所した。出品は2,319点。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 8月2日 政治・経済 歩兵第7連隊の大手町復帰で打撃を受けた十一屋町、野田寺町1丁目、2丁目の商店などの代表30人が、連隊移転に伴う商工業の不振を理由として相良市長に減税を陳情し、町民150余人調印の減税嘆願書を提出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 8月12日 政治・経済 金沢市若松療養所(結核)が完成、開所式をあげた。所長寺本義一、敷地8,153坪、建物608坪、総工費12万4,839円、収容患者定員は当分30人(60人に拡張予定)。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 8月15日 政治・経済 市営談議所火葬場の改築が完成して開所、長田町火葬場は廃止になった。談議所火葬場は使用燃料が薪炭から重油にかわった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 8月29日 政治・経済 市会は助役選任問題から坂野議長の不信任案を可決した。問題の助役には吉川一太郎を選任、収入役は河崎宇吉郎を再任した。(前助役松本弥次郎は任期満了で退任、昭和2年1月20日市会は慰労金5,000円を贈った) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 9月9日 政治・経済 県は金沢市会の議長不信任議決は違法であるとして取消しを通達した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 9月11日 政治・経済 市会は鉄道局設置に関する意見書上申を満場一致で可決した。(18日内務大臣に上申) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 9月22日 政治・経済 鉄道局設置期成金沢市民大会(期成同盟会主催)が帝国座で開かれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 9月29日 政治・経済 知事長延連が休職になり、後任に岐阜県知事白根竹介が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 9月 政治・経済 金沢市が都市計画委員会の依頼により、8月現在で調査した市内の工場数(職工5人以上)は総計274である。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 10月1日 政治・経済 金沢市に本日から市街地建築物法細則が実施された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 10月18日 政治・経済 金沢魚商組合と金沢魚市場組合の争議はその後ますます激化し、魚商は市場をボイコットして漁業家から共同購買することを宣言、また市場側は市場を市民にも開放し、一方対抗策として魚商組合員でない魚商人を募集することにした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 11月1日 政治・経済 金沢市第1回農産物品評会が市公会堂で開催された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 11月5日 政治・経済 普選法による金沢市内の市、県会議員選挙有権者数は2万5,324人(9月15日現在)と決定した。旧法の有権者より約1万人の増加。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 11月26日 政治・経済 (天皇御不例が発表された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 12月10日 政治・経済 7月23日開設した東京の金沢物産販売所の11月30日までの売上高は4,189円13銭に達した。商品別売上げは第1位が桐火ばち、以下陶磁器、金属器、染物、絹織物、漆器の順。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 12月15日 政治・経済 数ヶ月にわたった金沢の魚市場組合と魚商組合の争議は、市場問屋側が魚商組合の提案を承認してようやく解決した。内容は「魚市場の一般公開をやめ市場問屋は元通り魚商組合員のみと取引する、歩戻は従来の5分に5厘増額し魚商組合で積み立てる」など。妥結と同時に魚商組合経営にかかる金沢鮮魚問屋会社が創立、従来問屋と並んで開業した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 12月16日 政治・経済 (天皇御容態急変が発表された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 12月21日 政治・経済 市会協議会は石川郡崎浦村の金沢市編入を決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 12月25日 政治・経済 (午後1時25分天皇崩御。御年48歳。昭和と改元された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 12月25日 政治・経済 市会は奉悼文を議決し天皇、皇后、皇太子に打電した。金沢市は市広報号外をもって6日間の廃朝と弔旗掲揚についての告諭を告示した。また県は警保局長の通牒にもとづき、県民に廃朝中5日間歌舞音曲の停止を命じた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 1月15日 社会・文化 午前6時ごろ出羽町5番丁の養鶏商から出火、1戸を全焼、鶏200羽を焼いた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 1月19日 社会・文化 軍事教育実施後はじめての四高、薬専両校生徒と歩兵第7連隊による軍隊学生連合演習が、豪雨の石川郡平野で挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 1月22日 社会・文化 金沢市でも営業用乗用自動車の料金算出に、大都市のようなタクシーメーターを使う自動車が現れた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 1月28日 社会・文化 大谷家限定相続に反対の金沢宗門擁護会に招かれた大谷光演(句仏)が来沢し、午後市公会堂の門末大会に臨み2,500人以上の聴衆に衷情を訴えた。東別院の奥田教務所長ら30余人は光演に講演取りやめの嘆願書を渡したが拒否された。(限定相続問題とは大谷派本願寺が200万円の借財をつくった光演法主を引退させ、その子光暢に限定相続させようとして反対派と争っている事件) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 2月1日 社会・文化 大谷光演を金沢に迎えて限定相続反対の気勢をあげた宗門擁護の青年僧団体二十一日会の主唱者四辻尤敬(恵光寺住職)と和田貢(超願寺住職)に対し、本山から僧籍ち奪処分の通知があった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 2月6日 社会・文化 東本願寺は限定相続問題で句仏前法主派の重鎮石川舜台を僧籍ち奪処分に付した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 2月17日 社会・文化 県山林会は県下の名木に対し補助金を交付することになったので、市では市内52本の名木を調査のうえ申請することにきめた。いずれも旧藩時代から由緒あるものばかり。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 2月18日 社会・文化 市は全市教員の身上調査を各学校長に命じた。調査項目は19項目。これにつき新聞は「一部教員間には、これは教員の人格を侮辱するものと非難の声がある」と報じた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 2月21日 社会・文化 金沢弁護士界の長老相川久太郎死去。63歳。明治23年第1回衆議院議員選挙に27歳で当選したが年齢不足で失格、その後再び当選して活躍した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 2月26日 社会・文化 前田家が50万円を出資して財団法人前田育徳会を設立した。所蔵の古文書、古器物、絵画等を複製頒布して先人の遺風を顕彰するのが目的。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 2月28日 社会・文化 金沢合掌会が中心になって「丙午の迷信打破同盟」が設立され、横安江町真宗会館で第1回の講演会を開いた。市の調査によると丙午の娘(本年21歳)は市内に1,392人いる。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 3月10日 社会・文化 県保安課はかねて業者から出願中の金沢市内片道1円の円タク営業を許可した。待ち時間は5分ごとに10銭、1時間を1円とする。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 3月14日 社会・文化 加越能史談会は県に対し兼六園保勝の建議をするため13、14両日会員および一般有志に園内踏査をしてもらい、約30人から保勝改造に関する意見をきいた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 3月16日 社会・文化 金沢市郊外別所に産する孟宗竹から製紙用パルプを製造する研究が、金沢高工応用化学科上田教授によって成功した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 3月25日 社会・文化 金沢市に総合大学設置の建議案が県選出代議士らから衆議院に提出、可決された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 3月26日 社会・文化 前田家編纂方戸水信義死去。89歳。戸水寛人博士の父。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 3月27日 社会・文化 (能美郡安宅町に天然痘患者3人発生。) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 4月1日 社会・文化 円タクに対抗するため市内19の自動車業者は本日から値下げをした。(片道10町以内2円50銭、50町以内3円、50町以上5円を15町まで1円50銭、30町まで2円、30町以上2円50銭に引下げ) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 4月1日 社会・文化 野町、此花町両小学校に高等科が併置され、これにともない小学校児童の通学区域が全市にわたり変更された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 4月1日 社会・文化 金沢市は本年度から市内小学校の学校医2人を1人に減らし、代りに各学校に嘱託医を配属することに改めた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 4月2日 社会・文化 かねて狭さが問題になっていた馬場小学校運動場は、校下からも1,500円の寄付を得て隣接地319.4坪を購入拡張することになった。買収費1万2,764円、地ならし費1,607円。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 4月9日 社会・文化 浅野川電気鉄道株式会社は河北潟で貸ボートと遊船を経営するため、県へ50年間水上使用の認可を申請した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 4月15日 社会・文化 石浦町英薬局写真部の主唱で北日本写光会が結成された。加入申込みの写真愛好家は約150人。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 4月15日 社会・文化 タクシー料金の値下げ以来金沢市内の自動車利用客がふえ、平均1台1日10回(約15円)の客があり、1日1台10円余の増収になっている。近く市内の車数も現在の42台から60台余にふえるだろうと県保安課の話を新聞が報じている。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 4月15日 社会・文化 本年度徴兵検査を前に師団当局は受検者の服装について華美にわたり、また礼儀を失することのないよう警告した。昨年の県下受検者の服装は羽織ハカマ160人、羽織のみ210人、ハカマのみ600人、着流し3,500人、軍服50人、洋服600人、ゆかたがけ100人だったという。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 4月17日 社会・文化 前田漾子夫人の3年祭が東京本郷の前田邸と日暮里の墓所でおこなわれ、加越能出身の旧藩士ら約300人も参拝した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 4月25日 社会・文化 町の発明家大野弁吉(明治3年70歳で死去)の追弔法会が大野町伝泉寺で営まれた。小池兵治の講演「弁吉と写真」のほか、町内諸家秘蔵の弁吉の作品約40点も陳列された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 5月1日 社会・文化 四高文科3年生2人が社会科学研究から実践運動に踏み出したとの理由で、さる29日退学を命ぜられた。これに対し在校生はもちろん、在京の卒業生も会合して学校に減罰を嘆願、卒業生代表も来沢して復校を交渉した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 5月5日 社会・文化 県は県立学校の運動選手の資格について、学業成績が全級生徒の10分の7以内のものという制限を設けた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 5月11日 社会・文化 大正12年4月開設された金沢医科大学は、校舎が完成したので開学式を盛大に挙行した。文相代理はじめ来賓1,000余人が参列した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 5月13日 社会・文化 金沢医大は開学記念に12,13両日、校内と付属病院を市民に開放したが、観覧者は両日で5万人に達した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 5月22日 社会・文化 北陸絵画協会創立30年記念展が本日から5日間商品陳列所で開かれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 5月25日 社会・文化 市内でラジオ聴取機をすえつけ当局の許可を得て名古屋、大阪の放送局から放送を聴取しているものは現在88人に達した。金沢郵便局は無許可聴取者の取締りを考究中。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 5月 社会・文化 「石川県における天然記念物調査報告・第二輯」が県から刊行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 6月9日 社会・文化 前田家から河北郡中条村潟端新の県社加賀神社に下記が奉納された。四書大全1部(万治版松雲公収集書)黒塗剣梅鉢蒔絵鞍1具。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 6月13日 社会・文化 尾山旧誼会と乃木会の主催で前田家累代真筆展覧会が、13日から3日間公園内兼六会館で催された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 6月15日 社会・文化 加越能史談会主催の金沢古代風俗博覧会が、市祭の13日から3日間広坂通元市会議事堂で開かれた。出品約450点、3日間の有料入場者1万2,188人という人気だった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 6月21日 社会・文化 今春兼六園保勝のため実地踏査した加越能史談会は、調査結果をまとめた保勝意見を知事に提出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 6月21日 社会・文化 金沢市学務委員会は高等小学校令の改正に伴う高等小学校の新施設を決定した。内容は諸江校には農業科、小将町校には工業と普通科を設け商業科も付設する、菊川町と此花町校には男子商業科、高岡町、味噌蔵町、森山町校の女児には女子商業科を設ける。実施は女子は9月、男子は明年度の予定。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 6月23日 社会・文化 石川県山林会総会に出席のため来沢した林学博士田村剛は、兼六園視察の感想として「くれぐれも近代の遊園的公園にしないように」と注意を述べた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 7月12日 社会・文化 実業家藤田子儀死去。60歳。宗叔町に居住、大阪商船から北陸企業銀行専務となり中村歌右衛門の財政顧問をしていた。蔵書家としても著名。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 7月15日 社会・文化 金沢箔同業組合では工部の金箔工料値上げ要求を商部がいれなかったので、工部の1,500人が同盟罷業にはいった。(21日解決) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 7月18日 社会・文化 金沢市在住の鮮人が精神的経済的向上をはかる目的で共栄会を結成した。(事務所は弓ノ町6) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 7月26日 社会・文化 仏教各派連合の金沢市仏教会の創立総会が兼六会館で開かれた。(市内の寺院総数は244) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 7月 社会・文化 市が本年度の新事業として準備中の児童歯科治療所が味噌蔵町、長町両小学校に開設された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 8月6日 社会・文化 豪雨で犀川8尺余増水、千日町一帯が床下浸水した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 8月9日 社会・文化 弁護士西永公平死去。63歳。金沢弁護士会長、県会議長、市会議員をつとめたほか米穀取引所理事、農工、加州、明治各銀行その他数会社の役員、相談役等についていた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 8月14日 社会・文化 高岡町金城織物会社(従業員約150人)の女工寄宿舎で8日からパラチフスが集団発生、本日までに患者119人に達し、工場は9日から閉鎖した。病源は寄宿舎の賄夫とわかった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 8月15日 社会・文化 北陸線に初めて食堂車が運行された。(神戸青森間急行列車) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 8月17日 社会・文化 兼六園内の金沢神社は氏子を持たず少数の崇敬者により維持されてきたが、社殿等の腐朽がはなはだしいので相良市長と崇敬者代表が長知事を訪問、その修繕と維持につき陳情した。知事は調査して善処したいと答えた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 8月23日 社会・文化 午後2時20分ごろ兼六園内金城霊沢の裏手にある建築材料庫(12坪)から出火、1むね全焼した。場所がら大騒ぎだった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 9月1日 社会・文化 市立主馬町託児所が開所した。収容児は従来の方針を改め満4歳までとした。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 9月23日 社会・文化 国本社石川支部発会式が平沼会長、前田侯らを迎えて市公会堂でおこなわれた。石川支部長に茂見検事正が就任。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 9月 社会・文化 県は兼六園内を借用しているものに借地料の値上げを通告した。現在の借地料は大正7年の決定で、坪50銭から25銭まで4階級にわかれている。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 10月1日 社会・文化 金石電鉄が街鉄市内電車と金石電車駅間を連絡するため白銀町、中橋間に乗合自動車の運転をはじめた。運賃は片道3銭。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 10月7日 社会・文化 営業不振に陥っている金沢駅構内の人力車夫50余人が、共同出資で出願中の駅構内自動車営業が名古屋鉄道局から許可された。使用タクシーは2台。(11月1日開業した) 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 10月17日 社会・文化 下百々女木町に新築した免囚保護収容施設石川県更新会の落成式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 11月2日 社会・文化 明治時代の市政界の雄高田九八郎死去。68歳。小学校教員から明治24年県議、25年市議に当選、45年まで毎期市参事会員をつとめその間2回県会議長にもなり、加能派全盛時代その首領として活躍した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 11月5日 社会・文化 市会議員井野口貞次郎死去。53歳。憲政会所属、市都市計画委員、森下町で薬種業を経営。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 12月1日 社会・文化 11月末現在における金沢市在住の外国人数は欧米33人(男10人女23人)支那人約20人である。欧米人の国別はドイツ16、アメリカ9、英カナダ6、ラトビア、オーストリア各1。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 12月10日 社会・文化 午前11時20分ごろ横山町1番丁の民家から出火、1むねを全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 12月11日 社会・文化 石川県医師会長飯森益太郎死去。61歳。飯森病院長、明治45年以来県医師会長をつとめ大日本医師会や県知事から衛生功労者として表彰された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 12月17日 社会・文化 午前10時尾山神社で白根知事はじめ約300人参列して、官民合同の聖上平癒祈願式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 12月17日 社会・文化 旧加賀藩臣で幕末から維新当時、国事に活躍した安井顕比の「青軒遺稿」が岡田良顕の手により刊行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 12月19日 社会・文化 金沢市内の劇場、活動写真館、寄席等は天皇御容態悪化の15、6日以来観客が激減、閉館同様の状況である。料理屋も忘年会や宴会がほとんどないという。第3日曜の本日も市内盛り場は人出が少なく火の消えたようだった。 金沢の百年 大正・昭和編
    大正十五年・昭和元年(1926) 12月26日 社会・文化 金沢商業会議所で市内商店の年末年始売出しについて打合せ会が開かれ、「大喪中でも静粛な売出しは差しつかえない。初売りは例年のようなお祭り的装飾や催しを避け、また高い掛け声を出して荷を運ぶことは避ける」ことなどを申合せた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 1月18日 政治・経済 石川県無産団体協議会は普選を前に組織懇談会を開き、無産政党組織準備会を結成し、事務所を十三間町に置くことにした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 1月20日 政治・経済 街鉄市内電車の乗車賃均一制が鉄道省から認可された。(2月11日実施) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 1月26日 政治・経済 日本銀行金沢支店長古川銀次郎は本店計算局長へ転じ、後任支店長に福島支店長阿部四郎が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 1月27日 政治・経済 市は水道敷設事業計画案の総予算を476万円、昭和2年度から5ヵ年継続事業と決定、市会に提出した。水源地は犀川村寺津用水取入れ口、第1期計画の給水人口は14万人である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 1月29日 政治・経済 安江町の共栄貯蓄銀行金沢支店が本店(東京)の営業停止により、早朝から取付けにあった。金沢市内預金者の預金額は約33万円、預金者数は県下全部で2,450人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 2月11日 政治・経済 街鉄市内電車の乗車賃均一制が本日から実施された。新料金は片道5銭、往復9銭、早朝割引は往復6銭。(しかし電車は大雪で運転不能) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 2月19日 政治・経済 水道急設反対期成同盟会主催の市民大会が西町公会堂で開かれ、大会終了後代表重山徳好ら5人が、相良市長宅を訪問し大会の決議文を手交した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 2月28日 政治・経済 市水道敷設案(初年度事業費67万円)は市会本会議で賛成18票反対14票(政友会)で可決され、調査開始以来8年目に水道敷設が本ぎまりになった。この日、雪の広坂通街上は反対の農民が集り、また街頭演説をするものもあらわれるなど緊迫した空気がただよった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 3月20日 政治・経済 大正12年納税奨励の目的で設置された市の納税組合は現在105組合に達した。納税組合に納入される市税は全市税額の約6割。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 3月30日 政治・経済 市参事会は市公金取扱銀行の指定更新をおこない、一般公金は従来通り加州銀行(金沢市第一金庫)としたが、新設の水道会計取扱いは能登産業銀行(金沢市第二金庫)を指定した。担保は加州銀行22万円、能登産業銀行6万円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 4月1日 政治・経済 水道事業の発足に伴い、金沢市水道事務所が設置された。工務部と事務部から成り、所長は吉川助役の兼任、工務部長には市水道技師石井一夫が就任した。(事務部長は遅れて樺太庁属高山勇蔵が任命された) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 4月20日 政治・経済 田中義一内閣成立。金沢出身の中橋徳五郎が商工大臣として入閣した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 4月23日 政治・経済 (全国的に金融恐慌に、政府は緊急勅令で支払い猶予令を出した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 5月18日 政治・経済 田中内閣の鈴木喜三郎内相によって17日地方官大異動がおこなわれ、知事白根竹介は富山県知事に転じ、福岡県知事大塚惟精が石川県知事に任命された。しかし大塚は党略人事を憤慨して即日辞表を提出、そのため政府は、翌18日休職中の元岡山県知事横山助成を石川県知事に復活、発令した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 6月1日 政治・経済 都市計画石川地方委員会が31、1両日開かれ、横山知事が彦三大火焼失区域の街路計画とその地域案について諮問した。委員会は街路計画については「12間道路から小橋に出る長さ53間の4間道路は幅員を8間にする」との希望条件を付して可決、また地域案については「彦三の一部を商業地域に、旧弓取方面を工業地帯にして彦三の旧工場を移転させるよう」修正可決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 6月12日 政治・経済 金沢政友倶楽部(政友会金沢支部)の発会式が、卯辰山公園で1,300余人出席して挙行され、乾亮が倶楽部長に就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 7月2日 政治・経済 小坂神社前から卯辰山公園に至る新道(汐見坂)の開通式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 7月3日 政治・経済 立憲民政党石川県支部の発会式が党員約1,000人出席して帝国座で挙行された。支部長関戸寅松。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 7月3日 政治・経済 立憲青年党所属の市会議員沢野外茂次、松井啓、小坂政吉の3人は離党して民政党に入党した。市会の青年党は市川潔ら3人となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 7月23日 政治・経済 第9師団長伊丹松雄中将は待命となり後任に歩兵学校長永井来中将(山口県人)が補せられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 7月29日 政治・経済 市は材木町3丁目から味噌蔵町に至る道路に新設の橋を梅ヶ枝橋と命名した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 8月7日 政治・経済 民政党金沢倶楽部の発会式が野町泉野神社境内で党員約1,000人出席して挙行された。倶楽部長は坂野権次郎。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 8月11日 政治・経済 市参事会は市第ニ金庫(水道会計取扱い)の能登産業銀行との市金庫契約を解除し、代りに加能合同銀行を指定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 8月12日 政治・経済 金沢市電気局の吉野第二発電所建設(3ヵ年継続事業、工費50万円)は逓信省から工事認可がきたので、近く着工することに決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 9月3日 政治・経済 労働農民党石川県支部の結党式が旧市会議事堂でおこなわれた。執行委員長末友正喜、執行委員北川重吉ら5人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 9月9日 政治・経済 鉄道省は昭和3年度以降3ヵ年継続事業で金沢駅の改築拡張(予算137万5,000円)をおこない、同時に金沢鉄道工場を他に移転拡張(予算182万5,000円、7年度完成)することに決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 9月25日 政治・経済 普選初の府県会議員選挙が24日を中心に全国で執行された。石川県は24日投票、25日開票。金沢市は有権者25,414人、定員6人に立候補12人。県下初めての無産党候補今村清(労働農民)は最下位(274票)で敗れた。金沢市当選者 武谷甚太郎(民政新)神保重吉(政友新)乾亮(政友前)沢野外茂次(民政新)村上初三郎(民政元)餝谷与右衛門(政友元) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 9月26日 政治・経済 北支那駐とん軍の交代部隊として、第9師団から歩兵3個中隊の天津派遣が下命された。(富山、鯖江、敦賀各連隊から各1個中隊が9月中に出発した) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 10月5日 政治・経済 金沢都市計画事業道路新設拡築受益者負担に関する内務省令が、官報で公布された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 10月21日 政治・経済 彦三焼跡都市計画事業の予算79万円が市会で可決された。道路のため市が買収する土地は約7,000坪である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 11月6日 政治・経済 金沢市の電話が午前0時を期しハンドル式から一斉に共電式に切り替えられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 11月7日 政治・経済 知事横山助成が広島県知事に転じ、後任に茨城県知事中山佐之助が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 11月8日 政治・経済 市はこんど電気局市債の借替えをした。この借替えによる利ザヤは5厘で年額4万5,000円、昭和25年度までには総額100万円が浮く勘定。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 11月21日 政治・経済 明春着工の金沢鉄道工場の移転に伴い、金沢市の市内引留め運動と松任町の誘致運動がせり合っていたが、鉄道省では松任町に移転を決定した。金沢市では6日の市協議会の決定により市会代表が上京し、最後の引留め運動をしたところであった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 12月24日 政治・経済 (9月執行の石川郡の県会議員=定数4人=選挙に行政裁判所で無効の判決が下された。この行政訴訟は投票時間の訂正をめぐり、選挙無効を主張する郡内の有権者から県参事会を相手取り提起されていたもの。再選挙は3年3月11日執行。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 12月27日 政治・経済 白鳥堀の遊歩道路化実現の第一段階として、陸軍側が白鳥堀一帯の土地の管理権を内務省に移すことを承諾するむね第9師団経理部から市へ通報があった。市は今後、直接内務省と交渉し計画実現に努力する。市はかねて白鳥堀の無償払下げを陸軍、大蔵両省と交渉中だったが、大蔵省は無償に反対していたのに対し、陸軍側は好意的に対処して了解を与えていたもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 12月27日 政治・経済 市の水道敷設事業は2月に市会で成立以来、水源問題で犀川、浅野川両用水側との交渉が難航していたが、ようやく用水側との妥協が成立したので、中山知事は本日、認可申請書を市側の一件書類とともに内務省に申達した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 1月 社会・文化 前年末における金沢市内の交通用車両の数(電車を除く)は乗用自動車53、貨物自動車41、オートバイ86、人力車283、自転車7,708である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 2月7日 社会・文化 大正天皇の大喪。金沢市では午後10時40分から、降る雪の中を兼六園長谷川邸跡の特設遥拝場で、市長以下市関係者と一般市民が遥拝式をおこなった。翌8日も午前6時から午後4時まで同所で市民多数の遥拝を受付けた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 2月7日 社会・文化 昨年11月から改築中の並木町尾山座が大雪のため倒壊、大工人夫等3人が死亡、6人が重軽傷を負った。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 2月10日 社会・文化 大雪のため市内各所で家屋倒壊続出、全市小学校は臨時休校、また市内電車、北陸線列車とも数日前から不通。米(上等41銭)野菜(大根一本10銭、ネギ1束4銭5厘)はじめ市中物価も値上りしている。金沢電気軌道会社の寺津発電所も本日倒壊、死傷3人を出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 2月11日 社会・文化 市は市内の除雪作業に全市消防夫を出動させた。また軍隊も出動、全市一斉の除雪作業がおこなわれた。11日現在で金沢今冬の総降雪量は1丈9尺1寸に達し、大正7年、明治26年の両大雪記録を破り、金沢測候所開設以来の積雪量となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 2月12日 社会・文化 市は降雪注意書3万5,000枚を全市各戸に配付した。市はこの中で当分の間、毎日午後3時から翌日午前10時まで(平常は午後5時から午前7時まで)電灯用電力の送電をすると発表した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 2月25日 社会・文化 大雪で不通の北陸線が市振、直江津間の開通を最後に16日ぶりで全通した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 2月26日 社会・文化 犀川沿岸の農民約700人が県庁と市役所に押しかけ白根知事、相良市長に金沢市水道の犀川から引水反対を陳情した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 3月7日 社会・文化 金沢出身の北条時敬は蔵書1万冊を日本青年館、広島高師、石川県立図書館、四高図書館等に分割寄贈した。うち県内の両図書館へは2,000冊。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 3月7日 社会・文化 奥丹後地方に大震災(死者2,702人)。金沢地方では午後6時30分ごろ水平動が15分間続き、余震が3回あった。近来珍しい強震に市民は屋外に避難したが市内外に被害はなかった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 3月13日 社会・文化 石川県の編さんになる石川県史の第1編が刊行された。(日置謙の執筆で昭和8年3月30日刊行の第5編をもって完結した) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 3月25日 社会・文化 元市会議長林直死去。68歳。加能汽船会社を設立したほか、県市会議員として活躍した。市会には明治34年初当選し、40年から大正10年まで3期間議長を勤めた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 3月 社会・文化 金沢医科大学から第1回卒業生(医学士)17人が出た。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 4月6日 社会・文化 春いわし豊漁、金沢市内の小売値は12匹10銭。  金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 4月7日 社会・文化 県は県下の老樹名木保護施設費(本年度分)として、金沢市上中島の黒松と福留町の黄孫樹に10円ずつ交付することにした。(県下全部で9ヵ所) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 4月14日 社会・文化 市は犀川と浅野川に初めて稚アユを放流した。琵琶湖から大聖寺まで汽車、大聖寺からトラックで金沢へ運び、犀川は大桑橋と上菊橋の2ヵ所で2万匹、浅野川は鈴見橋上流で5,000匹放流した。総経費は県費補助を含めて700円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 4月21日 社会・文化 午前3時半ごろ横安江町の雑貨商から出火、秒速15メートルの強風にたちまち燃えひろがり全焼733戸、焼失面積5万8,000坪、損害332万円という宝暦以来の大火となった。鎮火6時40分。町別の焼失戸数は、彦三1番丁109戸、同2番丁71戸、同3番丁23戸、同4番丁34戸、同5番丁174戸、同6番丁97戸、同7番丁76戸、同8番丁35戸、岩根町9戸、横安江町83戸、裏安江町9戸、東馬場13戸。おもな焼失建物は金沢商業学校、金城機業、赤座織物、小林撚糸、渡辺紙器印刷、中村漁網製造、上野製箔、谷口製材の各会社または工場、金城、上田両病院、旧野口邸等。(彦三大火) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 4月22日 社会・文化 相良市長は知事と協議のうえ、彦三大火の焼失地区の区画整理断行を決定、直ちに係員を上京させた。道路網は武蔵ヶ辻から浅野川に至る12間道路の新設と従来の各通りの拡張が中心となるものである。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 4月22日 社会・文化 彦三の大火に皇室から救じゅつ金2,000円を下賜された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 5月8日 社会・文化 横山家では大手町の横山鉱業部事務所を福井市松宮孫右衛門に売却したので、事務所構内の横山隆平と横山隆興の両銅像を、菩提寺の八坂松山寺境内に移転した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 5月9日 社会・文化 (石川郡吉野谷村字市原に大火、全焼28むね、土蔵半焼15むね。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 5月19日 社会・文化 市の施寮病院「金沢市民病院」の第1期工事が野田寺町1丁目旧横山別邸跡で着工された。敷地568坪、建坪291坪、収容人員60人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 5月27日 社会・文化 加能合同銀行頭取米谷半平死去。77歳。安宅町出身、明治32年貴族院多額納税議員に当選。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 5月31日 社会・文化 午前9時50分ごろ金沢医科大学細菌学教室付属動物室から出火、同室(40坪)を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 5月31日 社会・文化 改築中の並木町尾山倶楽部(旧尾山座)が落成、開場式がおこなわれた。(1日から実川延若一座により披露興行) 0
    昭和二年(1927) 6月2日 社会・文化 午前2時40分ごろ博労町から出火、4戸を全焼、7戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 6月13日 社会・文化 午前3時40分ごろ穴水町1番丁から出火、3戸(2むね)を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 6月16日 社会・文化 女子師範付属小学校と幼稚園に5月下旬からショウコウ熱に似た熱病が流行、6月10日から1週間休校までしたが、金沢医大小児科泉仙助博士は熱病の病源と見られる新病菌を発見、目下培養中である。「2週間後には判明するであろうがおそらく学界の新発見となろう」と新聞は報じている。(泉熱の発見) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 7月1日 社会・文化 下新町福助座の改築工事が完成、大阪青年歌舞伎で舞台開きをした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 7月8日 社会・文化 松任と金石が誘致運動をしていた石川県初めての水泳プール(50メートル)は松任町に設置と決定した。県体育協会から松任町への建設補助は本年度2,000円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 7月17日 社会・文化 県警察部長本間太郎茨木町官舎で死去。41歳。亡父六郎の四高教授時代、金沢市塩川町に生れた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 7月 社会・文化 東京、大阪等ではやっている家政婦会が金沢でもはじめて、当局の認可を得て開業した(下柿木畠)。日給は最低60銭最高2円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 8月1日 社会・文化 豪雨のため鞍月、辰巳両用水はじめ各所の下水こうがはんらんして市内で280余戸の床上、床下浸水家屋を出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 8月12日 社会・文化 金沢市内16の各種婦人団体が集って金沢婦人連合会が結成された。「夫人の知徳を進め文化生活の促進、社会の改善進歩を期する」のが目的。常務理事は瀬尾えい子、駒井依子、赤倉外世喜、江戸さい子、中村直子、岸薫子。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 9月10日 社会・文化 野町1丁目29番地の家屋横の空地に、機械をすえつけ自動車に揮発油を補給する営業(ガソリンスタンドのこと)を県へ出願したものがいるが、これに対し付近住民十数人が知事に、この営業を許可しないよう陳情書を提出した。理由は、この施設ができると付近に自動車が多数停留するので、付近住民が迷惑するというもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 10月8日 社会・文化 横安江町の新天地に寄席稲穂座が開場した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 10月10日 社会・文化 小立野上弓ノ町に新築した県立盲聾啞学校の落成式が挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 10月10日 社会・文化 大衆免中通に市立浅野川託児所が開設された。収容定員50人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 10月12日 社会・文化 広坂警察署長村井利吉が部下巡査から選挙違反(署員に対する特定候補への投票勧誘)で告発された事件のため休職となり、同時に起訴、収監された。(3年8月10日名古屋控訴院で懲役3月、1年間執行猶予の判決があった) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 10月14日 社会・文化 午後4時40分ごろ千日町の花火製造工場が爆発、工場主が死亡した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 10月23日 社会・文化 労働農民党石川県支部主催の広坂署事件糾弾市民大会が市公会堂で開かれ、知事と警察部長の免職要求を決議、内相に発送した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 10月25日 社会・文化 民政党石川県支部主催の広坂署事件に関する知事糾弾県民大会が帝国座で開催され、知事の処決を促す決議をした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 10月26日 社会・文化 卯辰山山ろくに動物園を経営する元市会議員田口秀弘が、相良市長に「動物園は毎年約1,000円の赤字で個人経営が困難なので、動物を寄贈するから市の経営に移してほしい」との請願書を出した。同動物園は大正11年7月松任町某から田口が買収し、以来市からも奨励金を受けて経営してきたもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 10月27日 社会・文化 西町山碕病院長山碕幹死去。66歳。愛知県生まれ、明治29年来沢して四高教授となり、のち金沢病院長を多年勤めて大正6年退官、開業した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 11月8日 社会・文化 金沢市は市内各戸のゴミ集め回数を、特殊の場所を除いて全市均等に3日に1回ずつとすることに改めた。従来は全市各町を5等級にわけ、毎日回るところから、1週に1回しか集めないところまでに区分していた。市所有のゴミ集め車は現在自動車2台、荷車50台。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 11月9日 社会・文化 人気絶頂のテナー、藤原義江の独唱会が市公会堂で満員の聴衆を集めて開かれた。入場料は1円(学生80銭)。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 11月10日 社会・文化 金沢東別院本堂が落成、大谷光暢法主を迎えて本日から3日間、盛大な遷仏式がおこなわれた。落成の本堂は大正5年起工したが一時工事が中絶していたもので、25間四面、600畳敷の広さ。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二年(1927) 12月26日 社会・文化 明春4月開校する金沢市立工業学校の設立認可指令が文部省から出た。仮校舎は新竪町小学校の不要校舎(49坪)を小将町小学校庭に移転して使用する。学科は土木建築科と機械電気科とし、5年後の生徒定員は全学年10学級400人と専修科2学級60人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 1月1日 政治・経済 商工会議所法の施行に伴い、金沢商業会議所は金沢商工会議所と改称した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 1月5日 政治・経済 市内長土塀から専売局前を経て西町と大手町を通り、卯辰山ろくの天神橋に至るいわゆる市の縦貫道路のうち、玄蕃町2番丁16番地から13番地にわたる間の幅員拡張工事が完成し、本日開通した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 2月22日 政治・経済 普通初の衆議院議員総選挙が20日おこなわれた。金沢市の有権者数27,398人、棄権22%。〔第一区〕当選22,809票 中橋徳五郎(政友元)同21,163票 永井柳太郎(民政前) 同8,002票 箸本太吉(政友新) 次点6,595票 中谷宇平(民政元)同 竹田儀一(民政新)同 寺田正男(実同新) [第2区]当選15,749票 桜井兵五郎(民政元)同14,665票 佐藤実(民政前)同14,143票 青山憲三(政友前)次点8,845票 米原於菟男(政友前)同 益谷秀次(政友元) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 2月29日 政治・経済 金沢市は財源難のため、昭和3年度から家屋税付加税の大幅増税(本税1円につき60銭増徴して2円62銭8厘にする)を実施することにしたところ、市会および市民側から強い反対を受けていたが、市会は家屋税増徴を本税1円につき22銭8厘軽減して2円40銭とするよう修正した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 3月1日 政治・経済 今秋行なわれる天皇即位式の大嘗祭庭積机代物として大礼使調度部長から「石川県特産の蓮根5本、くわい50個、干鯖50枚を10月末までに納入するよう」知事へ下命があった。蓮根は河北郡小坂村に下命されるものと村民は喜んでいる。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 3月15日 政治・経済 労働農民党石川県支部執行委員長ほか党員の検挙と、支部の家宅捜索がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 3月24日 政治・経済 金沢市内家屋の板屋根を不燃物(カワラもしくはトタン)にふき替える猶予期限は本年末であるが、板ぶき材料の供給者である金石、大野両町約300人の枇板業者は両町有力者を代表として、さらに実地延期を市長、市会議長、商工会議所副会頭に陳情した。なお市内で石ころの板屋根家屋はまだ全家屋の5割弱1万1,651むねある。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 3月31日 政治・経済 遅廷を重ねていた金沢市の水道敷設が主務省からようやく認可された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 4月1日 政治・経済 市は水道敷設が認可され着工期にはいったので水道事務所の処務規程を改正し、従来の事務、工務両部を廃して新たに所長、技師長の下に庶務、会計、工務、第一工事、第二工事の5係を置いた。所長兼技師長は石井技師。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 4月4日 政治・経済 香林坊道路拡張のため、市は加州銀行の12坪3合余を6,874円(建築移転補償費とも)で買収することに契約成立した。一坪当り550余円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 4月10日 政治・経済 労働農民党が内務大臣から解散を命ぜられ、同党金沢支部も解散された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 4月19日 政治・経済 山東出兵が閣議決定し、熊本第6師団に動員下令とともに、天津駐とん中の金沢第9師団の3個中隊にも出動命令が下った。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 4月20日 政治・経済 旧労働農民党金沢支部員が長町で新党組織準備会を開催中、広坂署員が踏みこんで解散を命じ13人を検束した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 4月24日 政治・経済 金沢市は兼六園前から県庁、四高裏手を通り尾山神社裏宮守堀を経て西町憲兵隊本部前に至る、いわゆる旧城循環道路の開さくについて陸軍、内務両省の了解を得たので、正式移管手続きの内調査として市土木課の手で実地測量を開始した。(道路は幅員6間、長さ400間の計画) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 5月3日 政治・経済 (蔣介石北伐軍の済南占領で日支両軍が衝突した「済南事件」がおこり、交戦は5月中旬まで続いた。第9師団派遣の3個中隊からも死傷者が出た。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 5月27日 政治・経済 済南事件の第9師団派遣部隊戦没者の遺骨が金沢に到着した。(戦死者=歩35連隊2人、歩36連隊2人、病死者=歩19連隊1人) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 5月29日 政治・経済 金沢市内家屋の板屋根を、本年末までに不燃物にふき替える問題を審議する県の屋上改葺委員会は、「資力乏しいものにはさらに10ヵ年の延期を認める」ことを決定した。延期希望者は9月末までに所轄警察署長の認可を受けることが必要。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 7月10日 政治・経済 金沢商工会議所は議員総会を開き、辰村会頭死去による後任会頭に市村孫太郎(副会頭)、副会頭に石黒伝六を選出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 7月25日 政治・経済 社会民衆党金沢支部の結党式が、本部から西尾末広代議士らを迎えて尾張町一九席で挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 9月5日 政治・経済 市は上水道浄水場用地を犀川村字末地内に求めて交渉中であったが、ようやく地主側との買収交渉が妥結した。買収価格は田地が坪3円57銭、畑地と山林が坪1円87銭で面積は2万1,000余坪である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 11月1日 政治・経済 市の長田町塵芥焼却場が完成、本日から開場使用した。建坪700坪、総工費1万3,000円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 11月4日 政治・経済 金石町の町役場庁舎ならびに町公会堂の落成式が挙行された。総工費3万6,000円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 11月7日 政治・経済 金沢市都市計画事業の第一歩となる彦三大火焼跡復興道路開通式が挙行された。12間道路は彦三本通り、10間半道路は小橋通りと命令された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 11月11日 政治・経済 昨年10月北支に派遣され済南事件にも出動した第9師団の3個中隊は、9日神戸に帰還し、本日敦賀、鯖江、富山の原隊へ帰還した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 11月13日 政治・経済 野町広小路、白菊町間の新道路開通式が挙行された。幅4間、延長は拡築新設合せて130間で大正13年に起工したもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 12月6日 政治・経済 北陸企業、北国、大野、共生の4銀行合併による新銀行「北陸企業銀行」(資本金700万円)の設立が大蔵省から認可された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 12月8日 政治・経済 10月1日陪審法施行以来、北陸で最初の陪審裁判が7、8両日金沢地方裁判所で開かれた。事件は7月8日の味噌蔵町間ノ町の共謀放火容疑事件(2被告のうち1人は自供、1人は否認)で陪審員は12人。裁判長の「共謀なりや」の問書に対し陪審員は「然り」と答申した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 12月9日 政治・経済 さきに能登産業銀行が金沢市第二金庫(水道会計)に指定された問題にからむ疑獄事件発生、市議1人と能登産業銀行金沢支店長が金沢検事局から起訴された。また火葬場敷地買収(押野村太郎田)の不正容疑で市衛生課長事務取扱いほか2人が刑務所に収容された。(18日起訴された) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 2月10日 社会・文化 午前3時半ごろ池田町3番丁の民家から出火、2戸(4世帯)を全焼、2戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 2月15日 社会・文化 長寛子死去。69歳。夫の男爵長成連に22歳で死別して以来仏門に入り、此花幼稚園を創設、また石川仏教婦人会長にもなった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 2月20日 社会・文化 午前3時20分ごろ栄町の商店裏手から出火、6戸(4むね)を全焼、5戸(3むねを)半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 3月23日 社会・文化 午前0時半ごろ並木町静明寺前の商店から出火、備中町で全焼14むね(28世帯)半焼2むね(2世帯)、並木町で全焼7むね(11世帯)半焼1むね(2世帯)、合計全半焼24むねを出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 3月23日 社会・文化 4月開校の財団法人金沢中学校が文部省から設立を許可された。理事長河合常治(富山県人)校長直江俊三(小将町小学校前校長)新校舎敷地は石川郡三馬村の2,200坪、仮校舎は西町仏教青年会館。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 3月28日 社会・文化 本年初めから全国に流行中の天然痘が石川県にも侵入し、材木町3丁目で真性患者1人が発生した。市は一般市民に無料種痘をすることにした。(全国の患者数は13府県で283人) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 4月1日 社会・文化 低所得階級を対象にした市立金沢市民病院が、野田寺町3丁目に開院した。総工費4万5,000余円、被扶助階級と月収25円未満の単身者等は診察費無料となっている。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 4月1日 社会・文化 市は県の社会改良委員規程改正実施に伴い、校下方面委員事務所を新たに長土塀、瓢箪町両校下に設置することにした。市内で校下方面委員事務所がすでに設置されているのは野町、菊川町、石引町、此花町、材木町、馬場、森山町。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 4月3日 社会・文化 元金沢市助役堀俊明死去。70歳。盈進社の壮士出身、市会議員、実業界と波らんの生涯を送った。市助役は明治37年4月から大正2年7月までつとめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 4月19日 社会・文化 午前7時50分ごろ木ノ新保4番丁の製材所から出火、同町と此花町の工場3むね、住家10戸を全焼、住家7戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 5月1日 社会・文化 金沢市営住宅は最近不景気のため空家が続出するので弥生町、横山町、上鶴間町の各市営住宅の家賃を一斉に値下げした。値下げ額は28円のものは26円、24円のものは22円、16円70銭のものは15円50銭、15円70銭のものは14円50銭。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 5月15日 社会・文化 金沢市は近年、市祭について市民間に一部誤解もあるので6月14日の第6回市祭を前に、本日市広報で市民に訴えることばを発表した。すなわち「市祭は単に尾山神社だけの祭礼でもなく、市役所のお祭でもない。藩祖の恩恵を記念し、15万市民一致して全市の繁栄と発展を祈る祭札だから、全市にお祭気分をみなぎらせてほしい」というもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 5月16日 社会・文化 市は水道材料置場に郊外泉地内の5,700坪をきめ地主21人と借入れ契約をした。1坪年額40銭、4ヵ年契約。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 5月21日 社会・文化 懸賞募集中の金沢市吏員バッチの当選作品がきまった。円形の中に梅の花べんを5片描き、中央に5角形の「金」の文字を書いたもの。作者は石川県庁土木課太田謙二。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 5月25日 社会・文化 金沢市立工業学校の開校式が小将町小学校内仮校舎でおこなわれた。初代校長は宮崎県立工業学校長から来任の中村速一。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 5月26日 社会・文化 中本多町の金城高等女学校の新築校舎落成式が挙行された。2階建、建坪200余坪。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 6月2日 社会・文化 千仙叟の墓所のある高道新町月心寺境内に、茶道愛好者の発起で茶室暁雲亭が建てられ、落成記念の茶会が催された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 6月3日 社会・文化 関川輝幸(長町4番丁)蔵の古書数千点の売立会が開かれた。東京、京都、大阪の古書店も参会、盛会であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 6月6日 社会・文化 県土木課は初めての試みとして兼六園に河鹿を放流することにし、犀川から60匹を捕獲して園内の翠滝、千歳台の曲水および噴水の3ヵ所に放した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 6月9日 社会・文化 市祭(14日)のお祭気分盛りあげに努力している市は、各町総代を市役所に招致し、ことしから市祭には市内全戸にしめなわを張るよう要請した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 6月12日 社会・文化 第四高等学校文科3年生と2年生約340人は、北辰会応援団に不満を抱く生徒による新応援団結成問題のもつれから、長岡生徒監の辞職、生徒の処罰取消し、北辰会の自由獲得を要求して同盟休校にはいった。四高開校以来はじめての盟休である。盟休生の本部は野田寺町大円寺。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 6月18日 社会・文化 第四高等学校文科生の同盟休校は先輩と父兄等の調停により、盟休生徒から犠牲者を出さぬこと等の条件で解決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 6月24日 社会・文化 永井柳太郎が北陸毎日新聞社長に就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 6月29日 社会・文化 金沢市の小学校増築計画が市会で可決された。予算は3ヵ年分142万円、新築校舎のうち鉄筋コンクリート建築2校(高岡町校と三社方面の新築校)木造建築1校(十一屋町校)増築校は16校。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 7月1日 社会・文化 金沢商工会議所会頭辰村米吉死去。68歳。土木請負業を営み地方政界、実業界に活躍した。明治34年以来市議県議を各2期つとめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 7月7日 社会・文化 金沢第一中学校の初代校長富田輝象の胸像が、卒業生の寄贈で同校玄関脇に建ち、除幕式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 7月8日 社会・文化 午前1時ごろ味噌蔵町間ノ町の養鶏業者宅から出火、養鶏舎3むねを全焼、住家3むね(5世帯)を半焼、鷄200羽を焼いた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 7月20日 社会・文化 金沢市は80歳以上の高齢者のいる各戸に、梅花型に「寿」の字を書いた門標を配付した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 7月20日 社会・文化 (富山高等学校長南日恒太郎が東岩瀬海岸で遊泳中、水死した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 8月18日 社会・文化 石川県初めての50メートルプールである松任町の町営松任プールの落成式が挙行され、引続き第1回全日本水泳競技大会が開かれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 8月20日 社会・文化 8月1日現在の調査による金沢市内の自動車数は乗用車115台(全県365台)、貸物自動車60台(全県199台)である。このほか無税の官庁用自動車が県6台、市3台、医大2台、裁判所、刑務所、専売局、高工各1台となっている。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 9月2日 社会・文化 大典奉祝記念天理教北陸地方大会が、中山正善管長を迎えて兼六園長谷川邸跡で挙行された。参会者約7,000人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 9月4日 社会・文化 十間町紙商中島徳太郎は「大典奉祝の誠を致すため」相良市長に対し、閲覧室と講堂を兼ね備えた市立図書館建設のため8万円を寄付したいと寄付願を出した。(11日の市会で寄付採納) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 9月4日 社会・文化 市は中島徳太郎からの指定寄付8万円で大典記念事業として市立図書館を建設することを決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 9月7日 社会・文化 長町7番丁黒本植(稼堂)は、市が建設する大礼記念金沢市立図書館に郷土史料などの蔵書3,785冊の寄贈を申出た。市立図書館への初めての図書寄贈である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 9月11日 社会・文化 市会は中島徳太郎の寄付金をもとに大礼記念金沢市立図書館を建設することを満場一致で可決した。議決に先だち市川潔議員が市民を代表し寄付者中島徳太郎に感謝の言葉を述べた。議決された図書館建設の財源は、指定寄付8万円のほか今上陛下恩賜金繰入金5,000円、昭和4年度市費繰入金5,000円計9万円。敷地は殿町の県有地370坪の払下げを受ける。本館と書庫は鉄筋コンクリート3階建とし、建築費予算は6万3,215円。郷土資料を中心に市民の親しみやすいものにする計画。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 9月12日 社会・文化 市は宮守堀の旧城循環道路と白鳥堀の遊歩道路の建設につき、陸軍当局との了解が成ったので、市長から知事あてに「宮守堀の2,497坪、白鳥堀の1,471坪計3,968坪を道路敷として陸軍省より内務省に移管されたい」旨正式に申請することになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 9月18日 社会・文化 金沢放送局の設置計画が進み、放送所敷地(約3,000坪)は石川郡野々市町に決定、また演奏所と事務所は殿町の県有地200坪を坪55円で払下げを受け建設することになった。放送開始は明年6月ごろの予定。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 9月23日 社会・文化 午前1時半ごろ裏五十人町の材木商の大工小屋から出火、住宅1むね大工小屋など5むねを全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 9月28日 社会・文化 陸軍大将大島久直京東で死去。81歳。子爵、秋田県人、日清戦争に歩兵7連隊長、日露戦争に第9師団長として郷土将兵を率いた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 10月16日 社会・文化 市水道起工式が犀川村字末の浄水場敷地で各界代表ら280余人が参列して挙行された。一部通水開始は昭和5年4月の予定。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 11月1日 社会・文化 金沢市は吏員徽章を制定し、本日の公報で佩用規程を公布した。徽章は七宝製直径13ミリ、輪郭18金、地色ブリュウ、文字は純白。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 11月3日 社会・文化 金沢医師会が大典記念事業として、北陸医学発祥地の大手町乃木会堂跡に建設した金沢市医師会堂の落成式が挙行された。敷地約250坪、2階建述べ127坪、工費2万6,481円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 11月3日 社会・文化 金沢の日蓮宗信徒有志により味噌蔵町片原に建設中の立正閣が完成、落成式があげられた。建坪64坪、木骨2階建の会館で工費2万円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 11月4日 社会・文化 彦三大火で焼失後小立野に新築された県立金沢商業学校の落成式が挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 11月4日 社会・文化 県警察部高等課は内務省の方針にもとづき、金沢市内の旧労働農民党員5人を大典中(4日から25日ごろまで)広坂、玉川両署に禁足(留置)した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 11月9日 社会・文化 即位大典に際し石川県で次の3人に贈位があった。(正5位)大聖寺藩家老神谷内膳、(従5位)加賀の西洋天文暦学家遠藤是三(高璟)、富樫用水等治水功労者枝権兵衛。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 11月10日 社会・文化 天皇即位式。奉祝の金沢市会が開かれ、市内官庁学校は拝賀式を挙行した。田中首相が萬歳奉唱の午後3時、市役所のサイレン合図に金沢市民は萬歳を3唱した。市内商店街はまん幕、ちょうちんを掲げて休業、各戸も17日まで国旗を掲揚、ちょうちん行列、旗行列ほか催し物が連日にぎやかにおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 11月16日 社会・文化 石川県の地方賜饌は県庁広場で2,594人が招待されておこなわれた。また金沢市主催の市民奉祝会は兼六園長谷川邸跡広場で、一般市民約3,000人が参集して催された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 11月28日 社会・文化 兼六園菊桜の天然記念物指定が、文部省の史跡名勝天然記念物保存調査会で決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 12月10日 社会・文化 約半年間もみ抜いた金沢市立工業学校の敷地は、市会で泉野町に決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 12月21日 社会・文化 殿町に新築中の金沢逓信診療支所が完成、開所した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 12月22日 社会・文化 師範を除く金沢市内5男子中等学校は、明春4月から生徒対教師および生徒対生徒の礼は、現在の脱帽の頭礼を軍隊式挙手の礼に改めることを、校長の打合せ会できめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 12月27日 社会・文化 金沢の少壮弁護士8人により金沢自由法曹会が結成された。理事は重山徳好、豊島武夫。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和三年(1928) 12月31日 社会・文化 午前7時50分ごろ広坂通(四高前)の書籍店から出火、2戸を全半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 2月4日 政治・経済 県は金沢市に対し、本日から約20日間の予定で事務監査を実施した。金沢市に対する事務監査は大正9年以来9年ぶりである。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 2月5日 政治・経済 河北潟の名産公魚(あまさぎ)は乱獲のため近年次第に漁獲が減っているので、県は島根県宍道湖の公魚卵800万粒を購入してふ化放流することになり、同県へ発注した。(28日到着) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 2月6日 政治・経済 市第二金庫指定等にからまる疑獄事件の判決が金沢地方裁判所で下され、被告5人に最高懲役1年、最低罰金刑が言渡された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 2月14日 政治・経済 佐藤実代議士を金沢市長に推薦しようとして収賄事件を起した市議3人が、金沢検事局で取調べのうえ収容された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 2月16日 政治・経済 金沢市電気局はガス事業創業20周年記念として、本日からガス料金の値下げを実施した。値下げ率は1割1分5厘。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 2月17日 政治・経済 市会議員小坂政吉、諸橋伊右衛門、北村五三郎の3人が議員を辞任した。(佐藤実市長推薦にからむ収賄事件) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 2月20日 政治・経済 金沢市金箔工業会の会員約500人は工賃値上げ、合金統一を要求して味噌蔵町立正閣で金箔職工大会を開いたあと、市中を示威行進した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 2月22日 政治・経済 金沢市会は与党(民政党、青年党の自治会派)と野党(政友会、実業同志会、中立)の勢力伯仲し緊迫した情勢を続けていたが、本日ついに与野党は正面衝突し、議場内で双方院外団の乱闘騒ぎも起った。与党は野党退場後の議場で全議案を可決、また野党提出の市長不信任決議を1票差で否決した。野党連盟は与党の単独審議を「市制施行以来の暴挙」と声明した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 2月24日 政治・経済 市会野党連盟主催の市政糾弾市民大会が市公会堂で開かれ、相良市長、坂野議長の辞職勧告などを決議した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 3月14日 政治・経済 4年間難航をかさねた泉火葬場の移転地は石川郡三馬村字西泉に決定、敷地買収が市会で可決された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 3月29日 政治・経済 金沢商工会議所一般議員28人の選挙がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 3月31日 政治・経済 相良市長は市吏員の人事刷新のため書記以下23人の退職を発令した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 4月1日 政治・経済 石川県商品陳列所の図案部のうち工芸図案部が県工業試験場に移管された。(印刷広告図案部は従来通り商品陳列所に残る) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 4月8日 政治・経済 馬場小学校の復興建築費27万7,768円(うち起債22万5,000円)が市会で議決された。鉄筋コンクリート建て、2ヵ年継続事業。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 4月20日 政治・経済 県は並木町の市営浅野川公設市場に対し、護岸敷占用期限満了を機会に交通と風致保存の見地から、10月一杯で撤去方を市に通告した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 5月1日 政治・経済 金沢電気軌道会社(街鉄)は金沢市内バスの運行を本日付で相良市長へ承認方申請すると同時に、知事に対しても許可申請書を提出した。市内バス計画は電車の補助機関として比較的電車に不便な市内地区を運行しようというものである。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 5月7日 政治・経済 鉄道省は金沢、森本駅間に中間駅の新設を決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 5月10日 政治・経済 金沢商工会議所は議員総会を開き会頭に市村孫太郎、副会頭に石黒伝六を再選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 5月14日 政治・経済 昨年6月4日奉天で起った某重大事件(張作霖爆死事件)関係者の関東軍高級参謀歩兵大佐河本大作が第9師団司令部付に転補された。(河本は6月8日金沢に着任したが、7月1日停職処分に付され、続いて田中内閣は翌2日総辞職した) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 5月15日 政治・経済 第9師団は野村の旧歩兵第35連隊兵営跡3万5,000坪を近距離講習場にすることになり、鉄条網や散兵ごう築造工事等を続けていたが、本日完成した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 6月7日 政治・経済 金石町観田次郎吉ほか827人より申請中の金石信用組合の設立が、知事から認可された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 6月25日 政治・経済 市会の野党連盟が水道鉄管検査に疑惑ありとして、招集を請求した急施市会が開かれた。鉄管検査問題に関する野党側の意見書に対し、与党側は「当局は鉄管の検査、敷設について慎重細心の態度で当れ」との修正意見書を提出してこれを可決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 7月5日 政治・経済 8年越しの難問題の金沢上水道水源と犀川かんがい用水補給問題は、中山知事が市と用水側の間を調停の結果、妥結して正式調印された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 7月5日 政治・経済 浜口内閣(内相安達謙蔵)の成立に伴い地方長官の大異動がおこなわれ、知事中山佐之助は休職、後任に元秋田県知事中野邦一が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 7月14日 政治・経済 浅野川電鉄の終点須崎から粟崎遊園および海水浴場ゆきの延長区間が開通した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 7月17日 政治・経済 新竪町1丁目から小立野新坂への貫通道路の開通式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 7月23日 政治・経済 内閣調査による昭和3年人口動態統計速報によると、死亡率では全国都市で金沢市が第1位、全国道府県で石川県が第一位とわかった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 7月24日 政治・経済 市の「精神病者等監救護所」の建築敷地は卯辰山つづきの河北郡浅川村鈴見地内(966坪)にきまった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 8月1日 政治・経済 市電気局は本日から電灯料値下げを実施した。内容は10燭光以上50燭光までを月5銭ずつ値下げする等である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 8月28日 政治・経済 市多年の懸案である仙人町の市営屠場の移転先は、石川郡押野村太郎田に決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 9月2日 政治・経済 金沢箔同業組合は代議員会で、現在11ヵ所にわかれている合金所を1ヵ所に統一することに決定、多年の懸案であった金箔の合金統一問題も解決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 9月12日 政治・経済 浜口内閣の緊縮政策に呼応し、公私経済緊縮石川県地方委員会(委員は県下各種団体代表知名人ら77人)ができた。また県の指示で市町村実行員会が市町村ごとに設けられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 9月13日 政治・経済 中野知事は臨時県公報をもって県民一般に対し「公私経済を緊縮し金解禁の準備をせよ」との告論を出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 10月10日 政治・経済 市は節約と事業繰述べ合わせて34万5,972円の節減の実行予算を編成、県へ報告した。現計予算に対する節減率は一般会計が7.65%、特別会計が4.8%である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 10月22日 政治・経済 (政府は15日の閣議で年俸1,200円以上の官吏の減俸を決定したが、司法官を先頭とする猛反対にあい、つい撤回を声明した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 10月25日 政治・経済 大阪市西区立売堀北通2丁目鉄問屋石原善平が、県へ金沢市内の乗合自動車営業許可願を提出した。これで市内バスの出願は本年2月提出の金沢電気軌道会社の分と二つになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 11月2日 政治・経済 市会議員の日当制を歳費制にする条例が市会できまった。歳費は議長400円、副議長300円、議員250円。参事会員、学務委員を兼ねるものは別に年額50円を支給する内容。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 11月2日 政治・経済 本年度に新設が決定した金沢、森本駅間の新駅設置は経費節約のため無期延期となった。 0
    昭和四年(1929) 11月10日 政治・経済 片倉製糸の系列に属する日東紡績は金沢市諸江町に分工場を新設することになり、工費40万円で着工した。5年3月第1期工事を終り5月から操業の予定。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 11月10日 政治・経済 婦選獲得同盟金沢支部の発表式が金谷館で挙行された。参会者16人。米山久子が座長になり、幹事に芳賀富美、鈴木芳子、高田鈴子、駒井静子の4人が選任された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 11月12日 政治・経済 日本放送協会の金沢放送局設置が逓信省から正式に許可された。呼出し符号JOJK、来春館局の予定。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 11月15日 政治・経済 金沢商工会議所は議員総会を開き、市村会頭死去による後任会頭に中島徳太郎を選出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 11月27日 政治・経済 12月4日執行の普選第1回の金沢市会議員選挙の立候補届出が締切られた。定員36人に対する立候補者62人の党派別は民政党28(うち非公認4)政友会19(うち非公認1)青年党7、同志会1、社民党1、労農党1、中立5。また新前元の別では新39、前21、元2。有権者数は26,160人(全市1区)。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 12月5日 政治・経済 普選初の金沢市会議員選挙は4日執行され、5日開票された。投票率88%。当選は民政党21人、政友会8人、青年党4人、中立3人。与野党別は市役所派26人、反市役所派10人。新前元の別は新17人、前17人、元2人。無産党候補は社民党の松岡松次郎が52位、労農党の寺西三郎が58位で共に落選、また民政党の古豪坂野権次郎、横井伊佐美も落選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 12月14日 政治・経済 市会は正副議長選挙をおこない、議長に沢野外茂次、副議長に吉田宗一を選出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 12月21日 政治・経済 各派有志議員提案の市勢振興調査会の設置が市会で満場一致可決された。市会議員のほか各界有力者を委員とs、党派を超越して市是確立のために根本的調査を行なおうとするものである。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 1月7日 社会・文化 午前2時20分ごろ下松原町の撞球場から出火、8戸(9むね)を全焼、5戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 1月7日 社会・文化 午前7時35分ごろ粟崎遊園(経営者平沢嘉太郎)の余興場裏から出火し余興場、倉庫、旅館部、貸室23室計500坪と廊下を全焼した。本館は焼失を免れた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 1月14日 社会・文化 午後2時20分ごろ片町の草花店から出火、同店を半焼、製菓場、そば屋のそれぞれ一部を焼いた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 1月22日 社会・文化 午前9時40分ごろ並木町静明寺前の八百物屋から出火、3戸を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 1月28日 社会・文化 (広海汽船会社社長広海二三郎大阪で死去。76歳。江沼郡瀬越村出身。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 2月25日 社会・文化 午前7時半ごろ馬場小学校屋内体操場かr出火、全校舎(建坪754坪)を全焼、民家3戸も焼いた。損害約15万円。児童は27日から味噌蔵町、此花町、瓢箪町、森山町の4校にわけて分割授業をすることになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 3月13日 社会・文化 (羽咋郡越路野村字千路で大火、198戸中127戸と隣接鹿島路村の2戸を焼失。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 3月16日 社会・文化 午前10時15分ごろ上石引町の薪炭商から出火、1戸を全焼、3戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 4月2日 社会・文化 兼六園内の成巽閣庭園(322坪)が文部省から史跡名勝天然記念物の名勝に指定された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 4月5日 社会・文化 市立図書館建設工事は辰村米吉と5万4,250円で請負契約が成立した。9月末までに完成の予定。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 4月7日 社会・文化 憲法学者上杉慎吉死去。52歳。東京帝大教授、法学博士。大聖寺の医師上杉寛の次男として金沢に生れ、金沢高等小学校を経て第四高等中学校に学んだ。憲法学に関する著書が多い。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 4月7日 社会・文化 藩祖前田利家の誕生地名古屋市南区荒子町の荒子城跡に「前田利家卿誕生之遺趾」ときざんだ碑が建てられ、除幕式がおこなわれた。前田利家卿発祥旧跡保存会が発起して昨年5月から工費7,000円で工事中であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 4月15日 社会・文化 午後11時ごろ馬場2番丁の麸製造工場から出火、4戸と工場1むねを全焼、2戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 4月16日 社会・文化 (鳳至群穴水町で大火、住宅の全焼146むね、半焼1むね、土蔵全焼34むね。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 4月16日 社会・文化 千田登文死去。83歳。歩兵第7連隊の最初の連隊旗手(明治8年)。越後戦争、西南の役、日清戦没等に従軍、陸軍歩兵少佐。西南の役で西郷隆盛の首級の発見者といわれる。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 4月19日 社会・文化 午後1時ごろ金石濤々園沖合に、石川県では非常に珍しい蜃気楼が現れたのを数人が目撃した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 4月23日 社会・文化 午後3時5分ごろ石川郡米丸村字増泉(西廓付近)から出火、1むね4戸を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 4月24日 社会・文化 午前2時ごろ殿町から出火、印刷工場など2戸(3むね)を全焼、2戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 4月27日 社会・文化 北条時敬死去。71歳。金沢市観音町の生れ、明治18年28歳の理学士として金沢専門学校の教師に就任、その後一高、山口高校の教授、校長を経て明治31年から35年まで四高校長に在任した。その間私立石川県教育会長となり、金沢能楽会創設者の1人ともなった。広島高師校長、東北帝大総長、学習院長を歴任して現に貴族院議長、宮中顧問官であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 5月5日 社会・文化 金沢で最初のメーデー示威運動が本日(第一日曜)おこなわれた。午後1時、会場の兼六園長谷川邸跡に金沢機械工組合、石川合同労働組合、金沢労働組合、金箔工業会、製材業従業員組合、全日本無産者芸術連盟、修養団等の約150人が組合旗をもって集合。正私服警官30数人の警戎のうちに宣言、決議、演説をおこない、広坂通、香林坊、武蔵ヶ辻、橋場町、車庫前、公園下を労働歌を歌って行進した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 5月5日 社会・文化 金沢で最初のメーデー示威運動が本日(第1日曜)おこなわれた。午後1時、会場の兼六園長谷川邸跡に金沢機械工組合、石川県合同労働組合、金沢労働組合、金箔工業会、製材業従業員組合、全日本無産者芸術連盟、修養団等の約150人が組合旗をもって集合。正私服警官30数人の警戎のうちに宣言、決議、演説をおこない、広坂通、香林坊、武蔵ヶ辻、橋場町、車庫前、公園下を労働歌を歌って行進した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 5月15日 社会・文化 地方相撲道の奨励と相撲界の旧弊打破をめざして金沢相撲協会が設立され、尾山神社で発会式をあげた。会長広瀬嘉一。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 5月18日 社会・文化 「稿本金沢市史・風俗編第二」が市役所から刊行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 6月12日 社会・文化 市社会課が市内のあき家調査をした結果、家屋総数2万6,286軒に対しあき家は328軒(1.24%)と判明した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 6月14日 社会・文化 彦三本通りの夜店が市長から許可された。許可期間は9月30日まで。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 6月25日 社会・文化 午後9時50分ごろ長町8番丁の機業場から出火、工場と住家2戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 7月1日 社会・文化 高岡町に新築中の簡易保険健康相談所が完工、本日から移転開所した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 7月24日 社会・文化 玉川警察署長が収賄容疑で起訴予審に付され、刑務所に収容された。(同付で休職)。湯屋の営業許可規則改正にからむ収賄の容疑。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 8月15日 社会・文化 午後7時10分ごろ石川郡押野村字太郎田(西金沢駅前)加賀製紙株式会社から出火、工場など12むね(建坪691坪)を全焼、ワラ121万貫等も焼いた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 8月27日 社会・文化 林屋製茶合名会社金沢支店の林屋亀次郎が武蔵ヶ辻の一角に、600坪の鉄筋5階建てビルを建築し東京三越百貨店の金沢支店開設を計画中。そのためすでに越中銀行支店の土地430坪を11万円で買収、さらに仁寿生命支店の所有地190坪の買収交渉をすすめている、と新聞が報道した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 8月29日 社会・文化 彦三本通りの夏季露店は終了したが、彦三振興会では9月から毎月第1第3日曜と1、6の日に昼夜、百貸市場を開設することにした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 8月29日 社会・文化 不況で仕事不足に苦しむ市内の大工業組合が、市長に「市内学校の増改築木造工事は、市の直営工事として市内の大工を使用してほしい」との全組合員連署の嘆願書を提出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 9月2日 社会・文化 午前9時ごろ菊川町の民家から出火、1むねを全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 9月2日 社会・文化 電車と自動車に追われ収入減退の人力車夫の組合、石川県人力車組合では「県税雑種税の人力車税(年4円)をできる限り軽減してほしい」と知事に請願書を提出するとともに、組合代表が陳情した。金沢市内の人力車は大正初期800余台があったが現在は170台、県下全体では320余台になっている。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 9月4日 社会・文化 石川県教育会(会長お小山隆俊)は8月3日の総会の決議にもとづき、知事に女子専門学校設立の建議書を提出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 9月6日 社会・文化 金沢建具業組合の竹村組合長ら役員10余人は、市の吉川助役以下関係課長に対し「不況と緊縮実施のため、市内建具職人312人のうち約5割7分が失業状態にある。市営建築工事は請負を全廃し、市直営として市内業者を使用するか、または請負の際に建具だけは組合へ別に請負わせてほしい」と陳情した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 9月18日 社会・文化 市は不況とと物価下落の情勢から、10月1日より市営貸付住宅214戸に対し家賃の一斉値下げを実施することにした。値下げ率は最高1割5分、最低2分4厘、平均1割6厘である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 9月20日 社会・文化 金沢市役所幹部の食堂会では政府の節約方針に基づき、1食13銭5厘の昼食を12銭に値下げした。また市役所全吏員の節約実行方法も食堂会できめられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 9月25日 社会・文化 鉄道省は夜行列車にマクラ付きの3等客車を連結することになり、北陸線でも4本の列車に、本日からマクラ付き座席の3等客車1~2両ずつを連結運転した。ひと晩の使用料30銭。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 9月30日 社会・文化 元金沢一中の名物教師安田太作死去。78歳。陸軍教導団出身で西南の役にも出征、74歳まで約30年、体操教師として「トリヤ先生」のあだ名で一中生徒に親しまれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 10月1日 社会・文化 公私経済緊縮県委員会の金沢市部幹事会が、市民の節約実行要目と運動方法をきめた。各町を運動組織の一単位とし、国民精神作興と消費節約の実行要目を印刷して各町代表を通じ全戸に配布する一方、7日から毎夜、小学校で文部省映画「国難打開」の映写と巡回講演会をおこなう。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 10月5日 社会・文化 金沢電気軌道会社(街鉄)は、金沢、寺井間の乗合自動車営業を開始した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 10月14日 社会・文化 金沢商工会議所会頭市村孫太郎死去。58歳。石川県酒造組合連合会長。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 10月21日 社会・文化 前田侯爵家は市の要請により、近く開館の大礼記念金沢市立図書館の新刊図書購入費として5,000円を寄付した。また故市村孫太郎嗣子市村庄吉は1万円を寄付した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 10月23日 社会・文化 公私経済緊縮石川県委員会の金沢市部幹事会がきえた緊縮節約運動に対し、市内五宝町町会では「国策の犠牲を無産大衆にのみ負わせるのは不合理だ」として節約拒否の決議をして、相良市長に申達した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 10月23日 社会・文化 市参事会は金沢スキー協会に卯辰山スキー場建設のため、スキー場用地として3,013坪を、昭和14年3月末まで毎年冬季間貸付けることを可決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 11月2日 社会・文化 林屋亀次郎が武蔵ヶ辻に新築計画中のデパートは、大林組と約40万円で工事請負契約が締結された。11月末着工、明年8月完成の予定。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 11月10日 社会・文化 大橋上流の並木町を撤去した浅野川公設市場は静明寺前(天神橋上流)に移築開業した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 12月1日 社会・文化 金沢市内1円均一のタクシーに対抗し、市内70銭均一タクシーの出願(出願者安江町武蔵タクシー)が認可され、本日から開業した。車体は従来の5人乗りフォードを4人乗りに改造したもの。(5年1月には金沢駅構内の3業者8台も70銭に値下げした) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 12月8日 社会・文化 上野射撃場内に、第9師団はじめ地方有志が協力して建設中の「明治天皇御野立所跡」の碑が完成、盛大な除幕式がおこなわれた。明治天皇が北陸巡幸の明治11年10月3日、この場所(上野練兵場)で軍隊の操練等をご覧になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和四年(1929) 12月13日 社会・文化 元金沢市長山森隆死去。72歳。市会第2期から市議として市政に参与、また代議士にも当選した。市長として明治42年12月から大正8年5月まで9年5ヵ月在任、その間、街鉄会社の設立、百間堀埋立て等多くの事業を完成した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 1月4日 政治・経済 金沢市役所は最近戸籍謄抄本の請求が激増したので、従来の筆写の代りに本日からタイプライターを使用することにした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 1月10日 政治・経済 金沢市は旧城をめぐる白鳥堀と宮守堀の循環道路開さくについて陸軍、大蔵、内務各省の了解を得たので移管手続きを経て、まず裁判所裏白鳥堀を本年度内に雪解け次第着工することになった。尾山神社裏手の宮守堀は予算の関係上明5年度から3ヵ年継続で施工する。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 1月11日 政治・経済 金輸出解禁。この日、日本銀行金沢支店で紙幣を金貨に兌換した人は93人、金額は3,700円であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 1月22日 政治・経済 日本銀行金沢支店長安部四郎は本店調査局調査役に転じ、後任に松本支店長高橋臻が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 2月6日 政治・経済 20日執行の衆議院議員総選挙に、石川県第1区から在京の県出身作家徳田秋声(末雄)が社会民主党県支部の懇請に応じ、同党公認として立候補した。(9日に至り近親の反対のため立候補辞退届を提出) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 2月8日 政治・経済 白鳥堀遊歩道路の開さく工事は、市役所で入札の結果6,940円で竪町越田利右衛門に落札した。直ちに着工する。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 2月22日 政治・経済 浜口内閣(民政党)のもとに20日おこなわれた衆議院議員総選挙の石川県開票結果は次の通り。〔第1区〕当選20,344票 武谷甚太郎(民政新) 同18,110票 中橋徳五郎(政友前) 同16,843票 永井柳太郎(民政前) 次点15,068票 箸本太吉(政友前) 〔第2区〕当選17,403票 戸部良裕(民政新) 同16,463票 桜井兵五郎(民政前) 同12,817票 青山憲三(政友前) 次点7.977票 佐藤実(政友前) 7,916票 益谷秀次(政友元) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 3月8日 政治・経済 園芸業の改善発展をはかることを目的とした金沢園芸協会が設立され、公会堂で会員約600人が出席して発会式をあげた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 3月15日 政治・経済 金沢市は市吏員任用規程をきめ、市広報で告示した。実施は4月1日。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 3月16日 政治・経済 社民党、労農党の各金沢支部、金沢機械工組合等の代表から成る金沢地方無産団体統一議会が、戦線統一機関として金沢地方無産団体協議会を結成した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 3月24日 政治・経済 林屋亀次郎が武蔵ヶ辻に建築中のビルディングに東京の三越が進出して金沢支店を設置するとの報に、金沢呉服商組合を中心として三越進出阻止運動が起こっているが、金沢実業連合会は商工会議所で幹事会を開き、三越進出食いとめの具体策を協議した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 4月9日 政治・経済 金沢市の都市計画街路網を決定する都市計画石川地方委員会が県庁で開かれ、街路網43線の原案を可決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 4月24日 政治・経済 金沢一般労働組合の発会式が百姓町宝幢寺でおこなわれた。参加団体は箔工、自由労働、木材工、機械工等12団体である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 5月6日 政治・経済 大手町から裁判所裏を経て百間堀石川門下に通ずる白鳥堀遊歩道路が完成、近く開通することになったが、相良市長はこれを「白鳥路」と命名した。道路は幅4間、長さ130間で、市は公園と同じく馬車の通行を禁止する。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 5月11日 政治・経済 白鳥路は本日から使用を開始した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 5月16日 政治・経済 武谷甚太郎の衆議院議員当選に伴う金沢市選出県会議員補欠選挙が15日おこなわれ、坂野権次郎(民政)が当選した。次点塚本助次郎(政友)。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 5月21日 政治・経済 金沢市役所に水道局が開設された。局長は吉川助役の兼任。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 5月22日 政治・経済 市長相良歩が任期満了で退任した。大正11年5月から在職8年。(市会は8月9日慰労金3万5,000円を可決) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 5月31日 政治・経済 金石の金沢無線電信所は本月限りで廃止された。大正9年1月開所し第9師団の管理に属していたが、必要度の減少と経費節約から廃止となったもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 6月1日 政治・経済 三社方面から錦華紡績工場裏手鉄道線路下を通り石川郡戸板村に至る新市道の開通祝賀式が、地元町村の主催でおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 6月9日 政治・経済 市会は第8代市長に助役吉川一太郎(60歳)を満場一致で選出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 6月11日 政治・経済 三越百貨店の金沢進出阻止を運動中の金沢呉服商組合等の代表者は、金沢商工会議所に阻止について援助を求めたが、会議所は議員協議会を開催して協議の結果、これを断った。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 6月 政治・経済 押野村太郎田に移築工事中の金沢市屠場が完成、使用を開始した。用水下流の二塚村古保区民から屠殺血液の洗い汁放流反対の陳情があったので、市は新屠場に約30石入りのコンクリート製タンク2個を築造した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 7月7日 政治・経済 吉田銀行に良川銀行が合併し金沢商業銀行と改称する件が、大蔵省から許可された。石浦町吉田銀行支店が新銀行の本店になる。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 7月16日 政治・経済 市会は吉川市長が推薦した市会議員、立憲青年党総務市川潔の助役就任を満場一致で承認した。市川は市議を辞し、青年党を離籍した。市会の分野は民政党20、政友会7、青年党、中立各3となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 8月29日 政治・経済 市会入役に小竹芳朗が就任した。元長岡市助役、59歳、野々市町出身。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 8月29日 政治・経済 金沢市選出県会議員乾亮の辞任に伴う補欠選挙は石沢辰太郎(民政)の無投票当選となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 9月9日 政治・経済 市電気局が昭和2年から3ヵ年継続事業で手取川上流吉野谷に建設中の市営吉野谷発電所が完工、逓信省技師の完工検査がおこなわれた。総工費50万円、発電力1,000キロワット。この発電所の完成により、市は電力不足を補うため高岡電気会社から購入していた1,000キロワットのうち、300キロワット程度を解約する予定。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 9月15日 政治・経済 河北潟干拓事業が沿岸住民のため、はたして有利か否かを調査する河北潟調査委員会(会長知事)の第1回委員会が県庁で開かれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 9月25日 政治・経済 金沢市勢振興調査会の委員30人と顧問6人が発表された。委員は市会議員12人、商工会議所議員7人、市民有力者11人。顧問は倉知誠夫、中川友次郎、堀内秀太郎、堀哲次郎、林安繁、野口遵。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 10月1日 政治・経済 第3回国勢調査がおこなわれた。金沢市の調査結果は33,810世帯、人口157,311人(男78,145人、女79,166人)全国都市中第16位の人口であった。(6年6月30日内閣発表) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 10月3日 政治・経済 旧2連区川上方面と小立野方面との連絡道路「猿丸道路」の開通式が猿丸神社境内で挙行された。昭和2年6月着工、台所町から白山町を経て大学病院前に至るもので、長さ360間、幅4間。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 10月21日 政治・経済 河北潟調査委員会(会長知事)は満場一致で河北潟干拓事業の遂行を希望するとの決議をした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 10月22日 政治・経済 金沢市勢振興調査会の第1回会議が市会議事堂で開催され、「大野築港および河北潟干拓事業の本市に及ぼす影響」「町界町名地番整理改正の可否」等7項目の調査案が市当局から提出された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 11月3日 政治・経済 10月初旬から県土木課が工事中の横安江町の道路舗装が完成、完工祝賀会が催された。市内商店街で最初の舗装路である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 12月2日 政治・経済 街鉄市内電車の香林坊を広坂通から南町へ右折する連絡路線敷設工事が完成した。(これに伴い11日から電車の運転系統が変った) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 12月16日 政治・経済 金沢市の上水道が正式に通水を開始した。通水戸数は200余戸(水道取付け申込者は1,300余戸)。昭和3年3月31日工事認可以来2年9ヵ月目である。通水式は出羽町練兵場の式場で、飯尾、相良両元市長じはじめ関係者600余人を招待、盛大に挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 12月22日 政治・経済 第9師団長永井来が特命になり、後任に支那駐屯軍司令官植田謙吉中将が補せられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 12月23日 政治・経済 金沢市勢振興調査会の第3回会議が開かれ、金沢港湾築設に関する調査費を市予算に計上するよう市に要望することをきめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 12月24日 政治・経済 加州銀行と十二銀行から破産申請されていた横山一門の横山鉱業部は、金沢区裁判所で破産決定の宣告を下された。(鉱業部と横山家は破産決定を不服として29日抗告) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 12月27日 政治・経済 金沢市の南端国道野町5丁目、有松間の道路拡築が、内務省の失業救済事業として明6年度に実施されることにきまった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 12月 政治・経済 鉄道省金沢運輸事務所は金沢発展策としての金沢港湾の必要性につき独自の見地から調査中であるが、同事務所長潮田耕は論文「金沢港湾築設の急務」を20回に渡り北国新聞寄稿するとともに、有力者に印刷配布し、各方面の注目をひいた。(潮田は3年10ヵ月在任して、6年11月名古屋運輸事務所長に転じた) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 1月10日 社会・文化 午前11時15分ごろ石浦町の仙宝閣から出火、3階だけ焼いて鎮火したが場所がら混雑した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 1月22日 社会・文化 (羽咋郡邑知潟一帯に最近、ツルに似た赤色の鳥の一群が生息しているとの報告があったので、農林省の葛精一調査主任と県保安課岡部技手が現地調査の結果、世界でも珍しいトキ(朱鷲)と判明した。岡部は「邑知潟の上空を5,6羽の将軍をなして飛んでいた」と語った。近く、鳥類学の権威内田清之助博士が天然記念物に指定のため調査に来県する。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 1月25日 社会・文化 殿町に建築された大礼記念金沢市立図書館の落成式が、各界代表約200人出席して3階ホールで挙行された。敷地369坪、建坪110坪、鉄筋3階建、収容人員は児童閲覧室48人、特別閲覧室8人、婦人閲覧室16人、普通閲覧室60人、新聞閲覧室26人、講堂(3階)264人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 1月29日 社会・文化 市会議員小坂政吉死去。45歳。民政党所属、大正12年12月から市議を3期つとめ現在市参事会員であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 1月 社会・文化 卯辰山ふた割れに東方に約3000坪の卯辰山スキー場が開場した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 2月8日 社会・文化 金沢市立城南図書館は蔵書を市立図書館に全部移し3月限り廃止することに決定した。城南図書館は旧野村を市に編入の際、村営のものを市が継承し十一屋小学校に付設経営しているもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 2月8日 社会・文化 1月初めから小立野台を中心に全市にチフスが流行、患者は計120人を超えたが、市の防疫対策が奏功し、ようやく終息に近づいた。伝染系統は初期の患者が辰巳用水上流に汚物を投じたのが因とみられる。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 3月6日 社会・文化 (富山県庁全焼。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 3月8日 社会・文化 郷土史家和田文次郎(尚軒)死去。66歳。明治大正昭和を通じ、郷土史の研究、著作に30数年従事し、先人未踏部面を発掘展開、現に金沢市史編さん中であった。葬儀は加越能史談会で執行。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 3月19日 社会・文化 午後3時20分ごろ塩屋町の機業場から出火、塩屋町の大半を焼き、岩根町、彦三5番丁、五宝町へも延焼し、全焼52戸(45むね)半焼27戸(23むね)を出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 3月27日 社会・文化 金沢市の隣接村から市内小学校への越境通学児童整理問題は、市が石川郡崎浦、米丸、戸坂の3村5字を通学委託区域として認め、徴収する委託料は児童1人年額17円とすることで解決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 3月28日 社会・文化 (午前3時半ごろ能美郡小松町中町から出火、中町、京町、材木町、細工町、松任町、新町、殿町、泥町の524戸を全焼した。焼失工場20、寺院6。焼失面積は小松町の約4分の1。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 4月1日 社会・文化 国鉄主要駅の入場券が5銭から10銭に値上げされた。石川県では金沢駅だけ値上げ。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 4月1日 社会・文化 (石川県理髪営業取締規則が施行され、理髪営業は試験制になった。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 4月6日 社会・文化 全国で第1回消防デーが実施されたが、近年火災の多い石川県では中野知事が談話を発表し、とくに金沢市では盛大な防火宣伝の催しがおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 4月15日 社会・文化 金沢放送局(3キロ)の開局式が西町公会堂で挙行され、殿町の放送局からJOJKの本放送が開始された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 4月27日 社会・文化 大乗寺山上に建設された蓮如上人銅像の除幕式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 4月29日 社会・文化 精神病と肺結核で東京市外巣鴨町庚申塚保養院に入院中の金沢市出身作家島田清次郎死去。33歳。金沢から上京した実母みよ子が30日、遺骨を抱いて帰沢した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 4月29日 社会・文化 金沢市初代の助役大森孝次郎死去。86歳。明治22年6月から4年間初代の助役を勤め、のち金沢市実業界で活躍した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 5月1日 社会・文化 金沢における第2回メーデーは約500人が参加しておこなわれ、兼六園から市内を示威行進した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 5月11日 社会・文化 金沢放送局(JK)は四高グラウンドでおこなわれた四高対明治大学野球試合の実況を、金沢ではじめての野外中継ラジオ放送をした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 5月15日 社会・文化 午後2時10分ごろ大衆免中通から出火、2戸を全焼し、土蔵等3むねを半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 5月17日 社会・文化 加越能維新勤王家表彰会(委員長木越安綱男爵)が建設する加越能維新勤皇記念標の起工式が、兼六園長谷川邸跡東北隅の建設敷地で約50人が参列しておこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 5月17日 社会・文化 午後11時20分ごろ河北郡川北村字木越から出火、6戸を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 5月24日 社会・文化 (鹿島群中島村代本区で大火、全半焼73戸。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 5月27日 社会・文化 兼六園内金沢神社境内に建設された故北条時敬の頌徳碑の除幕式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 6月1日 社会・文化 書店主宇都宮源平死去。71歳。小松から金沢市片町に進出し、近代的書籍店を経営して成功、地方文化に寄与した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 7月2日 社会・文化 長町川岸中村ガラス工場の職工(22人)は賃金引下げに反対し、ストライキにはいった。工場主は首謀者7人を解雇、職工側は労農党支部、金沢一般労働組合の支援を得て持久戦にはいった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 7月10日 社会・文化 大礼記念金沢市立図書館の開館式が挙行された。式後記念講演会と珍書展覧会等が催された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 7月11日 社会・文化 錦華紡績は糸価暴落による紡績業不振のため、8月から社員、工手2,000人に対し、社員は月給100円以下1割、100円以上2割、200円以上2割5分、工手は8分の減給を発表した。従業員に対し、外部から働きかけが行なわれたが、動揺はなかった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 7月17日 社会・文化 石川県教育会が仙石町に新築した教育会館の落成式がおこなわれた。総工費4万3,000円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 7月25日 社会・文化 午後11時15分ごろ高岡町赤座絹織物工場から出火、工場、寄宿舎各1むねと隣接住家3戸(2むね)を全焼し、4戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 7月28日 社会・文化 四高野球部は26、27両日甲子園球場で挙行された帝大野球連盟主催第7回全国高等専門学校優勝野球大会で長崎高商、横浜高工を破って初優勝し、本夜帰校した。金沢駅から自転車パレードして学校にはいったが、沿道には1万人以上の市民が歓呼して迎え、広坂通にはちょうちん行列がうずまいた。(30日市公会堂で官民有志の優勝祝賀会が開かれた) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 8月1日 社会・文化 金沢市乳幼児健康相談所が浅野川、犀川両託児所に併設、開所した(専属の保険医1人、保健婦4人)。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 8月12日 社会・文化 午前2時5分ごろ馬場1番丁から出火、8戸(5むね)を全焼、2戸(1むね)を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 9月1日 社会・文化 金沢市立工業学校は小将町の仮校舎から泉野の新校舎に移転、授業を開始した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 9月8日 社会・文化 午前1時15ふんごろ新竪町3丁目の医師宅から出火、3戸(2むね)を全焼、4戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 9月11日 社会・文化 米欧亜3大陸1万8,000キロの大飛行に成功し、郷土を訪問する東善作(羽咋郡一ノ宮村出身)は午前11時すぎ大阪から野村練兵場に着陸、市民の歓迎を受けた。午後は県会議事堂における官民合同歓迎会に臨み、材木町小学校で講演した。(12日一ノ宮へ帰郷、18日大阪へ飛び帰った) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 9月17日 社会・文化 市産業課が市勢振興調査会の資料として市内の恩給生活者、小金貨、めかけ等で全然遊んで暮らしている無職者の調査をしたところ、全戸数の1割9分9厘に達し、この数字は全国の類似都市10士の調査と比較して金沢が最高とわかった。なお、市内の恩給ならびに扶助料受給者は2,130人である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 9月20日 社会・文化 市立浅野川会館の落成式がおこなわれた。公共の会合等に併用される。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 10月1日 社会・文化 金沢市飲食店組合は本日から、うどん、そばを一銭値下げして1杯5銭にした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 10月7日 社会・文化 北陸4県神職会が4県神職養成所を尾山神社付属建物に開設、その開所式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 10月11日 社会・文化 金沢畜産組合幹部、市会議員等が発起の公認金沢競馬場の敷地は、米丸村字御供田と増泉糸田の境界約3万坪に決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 10月15日 社会・文化 金沢スキー協会が昨年開設した卯辰山スキー場A(3,000坪)が、工兵隊の手で8,000坪に拡張された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 10月17日 社会・文化 午前6時32分すぎ石川、福井県境を中心に激震があり、金沢市内は時計の振子がとまり、たなの上の物が落ち、市民はみな戸外に飛び出した。能美、江沼両群では道路のキ裂、家屋の倒壊など相当な被害があった。震源地は大聖寺、三国沖合。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 10月25日 社会・文化 (さきに羽咋郡越路野村眉丈山に飛来した珍鳥トキが、9月にまた6、7羽飛来したのが確認されたので、農林省は県の申請により付近一帯を向う10年間禁猟区に指定した。なお眉丈山にトキが飛来したのは60余年ぶりといわれる。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 10月28日 社会・文化 大豊作と不景気が原因で米価は1升20銭以下に暴落しているが、ついに石川郡安原村の農家が、市内白銀町の街灯で「1升17銭5厘」の札を掲げて投げ売りした。しかし売れ行きはよくなかった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 10月31日 社会・文化 金沢放送局の聴取区域(北陸3県)の聴取者数が1万人に達した。金沢市の聴取者数は全世帯の9.3%である。(聴取料は月額1円) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 11月15日 社会・文化 武蔵ヶ辻の金沢ビルディングに三越金沢支店が開店した。市民多数が押しかけ満員札止をくり返した。(支店の店員300人のうち270人は金沢で採用) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 11月22日 社会・文化 金沢市内から人ぷん尿をくみ取る河北郡小坂、浅川、川北、森本、三谷、大場、八田、花園各村の村長は会合協議の結果、農家収入が激減しているので本年から、くみ取り謝礼米を従来の半分に減らすことを申合せた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 12月5日 社会・文化 石川県初めての理髪業者の免許試験が兼六会館でおこなわれた。受験者は男122人、女71人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 12月13日 社会・文化 西町尾崎神社が文部省国宝保存会総会で国宝に指定された。指定された建物は尾崎神社本殿、中門および透壁、拝殿および幣壁である。(正式告示は6年1月19日) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 12月14日 社会・文化 加越能維新勤王家表彰会が主唱し兼六園長谷川邸跡に建てた「加越能維新勤皇記念標」が完成、除幕式が挙行された。銅標に刻名表彰された勤皇家は33人、台上の前田慶寧銅像の制作者は吉田三郎。(この記念標は昭和19年の金属回収で銅像銅板との献納され、台石も撤去された) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 12月17日 社会・文化 金沢市はし尿くみ取りの市営について準備調査を開始した。内務省令汚物掃除法施行細則の改正により明年度から市営で実施しなければならなくなったもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和五年(1930) 12月26日 社会・文化 県保安課は麻雀(マージャン)の営業を許可営業することになった。金沢市内には現在、麻雀の教授所または会員組織の名目で実質的に営業しているものが50ヵ所以上に達している。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 1月18日 政治・経済 市は財源難打開の方策として戸数割賦課制度を採用する方針をきめた。相当資産をもちながら借家しているため家屋税を免れ、所得税付加税もきわめて少額に過ぎない市民も多く、負担の均衡をはかる要があるという理由。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 1月20日 政治・経済 知事中野邦一が岡山県知事に転じ、後任に滋賀県知事田寺俊信が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 1月23日 政治・経済 市勢振興調査会が提唱した明年度に金沢博覧会開催の運動は、各方面で賛成がふえているが、市内19商工団体の代表は本日吉川市長に会見、博覧会開催の請願をした。また各団体は博覧会期成同盟会を結成した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 1月24日 政治・経済 金沢電気軌道株式会社(街鉄)は臨時株主総会で、新社長に常務取締役横山一平を選任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 2月2日 政治・経済 日本銀行金沢支店長高橋臻は本店特別融通整理部主事に転じ、後任に営業局調査役貞弘重進が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 2月7日 政治・経済 金沢博覧会の明春開催が、本問題についての3回目の市会協議会で決定した。開催費の市費支出は8万円、協賛会寄付金は10万円の予定。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 2月21日 政治・経済 市会は明年の博覧会を機に金沢駅の改築をめざして「金沢駅改築促進意見書」を各派共同で提案し、満場一致可決した。(3月3日吉川市長、沢野議長が上京して鉄道大臣に意見書を提出した) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 2月28日 政治・経済 特別市税戸数割の新設が予算市会で可決された。審議中の議場へ傍聴席から戸数割反対のビラ(金沢借家人同盟の名義)がまかれ大騒ぎになった。議場へのビラまきは金沢市会最初の出来事である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 2月28日 政治・経済 吉川市長ら市3役は市会の承認を得て、明年度から経費節減の意味で自発的に減俸することにした。減俸額は市長年額1,000円(現在6,500円) 助役500円(現在3,500円) 収入役200円(現在2,200円)。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 3月8日 政治・経済 金沢市の発展のために大野築港の実現をめざす大野築港期成同盟会が地元大野町で結成され、発会式が挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 3月9日 政治・経済 金沢競馬土地株式会社の創立総会が開かれ、社長に沢野外茂次が就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 3月24日 政治・経済 石川郡大野町会は金沢港湾の築港調査費1,000円を可決した。金沢市も1,000円の支出を決定しているので、両市町で近く調査開始の予定。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 4月25日 政治・経済 明春開催の博覧会の名称は「産業と観光の大博覧会」、会期は4月12日から6月5日まで55日間と決定した。市の博覧会特別会計予算は総計65万5,000余円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 5月26日 政治・経済 市営公益質屋の設立が市会で決定、公益質屋条例が可決された。貸付金額は1口10円以内、1世帯50円まで、貸付利率は月1分2厘5毛で一般質屋の約半額となっている。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 6月5日 政治・経済 片町の道路舗装が完成し、商店街は祝賀の催しをした。(舗装は総工費1万5,400円、うち地元負担は4分の1) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 6月6日 政治・経済 北支那駐屯軍として第9師団の歩兵7、歩兵35、歩兵19各連隊から1個中隊ずつ計3個中隊が派遣されることになり、歩兵第7連隊から派遣の第10中隊(竹内章雄大尉以下約150人)が金沢を出発した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 6月12日 政治・経済 犀川鉄橋南西の石川郡米丸村に完成した金沢競馬場(金沢競馬土地会社所有)で、初めての競馬が県畜産組合連合会主催で開催された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 6月 政治・経済 市会は新たに金沢市会議員章をつくった。新議員章は梅花を銀浮き彫りにし中央に「金」の文字を配したもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 7月25日 政治・経済 市はさきに下水道専任技師を迎えて下水道築設の準備調査を進めていたが、近く下水道の本格的調査を開始することになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 8月11日 政治・経済 金沢市水道局は市内の水道普及率が給水申込み数6,800戸(うち給水3,500戸)と依然少ないので、昨今の井戸渇水期を利して大宣伝に乗出し、水道行進曲の発表をはじめ、本日は自動車行列で工事費割引きの抽選券づき宣伝づき宣伝ビラ3万枚を市内に散布した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 8月11日 政治・経済 金沢電気軌道会社は市内電車の幹線軌道(幅員3間)の改修舗装を、40万円で本年度中に完成することに決定した。一方、県土木課も幹線道路の舗装(軌道幅3間を除く約5間幅の舗装)を近く着工する。総工費約10万9,000円で半額は県費、残り半額は市費と地元が折半負担。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 8月25日 政治・経済 市ならびに大野町の要望により、金沢築港問題調査のため帝国港湾協会から工学博士安芸杏一ほか7人が来沢、3日間にわたり実施視察と調査した。視察後安芸博士は「築港は技術的面からみて多少の欠点はあるが、さして困難なことではない」と述べた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 9月19日 政治・経済 市が今春来実施中の金沢市下水道の基本調査が終わった。数十本の下水本線の放水口は浅野川、犀川に各9ヵ所設けることにし、両川の汚染による衛生的影響は市がさらに調査をおこなうことになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 9月25日 政治・経済 県会議員選挙は24日おこなわれ、25日開票された。金沢市の結果は次の通り。〔当選〕餝谷与右衛門(政友前)坂野権次郎(民政前)加賀谷源吾(青年新)辻本辰之助(政友新)能村仁太郎(民政新)金田一次(民政新)〔次点以下〕神保重吉(政友前)沢野外茂次(民政前)寺田直義(民政新) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 9月26日 政治・経済 (県会議員総選挙の結果石川県会の分野は政、民の地位が入れかわり民政派21、政友派11となった。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 10月1日 政治・経済 市は本日から市税商品切手発行税の賦課を実施した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 10月16日 政治・経済 金沢市の上水道通水式が、出羽町練兵場配水池付近で600余人が参列して盛大に挙行された。市中は小学生の旗行列のほか多くの催し物でにぎわった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 10月23日 政治・経済 (県会は正副議長選挙をおこない、議長に関戸寅松、副議長に谷内星七を選出した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 10月23日 政治・経済 政民両党の対立でタナざらしになっていた月棒100円以上の県吏員の減棒が県会で議決された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 10月31日 政治・経済 金沢市水道事務所が閉所式をおおこなった。事務所員86人のうち34人が解雇され54人が残務整理に当る。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 12月2日 政治・経済 加州銀行は横山家と同鉱業部に対する破産申請を取下げたので、金沢地方裁判所は昨年12月金沢区裁判所が下した破産決定宣告を取消した。破産取消しにより紛争中の尾小屋鉱山は、横山鉱業部から東京の宮川豊吉に44万8,500円で売却された。(新経営者宮川はその後従業員350人を整理し、残余者の賃金を2割下げて12月25日操業を再開した) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 12月10日 政治・経済 県会は県費節減のため県会議員歳費の5分引下げを決定した。新歳費は議長760円、副議長620円、議員457円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 12月12日 政治・経済 金沢市の幹線大通りの舗装完成祝賀会が、駅前より本町通り、白銀町、安江町上下堤町、南町、石浦町、広坂通、尾張町の沿道9ヵ町連合主催で開かれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 12月13日 政治・経済 若槻内閣総辞職のあとをうけて犬養政友会内閣が成立し、県人中橋徳五郎(69歳)が内務大臣は就任した。また永井柳太郎は民政党幹事長に就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 12月18日 政治・経済 犬養内閣初の地方長官大異動で、知事田寺俊信は休職となり、後任に元内務監察官平賀周が任命された。平賀は千葉県出身、代議士1回当選。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 12月26日 政治・経済 金沢電気軌道会社から鉄道省に営業免許申請中の金沢市内バスが免許された。明年3月から運行予定。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 1月9日 社会・文化 第四高等学校長武藤虎太は第五高等学校長に転じ、後任に水戸高等学校長小松倍一が任命された。小松は長野県人で四高出身、明治44年から大正2年まで金沢一中校長をつとめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 1月18日 社会・文化 午前1時40分ごろ栄町の米屋から出火、2戸を全焼、土蔵1むねを半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 2月6日 社会・文化 金沢市方面委員助成会の事業として昨年末新築された精神病者鈴見保護所が開所した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 2月8日 社会・文化 牧師米人T.C.ウイン石浦町日本キリスト教会で死去。81歳。明治12年来沢し、石川県中学師範学校教師のかたわら伝道に従事、同16年北陸英和女学校を創設した。明治31年大阪へ転じたが昨年再び金沢に来住、金沢を永住の地と定めていた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 2月24日 社会・文化 市内法島町で石川県初めての牛の炭疸病が発生、乳牛2頭が死んだ。市は付近3ヵ町に家畜出入厳禁を掲示した。満州から移入の豆カスが感染源らしい。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 3月3日 社会・文化 久保田全死去。87歳。旧藩長氏の家臣、金沢区政時代からこれに参与し、明治22年第1期の市会議員に当選、以後県市会議員に数回当選した。のち実業界に入り明治38年金沢電気瓦斯会社専務となり市営移管まで在任した。長女は山崎延吉の妻。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 3月13日 社会・文化 午後7時50分ごろ中堀川町から出火、西堀川町にも延焼し、商店など全焼2戸半焼5戸を出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 3月14日 社会・文化 昭和4年2月25日焼失した馬場小学校の再建築が完成、落成式ふが挙行され、生徒の旗行列など祝賀行事が催された。鉄筋コンクリート3階建、延べ坪数1,541坪、総工費22万1,954円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 3月26日 社会・文化 (県は小学校教員初任給の引下げを決定、本科男子の48円を45円に、女子の43円を40円に引き下げると発表した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 4月1日 社会・文化 市は高岡町高等小学校の新校舎が完成したので、これに野町、森山町、味噌蔵町各女児高等小学校の高等科児童と此花町、諸江町両高等小学校の高等科女児を全部収容した。これで高岡町高等小学校の児童数は21学級928人となった。(野町、森山町、味噌蔵町の各校はそれぞれ尋常小学校と改称) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 4月7日 社会・文化 前夜から暴風雨となり市内の積雪13.7センチ、兼六園のチラホラ咲きの桜も大被害、花見時のこの降雪量は金沢測候所開設以来の新記録である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 4月11日 社会・文化 四高生徒の読書会を中心とする反帝同盟事件は金沢地方裁判所で予審終結し、四高生15人が治安維持法違反として公判に付された。被告らの容疑は共産党の指揮を受けて一般学生、労働者に働きかけ、昨年の海軍記念日に出羽町練兵場の模擬軍艦に不穏文書を張りつけ、また10月、錦華紡績の寄宿舎に侵入しアジビラを散布した等というもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 4月 社会・文化 今年度から実施を目標に調査準備を進めた金沢市のし尿くみ取り市営は、県から1年延期が認められた。金沢市の現状からここ1両年は実施困難の見込み。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 5月7日 社会・文化 (山中温泉で大火、全半焼738戸、重軽傷33人。山中町で焼け残りは269戸。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 6月1日 社会・文化 午前2時半ごろ金沢医大付属病院大里内科研究室から出火、木造2階建(83坪)の同室と山田内科研究室を全焼した。消防作業中の青年訓練所生徒1人と見舞客の1人が死亡、数人が負傷した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 6月5日 社会・文化 午前0時すぎ梅本町東横町の菓子工場から出火、2戸を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 6月22日 社会・文化 元四高生ら15人にかかる反帝同盟事件の第1回公判が、金沢地方裁判所で開かれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 6月27日 社会・文化 石川県連合婦人会の発会式が市公会堂でおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 6月 社会・文化 衰退の一路をたどる人力車は、県保安課5月末現在の調査によると金沢市内に81台、県下全体で229台となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 7月8日 社会・文化 中町の中村兄弟印刷所従業員13人が、賃金引下げに反対してストライキにはいった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 7月9日 社会・文化 午前11時ごろから金沢地方に集中豪雨襲来、午後から犀川、浅野川が8尺以上増水、市内の浸水家屋は400戸を越え天神町ほか各所でがけくずれがあり、浅野川2ヵ所と金腐川で堤防が決壊した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 7月13日 社会・文化 四高反帝同盟事件の元四高生ら15人に、金沢地方裁判所で禁固1年から2年いずれも執行猶予の判決が言渡された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 7月20日 社会・文化 森山町校下方面委員部が卯辰山汐見坂下に建設した東山寮の開所式がおこなわれた。校下のカード階級のために建てたもので、室数11。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 7月29日 社会・文化 (羽咋郡越路野村眉丈山附近のトキは四高市村塘教授、金沢三中安田作次郎教諭らの現地調査の結果、渡り鳥でなく眉丈山に定住しているものと判明した。この調査で市村教授らは成鳥3羽、ひな鳥2羽を確認した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 8月8日 社会・文化 米原於菟男死去。67歳。大正4年から昭和4年まで市議、県議、代議士に数回当選、政友会に所属し地方政界の重鎮であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 8月14日 社会・文化 県統計課の調査によると、昭和5年末現在の石川県内の自動車数は乗用車457台、トラック344台計801台で人口1万人につき1.1台となっている。(全国平均は11.5台、アメリカは2,079台) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 8月17日 社会・文化 県保安課は金沢市内の交通事故防止と交通取締りの徹底を期すため、広坂、玉川両署に専任交通巡査6人ずつを置き香林坊、武蔵ヶ辻両交差点で「ゴー・ストップ」の交通整理を開始した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 8月31日 社会・文化 (尾小屋鉱山従業員1,250人は未払い賃金の支払いを要求してストライキにはいった。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 9月16日 社会・文化 香林坊にカフェー大阪美人座(香林坊ホテル地下室)が11日開店、またカフェー大阪赤玉(万年館跡)が本日開店した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 9月16日 社会・文化 広坂署は大阪カフェーの進出を機にカフェー取締りに力を入れ、女給の街頭広告ビラまき、広告あんどんのサンドイッチマン、ジャズおよびジャズダンスの演奏、実演等を禁止した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 11月9日 社会・文化 真館貞造死去。78歳。鹿島郡出身、明治年間能美郡で銅山を開発経営、また県会議員、代議士、北陸新報社長として明治の地方政界に活躍した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 11月11日 社会・文化 午後7時ごろ川岸町から出火、4戸(1むね)全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 12月10日 社会・文化 金沢最初のカフェー石浦町のカフェー「ブラジル」は、純レストラン「仙宝閣ブラジル」として改築、開店した。(3階建、延べ500坪) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 12月18日 社会・文化 午後11時20分ごろ高岡町上藪ノ内から出火、2むねを全焼した。この火事で俳人野代谷徳次郎(桃芽)宅の小春庵も類焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 12月28日 社会・文化 県特高課は今暁、県下の左翼分子53人を一斉検挙し、その新聞記事掲載を禁止した。(翌7年7月26日、新聞記事掲載禁止を解除し、検挙者中共産党員輪田一造ら3人を起訴、他は釈放したと発表した) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和六年(1931) 12月31日 社会・文化 石川舜台長町道林寺で死去。91歳。川上新町永順寺に生れ、東本願寺の寺務総長を5回務め、その学殖と政治的手腕をうたわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 2月2日 政治・経済 上海事変で第9師団へ応急動員が下令された。(7、8日両日歩兵第7連隊を先頭に金沢を出発、14日上海の呉淞に上陸した) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 2月18日 政治・経済 市電気局は市内の要救護世帯全部(200世帯)に対し、5燭光電灯1個ずつを無料でつけることをきめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 2月22日 政治・経済 犬養政友会内閣のもとで普選第3次衆議院議員総選挙が20日行なわれ、次の結果となった。〔第1区〕当選23,289票中橋徳五郎(政友前)同20,151票永井柳太郎(民政前)同17,382票箸本太吉(政友元)次点8,770票武谷甚太郎(民政前)〔第2区〕無投票当選 桜井兵五郎(民政前)青山憲三(政友前)益谷秀次(政友元) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 2月24日 政治・経済 市会は第9師団上海出征兵に対し感謝激励の決議をした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 3月1日 政治・経済 歩兵第7連隊林大八大佐が江湾鎮付近で戦死した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 3月3日 政治・経済 満州上海事変のぼっ発による時局の重大化で、市主催産業と観光大博覧会を予定通り開催するかの議論が市の内部にも出ているが、吉川市長は博覧会の内容を国防強調を加味したものにして、予定通り4月12日から開催することを決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 3月16日 政治・経済 金沢築港問題をきめる帝国港湾協会委員会が、地元から吉川市長も出席した東京で開かれ、第1期工事として総工費600万円で商業港、工業港、木材港、漁港を重ねた金沢港を築説する調査基礎案を全会一致で認定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 3月28日 政治・経済 2月21日上海江湾鎮西北方の戦闘で重傷を負い、支那軍の捕虜になった歩兵第7連隊第2大隊長空閑昇少佐(佐賀県人、46歳)は、3月15日上海に送還されたが、本日江湾鎮の旧戦場でピストル自殺をとげた。(現地ならびに金沢では空閑少佐に対する同情が高まり、家族弔慰の寄金が続いた) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 4月1日 政治・経済 金沢市は電気局(電気ガス事業)と水道局を合併し、金沢市電気水道局と改称した。局長には電気局長尾戸次作が就任。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 4月1日 政治・経済 (昨年12月横山家から宮川豊吉に売却された尾小屋鉱山は、宮川から日本鉱山株式会社の経営に移った。日本鉱業は尾小屋従業員に対し、賃金引き上げと労働時間の一時間短縮など待遇改善を実施した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 4月1日 政治・経済 金沢城循環道路として昨年11月から工費8,600円で工事中の宮守堀道路が完成、本日から一般の通行を許した。広坂通の赤十字社石川県支部横から県庁と四高裏を通り、師団司令部下から西町の金沢憲兵隊横に通ずる幅6間、延長約320間の道路で、多数の街灯を設け自動車道路としても、一般歩行道路としても利便が大きい。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 4月3日 政治・経済 金沢電気軌道会社の市内バスが運転を開始した。バスは10台で1台12人乗り。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 4月10日 政治・経済 木ノ新保の金沢市職業紹介所(市社会課所管)は業務の拡張をはかるため、広坂通の元金沢市信用組合跡を修築、本日移転開所した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 4月11日 政治・経済 昭和4年12月の金沢市会議員選挙無効訴訟(提訴者野口徳次ほか2人)に対し、行政裁判所は「末位当選者2人の当選を無効とする」判決を下し、諸橋伊右衛門(民政)西野三郎(中立)両議員が失格した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 4月12日 政治・経済 金沢市主催の「産業と観光の大博覧会」の開会式が出羽町練兵場の第1会場で県内外から約1,600人を迎えて盛大に挙行された。第2会場は旧城本丸跡。会期は6月5日まで」の55日間。博覧会予算は68万余円、入場料は40銭。出品物陳列館は本館、観光間、美術工芸館、学芸館、農産館、機械館の6館。特設館は国防館、満蒙館はじめ各植民地館、府県館など18館。博覧会名誉総裁は前田利為候爵。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 4月16日 政治・経済 西町市公会堂の増改築(工費5万円)が完成し、本日開催の全国新聞記者大会からしようされた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 4月29日 政治・経済 上海新公園における天長節祝賀会場に爆弾が投げられ、川端民団会長死亡、白川軍司令官(5月26日死亡)植田第9師団長、野村第2艦隊司令長官、重光公使ら重傷。犯人は朝鮮人尹奉吉(25歳)。(尹は上海派遣軍軍事法会議で死刑の判決を受け、12月19日金沢市郊外三小牛陸軍作業場で銃殺刑を執行された) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 5月18日 政治・経済 社会民衆党石川県第一(金沢)支部は中央における社民党の分列により、赤松克麿らの国家社会主義新党準備会を支持することをきめた。第二(七尾)支部は社民党にとどまった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 5月22日 政治・経済 上海から第9師団の帰還第1陣として師団衛生隊が金沢に帰還した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 5月26日 政治・経済 斉藤実挙国一致内閣成立し、金沢出身の永井柳太郎が初めて入閣、拓務大臣に就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 5月28日 政治・経済 昨年4月着工した金沢市南端国道が完成、完工報告祭が芦中町広場でおこなわれた。夜は地元各町で祝賀会が催された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 6月5日 政治・経済 金沢市主催の産業と観光の大博覧会が閉会した。会期55日間の有料入場者は47万278人(ほかに無料入場者約10万人)、入場料収入は12万8,600余円で大体成功とみられている。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 6月6日 政治・経済 小立野の百々女木町から材木町1丁目に至る木曽坂新道が完成、開通式がおこなわれた。昨年秋から工費1万円で開さくしたもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 6月8日 政治・経済 第9師団最後の帰還部隊として歩兵第7連隊主力が金沢に帰還、市民の歓迎を受けた。(植田中将ら師団司令部は6月6日帰還)金沢市内では同夜、帰還祝賀のちょうちん行列が盛大に催された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 6月13日 政治・経済 市会は27議員提出の「中央卸売市場設置促進の意見書」を全員一致可決した。意見書は「金沢の現在の市場は全国まれに見る無秩序極まる集合市場を形成し百害あって一利なく、保安衛生の設備もなく、警察の監督も有名事実である。市当局はすみやかに中央卸売市場設置のため、調査委員会をつくり調査を開始せよ」というもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 6月18日 政治・経済 上海事変における第9師団の戦死者452人の慰霊祭が、管下5県知事も参列して歩兵第7連隊営庭で盛大に執行された。なお歩兵第7連隊の戦死傷数は、戦死110人(将校12下士官兵98)戦傷236人(将校24士官兵212)であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 6月18日 政治・経済 社会民衆党から分裂した日本国家社会党の金沢支部結党大会が、党務長赤松克磨らを迎え下新町福助座で挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 6月26日 政治・経済 天津駐とん第9師団派遣隊の歩兵第3個中隊が内地に帰還、うち歩兵第7連隊から派遣の第10中隊が金沢に帰還した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 6月28日 政治・経済 斉藤内閣初の地方官大異動で知事平賀周は休職、後任に元山形県知事山口安憲が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 6月28日 政治・経済 金沢電気軌道会社の新社長に、取締役菅野伝右衛門が就任した。(横山一平辞任以来社長空席中) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 6月 政治・経済 市会は帰還の植田第9師団長と師団将兵に対し感謝状を贈った。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 7月9日 政治・経済 金沢市会議員補欠選挙が8日おこなわれ9日開票の結果、民政5人と政友3人(立候補は民6政6青年1)が当選した。市会の新分野は民政23、政友8、青年党3、中立2となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 8月27日 政治・経済 (七尾線が穴水まで開通した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 9月1日 政治・経済 第9師団長植田謙吉中将は参謀本部付となり、後任に航空本部付荒蒔義勝中将が補せられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 9月10日 政治・経済 石川県の貴族院多額納税者議員選挙が県庁でおこなわれ、入票数85票のうち男爵本多政樹が84票を得て当選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 10月2日 政治・経済 (手取大橋が完成、渡橋式がおこなわれた。総工費45万円、2ヵ年余をかけて完成した北陸国道のモダン鉄橋である。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 10月8日 政治・経済 百貨店自制案により三越百貨店金沢支店は、本月から月3回(8の日)の定休日を設けた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 10月9日 政治・経済 金沢港期成同盟会の発会式が市公会堂で挙行され、引続き金沢港期成市民大会が開かれた。期成同盟会は満州国承認を機に、対満貿易港としての金沢港の築設を促進しようとするもので、会長は相良歩。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 10月13日 政治・経済 金沢の中小商工業者救済を目的とする金沢商工連合同盟会は大会を開き、決議により代表朴木市議ら50余人が吉川市長に会見、「中小商工業者救済のため市はすみやかに中小業者の電気料をデパートなみに低減すること、すみやかにデパートおよび法人に対して独立税を新設徴収すること」などを要請した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 10月15日 政治・経済 市は失業救済事業として道路舗装を実施するが、尻垂坂は傾斜を研究の結果、御影石のブロックで舗装することになった。完成すれば全市舗装中最も完全なものになる。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 11月2日 政治・経済 県が計画中の女給等にかける給仕人税に反対して、市内カフェーの女給が教育会館で女給税反対期成同盟会の発会式をあげ、大会後県庁に反対陳情した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 11月29日 政治・経済 県会は金沢港築設に関する建議案を可決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 12月1日 政治・経済 市会は石川県知事に提出する金沢築港の意見書を可決した。また三土鉄道大臣に提出する金名鉄道(岐阜県樽見より福井県大野を経て金沢市に至る線)の建設促進に関する意見書も可決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 12月20日 政治・経済 金沢に定期航空用の飛行場設置運動が、有志市会議員によって開始された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 12月28日 政治・経済 金沢都市計画区域内にある戸板、小坂、米丸、三馬、富樫、崎浦6ヵ村の一部に、明年1月17日から市街地建築物法を適用することになったむね内務省から告示された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 1月5日 社会・文化 広坂通の金沢能楽堂が落成、本日から3日間、宝生重英らを迎えこ舞台開きがおこなわれた。建坪220坪、舞台は台湾阿里山のヒノキ造り。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 1月19日 社会・文化 石川郡金石町の6ロープ工場と下請工場の職工200余人は、工賃値上げを要求してストライキにはいった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 1月26日 社会・文化 先端職業ののメッセンジャー・ボーイが金沢に生れた。営業事務所は広坂通で、贈答品の配達や用事の使い歩きなどをするもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 3月14日 社会・文化 井村徳三郎死去。66歳。金沢市最初のデパート経営者、現在宮市大丸常任監査役であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 3月15日 社会・文化 郷土史資料の研究、郷土先輩の顕揚などを目的に金沢文化協会が市立図書館を中心に創設された。総裁前田侯爵、会長中島徳太郎。運営は発起人の日置謙、玉井敬泉、氏家栄太郎、大友佐一、毎田周太郎、藤沢熊吉らがあたる。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 3月19日 社会・文化 一昨年2月から30万5,000円で増築中の高岡町高等小学校の鉄筋コンクリート3階建新校舎が完成、落成式が挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 3月20日 社会・文化 午後7時すぎ博労町の金沢郵便局前から出火、同町と十間町の民家3戸を全焼、3戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 3月26日 社会・文化 午後0時50分ごろ淵上町の民家から出火、3戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 3月26日 社会・文化 木越安綱東京で死去。79歳。金沢市三社出身で陸軍中将、男爵、貴族院議員、第3次桂内閣で陸相をつとめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 3月30日 社会・文化 午後8時半ごろ栄町から出火、商店等2戸を全焼、2戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 4月16日 社会・文化 上鶴間町に真性天然痘患者1人発生。(市内ではその後6月21日に1人発生したのみ。全国発生数は5月12日までに大阪府102人を筆頭に計159人) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 4月18日 社会・文化 日本新聞協会第20回大会が総裁東久邇宮稔彦王はじめ、会員250余人出席して広坂通の県会議事堂で開かれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 5月2日 社会・文化 午後10時45分ごろ田丸町の木箱製造工場から出火、同工場と納屋の2むねを全焼、自動車車庫など4むねを半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 5月13日 社会・文化 午後11時ごろ野田町の農家の納屋から出火、住家1むねと納屋3むねを全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 5月13日 社会・文化 四高名誉教授浦井鍠四郎死去。65歳。葬儀は四高北辰会葬でおこなわれた。明治25年四高教授となり、在職40年その著「西洋史年表」は名著の評が高かった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 5月24日 社会・文化 午後1時10分ごろ野町尋常小学校旧校舎を理科室と手工室の一部だけ残してほぼ全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 5月30日 社会・文化 粟崎遊園大衆座演芸部長川上一郎(宮本美木)死去。62歳。大聖寺町の出身で少壮時政治にこり政談演説や壮士芝居に関係したりした。わが国新劇界の古顔で知られた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 6月1日 社会・文化 午前8時50分ごろ片町のきんとん商から出火、商店5戸を全焼、1戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 6月1日 社会・文化 材木商平沢嘉太郎死去。69歳。金沢の一木晩職から北陸一の材木商となり、浅野川電鉄を創設、粟崎遊園を建設した。明治41年金沢市議にもなった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 6月4日 社会・文化 夜10時すぎ河北郡小坂村百坂の国道で、森下町の斎藤タクシーの運転手が乗客を装った強盗に絞殺された。犯人3人は6日までに逮捕された。金沢地方はじめての自動車強盗殺人事件である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 6月10日 社会・文化 横山一平死去。70歳。旧藩士横山隆三の次男、金沢電気軌道会社、東洋捕鯨会社の各社長をはじめ実業界に大きな足跡を残した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 6月16日 社会・文化 卯辰山招魂社移遷問題協議会で県、市、軍部の代表が協議の結果、新たに出羽町練兵場に新招魂社を増築することを決定した。約4,000坪の敷地の払下げを受け、2ヵ年計画総工費約15万円で増築の方針。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 7月10日 社会・文化 金沢市主催の金沢市在住日支事変出征将士凱旋歓迎会が、市公会堂で午後0時半から(下士官兵)と午後6時半から(准士官将校)の2回にわけて、盛大に挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 7月 社会・文化 卯辰山の小坂口山上の景勝地約2万坪(私有地)に墓地公園を新設したいと、田丸町専光寺壇家総代西田儀一郎から都市計画石川地方委員会に対して、可否の調査を依頼してきた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 9月1日 社会・文化 北陸線に3等寝台車がはじめて連結運転された。連結列車は上野、金沢間601、602両急行列車。(9月15日から大阪、金沢間503、504両列車にも連結) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 9月4日 社会・文化 午後7時すぎ石川郡犀川村中戸で火事、住家4むねを全焼、3むねを半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 9月5日 社会・文化 長田町に新設された市立長田町小学校の開校式が挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 9月7日 社会・文化 三浦環が、市公会堂で満員の聴衆を集め独唱会を開催した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 9月17日 社会・文化 金沢市最初の防空灯火管制演習が、午後8時半から約1時間にわたりおこなわれた。防衛司令部は武蔵ヶ辻の金沢三越屋上に置かれ、司令官は第9師団司令官は第9師団司令部平田小将。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 10月6日 社会・文化 金沢3庭園の一つといわれた山田屋小路元松岡家庭園は、庭石、樹木、茶亭を全部売却した。同庭園は旧藩時代前田土佐守の別荘だった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 10月13日 社会・文化 石川県婦人国防会の発会式が市公会堂で挙行された。県下各種婦人団体が加盟し、師団長と知事が顧問に就任。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 10月18日 社会・文化 舞踊家高田せい子(県立金沢第一高女出身)の独立第1回郷土公演が尾山倶楽部でおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 10月22日 社会・文化 (午後1時ごろ小松町大文字町の活動写真館から出火、小松駅をはじめ竜助町、三日市町、八日市町、大文字町、寺町、土居原町、飴屋町、西町、東町、本折町と園村の1,188戸を全焼、12戸を半焼した。原因は活動写真館の盗電、館主は11月21日懲役6月に処せられた。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 10月31日 社会・文化 午前2時ごろ中主馬町の箔工場から出火、工場住家等2むねを全焼、1むねを半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 11月4日 社会・文化 午後6時50分ごろ、秋季演習で留守中の歩兵第7連隊第3中隊東端あき兵舎から出火、1、2、3中隊兵舎(木造2階建)とあき兵舎1むね計約800坪を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 11月6日 社会・文化 金沢市内の27婦人団体で組織された金沢市連合婦人会の発会式が、市公会堂で挙行された。非常時に直面し相互の連絡提携、家庭教育の振興をはかり国運進展に資するのが目的。総裁吉川市長、会長市川助役、事務所は市社会課内。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 11月15日 社会・文化 帝国発明協会石川支部の発会式が挙行された。支部会員は129人、支部長は知事。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 11月25日 社会・文化 金沢野球協会が設立された。設立総会で市立金沢工業学校野球場に5,000人収容のスタンド寄贈を決めた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 12月3日 社会・文化 石川県ダンスホール取締規則の制定により県内でダンスホールの開業ができることになり、並木町尾山倶楽部3階にダンスホールが開業した。ダンス教授が主で会員組織、経営は尾山倶楽部座主山森三九郎。これよりさき8月ごろすでに、下新町に水野朗が小規模な社交ダンスホールをひらいていた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 12月16日 社会・文化 午前0時45分ごろ穴水町のあき家から出火、2むね(4戸)を半焼した。保険金詐取を目的の放火によるもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和七年(1932) 12月19日 社会・文化 金沢の興行主山森三九郎死去。59歳。明治33年ごろから金沢で芝居興業を手がけ、大正11年以来尾山倶楽部を経営、全国の興業界でも有力な存在だった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 1月7日 政治・経済 カフェー女給等を対象とした県税給仕人税(最高月額1人につき2円)は、女給等の反対運動を押切り4月から課税に決定したが、金沢市が賦課する給仕人税付加税は本税1円につき50銭にきまった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 1月10日 政治・経済 (ソビエト通商代表部七尾支部が開設され、初代駐在員が着任した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 2月13日 政治・経済 (県参事会は本県最初の愛県公債137万円の発行を可決した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 3月25日 政治・経済 金沢の右翼系団体の国家社会党金沢支部、国家社会主義青年同盟金沢支部、国家社会主義学盟石川地方会、神武会石川連合支部、国民青年同盟金沢支部、大日本生産党準備会の6団体が国難打開連合協議会を結成した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 3月29日 政治・経済 金沢商公会議所の議員改選がおこなわれ、28人が無競争で当選した。投票数890票。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 4月14日 政治・経済 (1月10日開設したソビエト通商代表部七尾支部は、代表部の内部事情との理由で駐在員が七尾を引き揚げたため事実上閉鎖された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 4月18日 政治・経済 金沢商工会議所は改選後初の議員総会を開き、会頭に中島徳太郎、副会頭に石黒伝六を再選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 4月24日 政治・経済 長柄町公設市場が開設された。小立野白山町にあったものを移転したもので店舗は13店。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 4月28日 政治・経済 尻垂坂の御影石舗装工事が開始された。3寸立方の御影石約28万個を舗装面積700坪に並べる工事で、御影石舗装は北陸地方でこれが最初だけに毎日見物人が多い。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 5月1日 政治・経済 市の消防組合の変革がおこなわれ、従来の第1部を廃止して常備消防部が新設された。常備消防部の事務所と器具置場は今秋までに百間堀に新設し、自動車ポンプを4台にふやす。また従来の第2部は2分して第1部、第2部として上中島町に第18部を新設し、腕力ポンプ10台を廃止して各部に上水道使用の水管車を配置した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 5月1日 政治・経済 初めての金沢市営公益質屋が木ノ新保5番丁元職業紹介所跡に開設された。利子は月1分2厘5毛。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 5月3日 政治・経済 金沢商工会議所は次の6人を顧問に選定した。飯尾次郎三郎、本多政樹、餝谷与右衛門、青戸信賢、沢野外茂次、坂野権次郎。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 5月14日 政治・経済 満州国松花江流域に入植する武装農業移民の選抜試験が歩兵第7連隊でおこなわれ、石川県下から32人が決定した。うち金沢市居住者は4人。(7月7日神戸から出発した) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 5月30日 政治・経済 金沢築港促進協議会が市と金石町、大野町、戸板村、大野村、粟崎村、鞍月村、潟津村の各隣接町村代表が集って開催され、第一段階として大野川改修を内務省と県へ請願して運動を進めることをきめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 6月25日 政治・経済 金沢市と関係町村長連署の大野川改修請願書が20日県と内務省へ提出され、本日、陳情のため関係市町村代表が大挙上京した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 8月1日 政治・経済 北陸線小坂信号場は停車場に昇格、「東金沢駅」として開業した。金沢駅から2.6キロ、森本駅から2.9キロ。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 8月4日 政治・経済 能村仁太郎の死去に伴う金沢市選出県会議員補欠選挙が3日行なわれ、市会議長沢野外茂次(民政)が当選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 8月28日 政治・経済 金沢市は政府予算編成期を前に、懸案の北陸鉄道局設置運動を県、商工会議所、鉄道局設置期成同盟会と提携して進めることにし、市会全員協議会を開いて具体的運動方法を協議した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 9月2日 政治・経済 鉄道局設置期成同盟会主催の北陸鉄道局設置市民大会が高岡町高等小学校で開催された。北陸鉄道局誘致に目下名乗りをあげている市は、金沢のほか新潟、富山、長野、長岡、新津、福井の各市である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 9月3日 政治・経済 北陸鉄道局設置運動のため吉川市長と市会議員7人が市の請願書、市民大会決議を携えて商工会議所、期成同盟会代表らと共に上京した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 9月3日 政治・経済 大豆田町錦華紡績工場前の鉄道線路下をくぐり戸板村南部に出る連絡道路が開通した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 9月27日 政治・経済 司会は鉄道省に建議する北陸鉄道局設置意見書を、全会一致可決した。市会代表の市議8人は、市民約4万人の署名簿を携えた期成同盟会および商工会議所代表らと共に同夜上京、競争市の新潟と対抗して最後の猛運動をおこなう。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 10月1日 政治・経済 北陸3県を区域とする農林省の米穀事務所が田丸町福徳生命ビル内に開所した。米穀統制法施行に伴い米穀買入れにあたるもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 10月3日 政治・経済 金沢市の隣接町村合併問題は、県から関係町村に対する瀬踏み的勧奨を一応終ったので、県は金沢市と次の12町村の代表を招き第1回の合併勧奨協議会を開いた。金石町、大野町、潟津、粟崎、鞍月、大野、戸板、米丸、三馬、崎浦、小坂、川北各村。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 10月23日 政治・経済 陸軍特別大演習が天皇統監のもとに福井県下と石川県一部で23日から3日間おこなわれた。参加師団は第9師団と善通寺第11師団。石川県は15日から福井市に出張所を設置した。大本営は福井県庁。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 12月1日 政治・経済 常備消防の本部、金沢市消防事務所が百間堀市有地に完成、落成式が挙行された。毎日交代で17人の常備消防士が待機する。常備の自動車ポンプは4台。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 12月5日 政治・経済 定数が40人に増員後初めての金沢市会議員選挙が4日執行され、本日開票の結果民政党21人、政友会10人、中立6人、青年党3人が当選した(立候補71人)。最高位当選は924票、最下位当選は314票。当選者次の通り。沢野外茂次、金田一次、高瀬与吉、田原太三郎、岡島友作、浅井嘉久治、中川外吉、寺田直義、小沢他喜三、常川兵次、桜町茂助、和田信一、朴木元次郎、内田徳義、蚊爪与一郎、吉田宗一、越野義久、武伊三郎、前川吉栄、森田伊三郎、勝田庄次郎(以上民政党) 森岡武吉、神保重吉、餝谷与右衛門、小林清吉、富木喜久男、安田一二、藤田藤七、松田三吉、重山徳好、和田源五郎(以上政友会) 林政武、西野十陛、松倉清次郎、加藤与吉郎、和田貢、横山登、(以上中立) 横越多三郎、吉川二三郎、加賀谷源吾(以上青年党) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 12月5日 政治・経済 金沢出身の住友総理事小倉正恒が貴族院勅選議員になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 12月8日 政治・経済 平沢嘉太郎が建設した粟崎遊園は、加能合同銀行と福井銀行が平沢家に対して有する債権処理のため競売に付された。この結果粟崎の仲介業者が2万9,050円で落札したが、資力不足のため12月8日再入札に付されて浅野川電軌会社の手に渡った。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 12月17日 政治・経済 市会は正副議長選挙をおこない、議長に沢野外茂次(民)、副議長に吉田宗一(民)を再選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 1月7日 社会・文化 午前0時40分ごろ三社五十人町3丁目の津田式力織機製作所から出火、工場内発送所、木工部、鉄工部計70坪を全半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 1月10日 社会・文化 金沢税務署の調査によると、金沢市内の借家賃の最高は三越支店の年額7万6,00円、次位は宮市大丸の同2万2,000円である。その他魚半の月額250円、第一生命の200円、赤玉、美人座両カフェーの150円等がおもなものとなっている。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 1月29日 社会・文化 鶴来スキー場で開催された第4階近県スキー競技大会(県体育協会主催)の18キロ競争で、市立工業生2人、金沢二中生1人計3人が吹雪のため凍死した。(金沢弁護士会は遭難事件当面の責任者県体育協会主事を、2月6日業務上過失致死罪で告発、また体協会長も引責辞任した) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 2月26日 社会・文化 午前2時40分ごろ尾張町の活動写真常設館第二次菊水倶楽部(沢田仁作所有)の2階から出火、同倶楽部を全焼、尾張町と上新町の商店住家6戸を半焼した。(第二菊水倶楽部は7月1日新築再開) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 2月28日 社会・文化 2年制の金沢市立商業高校の創立が市会で可決された。校舎に長田町小学校の一部をあて、募集人員は200人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 2月 社会・文化 がん具「ヨーヨー」が全国的に流行、金沢でも片町ねづやが1個7銭で売出したところ大量の注文が殺到した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 3月5日 社会・文化 金沢に伝わる古い郷土芸能「指人形浄瑠璃」の再興第1回公演が、尾張町石黒ファーマシー4階ホールでおこなわれた。主催は昨年7月家元の高道町吉田寛之助が、市内の愛好家10余人とつくった金沢人形浄瑠璃保存会。指人形浄瑠璃は明治年間には金沢市内の寺院などで興行されたが、大正時代にはいるとともに衰微し最近はほとんど知る人もなく、人形の操り方を知っているのは保存会員中の6人だけという。この指人形浄瑠璃は前口2間奥行9尺の舞台をつくり、3尺ごとに設備したすき間から、指に衣装を着せた人形を出してあやつる仕掛けになっている。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 3月10日 社会・文化 午前11時20分ごろ長町3番丁松尾産婦人科医院から出火、全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 3月12日 社会・文化 卯辰山常盤町の小野慈善院は舎屋の腐朽がひどくなったので、崎浦村三口新に新築移転することに決定した。総経費16万円、うち国庫から8万円、県から4万円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 3月30日 社会・文化 石川県史第5編(風土誌)が刊行された。県史は石川県の委嘱で日置謙が執筆したもので、大正10年4月の事業開始から12年、この巻で完結した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 4月1日 社会・文化 市は此花町、菊川町両尋常高等小学校の男子高等科を廃止し、両校男子高等科生徒を小将町高等小学校に移した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 4月16日 社会・文化 田丸町専光寺が卯辰山公園隣接地の油木山2万坪の中に建立中の東山廟所が落成、納骨入仏式がおこなわれた。また同寺は廟所後方の松林中に墓地を造成中である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 5月1日 社会・文化 メーデー。金沢では昨年に引続き示威行進等の行事が一切おこなわれなかった。従来メーデー行事の中心になった社会民衆党支部の解散等がおもな原因。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 5月7日 社会・文化 昨年9月創設された長田町尋常小学校の作成式が挙行された。また同小学校を校舎として4月から授業を開始した金沢市立商業学校の開校式も挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 5月8日 社会・文化 午前11時50分ごろ西町市公会堂で喫煙の漏火から出火、内部の天井裏等を焼いた。損害約2万円。(6月2日の市会で復旧費が可決され、吉川市長は出火を陳謝した) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 5月14日 社会・文化 午前9時半ごろ宗叔町3番丁から出火、6戸(1むね)を全焼、工場1むねを半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 5月23日 社会・文化 県特高課は県下極左分子の一斉検挙をおこない、57人を金沢検事局に送った。(その後の取調べで治安維持法違反で起訴6人、起訴猶予47人、起訴保留2人福井へ事件移送2人とし、翌9年6月24日新聞記事掲載を解禁した) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 5月30日 社会・文化 卯辰山招魂社移転造営のため、県から内務陸軍両省に出願中の出羽町練兵場の一部2,656坪の無償払下げが決定、陸軍大臣から県へ通知があった。招魂社奉賛会ではさっそく造営の準備に着手した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 5月31日 社会・文化 県立金沢第一中学校の3、4、5年生は第1学期中間交査延期要求を学校から拒否されて24日盟休にはいったので、学校側は翌日5年生登校停止を、3、4年生に自宅謹慎を命じたが、首謀者5人の退学、10数人の停学処分と父兄の陳謝で本日解決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 6月7日 社会・文化 石川県殉職警官慰霊碑が卯辰山玉兎ヶ丘東方台地に建ち除幕式が挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 6月10日 社会・文化 県市会議員能村仁太郎死去。44歳。北国日日新聞を創設、その後名古屋新聞金沢支局長となり昭和4年12月市会議員、同6年県会議員に当選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 6月28日 社会・文化 新設された文部省の重要美術品調査委員会は、金沢市石黒伝六所蔵の磁器古九谷色絵鳥文様手鉢を重要美術品に決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 6月 社会・文化 野田寺町の市立金沢病院は一般市民に実費診療を実施して歓迎され、入院通院患者が激増、最近6ヵ月間の延べ受信人員は1万4,419人に達した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 7月14日 社会・文化 午前11時40分ごろ殿町の油商から出火、2戸(3むね)を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 7月22日 社会・文化 (河北郡内灘村大根布小学校の女児11人が、大根布海岸で海水浴中おぼれ、7人が水死。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 7月25日 社会・文化 各地に銀行ギャング事件の続発から、日本銀行金沢支店に請願巡査1人の設置が県参事会で可決された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 7月26日 社会・文化 豪雨のため加賀一帯大水害。金沢市内は各河川用水がはんらんして床上床下浸水家屋は2,000戸を越え、各所でがけくずれが起った。金沢の雨量は25日午後5時から26日午前6時までに154ミリ、うち26日午前2時から6時までの4時間に92.7ミリ、大正11年8月以来の豪雨であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 7月28日 社会・文化 午前1時ごろ木ノ新保4番丁の鋳物工場から出火、住宅2むね工場3むねを全焼、住宅1むねを半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 9月5日 社会・文化 台風のため大野川の4尺増水をはじめ各河川に海水逆流し、大野川沿岸約100町歩が浸水、河北潟の魚類も多数死んだ。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 9月7日 社会・文化 石川県所有の磁器九谷色絵布袋図皿が重要美術品に指定された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 9月21日 社会・文化 午後0時15分ごろ金沢地方に地震。約3分間ゆれ、時計の振子が止り屋根がわらの落ちた家もあった。震源地は能登半島北北西約90キロの海底。能登地方とくに七尾付近の被害が大きく、七尾では死者3人負傷19人、建物損壊380むね等を出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 10月1日 社会・文化 金沢観光協会の発会式が卯辰山でおこなわれた。会長は吉川市長、会員は600余人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 10月2日 社会・文化 南町中屋家の明治天皇行在所跡が「明治天皇金沢在所」の名称で、文部大臣から史跡名勝天然記念物の史跡として正式指定された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 10月4日 社会・文化 県は婦人方面委員を設置することになり、まず金沢市で14人を任命した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 10月30日 社会・文化 「稿本金沢市史・政治編第1」が刊行された。この編から執筆者は八田健一。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 11月16日 社会・文化 金石町濤々園前相生町の松林に建った銭屋五兵衞の銅像除幕式がおこなわれた。政策は都賀田勇馬。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 11月17日 社会・文化 元四高教授で俳人の大谷繞石(正信)広島で死去。58歳。松江市出身。大正13年四高から広島高校教授に転任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 12月8日 社会・文化 午前4時30分ごろ馬場2番丁から出火、2戸1むねを全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 12月19日 社会・文化 横山隆俊死去。58歳。男爵、石川県教育会長、貴族院議員(大正7年から2期)加州銀行頭取、商業会議所会頭を歴任し郷土各方面にした寄付は数十万に上った。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 12月23日 社会・文化 (皇太子誕生。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 12月29日 社会・文化 金沢市内学校生徒、青年団員ら約一万人による皇太子誕生奉祝の旗行列がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和八年(1933) 12月 社会・文化 長町の聖霊病院が付属愛児園を開設した。救護法により入院した幼児で、病気全快後も引き取り手のないものを収容する。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 1月9日 政治・経済 出羽町練兵場は近代戦の演習場として不適当になったので、陸軍省から大蔵省に移管が内定した。金沢市は大蔵省から払下げを受け、招魂社を中心に公設野球場を設ける案を第1案として考慮しており、吉川市長は近く上京して大蔵省の意向をきくことになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 1月23日 政治・経済 (金沢出身の陸軍大将林銑十郎が荒木貞夫の辞任により陸軍大臣に就任した。これで斎藤内閣には永井柳太郎と合せて、金沢出身の大臣が2人になった。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 2月10日 政治・経済 出羽町練兵場(3万2,000坪)の陸軍省から大蔵省への移管が正式決定した。市は市会の承認を得て大蔵省に、市への払下げ交渉を開始することにした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 4月1日 政治・経済 石川県は消防組員の定年制を実施した。定年は一般消防手50歳、小頭55歳、組頭65歳。現在の組員に対して明年3月末まで適用を延期する。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 4月7日 政治・経済 知事山口安憲は財団法人三井報恩会にはいるため辞任、後任に鳥取県知事館哲二(富山県出身)が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 4月23日 政治・経済 金石港と福浦港が内務省の地方指定港湾に編入されたむね官報で告示された。今後15年間に順次改修を実施するもので、金石港の指定区域は、犀川右岸導水堤基点を中心とする半径1.6キロの海面および河川水面である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 5月23日 政治・経済 北陸鉄道局の誘致問題は、大蔵省の鉄道局増設数縮減(2局)により各候補地の間で猛競争が再燃したので、金沢市側では市会、商工会議所、期成同盟会が一丸となって再び猛運動を開始することになり、吉川市長と市会議員9人をはじめ代表19人が上京した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 6月8日 政治・経済 市長吉川一太郎が任期満了で退任した。(市会は8月21日退職慰労金2万円を可決、吉川は金沢を去り東京市杉並区の自宅へ引揚げた) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 6月13日 政治・経済 工学博士片岡安が沢野市会議長からの市長就任要請に対し、名誉市長としての就任を内諾した。片岡は旧加賀藩士細野直重の次男で片岡直温の養子、現在大阪商工会議所副会頭をつとめ関西財界の重鎮、現金沢市役所庁舎(本館)の設計者でもある。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 6月20日 政治・経済 金沢、台湾間の無線電話が開通した。料金は1通話(3分間)6円、至急電話12円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 7月3日 政治・経済 片岡安の名誉市長就任内定のため、市会は名誉職市長条例の設定を満場一致可決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 7月8日 政治・経済 金石港修築促進大会が同町公会堂で開催され、席上金石港修築期成同盟会が結成された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 7月13日 政治・経済 金石市会は片岡安を満場一致で金沢市名誉市長に選挙した。片岡の就任内諾以来、市会多数派の自治会内部に名誉市長反対、専任市長実現を主張する議員の一派があり、同会幹部はこれが説得に約2旬を費やして6月29日市会全員協議会で決定にこぎつけたもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 7月23日 政治・経済 市会は新助役に片岡市長推薦の元岩手県知事久保豊四郎(富山県出身、53歳)を決定した。(市会は8月21日前助役市川潔に対する慰労金6,000円を可決) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 7月23日 政治・経済 市会の多数派自治会が市長助役選任問題から分裂、5議員が脱退し、旧脱退組織3議員と提携した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 8月1日 政治・経済 第9師団長荒蒔義勝中将が待命になり、後任に台湾守備隊司令官外山豊造中将が補せられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 8月3日 政治・経済 金沢市防護団組織について市社会課の案ができたので、市側の助役以下関係課長と第9師団参謀部、連隊区司令部、在郷軍人分会長らが参集して金沢市防護団組織第1回準備会を開催した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 8月7日 政治・経済 日本銀行金沢支店長貞弘重進は本店特別整理部主事に転じ、後任には営業局調査役吉田史郎が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 8月22日 政治・経済 市会は29日に任期満了の市収入役小竹芳朗の再任を決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 8月23日 政治・経済 市会の政友会と自治会脱退派が合流、市政同志会を結成した。市会の分野は市政同志会18人、自治会16人、中立6人となり、12年間絶対多数を維持した自治会はついに第2党となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 9月20日 政治・経済 金沢電気軌道会社は、市の外郭を一巡するバスの循環新路線2本と有松、大樋線の運転を開始した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 9月25日 政治・経済 金沢市内の重要路線を拡張する都市計画事業は長土塀線、中橋線、極楽橋線、橋場玄蕃町線の4線を工費300万円、3ヵ年ないし6ヵ年継続事業として明年度から着工に内定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 9月27日 政治・経済 金沢とフィリピン間の国際無線電話が開通した。1通話35円ないし45円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 9月 政治・経済 市の郊外地区で、農地から工場や住宅地に地目変更される土地が近年増加しているが、過去一年間に田畑から宅地に変更された坪数は、金沢税務署管内で合計1万4000坪に達した。旧連区別では6連区が最も多く、1連区5連区がこれに次いでいる。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 12月1日 政治・経済 片岡市長は市役所に企画局を新設した。局長は前島次郎。建築、都市計画、調査の3課を置き、局舎は旧市会議事堂。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 12月5日 政治・経済 森岡武吉議員の失格による金沢市議会員1人の再選挙が4日おこなわれ、本日開票の結果武谷甚太郎(自治会)が乾健多郎(中立)を破って当選した。これで市会の分野は自治会17、市政同志会15、中立6、自治会派2となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 12月17日 政治・経済 市会は本多町の金沢一中の敷地校舎(11,447坪)を、金沢市が県から35万円で買収することを可決した。償還方法は10年度から10ヵ年は毎年3万円、以後2ヵ年は2万5,000円ずつとする。運動場敷地は電気水道曲用地に、校舎敷地は学校その他に使用する計画。(富樫村方面に移転新築される金沢一中の新築費48万円は21日の県会で議決された) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 12月20日 政治・経済 金沢市会は12月4日の市会議員再選挙における武谷甚太郎(自治会)の当選を無効とし、次点の乾健多郎(中立)を当選と決定した。市会投票調査委員会が弁護士村井清造から異議申立てにつき、両人の投票を再調査の結果、武谷の得票から無効205票、無効票中から乾に有効票5票が出て、結局さきに66票差で勝った武谷の当選が逆転して144票差で乾の当選となったもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 12月23日 政治・経済 (昭和7年7月から工事中の石川、富山県境天田峠新国道の開通式がおこなわれた。総工費65万6,000円。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 12月25日 政治・経済 金沢市北端国道の開通式が挙行された。新国道は延長1,160メートル幅19.10メートル、両側に3メートルずつの歩道があり、車道は舗装されていない。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 12月27日 政治・経済 市は市内の町名整理について調査審議する町名整理調査会を設置、委員を委嘱した。委員は41人で、市会議員(21人)、郵便局、税務署、裁判所、商工会議所の各代表と学識経験者9人から成っている。会長は市長、事務は企画局が担当。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 1月7日 社会・文化 前金沢医科大学学長須藤憲三死去。63歳。山形県人、大正13年から8年間学長をつとめた。同大学名誉教授、医化学の権威であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 1月17日 社会・文化 大日本国防婦人会金沢支部および金沢分会の発会式が兼六会館でおこなわれた。従来の石川県婦人国防会はこれに合流した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 1月30日 社会・文化 (大聖寺町県社江沼神社の長流亭が国宝に指定された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 2月5日 社会・文化 石川県教育会長に四高校長小松倍一が就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 2月14日 社会・文化 午前2時20分ごろ河北郡内灘村字粟崎から出火、住家4むね納屋1むねを全焼し、焼死者3人を出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 3月7日 社会・文化 午後5時50分ごろ荒町3丁目から出火、2戸を全焼、3戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 3月10日 社会・文化 石川郡戸板村は農村医療施設として、村営診療所を建設することに決定した。この決定を一般開業医は重大視しその対策を考究中であるが、吉田市会副議長(医師)は耕納村長に対して再考を求めた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 3月21日 社会・文化 午後6時ごろ三小牛山陸軍用水道貯水池堤防が雪どけと暴風雨のため決壊、野田町で家屋半壊18戸、床上浸水8戸、床下浸水25戸の被害を出した。軍隊、消防、青年団等が市内から救護にかけつけた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 3月25日 社会・文化 中橋徳五郎東京で死去。71歳。旧加賀藩士斎藤宗一の5男、衆議院議員当選8回、原内閣の文部、田中内閣の商工、内務各大臣を歴任した。また大阪商船会社社長をはじめ実業家でも活躍し、中橋賞などを設けて県の育英事業にも貢献した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 3月29日 社会・文化 午前1時20分ごろ長町川岸の薬種商から出火、1戸を全焼、5戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 4月10日 社会・文化 漢学者三宅少太郎東京で死去。82歳。金沢市片町の茶商堂後屋の次男、岳父富川春搪および井口犀川に学び、明治36年広島高師校長北条時敬に招かれて同校で漢文科を担任、名声があがった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 4月22日 社会・文化 候爵前田利為の長男利建(27歳)と黒田長令(候爵黒田長成の弟)の長女政子(20歳)の結婚式が、東京駒場の前田邸で近衛文磨の媒酌により挙げられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 4月25日 社会・文化 尾山神社の社務所が新築された。前田家からの建設費1万円と建築材料として成巽閣一部の寄進を得て昨年10月着工したもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 5月1日 社会・文化 メーデー。金沢では本年も行事は全くおこなわれなかった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 5月20日 社会・文化 崎浦村三口新に新築中の財団法人小野慈善院が完成、卯辰山(常盤町)の旧舎から移転したのでその落成祝賀会が挙行された。新舎は敷地約7,000坪、建坪約1,600坪、工費16万余円。なお現在被収容舎は194人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 5月24日 社会・文化 兼六園の観光客案内業者30余人が兼六園観光案内組合を組織、創立総会を開いた。これまで観光客の争奪から国内茶屋と公園付近の九谷焼業者がにらみ合いを続け、観光客に不快感を与えていたのをやめるために大同団結したもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 5月26日 社会・文化 加藤義一郎(尾張町)死去。59歳。大正10年から市会議員を3期つとめ、金沢漆器同業組合長として金沢桐火ばちの名を全国にたかめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 6月25日 社会・文化 午後8時ごろ三馬村字泉野町金沢製陶所工場から出火、工場1むねを全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 7月11日 社会・文化 手取川大水害、死者行方不明者112人。金沢市関係では手取川上流の市営吉野第二、福岡第一、第二発電所等が倒壊、100余万円の損害を出した。(県下の総被害は2,000万円) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 7月16日 社会・文化 水害で12日から不通の北陸線寺井、小松間が複旧開通した。(24日に三日市、生地間も復旧して全線開通した) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 7月19日 社会・文化 前夜来の豪雨で市内と用水と金腐川等がはんらんして230余戸が浸水、東御影町、天神町でがけ崩れがあり、東御影町では母子3人が圧死した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 7月24日 社会・文化 豪雨で天神町、常盤町、観音坂、桜坂にがけくずれがあり、また市内で床上水14戸、床下浸水230余戸が出た。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 7月29日 社会・文化 金沢野球協会が市立工業学校野球場に建設中のスタンドが完成、記念野球大会がおこなわれた。スタンド観覧席の収容人員は2,000人で北陸最大のもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 8月8日 社会・文化 午前2時55分ごろ下中島町の箔工場から出火、工場1むねを全焼、1むねを半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 8月25日 社会・文化 午後3時ごろ大衆免中通から出火、2むねを全焼、1むねを半焼した。原因は放火と判明。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 9月1日 社会・文化 野町効下方面委員部は隣保事業の一つとして、金沢で最初の善隣館を建設するため、さる6月金沢市から無償貸与を受けた野町小学校跡の校地と校舎の一部を模様替え施工して、方面委員事務所を移し第一善館を開設した。資金は財団法人慶福会、県、市、市方面委員助成会、一般篤志家の寄金約4,000円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 9月9日 社会・文化 (江沼郡大聖寺町で大小。越前町、三ツ屋、西田町、馬場、中新道、中町、本町、京町、仲町、片原町、八間道で全焼355戸、半焼16戸を出した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 9月21日 社会・文化 関西大風水害(室戸台風)。死者行方不明3,156人。石川県下では、正午ごろ秒速23メートルの台風が金沢付近を北進し、能登地方を中心に各地に被害を出した。金沢では樹木が倒れ屋根が飛び、犀川が7尺、浅野川が8尺増水、浅野川鈴見橋の橋脚が流出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 9月28日 社会・文化 金沢市方面委員事業助成会は卯辰山の小野慈善院を買収し精神病棟保護所を建築して現在の鈴見から移転することを決定した。明春から患者約100人を収容する。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 10月1日 社会・文化 野町の第一善隣館に託児所が開設された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 10月15日 社会・文化 財団法人ジャパン・ツーリスト・ビューロー(交通公社の前身)の案内所が金沢で初めて三越支店内に開設された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 11月2日 社会・文化 昭和7年5月24日焼失した野町尋常小学校の校舎が復旧完工、落成式がおこなわれた。工費9万余円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 11月8日 社会・文化 北陸地方最初のアマチュア無線局の設置が、石川郡戸板村字長田の四高生徒吉本正二に許可された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 12月13日 社会・文化 市が金沢駅前に建設した金沢市観光会館が落成、開館式が挙行された。観光客の誘致サービス、市特産品の紹介等を目的とするもので木造3階建、建坪130坪、工費2万4,000円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 12月27日 社会・文化 午前5時ごろ上百々女木町の民家から出火、1戸を全焼、2戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和九年(1934) 12月28日 社会・文化 (羽咋郡眉丈山付近の「トキ」が「越の犬」とともに天然記念物に指定された。また七尾城址も史跡として同時に指定された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 1月9日 政治・経済 民政党金沢支部は、さきに市会の多数派自治会を脱退した市議6人を除名、6人側は逆に民政党脱党を声明した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 1月15日 政治・経済 知事館哲二が内務省神社局に転じ、後任に拓務省管理局長生駒高常が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 1月19日 政治・経済 (地方官官制の改正で石川県庁は経済部が新設され、総務、警察、学務の各部と合せて4部制となった。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 1月20日 政治・経済 明倫会石川支部の発表会が、仙台町教育会館で総裁田中国重大将らが出席して挙行された。石川県支部長は陸軍小将垣内豊楠、会員は県下在郷将校を中心に200余人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 2月12日 政治・経済 金沢市町名整理調査委員会の第1回委員会が開かれ、前島市企画局長から市当局案を説明した。市当局の手順は4月ころから第7連区の整理案作成に着手し11年末までに全市の整理案を作成、12年中に一切の帳簿類について変更の準備を終って、13年1月から町名整理を実施する予定。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 2月24日 政治・経済 野町5丁目に建築中の農林省金沢米穀事務所の落成式がおこなわれた。工費3万6,000円。(石川県が建築して農林省に寄付するもの) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 2月26日 政治・経済 市会は横山登ほか5議員提出の「第四高等学校郊外移転」松田文相あて意見書を全会一致可決した。同校を郊外閑静の地に移転し、現在の敷地1万9,700坪を商業地域拡張のため使用することが、市の公益上緊要であるというもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 2月26日 政治・経済 昨年水害、火災によって損壊した金沢市営の手取川発電所は、108万5,000円で昭和10年度から4ヵ年継続事業として復旧することに決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 3月29日 政治・経済 県参事会は昨年12月4日執行の金沢市会議員選挙の当選者についての祈願に対し、県当局の裁決案通りさきの金沢市会の決定をくつがえして、56票の差で武谷甚太郎の当選を決定した。市会が昨年12月20日に、再選挙の結果(当選武谷、次点乾)を逆転させ、144票の差で次点の差で次点の乾の当選を決定したことに対し、前川吉栄から県へ異議申し立がなされていたものである。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 3月30日 政治・経済 隣接12町村の金沢市編入問題をあっせんしてきた生駒知事は、町村側提出の希望条件に対し、市当局が具体的回答を避けて県一任の態度をとったことを不満として、あっせん打切りを正式に示達した。このため市は市会各派の協力を得て今後、町村側と直接交渉をして編入実現をはかることになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 4月1日 政治・経済 北国新聞社は組合組織から株式会社に改組した。社長林政武、会長専務取締役飯尾次郎三郎、取締役嵯峨保二、林安繁、久保田可全。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 4月6日 政治・経済 沢野市会議長と5議員、久保助役らは市会で議決した「四高郊外移転」の意見書を文部省に提出し、松田文相以下文部首脳部に意見を求めた。これに対し文部省側は「財源上早急には困難が多い」むねを回答した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 4月13日 政治・経済 金澤市会議員の議員報酬が引上げられた。議員は年額250円を400円に、議長は400円を600円に、副議長は300円を500円に増額するもの。県は条例案の許可に当り「将来適当の時期に減額すべき」との条件を付した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 5月1日 政治・経済 街角を削って小路の交通を便利にする金沢市の街角整理運動は、3月末までに約230ヵ所の街角土地所有者との間に了解が成立したので、市土木課はいよいよ街角拡張工事に着手した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 5月25日 政治・経済 第9師団が満州派遣を命ぜられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 5月31日 政治・経済 (県警察部の高等警察課が廃止された。高等警察課ができたのは明治44年である。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 6月1日 政治・経済 石川県選手粛正委員会が発足、委員29人が発令された。会長は知事、委員は県選出貴衆両院議員、県会議員と実業、教育、新聞、宗教の各界代表等。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 6月25日 政治・経済 満州派遣の第9師団(外山部隊)の師団司令部と在金沢の核部隊主力が、市民の盛大な歓送を受けて出発した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 6月30日 政治・経済 三越金沢支店は8月25日限りで東京に引揚げることを発表した。あとは金沢ビルディング会社が丸越百貨店(資本金50万円)として9月1日から営業を続ける。三越支店の開店は昭和5年11月15日であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 7月1日 政治・経済 市は水道の乱費防止のため放任給水を全廃して計量給水(メーター制)に改めた。このため7,300余戸に計量器を取り付けた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 7月5日 政治・経済 越野義久議員の失格に伴う金沢市会議員補欠選挙が4日おこなわれ、乾健多郎(中立)が市川潔(自治会)を破って当選した。市会の新分野は自治会20、市政同志会14、中立6。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 7月30日 政治・経済 (七尾線の穴水、輪島間が開通した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 8月8日 政治・経済 石川郡冨樫村と潟津村の金沢市編入が隣接町村編入のトップを切ってまとまり、市会で可決された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 8月21日 政治・経済 金沢米穀取引所が一般正米取引の簡易化と市場振興のため、商工大臣に許可申請中の「名柄取引」が許可された。現在の清算取引は年位100石期間3ヵ月だが、銘柄別取引では20石2ヵ月になる。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 9月1日 政治・経済 8月25日限り引揚げた武蔵ヶ辻三越支店のあとに丸越百貨店が開通した。専務取締役林屋亀次郎、常務取締役芹沢春吉(前越支店次長)。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 9月7日 政治・経済 石川郡大野町、米丸村、靴月村、粟崎の金沢市編入が市会で可決された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 9月25日 政治・経済 県会議員選挙は24日おこなわれ、本日開票の結果民政党16人、政友会15人となった。金沢市の当選者は次の通り。武谷甚太郎(民政元)沢野外茂次(民政前)寺田直義(政友新)餝谷与右衛門(政友前)金田一次(民政前)吉川二三郎(民政新) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 10月1日 政治・経済 第4回国勢調査がおこなわれた。金沢市の調査結果は35,399世帯、人口163,733人(男79,897人、女83,836人)全国都市中第22位の人口であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 10月1日 政治・経済 (奥能登の穴水、飯田間に省営バスが開通した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 10月3日 政治・経済 省営バス金沢、福光線(29.4キロ)のうち石川県内分の金沢駅前、河北郡三谷村字古屋谷間9キロが開通した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 10月3日 政治・経済 金沢市の上水道は昭和7年以来、給水戸数1万戸を目標に毎年懸賞付き宣伝を続けてきたが、10月1日現在1万3,828に達したので明年度からは積極的宣伝はやめることになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 10月22日 政治・経済 (県会は正副議長選挙をおこない、議長に武谷甚太郎、副議長に吉岡文吉=いうれも民政=を選出した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 10月28日 政治・経済 松任鉄道工場の開場式がおこなわれた。昭和4年11月着工、土地買収費19万円、建築費90万円、敷地19万8,000平方メートル、建築1万728平方メートル、全国20鉄道工場中最新式の工場である。(金沢旧工場は15日で作業を打切った) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 10月29日 政治・経済 石川郡崎浦村、三馬村、河北郡小坂村の金沢市編入が市会で可決された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 11月13日 政治・経済 広坂通に新築中の金沢市立金沢職業紹介所の落成式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 11月30日 政治・経済 金沢築港の前提となる大野川改修が、内務省の明11年度中小河川改修事業として予算閣議で決定した。改修案は7ヵ年継続事業、総工費110万円で負担区分は国庫補助40万円(うち11年度は4万)県費44万円、地元負担(金沢市と沿岸町村)26万円となっている。なお大野川改修の運動が開始されたのは昭和5年である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 12月2日 政治・経済 第9師団長外山豊造中将は参謀本部付近に転じ、後任に陸軍省整備局長山岡重厚中将が補せられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 12月16日 政治・経済 大野町と富樫、米丸、潟津、粟崎、鞍月の1町5村が本日正式に金沢市に編入された。編入により市の人口は174,658人となり全国で第22位から19位にあがった。編入の旧町村の戸数人口は大野町373戸1,729人、富樫村295戸1,657人、米丸村574戸2,887人、潟津村238戸1,306人、粟崎村248戸1,255人、鞍月村385戸2,092人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 12月26日 政治・経済 金沢市の消防組は6町村の編入により、現在の18部制に15部を増加して33部制となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 12月31日 政治・経済 金沢市の土木課の調査によると、市内の国道、県道、市道の総面積33万9,695坪のうち、本年末までに舗装ずみ道路は4万7,000坪に達し、舗装率は14%となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 1月2日 社会・文化 午後5時半ごろ卯辰山山上(末広町)の飲食店鳥居亭から出火、1むねと納屋を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 1月15日 社会・文化 県立金沢一中の移転地は泉野出町と富樫村地黄煎の1万4,000坪に決定した。買収費は7万円(坪5円)、地主は約50人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 1月20日 社会・文化 戸水寛人死去。75歳。金沢市出身、法学博士、日露戦争前開戦論を唱えた帝大7博士の一人。明治41年帝大教授のまま金沢から代議士に当選、以後政友会に入り金沢市と能美郡から4回当選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 2月11日 社会・文化 午後11時35分ごろ長町1番丁の材木工場から出火、工場と隣家の医院を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 2月14日 社会・文化 片岡市長、中島商工会議所会頭が主唱して金沢にロータリー倶楽部を創設することになり、創設準備が仙宝閣で開かれた。各界有力者14人出席。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 2月25日 社会・文化 午前11時40分ごろ古道町1番丁の木箱製造工場から出火、5むねを全焼(うち納屋2むね)、3むねを半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 2月26日 社会・文化 午前3時50分ごろ宗叔町2番丁の丸小人絹工場から出火、構内の工場2むね住宅1むねを全焼、寄宿舎土蔵等を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 3月10日 社会・文化 午前4時半ごろ元車町の民家から出火、同町の10戸と大豆田町千住寺本堂を全焼、2戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 4月12日 社会・文化 午前4時50分ごろ金沢高等工業学校器械工学科鋳物室から出火、鋳物室、標本室、木型室、機械材料実験室、機械工学科事務室計2むね280坪を全焼した。(政府は6月8日復旧費17万6,000円の支出を決定した) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 4月13日 社会・文化 旧出羽町練兵場に造営の第9師団官祭招魂社が落成、卯辰山の旧社殿から1万5,905柱の遷座祭がおこなわれた。新沼魂社は敷地2,656坪、総工費15万円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 4月17日 社会・文化 金沢ロータリー倶楽部の発会式がおこなわれた。(10月17日国際ロータリー倶楽部3,841番に登録された) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 5月1日 社会・文化 メーデー。金沢では行事は全くおこなわれなかった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 5月13日 社会・文化 金沢城石川門(麦門左右太鼓塀、右門櫓附属左右太鼓塀)と尾山神社神門が国宝に指定された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 5月25日 社会・文化 午後1時10分ごろ金石町字今町の製材工場から出火、製材工場1むね住家2むねを半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 5月25日 社会・文化 泉野町の金沢市立工業学校は、全校舎が完成したので校舎落成式を盛大に挙行した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 6月1日 社会・文化 (県下の青年訓練所、補習学校が一斉に青年学校と改称、発足した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 6月2日 社会・文化 金沢市防護団の結団式が出羽町練兵所で挙行された。団員は16分団8,000余人、団長は片岡市長、顧問は知事、師団長ら。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 6月9日 社会・文化 卯辰山汐見坂高台に建てられ金沢箔中興の祖、安田屋孫兵衛の功碑除幕式がおこなわれた。建立者は金沢箔同業組合。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 6月12日 社会・文化 トーキー(発声映画)の進出で金沢松竹座が説明者3人、楽士4人を解雇したため、被解雇者側は解職予告手当等を要求して争議にはいった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 6月23日 社会・文化 加藤茂男死去。68歳。金城高等女学校の創業者、昭和2年まで同校校長をつとめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 7月3日 社会・文化 日本画家大西金陽〔久次郎)死去。81歳。奈良県五条の生れ、明治15年以来金沢に住み門下生200余人を育てるなど当地画壇に貢献するところが多かった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 8月11日 社会・文化 駒田好洋(万次郎)東京で死去。59歳。大阪出身、大正時代、毎年正月に金沢尾山座等で映画の興業をして金沢市民になじまれていた。日本最初の職業的映画説明者でもある。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 8月 社会・文化 高岡町下藪ノ内宗林寺花山信勝が聖徳太子真筆法華義疎の研究で帝国学土院恩賜賞を受けた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 9月11日 社会・文化 元第四高等学校長溝渕進馬京都で死去。69歳。高知県出身、明治44年から大正11年まで10年間四高校長をつとめ、大正1年卒業生たちの手で四高校庭に胸像がたてられた。現在三高校長在職中であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 9月20日 社会・文化 午後8時ごろ石川郡米丸村字下中から出火、住家、工場等4むねを半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 10月25日 社会・文化 午後2時40分ごろ中堀川町の表具店から出火、商店3戸の2階を焼いた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 11月7日 社会・文化 貧困な精神病患者を収容する金沢市方面委員助成会経営の常磐町保護所が開所した(落成式は11年6月1日挙行)。助成式が卯辰山の旧小野慈善院敷地を1万4,500円で買収し、7,370円の工費で平屋建224坪の舎屋を建てたもおん。病室は4むね18室で収容定員100人。(既設の鈴見保護所は定員25人) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 11月17日 社会・文化 午前10時55分ごろ西側町の染色工場従業員住宅から出火、3戸を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 12月5日 社会・文化 金沢飛行場建設協会が結成された。会長は生駒知事、副会長は片岡市長、沢野市会議長と県会議長、県総務部長の4人。飛行場建設費は約30万円、うち半額国庫補助、半額地元寄付金で、所要敷地は約10万坪の予定。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 12月15日 社会・文化 市は金沢国旗掲揚奉賛会の寄付で、卯辰山山上飛鳶台に国旗掲揚塔を建てた。鉄骨作りで高さ80尺、先端に照明灯がついた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 12月15日 社会・文化 午前1時50分ごろ石川郡大野町字藤江の機業工場から出火、工場5むねを全焼した。1人焼死。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十年(1935) 12月 社会・文化 加賀萬歳保存研究会が県市会議員有志、白梅会、金友会、八竜会等の発起後援で設立された。研究所は殿町65番地。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 1月22日 政治・経済 金沢都市計画街路事業が都市計画石川地方委員会で可決された。10年度から7ヵ年継続事業、総工費は310万円、施工区間は(10年度)六枚町、中橋踏切間(11年度)中橋踏切、深川町間および駅前、玉井町間(12年度)玉井町、長土塀6番丁間(13年度)長土塀6番丁、富本町間(14年度)富本町、長町小学校間(15年度)木ノ新保、極楽橋間および橋場町、玄蕃町2番丁間(16年度)長町小学校、片町間。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 2月22日 政治・経済 "岡田啓介内閣のもとで衆議院議員総選挙が20日おこなわれ開票結果は次の通り。〔第1区〕当選29,951票 永井柳太郎(民政前) 同17,383票 箸本太吉(政友前) 同13,009票 神保重吉(政友新) 次点11,152票 武谷甚太郎(民政元) 〔第2区〕当選19,144票 桜井兵五郎(民政前) 同13,738票 益谷秀次(政友前) 同12,648票 喜多壮一郎(民政新) 次点12,560票 青山憲三(民友前) 3,921票 大森玉木(民政新)" 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 4月1日 政治・経済 石川郡崎浦村、三馬村、河北郡小坂村が正式に金沢市に編入された。昨年12月16日の1町5ヵ村の編入と合せて1町8ヵ村の合併が成立した。市の新人口は186,905人、9ヵ町村編入前より23,172人の増加となり全国第17位となった。金沢市では小学生の旗行列はじめ多くの祝賀行事が催された。編入町村の戸数人口は崎浦村566戸3,155人、三馬村658戸2,966人、小坂村1,229戸6,125人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 4月1日 政治・経済 金沢市内電話の通話料金が定額制から度数制になった。市内通話度数料は1回3銭。金沢郵便局の電話加入数が5,100人に達し、電話規則の5級地(2,000人以上)から4級地(5,000人以上)に昇格したため、度数制になったものである。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 4月11日 政治・経済 市は市役所の企画局を廃止した。同局に属していた調査課は解体し、都市計画課と建築課を独立課とした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 4月20日 政治・経済 片岡市長は市政の懸案一段落を機に、健康のすぐれないことを理由に辞表を久保助役に提出した。(市会は8月29日慰労金1万円贈呈を議決した) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 4月21日 政治・経済 金沢築港、北陸鉄道局、金沢駅改修の実現をめざす金沢市民大会が市公会堂で開かれた。主催は金沢築港期成同盟会と金沢鉄道局期成同盟会。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 5月1日 政治・経済 市は新編入地域に町総代を置いた。その町に住む公民から市長が選任するもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 5月25日 政治・経済 金沢市選出の県会議員餝谷与右衛門(政友)は選挙事務長の選挙違反事件から議員を辞職、このため昨年9月の選挙で次点の辻本辰之助(政友)が繰り上げ当選となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 6月1日 政治・経済 陸軍の編成改革により金沢の工兵第9大隊は工兵第9連隊に、輜重兵第9連隊になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 6月3日 政治・経済 (北陸鉄道局は新潟に設置と決定した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 7月1日 政治・経済 県は大蔵省の銀行整理方針にもとづき、県下の本店銀行19行に対し整理合併の勧奨に乗出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 7月6日 政治・経済 飛行場建設協会は金沢飛行場建設費の寄付金16万円の募集を決定した。内訳は前田家から3万円、市内特別募集(法人関係)8万1,000円、市内一般募集1万9,000円(市民1戸平均50銭)、市外特別募集3万円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 7月30日 政治・経済 市会は市長選挙を行ない、市会議長沢野外茂次(民政)が第10代金沢市長に当選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 8月9日 政治・経済 金沢、七尾間の産業道路開設促進のため金沢、七尾間道路改良期成同盟会が結成された。会長は沢野金沢市長。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 8月22日 政治・経済 金石港期成同盟会は金石町公会堂で金石港修築促進町民大会を開き、県に対し運動を開始した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 8月23日 政治・経済 内務省の中小河川改修に編入された大野川改修事業案が臨時県会で可決され、昭和11年度から7ヵ月継続事業として施工されることになった。総工費は110万円、うち金沢市負担金は26万円、国庫補助40万円。工事は河口から機具橋間4,490メートルの両岸に築堤し、一部川幅を拡張するほか河口には右岸240メートル、左岸200メートルの突堤を出す計画。県の直営工事で11年度は11万円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 9月5日 政治・経済 金沢郵便局電話課が金沢電話局に昇格した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 9月17日 政治・経済 金沢、大聖寺間国道改修期成同盟会が結成された。会長は沢野金沢市長。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 9月19日 政治・経済 金沢市の第1期都市計画事業起工式が六枚町交番前広場で挙行され、閉式後市公会堂で関係者150余人が出席して祝賀会を催した。(事業は7ヵ年継続、総工費310万円) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 10月7日 政治・経済 新竪町3町目通りの道路拡張と舗装工事が完成、開通式が天狗広見でおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 10月26日 政治・経済 大アジア協会金沢支部の発会式が、本部から松井石根大将らが出席して仙宝閣ホールで挙行された。知事、市長らが顧問に就任。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 11月11日 政治・経済 隣接町村編入により金沢市と石川、河北両群の人口に異動が生じたので、県は市制ならびに町村制の規定により、金沢市と両群の人口を11日付で次の通り告示した。金沢市184,286人、石川郡75,294人、河北郡60,558人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 11月16日 政治・経済 市会は正副議長選挙をおこない、議長に副議長吉田宗一(自治会)、副議長に松倉清次郎(中立)を選出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 11月16日 政治・経済 市会は金沢駅改築(改築費15万円)に対する市の寄付金3万円の支出を可決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 11月20日 政治・経済 思想犯関係者の保護観察に当る金沢保護観察所が大桑町に開所した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 11月25日 政治・経済 政友、民政両党石川県支部は通常県会の開会に際し、県官僚陣との対決を意味する「両党連携して民意ちょう達にまい進する」との異例の共同声明を発表した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 12月1日 政治・経済 第9師団長山岡重厚中将は参謀本部付に転じ、後任に金沢市出身の騎兵監蓮沼蕃中将が補せられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 12月13日 政治・経済 社会大衆党金沢支部の結党大会が河上丈太郎、浅沼稲次郎両代議士らを迎えて西町仏教青年会館で開かれ、引続き時局批判大演説会が催された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 12月25日 政治・経済 (予算県会は巡査15人増員を削除、機密費2,000円を削減して予算案を修正議決、閉会した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 12月25日 政治・経済 昨年6月渡満した第9師団将兵の現在までの戦死、戦病死者は計143人、負傷者は162人である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 1月18日 社会・文化 午前11時25分ごろ高岡町上藪ノ内から出火、住家1むねを全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 1月28日 社会・文化 飯尾次郎三郎死去。67歳。明治37年から市会議員2期、大正2年から市助役2期、大正8年5月から3年間市長をつとめた。多数の会社の役員をつとめ北国新聞社会長でもあった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 2月9日 社会・文化 午前5時45分ごろ下本多町6番丁の金沢市電気水道局2階会計課から出火、本館、営業所、会計課の3むねを全焼、技工だまり1むねを半焼した。焼失坪数450坪、損害約7万5,000円。(火災保険約4万5,000円) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 2月13日 社会・文化 (大雪によるなだれのため、1月31日以来不通の福井県杉津駅付近がようやく復旧、北陸線は2週間ぶりに開通した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 2月16日 社会・文化 中野観象死去。63歳。元県立金沢商業学校長として実務教育の振興に尽した。退職後金沢商業会議所理事を10余年つとめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 2月22日 社会・文化 午後6時5分ごろ木ノ新保の理髪店2階から出火、隣接5戸の2階を焼いた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 3月13日 社会・文化 (大本教が解散を命ぜられ、江沼郡月津村に建設中の北陸別院も取払われることになった。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 4月1日 社会・文化 市の調査によると昨年12月16日の6ヵ町村、本日の3ヵ村の編入により金沢市の神社の数は118社になった。(旧市内は50社) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 4月13日 社会・文化 (羽咋郡河合谷村の禁酒10周年を記念して、全国禁酒大会が同村で盛大に挙行された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 4月28日 社会・文化 恩賜財団済生会金沢診療所が弓ノ町に新築落成、開所した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 4月 社会・文化 小野慈善院幼年部に農繁期託児所が併置された。春秋2期、付近農村幼児の保育をするもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 5月1日 社会・文化 メーデー。金沢では行事は全くおこなわれなかった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 5月10日 社会・文化 県体育協会の医王山青年宿舎の完成記念式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 5月20日 社会・文化 午後9時10分ごろ東馬場三浦製箔工場から出火、同工場(2階建38坪)を全焼、多量の金銀箔も焼失した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 6月5日 社会・文化 午後3時25分ごろ約15分にわたり金沢地方にかなりの地震があった。金沢測候所の観測では最大震幅東西1.3ミリ南北0.9ミリ、弱震の弱で震源地は金沢南東30キロ、石川、富山、岐阜3県境の笈岳付近。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 7月20日 社会・文化 香林坊のカフェー銀座会館が閉店した。昭和6年9月大阪赤玉支店として金沢に進出したもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 7月27日 社会・文化 午後9時20分ごろ新竪町3丁目の飲食店から出火、1むねを全焼、1むねを半焼、2むねの一部を焼いた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 7月28日 社会・文化 武蔵ヶ辻呉服商田守太兵衛死去。56歳。金沢商工会議所議員を20年つとめ、金沢呉服商組合長などもした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 8月30日 社会・文化 県酒造組合連合会長坂野権次郎死去。63歳。市会議員3期、県会議長2期、市会議長も2期つとめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 9月15日 社会・文化 市会の決議により派遣される在満第9師団将兵慰問団11議員が出発した。(10月4日帰沢) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 10月14日 社会・文化 (県統計課調査による本年3月末現在の喧嘩の自動車数は、乗用車679台、貨物自動車483台、小型車294台である。人力車は114台。前年3月末に比べ自動車の増加数は約300台。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 10月16日 社会・文化 国宝尾崎神社の神門と玉垣の改善工事が完成、新築慶賀祭が盛大に挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 10月21日 社会・文化 ベルリン・オリンピックに出場した金沢出身の大島鎌吉(陸上)柴原恒男(水上)と小松出身の明文一(水上)3選手の県民歓迎会が兼六園長谷川邸跡で開かれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 11月15日 社会・文化 漢学者黒本稼堂(植)死去。79歳。金石町銭屋与右衛門の子、のち二塚村農家八兵衛の養子となった。藤田容斎の門に入り「稼堂叢書」ほか数百の著述を残し、昭和4年蔵書約2,000を市立図書館に寄贈した(稼堂文庫)。有雲庵、衆白堂主人、化化道人などの号がある。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 11月15日 社会・文化 金沢で最初のアパート松山荘が有松町町端にできた。松任町吉田茂平が工費7万5,000円で建てたもので建坪400坪(延べ800坪)洋室36、和室27、和洋室12他に食堂、男女浴室、応接室、娯楽室、売店がある。室代は8円50銭から16円50銭。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 11月20日 社会・文化 金沢検事局は11月8日から県下政界人を主とする紳士賭博事件を摘発し、現在までに県議兼市議2人、県議5人、市議3人、消防組頭ら2人、県庁課長ら3人を検挙した。(最終的には全県市議のそれぞれ約3分の1が連座した) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 11月21日 社会・文化 片町に映画常設館金沢劇場が落成、開館した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 12月1日 社会・文化 米村吉太郎死去。75歳。明治28年金沢市で医師開業、県市医師会長、県市会議員として活躍し、日本医師会より再三表彰された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 12月26日 社会・文化 石川県土木疑獄の予審が終結、県史12人、請負業者7人計19人が起訴、公判に付された。事件は、兼六園の園樹伐採にからむ園丁と茶店との贈収賄発覚が端緒となり、本年6月30日検挙に着手したもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十一年(1936) 12月28日 社会・文化 金沢検事局が摘発した県下知名人の紳士賭博の連座者40余人中、不拘束の20人(うち市議9人)が略式処分により罰金に処せられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 2月2日 政治・経済 広田内閣総辞職、宇垣内閣流産のあとを受けて、林銃十郎(金沢出身)内閣成立。陸相中村孝太郎、商相兼鉄相伍堂卓雄の両金沢出身者も入閣した。林に大命降下の翌30日、金沢市会は松倉副議長ら13議員をお祝いに上京させた。市、県、会議所共催の林内閣成立祝賀会が3日公会堂で約2,000人出席して開かれ、また同夜は市内各校下でちょうちん行列が行なわれた。(中村は2月9日腸チフスのため陸相を辞任) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 2月10日 政治・経済 林内閣成立後初の地方長官異動が行なわれ、知事生駒高常は退職して大日本連合青年団常務理事に就任、後任に秋田県知事児玉政介が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 2月11日 政治・経済 金沢飛行場は河北潟沿岸河北郡川北村東蚊爪の約12万坪(地主58人)に決定、土地買収契約が正式に成立した。総工費は35万円、半額は逓信省補助金、半額は金沢飛行場建設協会の寄付金により、金沢市の11、12両年度の継続事業として施工する(26日の市会で可決)。工事請負は大阪市佐伯組で4月着工。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 2月26日 政治・経済 金沢市農会の改組が終わり会長に沢野市長が選任された。会員7,122人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 3月27日 政治・経済 石川郡野々市町の金沢市編入は市長、町長が11日編入協定に調印し、金沢市会は12日全員一致で編入を可決した。野々市町会は13日8対1で可決したが議事録に「全員一致可決」と記載して上申したため、県は町民反対派の編入反対運動の激化も考慮して、やり直し町会の招集を指示した。やり直し町会は18日開かれ7対3で編入を可決したが、全員一致を欠くので県は内務省に対する合併認可の申請を留保し、4月1日の町会議員改選後に処理を持ち越した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 3月29日 政治・経済 卯辰山一帯177.45ヘクタールを「卯辰山風致地区」に指定する件が都市計画石川地方委員会で可決された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 3月29日 政治・経済 金沢商工会議所議員の選挙がおこなわれ、無競争で32議員(再選22人、初当選10人)が決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 3月31日 政治・経済 日本銀行金沢支店長吉田史郎は本店検査役に転じ、後任に本店秘書役鈴木享市が任命されました。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 4月1日 政治・経済 市は工場誘致策として金沢市工場開設奨励規程を執行した。市内に新設の建坪50坪以上、職工20人以上を使用する工事に対し、不動産取得税の市税付加税相当額と5年間、地租、家屋税、営業収益税の市税付加税相当額の奨励金を交付するもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 4月1日 政治・経済 金沢市消防組は3部を廃して常備部のほか43部とし、消防士を約400人整理し約1,400人に改めた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 4月2日 政治・経済 野々市町の町会議員選挙結果は金沢市編入賛成派と反対派が6対6となった。従って野々市町の金沢市編入は当分見込みがなくなった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 5月1日 政治・経済 金沢地方海軍人事部が開庁した。仮庁舎は成巽閣、職員は13人、北陸3県の海軍兵の徴募、簡閲点呼等の事務を扱うもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 5月1日 政治・経済 街鉄の金沢市内バス料金が区間制から均一制に変わり、8銭均一になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 5月2日 政治・経済 林内閣による解散で衆議院議員総選挙が4月30日おこなわれ、開票結果は次の通り。〔第1区〕当選22,400票 永井柳太郎(民政前) 同18,970票 長谷長次(中立) 同14,232票 箸本太吉(政友前) 次点9,116票 関戸寅松(民政前) 同15,730票 青山憲三(政友元)3,103票 東善作(中立新)1,864票 朝倉昇(中立新) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 5月5日 政治・経済 内務省は金沢市の都市計画整理区画と風致地区を決定、告示した。都市計画整理区画=北安江町諸江町(23万5,500坪〕金沢市風致地区=卯辰山および周辺地域(177.45ヘクタール)。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 5月13日 政治・経済 在満2年の任を終わって第9師団が内地帰還、その第一陣として師団司令部と歩兵第9旅団司令部が金沢に帰った。在満中の師団の戦死戦病者は180人(うち歩兵第7連隊30人)、戦傷者は191人(うち歩兵第7連隊34人)であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 5月25日 政治・経済 (羽咋郡邑知村村会議員に全国農民組合県支部から立候補した円山定盛が当選。県下初の無産党議員である。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 6月1日 政治・経済 市役所の戸籍課が戸籍兵事課になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 6月4日 政治・経済 林内閣総辞職(5月31日)のあとを受けて近衛内閣が成立し、永井柳太郎が逓信大臣として入閣。金沢市会から代表12議員がお祝いに上京した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 6月5日 政治・経済 林前首相の思想と信念を継承し祭政一致の国民的啓発運動をめざす「昭和一新会」の発会式が、三宅雪嶺らを迎え市公会堂で挙行された。同会は林内閣の末期、首相擁護の郷土団体として県下有志により設立準備中のものであった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 6月24日 政治・経済 金沢市会の市政同志会(8議員)が解体した。8議員は今後、中立として行動する。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 6月29日 政治・経済 金沢港建築の基礎となる県営大野川改修事業の起工式が、河口右岸砂丘で盛大に挙行された。事業は7ヵ月継続、総工費110万円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 7月4日 政治・経済 金沢飛行場の起工式が、敷地の川北村東蚊爪河北潟湖畔で永井逓相、前田利為ほか多数参列して挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 7月16日 政治・経済 7日以来の北支における日支の衝突が全面戦闘へ発展する情勢に、石川県下もようやく緊張とあわただしい空気がみなぎっている。金沢市会は本日全員協議会で政府の方針支持を決議し、ただちに近衛首相へ打電した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 7月29日 政治・経済 (農林省は8月7日から5年間、石川県下におけるタヌキ、キツネ、捕獲禁止を指令した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 8月26日 政治・経済 第9師団長蓮沼蕃中将は中部防衛司令官に転じ、後任に近衛師団司令部付吉住良輔中将が補せられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 8月20日 政治・経済 第109師団編成の動員が下令された。(師団は9月8日宇品を出発して北支に上陸。黄河作戦、河北かん定戦、山西粛清戦、北部山西作戦、寧武後略戦、五台作戦、晋東作戦等に参加し、14年12月復員下令、15年1月復員解体した) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 9月9日 政治・経済 第9師団に動員が下令された。(連隊長伊佐一男の率いる歩兵第7連隊は21日金沢を出発。師団は中支派遣軍の中核兵団として上海、南京、徐州、武漢の各作戦に参加し湖南省粤漢線付近の警備の後、14年6月8日復員下令、7月帰還して復員を完結) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 9月16日 政治・経済 金沢市は、出征軍人遺家族中生計困難なものに対して、市税を応召翌月から減免することに決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 9月28日 政治・経済 国民精神総動員第1回石川地方委員会が県庁で開催された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 9月29日 政治・経済 卯辰山の散策道路帰厚坂と帰厚橋が完成した。帰厚坂は天神橋登り口から旧帰厚坂頂上に至る延長800メートル、幅2間半。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 10月12日 政治・経済 寺田直義議員の辞職による金沢市選出県会議員補欠選挙が11日おこなわれ、12日開票の結果乾健多朗(中立新)が村本惣太郎、宮本友吉を破って当選した。県会の新分野は民政15、政友14、中立2。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 10月24日 政治・経済 (石川県情報委員会が設置された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 11月10日 政治・経済 今春来工事中の卯辰山公園の給水工事(配水管、給水塔、水源タンク、モーター所)が完成した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 11月15日 政治・経済 金沢市農会の総代総会は副会長に市助役久保豊四郎を選任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 12月5日 政治・経済 日支事変下の金沢市会議員選挙が4日執行され、本日開票の結果、民政党22人、政友会7人、青年党1人、中立10人が当選した。(立候補70人)。無産党は社会大衆党、革新系中立とも落選。首位当選は772票、最下位当選は302票。当選者次の通り。村本惣太郎、金田一次、岡島友作、水野宗次郎、前川吉栄、山本利行、中川外吉、高瀬与吉、田原太三郎、赤崎治一、朴木元次郎、浅井喜久治、武谷甚太郎、吉川二三郎、森田伊三郎、宮本友吉、荒木幸次郎、北山八郎、園谷音吉、尾本伊三郎、山崎助八、常川兵次(以上民政党)新谷喜一、小林清吉、吉田政次、江川為信、池田久太郎、上野利喜雄、重山徳好、(以上政友会)加賀谷源吾(青年党)加藤与吉郎、見砂原国、乾健多朗、伊藤与三郎、桜町茂助、和田貢、森岡武吉、上野彦助、横山登、新田蒼(以上中立) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 12月15日 政治・経済 市会は正副議長選挙をおこない、議長に朴木元次郎(民政)副議長に前川吉栄(民政)を選出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 12月16日 政治・経済 市会の中立および政友会議員14人が金沢市政革新同盟を結成した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 12月24日 政治・経済 金の使用制限が実施されることになったので、金沢の産業では金箔を筆頭に九谷焼、蒔絵、象眼、金風がすべて打撃を受けることになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 1月7日 社会・文化 商店法案制定資料として金沢商工会議所が政府の委嘱により、市内で50人以上の販売従業員を使用する商店を調査したところ、該当商店は九越(297人)宮市大丸(184人)宇都宮書店(69人)の3店であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 3月9日 社会・文化 午後0時23分ごろ大工町の民家から出火、3戸を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 3月16日 社会・文化 午前6時20分ごろ竪町の食料品店から出火、同店2階を焼き、隣接の救世軍金沢小隊に一部も焼いた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 4月1日 社会・文化 金沢市立商業学校は新学年から修業年限2年制を3年制に改めた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 4月1日 社会・文化 金沢市立無料法律相談所が広坂通の職業紹介所に開設された。相談係は金沢弁護士会(27人)全員で担当し、毎週月、金の2日開く。所長は市社会課長の兼務。市営の法律相談所は全国最初という。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 4月4日 社会・文化 河北郡内灘村向粟崎から出火、12むねを全焼、3むねを半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 4月28日 社会・文化 ひとのみち教団に結社禁止命令が下され、西町の金沢支部も閉鎖された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 5月4日 社会・文化 午後3時半ごろ高岡町のふろ屋から出火、7戸を全焼、3戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 5月12日 社会・文化 (江沼郡山代町で大火、全半焼122むね。原因は放火。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 5月13日 社会・文化 金沢市会議長吉田宗一死去。54歳。医師、大正10年から市会議員5期。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 5月18日 社会・文化 金沢市連合社会教育員会は、さきに生活改善実行事項の一つとして「香典はなるべく現金とし、蒸籠(セイロ)の積み重ねは廃止すること」等を決めた。これに対して金沢生菓子商組(業者80余軒)は本日、商工会議所と県に善処方を陳情した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 5月19日 社会・文化 県議、市議を中心とする紳士賭博事件に対する判決公判が金沢地方裁判所で開かれ、被告21人に対し最高1,000円から200円までの罰金が言渡された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 6月9日 社会・文化 三重苦のヘレン・ケラー女史が来沢、市公会堂で講演した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 7月25日 社会・文化 県立金沢第一中学校は本多町の旧校舎から富樫町の新校舎へ移転を終了、移転式を挙行した。(新築落成式は11月21日挙行) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 8月5日 社会・文化 上松原町ホテル「源円」は土地家屋を某医師に4万9,000円で売却して閉業した。同ホテルは明治17年富山市富山ホテル源家の養女源円が創業したもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 8月10日 社会・文化 第四高等学校長小松倍一が勇退し、松江高等学校長菰田万一郎が後任に任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 9月1日 社会・文化 市は野町第一善隣館、弓ノ町第二善隣館、小将町第三善隣館および職業紹介所階上の4ヵ所に金沢市軍事扶助相談所を開設した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 9月5日 社会・文化 動員による応召軍人と見送り人等のため、昨今の金沢駅の乗降人員は平日の数倍に達し、また市内旅館は満員、一般民家のほか寺院等にも多数宿泊している。一方、市内人口急増のため市内の飯米が払底しているので、県は農林省に交渉の結果、米穀倉庫の11年産米を市内業者にどしどし供給することにした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 9月11日 社会・文化 「飲むと弾丸があたらない」というので知られる金沢市北郊(旧小坂村)福久区の「金戸の水」は石川、富山両県下からの人で連日大いにぎわいである。(井戸は森本駅から徒歩で西へ約20分) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 9月12日 社会・文化 「稿本金沢市史・政治編第二」が刊行された。時局の関係もあって稿局金沢市史は本編で刊行が打つ切られた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 9月13日 社会・文化 午後4時10分ごろ金石町字古川町のロープ工場から出火、民家と5戸と4ロープ工場および材木小屋6むねを全焼、1製材工場を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 9月25日 社会・文化 県は支那事変出征部隊に初めて送る慰問袋2万8,500個の割当を各市町村長に通知した。慰問袋1個の価格は50銭見当として、現金応募も差しつかえないことにしている。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 10月9日 社会・文化 金沢市は市出身者の葬儀は町葬、校下葬を廃し全部市葬で行なうことを決定した。市葬費用は僧職の奉仕により1回約100円を見込んでいる。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 10月22日 社会・文化 金沢市の軍事扶助はついに1,000件を突破した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 10月28日 社会・文化 上海戦線大場鎮、江湾鎮陥落に金沢市は全市小学校5年生以上児童による上海戦勝祝賀ちょうちん行列を27日夜、また全市小学校女児による旗行列を28日昼挙行した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 10月30日 社会・文化 金沢市教育会は「堅忍持久打勝つ国難」の標語を全市各戸に配布した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 11月10日 社会・文化 尾張町小鍛冶市左衛門死去。82歳。金物商、30数年間市会議員をつとめ昭和10年自治功労者として市から表彰された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 12月11日 社会・文化 南京陥落の報に金沢市中はわき立ち、招魂社で知事、市長ほか官民代表約300人が参列して戦勝奉告と武運長久祈願祭、また公会堂で官民代表約1,000人出席の祝賀会がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十二年(1937) 12月25日 社会・文化 金沢浴場組合は本日から朝ぶろを廃止した。燃料節約と時局がら朝ぶろを遠慮するものもふえて客足が減ったため。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 1月11日 政治・経済 知事児玉政介が新設の厚生省体力局長に転じ、後任に長野県知事近藤駿介が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 1月12日 政治・経済 民政党石川県支部長武谷甚太郎が支局長を辞任、後任は関戸寅松に決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 1月21日 政治・経済 燃料節約のため金沢、福光間の金福バスは、本日から当分の間運転休止になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 1月22日 政治・経済 大蔵省は金沢金箔業者に対し、金地金使用制限を緩和して1ヵ月10貫目の金地金を配給することにした。(制限前は1ヵ月約30貫使用) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 2月8日 政治・経済 郷土出動部隊将兵慰問の石川県派遣慰問使として沢野金沢市長、武谷県会議長、山口県学務部長の3人が金沢を出発、中支へ向った。(沢野市長は2月22日帰沢) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 2月14日 政治・経済 燃料統制に対処して犀川の1連区方面自動車業者18軒が合同し、資本金20万円の犀川合同タクシーを設立した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 2月24日 政治・経済 昨日、支那機が日支事変発生後はじめて台湾を空襲したので日本内地も緊張、金沢市防護団ではさっそく防火と防空についての注意書を全戸に配った。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 2月28日 政治・経済 日支事変後はじめて編成される昭和13年度金沢市予算案833万5,000余円(うち一般会計予算316万72円)が予算市会で無修正成立した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 3月1日 政治・経済 日本銀行金沢支店長鈴木享市は上海駐在参事に転じ、後任に本店検査役岩坪友至が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 3月7日 政治・経済 金地金の1ヵ月10貫目配給により、金沢金箔業者は昨年12月18日休業以来80日ぶりで操業を再開した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 3月8日 政治・経済 防空法の実施により金沢市防空委員会が設置された。委員は各界の代表20人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 3月19日 政治・経済 金沢市会の北支ならびに満鮮産業港湾視察団12人が出発した。(4月13日帰沢) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 3月29日 政治・経済 金沢市都市計画区域に石川郡金石町、野々市町、大野村、二塚村、押野村、河北郡川北村を追加する件が都市計画石川地方委員会で決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 4月11日 政治・経済 政友会石川県支部は、神田重義死亡後空席中の支部長に代議士箸本太吉を選出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 4月29日 政治・経済 市は自治制発布50周年記念式を挙行し、3期以上勤続の市会議員と15年以上勤続市吏員の表彰をおこなった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 5月6日 政治・経済 市会議員山本利行が選挙違反で失格し、昨年の選挙で次点の西野十陛(中立)が繰上げ当選となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 6月1日 政治・経済 灯火管制規則の公布により金沢市の警戎管制は、甲管制区域から乙管制区域に変更され、警戎管制の程度が緩和された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 6月6日 政治・経済 金石港修築起工式が盛大に挙行された。総工費35万円、12年度から5ヵ年継続の県営修築事業として昨年夏着工されたが、いよいよ海上作業に移るのを機に挙行したもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 6月14日 政治・経済 市は広坂通の市職業紹介所内に金沢市軍事援護相談所を開設した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 6月16日 政治・経済 金沢市から湯涌、西赤尾村(富山県東砺波郡)を経て岐阜県鳩ヶ谷町に至る産業資源開発路線「金鳩道路」開さく問題を調査のため、材木市会議長ら市会と商工会議所の合同調査隊24人が高山市を出発、途中1泊して30里を踏査した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 6月27日 政治・経済 市会議員山崎助八が選挙違反で失格し、昨年の選挙で次点2位の石川助次郎(民政)が繰上げ当選となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 6月30日 政治・経済 金沢商工会議所交通部は、さきに踏査した産業開発道路金鳩線の開さく促進陳情書を、沢野市長と近藤知事に提出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 7月1日 政治・経済 綿製品の売買制限が6月29日突然おこなわれ、本日から綿製品配給制限規則が実施されて金沢市民の生活にも戦時経済色が次第に加わってきた。(商工省はひきつづき7月中旬までに連続的に人絹、羊毛、銅、鉄等30品目にわたり消費制限ないし禁止の省令を公布実施した) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 7月1日 政治・経済 金沢市職業紹介所が国営に移管された。所長は東京市中央職業紹介所員辻助左衛門。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 7月1日 政治・経済 金沢電気軌道会社は大型木炭バスを購入、運転を開始した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 7月5日 政治・経済 金沢箔同業組合は金箔のストックが200万枚に達したので、7月中休業することになった。またアルミ箔は原料入手不能のため製造を中止した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 7月5日 政治・経済 第1回石川県地方物価委員会が県庁で開かれ、県下の小売物価の標準最高価格(公定価格)を決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 7月18日 政治・経済 市は昭和10年度から施行中の都市計画事業は、12年度分を最後にいったん打切ることに決定した。軍事費増大に伴う政府の地方債起債の不許可方針によるもの。市の都市計画は結局、六枚町ー長田町小学校前間が完成ずみ、駅前合同運送横ー六枚町交番が年内完成予定で、他の三ツ口、極楽橋、玄番町の3線は未着手のまま打切られるわけ。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 7月22日 政治・経済 市助役久保豊四郎が任期満了で退職した。在職4年、東京に引揚げる。(市会は8月29日慰労金4,000円を議決した) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 7月23日 政治・経済 石川県地方物価専門委員会は170品目の県下標準最高価格を決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 7月30日 政治・経済 市会は市助役に市電気水道局長尾戸次作の就任を決定した。電気水道局長には同局技師長広瀬先一が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 8月2日 政治・経済 中部防衛司令部から中部防空管内において、灯火管制の一部ならびに音響管制の実施が発令された。県は広告看板装飾灯類を「秘匿すべき灯火」に指定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 8月16日 政治・経済 臨時地方財政補給金の一般補給金が人口5万以上の都市にも交付されることになり、金沢市へも初めて1万3,427円配分された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 8月17日 政治・経済 石川県の経済戦強調週間が実地された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 8月18日 政治・経済 浅野川天神橋が完工、渡橋式が挙行された。地元7町が橋両端で呪いのもちまきをするなど、戦時下には珍しいにぎわいであった。工費3万5,660円、鉄筋コンクリート造り、中央に6メートルの車道、両側に2.5メートルの歩道があり、延長47.6メートル。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 8月18日 政治・経済 灯火管制の一部ならびに音響管制が解除され、金沢市内は半月ぶりにネオン、広告灯、屋外照明灯が点灯された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 8月19日 政治・経済 金沢と岐阜県鳩ヶ谷をつなぐ金鳩道路期成同盟会の発会式が、金沢商工会議所で挙行された。会長は朴木市会議長、副会長は前川市会副議長と辻商工会議所交通部長。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 8月29日 政治・経済 市会議員宮本友吉が議員を辞職、昨年の選挙で次点3位の諸橋伊右衛門(民政)が繰上げ当選となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 8月29日 政治・経済 市会は任期満了の市収入役小竹芳朗を3選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 9月10日 政治・経済 (能登の本店銀行7銀行が合併、能和銀行が創立された。頭取西野勇喜知。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 9月13日 政治・経済 市会議員和田貢の死去に伴い、昨年の選挙で次点4位の西村与儀(中立)が繰り上げ当選となった。市会の新分野は自治会24人、一二会(中立、政友の合同団体)14人、無所属2人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 10月1日 政治・経済 石川県金沢測候所は国立に移管(文部省所管)されて、中央気象台金沢史台と改称された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 10月11日 政治・経済 金沢市会は完成した金沢飛行場の国営移管(国家献納)を満場一致可決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 10月15日 政治・経済 飛行場は河北郡川北村字東蚊爪地内12万1,366坪、総工費42万5,000円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 11月1日 政治・経済 金沢地方海軍人事部が本多町旧金沢一中敷地内600坪に完成、成巽閣の仮庁舎から移転した。鉄筋2階建、建坪145坪、工費8万4,000円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 11月4日 政治・経済 市は政府の方針にもとづき、昭和13年度一般会計予算で51万8,759円減額の実行予算を作成した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 11月6日 政治・経済 社会大衆党石川連合会が結成され、県連合会長に金沢支部長岡良一が選出された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 11月14日 政治・経済 (手取川美川大橋の完工式がおこなわれた。延長393メートル、工費14万円。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 12月10日 政治・経済 北陸線金沢、津幡間の複線工事が完成、開通した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 12月15日 政治・経済 2回も期限を延長され、本年末がふき替え期限になっていた金沢市の家屋屋根の不燃物ふき替えは、戦時下で資材高騰と入手難のため、無期限に実施を延長されることになった。県保安課の調査によると、金沢市内の石ころ屋根はまだ1,734戸もある。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 1月28日 社会・文化 県は応召軍団家族の副業として、金沢の2善隣館はじめ県内15ヵ所に縫製作業場を設け、陸軍被覆廠の夏シャツ縫製作業をさせることになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 1月25日 社会・文化 市は銃後家庭に対する授産用にミシン30台を購入、市内善隣館その他に備えつけた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 2月3日 社会・文化 午前1時45分ごろ上弓ノ町金沢医大大里俊吾教授宅から出火、同家(70坪)を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 2月25日 社会・文化 金沢で最後に残ったダンスホール下新町の水野ホールが廃業、閉鎖した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 3月1日 社会・文化 初めての石川県満蒙開拓青少年義勇軍513人(うち金沢市の応募者31人)が県会議事堂での壮行会の後、赤だすきで市内行進をして金沢駅を出発、茨城県内原訓練所に向った。約2ヵ月間訓練を受け渡満する。(義勇軍の年齢は15歳から20歳) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 3月3日 社会・文化 県水産界の長老野村喜一郎死去。71歳。明治43年から市会議員を2期勤め、金沢鮮魚問屋社長、魚商組合長等として水産界に活躍したほか、支那貿易にも関与した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 3月25日 社会・文化 午前1時50分ごろ小立野大音町から出火、1戸を全焼、1戸の一部焼失、火元の老人1人が焼死した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 3月28日 社会・文化 午後9時30分ごろ小立野上鶴間町から出火、住家1戸を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 4月1日 社会・文化 金沢市立実科高等女学校(高岡町校内、高小卒2年制)と市立商業学校第二本科(高小卒夜間2年制)同専修科(高小卒夜間1年以内)、市立工業学校第二本科(高小卒夜間2年制)が新設された。これに伴い市立女子実業青年学校と市立商科青年学校、市立工科青年学校が明年限りで廃止される。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 4月1日 社会・文化 兼六園の小立野口と兼六会館横口に高さ2尺8寸の焼き杉木のサクを2尺7~8寸間隔に立て、その他の入口には「車馬止め」の制札を立てた。禁制を犯すものが絶えぬための措置である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 4月3日 社会・文化 金沢市設運動場が日本陸運本部から第3種公認運動場に指定された。北陸地方で最初の公認運動場である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 4月7日 社会・文化 尻垂坂通1丁目に完工した第三善隣館(材木町方面委員部経営)の落成式が挙行された。工費1万5,000円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 4月8日 社会・文化 再建共産党の全国的検挙に関連して、県特高課は新興仏教青年同盟石川支部に対し、昨年11月16日、12月15日、本年2月17日の3回にわたり検挙を行ない計10人を逮捕、うち6人を治安維持法違反で本日起訴した。(14年8月11日1人に無罪、5人に懲役1年から2年、全員執行猶予の判決があった) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 4月11日 社会・文化 第四高等学校は新学期から生徒の長髪を禁止、始業日の本日から全生徒がイガグリ頭で登校した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 4月14日 社会・文化 横浜章死去。65歳。横山隆興の長男、横山鉱業部社長はじめ各会社の経営に当り、地方財界の重鎮として活躍する一方、貴族院多額納税議員にも当選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 4月17日 社会・文化 自治制発布50周年記念式典が東京二重橋前広場で挙行され、金沢市会議員を45年間勤めた餝谷与右衛門(71歳)が自治功労者として参列、表彰された。餝谷は明治26年8月から昭和12年12月まで連続市会議員に当選、また県会議員も7回と当選している。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 5月8日 社会・文化 卯辰山振興会の発会式が会員300余人出席して料亭金閣でおこなわれた。会長は中宮茂吉、副会長は吉田太郎吉、津田猪平。振興会は当面、山上に約300人収容の雨晴らし休憩所2ヵ所の新設を児童遊戯場、小動物園の早急な実現を市に要望する。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 5月15日 社会・文化 (能美郡鳥越村字相滝と杉森で68戸を全半焼。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 5月17日 社会・文化 元金沢市長吉川一太郎、東京で死去。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 6月12日 社会・文化 (東京石川県人会の発会式が1,370人出席して目黒雅叙園で挙行された。会長に三宅雪嶺、副会長に北島多一、尾佐竹猛が就任した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 6月29日 社会・文化 皮革製品制限でクツが暴騰したため、市は沢野市長名で市の全職員に「今後ゲタばき、ノーネクタイの登庁差しつかえなし」と示達した。市教育課もさきに全小学校長に児童のゲタばき奨励を通達した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 7月4日 社会・文化 兼六園内の成巽閣が国宝に指定された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 7月17日 社会・文化 石川県青少年勤労報国隊の結成式が野村練兵場で挙行された。県下の青少年勤労報国隊は944隊、隊員17万7,000人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 8月1日 社会・文化 学校の暑中休暇入りと共に市内小学校、中等学校等はそれぞれ勤労報国隊をつくり、卯辰山、金沢飛行場、市設運動場等で作業奉仕をはじめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 8月2日 社会・文化 県警察部は風俗営業取締りを強化して、今後は貸座敷、待合、貸席、麻雀遊技場の新規営業を許可しないことに、また喫茶店の酒類提供を禁じた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 8月13日 社会・文化 金沢市役所吏員勤労報国隊は本日(土曜)から毎週土曜日に、隊員70人ずつが金沢飛行場の建設作業に奉仕することを決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 9月8日 社会・文化 市会議員和田貢死去。44歳。自治会所属、昭和8年12月から当選2回、真宗大谷派超願寺住職。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 9月12日 社会・文化 午後9時40分ごろ高岡町の民家から出火、2戸を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 10月1日 社会・文化 県は愛国、国防両婦人会の援助のもとに、金沢市と3群の各地から戦地へ送る梅干しを集める献納運動をはじめた。このため県学務部は、学校の日の丸弁当をシソとショウガだけの梅干し抜きにするようすすめている。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 10月27日 社会・文化 武漢没落を祝って、市その他の主催で昼間は児童の旗行列、夜は一般市民のちょうちん行列がおこなわれ、市中はわき返った。また28日には知事、市長、師団長らの発起で約1万5,000人が参加し、招魂社で戦勝記念大会が開かれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 11月13日 社会・文化 河北郡三谷村字岩出に建設された結核療養所県立医王国の落成式がおこなわれた。総工費25万3,000円、延べ建坪1,865坪。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十三年(1938) 12月5日 社会・文化 工費20万円で新築中だった小将町高等小学校が完工、本多町旧一中校舎の仮校舎から移転し、新校舎で授業をはじめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 1月13日 政治・経済 内務省は金沢市都市計画区域に石川郡金石町、野々市町、大野村、二塚村、押野村、河北郡川北村を追加するむね告示した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 1月31日 政治・経済 前第8師団長侯爵前田利為中将が予備役に編入された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 2月2日 政治・経済 午後5時15分ごろ広坂通の県会議事堂小使室から出火、木造2階建296坪の同議事堂を全焼した。同議事堂は明治35年、総工費4万円で建築した当時としては珍しい新式洋館であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 4月1日 政治・経済 市は金沢市制実地50周年記念式を市会議事堂で挙行した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 4月17日 政治・経済 知事近藤駿介は熊本県知事に転じ、後任に厚生労働局成田一郎が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 5月1日 政治・経済 日本銀行金沢支店長岩坪友至は本店検査役に転じ、後任に松江支店長石橋義雄が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 5月15日 政治・経済 恩給金庫金沢出張所が尾張町石黒ビルに開所した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 6月28日 政治・経済 中支の第9師団に復員下令され、24日第一陣は宇品港に上陸したが、歩兵第7連隊(連隊長藤岡武雄≫本部が本日、軍旗と共に市民の大歓迎を受けて金沢に帰した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 7月15日 政治・経済 東京-長野-富山-金沢-大阪間定期航空が開始され、金沢飛行場で祝賀会が開かれた。大日本航空会社の金沢出張所が石浦町仙宝閣に開所した。旅客運賃は金沢-大阪13円、金沢-東京21円、所要時間は金沢-大阪1時間35分、使用機は中島フォッカー・スーパーユニバーサル6人乗り。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 7月20日 政治・経済 (七尾町と東湊、西湊、矢田郷、徳田、石崎、の各村および旧和倉町の和倉、奥原が合併して七尾市が誕生した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 8月1日 政治・経済 石川県授産場が下本多町金沢一中跡に開所した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 8月11日 政治・経済 本多政樹の辞任による石川県貴族院多額納税議員の補欠選挙が行なわれ、無競争で中島徳太郎が当選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 8月22日 政治・経済 市会議員森田伊三郎(自治会)が刑事事件を起し議員を辞職した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 8月22日 政治・経済 金沢、鳩ヶ谷(岐阜県)間の金鳩道路の指定府県道編入陳情のため、沢野市長と同道路促進期成同盟会の朴木、前川市会正副議長、石黒商工会議所副会頭らが上京した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 8月30日 政治・経済 平沼内閣総辞職(28日)のあとを受けて阿部信行内閣成立、金沢出身の永井柳太郎が逓相兼鉄相に、同伍堂卓雄が商工相兼農相として入閣した。阿部は金沢市与力町の生れ。金沢出身の3大臣へお祝い市長、市会代表11議員その他各団体代表等が上京、また3大臣関係の校下ではちょうちん行列等をした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 9月1日 政治・経済 金沢、福光間の省営バスが全通した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 9月2日 政治・経済 (初代七尾市長に清水豊吉就任。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 9月10日 政治・経済 石川県の貴族院多額納税議員選挙が行なわれ、現議員中島徳太郎が無競争で当選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 9月25日 政治・経済 県会議員選挙が24日行なわれ本日開票の結果、民政党15人、政友会14人社会大衆党1人、中立1人が当選した。金沢から2位で当選の岡は県会最初の無産糖党議員である。金沢市の当選者次の通り(立候補者14人)。金田一次(民政前)武谷甚太郎(民政前)上野利喜雄(民政新)村本惣太郎(民政新) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 9月30日 政治・経済 古い伝統をもつ金沢穀物取引所は、穀物統制に伴い本日限り閉鎖した。明治8年資本金3万5,000円で出願、同10年2月内務卿から金沢米商会社の創立が許可され、同26年9月株式会社穀物取引所と改称された。市場の建物は最初現在の尾崎神社奥殿の公報にあったが、明治18年6月十間町に移転した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 10月15日 政治・経済 金沢全市の全自動車業者を統合して金沢交通株式会社が創立された。資本金50万円、専務取締役鳥畠徳次郎、自動車170余台。市内営業所を6ヵ所、駐車場を15,6ヵ所設置した。本社は石浦町千代田ビル。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 10月16日 政治・経済 金沢商工会議所会頭中島徳太郎は、貴族院多額納税議員に当選のため会頭を辞任した。商工会議所は議員総会を開き、会頭に石黒伝六(副会頭)、副会頭に中宮茂吉を選出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 10月21日 政治・経済 (県会は正副議長選挙をおこない、議長に吉国文吉、副議長に村田市太郎=いずれも民政=を選出した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 11月1日 政治・経済 中央気象台金沢支台が金沢地方気象台と改称した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 12月1日 政治・経済 第9師団長吉住良輔中将が特命になり、後任に参謀本部付樋口季一郎中将が補せられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 12月2日 政治・経済 9月解散した金沢米穀取引所のあとに、国策会社「日本米穀会社金沢米穀市場」が開場した。市場長河野綱作。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 12月6日 政治・経済 愛国金沢飛行場が金沢市から国営に正式移管された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 12月17日 政治・経済 北支の第109師団に復員下令され、師団長酒井鎬次中将ら第一陣が金沢に帰還、市民の大歓迎を受けた(川崎明徳大佐の率いる歩兵第107連隊は軍旗と共に1月3日金沢帰還)。師団長は編成時の山岡重厚から阿南惟幾を経て3人目。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 1月3日 社会・文化 県立金沢一中の北側に建設中の金沢陸軍病院泉野分院が完成、開院した。完成した第一期工事は19病とう、3兵舎、1管理室。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 1月8日 社会・文化 午後6時半ごろ石川郡湯涌谷村の温泉旅館白雲楼本館(旧建物)から出火、1部3階建の1むね(延べ413坪)を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 1月10日 社会・文化 金の使用制限から離職した金沢の金箔業者400余人のうち、現在までに230人が転就職した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 1月29日 社会・文化 医師山田謙次死去。82歳。元県市会議員、石浦町で私立病院を建立、金沢で初の私設産婆看護婦養成所をつくった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 3月4日 社会・文化 第四高等学校長菰田万一郎東京で死去。58歳。千葉県出身、文部省学生課長、督学官、松江高校長を経て昭和8年四高校長となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 3月10日 社会・文化 午後9時45分ごろ長町1番丁の看板店から出火、同店工場1むねを全焼、住家など3むねを半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 3月11日 社会・文化 午後3時18分ごろ堀川角場の製菓工場から出火、同工場(平屋建230坪)と住家1戸を全焼、2戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 3月15日 社会・文化 午後1時40分ごろ香林坊(石浦町)の表具店付近から出火、大阪朝日新聞金沢通信局等3戸を全焼、1戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 4月1日 社会・文化 市立中村町尋常小学校と浅野町尋常小学校が開校した。これで市内の小学校は22校、高等小学校は2校、尋常高等併置校は10校となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 4月1日 社会・文化 出羽町の第9師管官祭招魂社が内務大臣指定の石川護国神社と改称された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 4月1日 社会・文化 市は新学年から小将町高等小学校に支那語教員を配置し、同校生徒に初歩支那語を教授することにした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 4月1日 社会・文化 (青年学校普通科義務制が実施された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 4月6日 社会・文化 消防組と防護団の合併による金沢第一、第二、第三各警防団の結成式が、団員2,000人参列して護国人社前で挙行された。第一警防団(広坂署管内)団長は井村徳二、第二警防団(玉川署管内)団長は津田米次郎、第三警防団(金石署管内)団長は加藤勘太郎。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 4月6日 社会・文化 午後7時50分ごろ木ノ新保6番丁の運送会社倉庫から出火、倉庫1むねを全焼、隣接会社倉庫の2むねを半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 4月7日 社会・文化 三浦彦太郎死去。71歳。金沢箔業界の功労者で金沢箔同業組合長、金沢金箔会長等をつとめ、組合から銅像も贈られた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 4月25日 社会・文化 午後8時15分ごろ彦三大通りに面した袋町の商店から出火、2戸を全焼、1戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 4月26日 社会・文化 3月4日菰田前校長の死去以来空席中の第四高等学校長に、浦和高等学校長岡上梁が任命された。岡上は高知県人、明治39年から43年まで金沢一中に教頭として在職した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 5月1日 社会・文化 県は本日から金買入れ事務を開始した。取扱い所は県下130の銀行本支店と宮市大丸、丸越の両デパート。知事は、民間にあるすべての金を政府へ売却するよう、県民へ呼びかける声明を発表した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 5月10日 社会・文化 野町泉野神社(通称神明宮)が県社に昇格した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 5月20日 社会・文化 油谷定吉死去。63歳。牧場経営、県連合畜産会長をつとめ県の畜産功労者、明治43ねんから市会議員に3階当選。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 5月25日 社会・文化 竪町酒造業山川庄太郎所蔵の野々村仁清作「色絵雉香炉」が国宝に指定された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 5月25日 社会・文化 河北郡内灘村向粟崎の砂丘に移転工事中の石川県育成院が完成、「石川県立加能実修学校」と改称して落成式を挙行した。敷地1万2,786坪、総予算7万6,270円、延べ建坪720坪。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 6月2日 社会・文化 購買力抑制のための政府勧告に基づき、北陸4県の8百貨店代表が金沢で協議の結果、中元大売出しや宣伝等の取りやめを決めた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 6月14日 社会・文化 金沢市内の中小学校教職員やく900人は、期限2,600年記念事業として倉ヶ岳大池の周囲2万坪に、明年秋までに松、杉、あてなど針葉樹1万8,000本を植林することになった。土地は地主中田岩次郎より無償提供されたもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 6月21日 社会・文化 氏家栄太郎死去。77歳。加能越史談会理事、加能郷土史の生字引といわれ「昔の金沢」の著がある。本年、市立図書館へ所蔵600冊を寄贈。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 6月 社会・文化 "金沢医科大学に臨時付属専門部が設置された。修業年限4ヵ年、募集人員60人。 (全国で12校設置)" 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 8月14日 社会・文化 方面委員の活動が全国一といわれる金沢市では、善隣館が既設または計画中のもの合せて11ヵ所になった。この中には中主馬町の永井柳太郎住家跡に近く工費3万5,000円で設置する善隣館も含まれている。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 9月1日 社会・文化 第1回の興亜奉公日(毎月1日)。金沢市内の各官庁、民間団体等でも護国神社参拝、勤労奉仕、徒歩励行、化粧廃止、日の丸弁当持参等まじめな銃後生活が実践された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 9月7日 社会・文化 作家泉鏡花、東京麹町6番丁の自宅で死去。67歳。本名鏡太郎、金沢市下新町金属彫工泉清次の次男、明治23年作家を志上京、尾崎紅葉の門にはいった。代表作に「夜行巡査」「照葉狂言」「高野聖」「歌行燈」などがある。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 9月16日 社会・文化 第1回金沢市町会長会(573町会)が市公会堂で開かれ、沢野市長から町会に隣保班の早急結成等を要望した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 10月6日 社会・文化 尻垂坂第三善隣館に設置した軍人遺家族乳幼児健康相談所は、市内5か所の善隣館で毎月1回、巡回相談会を開催することになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 10月11日 社会・文化 60年の歴史を持つ市立勉致小学校が、今春開校の浅野町尋常小学校に併合のため解散式を挙行した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 10月16日 社会・文化 全県下の美術家300余人を会員とする石川県美術協会の発会式が県正庁でおこなわれた。総裁前田利為、会長成田知事、副会長沢野市長、青戸高工校長、達林県学務部長。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 10月17日 社会・文化 並木町に浅野川食堂街が開業した。場所は浅野川稲荷神社横から材木町7丁目へ通ずる貫通道路。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 11月3日 社会・文化 宝塚歌劇団が初めて来沢、護国神社参拝の後、尾張倶楽部で2、3両日講演した。天津乙女、草笛美子ら25人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 11月23日 社会・文化 餝谷与右衛門死去。72歳。明治26年から昭和12年まで連続11期44年間市会議員、明治40年から昭和11年まで7期県会議員を勤め、地方政界の元老であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 12月13日 社会・文化 北国新聞が金沢新報を併合した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 12月27日 社会・文化 並木町通りの松並木が県から天然記念物に指定、告示された。指定された並木老松は浅野川梅ノ橋から天神橋に至る間の12本で、いずれも樹齢300年以上。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十四年(1939) 12月28日 社会・文化 午後8時20分ごろ諸江町上町の三浦製作所から出火、旋盤工場1むねを全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 1月23日 政治・経済 昭和14年の石川県産米実収高は133万6,930石と発表された。県産米が130万石台に上ったのはこれが最初である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 1月29日 政治・経済 知事成田一郎は内務省土木局長に転じ、後任に山梨県知事土居章平が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 2月1日 政治・経済 第9師団に情報部が新設された。初代情報部長は安達十六少将。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 2月17日 政治・経済 市会議員、県会議員上野利喜雄は応召のため議員を失格した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 3月7日 政治・経済 金沢市は県会議員補充選挙会を開き、県議、市議上野利喜雄の応召失格により昨年9月の県議選挙で次点第1位の乾健多朗の繰上げ当選を決定した。(市議の繰上げ当選はおこなわず欠員のまま) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 3月8日 政治・経済 市は今冬の市内雪害を被害総額362万9,565円と算出、これを基礎に政府各省に対し雪害復旧補助を申請することにした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 3月14日 政治・経済 木炭配給の不円滑にかんがみ、県では大雪のため山中に積まれている木炭の搬出を促進することにし、9,389円の予算(県参事会議決)で全県的に搬出を開始した。現在山中の木炭は約6万9,000俵、1俵の搬出費24銭の半額12銭を県費で補助するもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 3月15日 政治・経済 3月2日商工省令によってセメントの配給統制が決定したので、金沢市が都市計画事業用として買入れ契約していたセメント1,000袋が契約破棄となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 3月27日 政治・経済 石川県野々市町の全部と戸板、押野両村の一部が、内務大臣から市街地建築物法適用地域に指定された。金沢市に隣接して将来、工場住宅等の建設が予想されるため。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 4月1日 政治・経済 地方税制の改正により新年度から市税戸数割が廃止され、市民税が新設された。金沢市の場合、市民税は1戸平均5円、公費救助者を除く約4万1,000余世帯と法人約600に賦課される。(旧戸数割は所得300円未満のものが免税されたため、賦課戸数は約2万6,000世帯で1戸平均18円60銭であった) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 4月4日 政治・経済 金沢市選出県市会議員小林清吉(政友)の死去により、県議に昨年9月の県議選挙で次点第2位の岡島友作(民政)の繰上げ当選が決定した。(市議の繰上げ当選はおこなわず欠員のまま) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 5月1日 政治・経済 市は社会教育課を新設した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 5月21日 政治・経済 市は電気水道事業用、都市計画用、一般土木用(4月分)として初めてセメント2,100袋の配給申請をしたが、これに対し約4割の864袋が割当配給された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 6月24日 政治・経済 市は市庁舎100余坪(市長室、助役室等5室)の増築を決定、増築費5万4,900円が市会で可決された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 7月7日 政治・経済 ぜいたく品、不用不急品の製造販売制限規則(七・七禁止令)が公布、実施された。県下では織物、刺繍、銀箔、九谷焼等が影響を受け、県も転業対策を講じている。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 7月10日 政治・経済 第9師団に改編下令。2個旅団編成を改廃して歩兵第6旅団を第9歩兵団とし、歩7、歩19、歩35の3個連隊がれい下にはいった。(歩兵第18旅団は改廃、鯖江の歩兵第36連隊は新京の第28師団に編入) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 7月22日 政治・経済 市会は沢野市長の7月29日任期満了を前に市長選挙をおこない、全員一致で沢野を再選した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 7月25日 政治・経済 (民政党の永井柳太郎以下36代議士が民政党を脱党、新体制促進倶楽部を結成した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 8月1日 政治・経済 北部、中部、東部、西部の4軍管区の設置に伴い陸軍軍管区制が改正になり、「第9師団管区」の呼称が「金沢師団管区」と改称されて、明年4月から東部軍管区に編入されることになった。(旧城内の第9師団司令部は金沢師団司令部と改称) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 8月14日 政治・経済 政友会石川県支部が本部の解党に伴い解散した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 8月17日 政治・経済 金沢市で家庭用木炭の切符配給が実施された。(8、9両月は試験配給で、10月から本格的実施) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 8月28日 政治・経済 近衛首相が新体制の基本理念を声明し、県では土居知事が「新体制の実現につとめるよう」県民に呼びかけた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 9月1日 政治・経済 金沢市会の朴木、前川正副議長以下31議員は午前7時石川護国神社で、近衛新体制声明に対する祈誓式をあげた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 9月4日 政治・経済 大日本青年党(統領橋本欣吾郎)石川県連合支部が結成され、支部長に前金沢師団情報部長安達十六小将が就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 9月15日 政治・経済 民政党石川支部が本部の解党に伴い解散した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 9月27日 政治・経済 第9師団に満州派遣された。(金沢には留守第52師団新設) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 10月1日 政治・経済 第5回国勢調査がおこなわれた。金沢市の調査結果は41,560世帯、人口186,297人(男89,150人、女97,147人)全国都市中第23位の人口であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 10月8日 政治・経済 金沢商工会議所議員倶楽部、金沢実業協会、結生会、金沢経済懇談会、金沢研究会、友交倶楽部、金商懇話会など市内の経済人の団体を一丸とした「金沢経済倶楽部」が結成され、発会式がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 10月10日 政治・経済 金沢市で砂糖の切符配給制が実施された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 10月11日 政治・経済 第九師団は逐次七尾を出発、満州牡丹江省に駐とんし、ソ満国境の警備についた。(師団司令部、歩兵団司令部、歩兵第7連隊は牡丹江省掖化) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 11月3日 政治・経済 大日本青年党が解党したので同党金沢支部も解散し、思想団体大日本赤誠会金沢支部に改組した。支部長は安達十六. 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 11月9日 政治・経済 県は市長村の下部組織としての町内会、部落会の整備促進を知事訓令をもって市町村長に指示した。金沢市はすでに町内会は整備ずみ、隣保班もすでに全市で3,500班できている。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 11月19日 政治・経済 大政翼賛会石川県支部常務委員11人が決定、近衛総裁から指名された。土居章平、石黒伝六、乾健多朗、河村栄太郎、谷内星七、古谷外美雄、安達十六、沢野外茂次、嵯峨保二、菊知順一、千田俔次郎。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 11月28日 政治・経済 市はさきに買収した本多町金沢一中跡1万1,377坪の約3分の1を、市会の承認を得て金阿沢地方人事部、金沢連隊区司令部、県警察官練習所、愛国婦人会県支部の軍人会県支部の軍人遺族母子寮に分譲することになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 11月30日 政治・経済 大政翼賛会石川県支部の結成式が県正庁で挙行された。支部顧問23人、参与25人、理事8人と庶務部長村沢義二郎、組織部長吉田他吉が発令された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 12月1日 政治・経済 (小松町と能美郡安宅町、牧村、板津村、白江村、苗代村、御幸村、栗津村が合併して小松市が誕生した。人口は5万1,975人。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 12月1日 政治・経済 (県会議長吉国文吉が辞任、後任議長に武谷甚太郎が当選した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 12月20日 政治・経済 金沢市営電気事業は、政府の配電国家管理案による配電国策会社に参加しなければならないので、市はこれに対処するため、臨時配電管理対策委員会えお設置することにした。市長を会長とし、助役、電気局長と市会議員全員を委員に委嘱する。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 12月28日 政治・経済 金沢市の大政翼賛運動の下部機構の中心となる市内各校下連合町会の正副会長が市長から任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 1月1日 社会・文化 香林坊帝国座が映画館に転身、開館した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 1月27日 社会・文化 大雪。市内の積雪量2メートル。鉄道は北陸本線、七尾線とも不通。市内幹線道路の除雪作業に軍隊と四高生徒、各中等学校生徒らが出動した。県下の家屋倒損壊は計170むね。(全市小学校は29日に臨時休校) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 1月27日 社会・文化 石川郡犀川村字倉谷鉱山で、なだれのため7人が死んだ。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 2月1日 社会・文化 市内に児童のゴム長ぐつ窃盗専門の学校荒しが横行、ゴムぐつ払底の折から警察当局では学校、家庭に防犯の注意を喚起した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 2月6日 社会・文化 市内幹線道路の除雪が完了し、1月24日以来13日ぶりでバスを除く乗物全部の運転、通行が許可、再開された。ふん尿攻めの市民各戸のくみ取り問題解決のため、市は新市域衛生組合長と連日協議を続けているが、新市域からのくみ取りソリが除雪された電車通りを通れぬため、対策が立てられず市は困却している。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 2月7日 社会・文化 石川郡犀川村倉谷と二又の中間ヤナ谷の火葬場で、なだれのため14人が死亡した。1月27日のなだれによる死者の家族と区民が死者を火葬中の出来事である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 2月10日 社会・文化 正午ごろ長土塀1番丁から出火、住家4戸を全焼、5戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 2月26日 社会・文化 県下全中等学校で初めて学科試験のない入学考査(口頭試問と身体検査だけ)が本日から4日間実施された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 3月13日 社会・文化 (鳳至軍輪島町で大火、79戸150むね全焼。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 3月26日 社会・文化 面、市会議員小林清吉死去。58歳。政友会所属、市議2回、県議1回当選、朝鮮興農会社専務取締役。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 3月30日 社会・文化 河北郡浅川村の袋小学校(平屋建176坪)が全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 4月7日 社会・文化 軍旗保護法の改正で20メートル以上の高所から写真撮影が禁止(3年以下の懲役または1,000円以下の罰金)されたので、金沢憲兵隊は行楽でにぎわう卯辰山を取締り、1日で市民の違反者6人を摘発し、一般市民に注意を要望した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 5月7日 社会・文化 午後10時50分ごろ香林坊大神宮境内の映画常設館スメル館から出火、同館を全焼、隣接の住家と土蔵を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 5月21日 社会・文化 午後5時20分ごろ南町の硬質陶器販売所から出火、同所と隣接の無尽会社を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 5月23日 社会・文化 午前3時半ごろ石川郡湯涌谷村字曲の養蚕場から出火、農家8戸と八幡神社を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 5月24日 社会・文化 13日来、金沢地方に「フェーン現象」が続いているので金沢地方気象台、県警察部、警防団が火災注意の警告を出した。(フェーン現象の語が初めて県下の新聞に現われ、解説記事が掲載された) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 5月29日 社会・文化 結核予防と節酒の見地から、県は土居知事の提唱に基づき「宴会等における酒杯の献酬を6月1日以降禁止するよう」県公報で一般に示達した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 5月31日 社会・文化 午前3時ごろ南町の化粧品会社販売店付近から出火、商店等4戸を全焼、1戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 5月31日 社会・文化 (全国的に流行の天然痘が4月13日依頼小松市に3人、羽咋郡志雄町に2人発生、うち1人が死亡したが、県内の天然痘はこれで終息した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 7月1日 社会・文化 北國新聞社と北陸毎日新聞社は言論統制強化の国策により合併し、本日から「北国毎日新聞」と改題、新発足した。社長林政武。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 7月1日 社会・文化 市は市青年学校学則改正を実施し、1週1日は昼間授業をすることを改めた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 7月18日 社会・文化 午前1時20分ごろ石川郡大野村小学校から出火、同行(547坪)と隣接の民間4戸を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 8月14日 社会・文化 日満ロータリー倶楽部金沢支部(会長中島徳太郎)が、臨時総会で解散を決議した。国際ロータリーの金沢ロータリー倶楽部から昨年日満ロータリー金沢支部に改組したもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 8月15日 社会・文化 県は県庁に勤務する女性職員(170人)に電髪(パーマネントウェーブ)禁止を示達した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 9月10日 社会・文化 金沢市内の料理屋、旅館等の料理の最高価格が決められ、実施された。朝食80銭、昼食2円、夕食4円、一品料理80銭、すし1個7銭。(加賀の各温泉地も同一) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 9月20日 社会・文化 県山林会は政府から県へ供出割当てのドングリ10万貫を、中小学校生徒の総動員によって供出することに決めた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 9月21日 社会・文化 マッチ軸木の代用品として黒松葉の大量注文が滋賀県から石川県にきたので、県山林会がまとめることになった。買入れ値は黒松葉1貫目25銭ないし30銭、石川県では無尽蔵という。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 10月4日 社会・文化 市は、さきに河北郡三谷村出身の橋本工作所所長橋本太四郎(大阪府佐野町)から育英資金として寄贈された3万円で橋本奨学資金を設け、利子で毎年2、3人の中学生に学資補助をすることをきめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 10月13日 社会・文化 石川県、金沢市共催の大制翼賛・三国同盟締結祝賀石川県民大会が四高校庭で官民、各団体、学校生徒ら約2万人参加して開かれ、大会後参加者が市中を行進した。(全国各地でも開かれた) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 10月15日 社会・文化 本日から県下の猟解禁。県は鳥類の公定価格をツグミ1羽25銭、カモ大2円、中1円10銭、小60銭ときめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 10月28日 社会・文化 (能美郡安宅の関址に建った弁慶、富樫の大陶像除幕式がおこなわれた。永井柳太郎の寄贈、制作は都賀田勇馬。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 11月1日 社会・文化 市は7人以上の子女を育てた金沢市内の多子家庭1,364人を表彰した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 11月10日 社会・文化 紀元2,600年式典。金沢市でも官庁、学校、各神社で挙式された。(午前11時25分が萬歳奉唱時刻) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 11月11日 社会・文化 前日の式典に引続き本日は国民奉祝日。金沢市では市公会堂で市主催の市民奉祝会が盛大に催され、市内は旗行列、ちょうちん行列その他の催しでにぎわった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 12月24日 社会・文化 豪雨による増水のため犀川上流の大桑橋が落ちた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十五年(1940) 12月25日 社会・文化 宗教報国を旗じるしに県下の神道、仏教、キリスト教からなる石川県宗教団体連合会が結成式をあげた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 1月7日 政治・経済 知事土居章平が新潟県知事に転じ、後任に文部省社会教育局長田中重之が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 1月8日 政治・経済 大政翼賛会金沢市支部の理事10人が次の通り決定した。尾戸次作、岡野正策、新田蒼、小倉周六、浦上太吉郎、横山登、奥村謙二、油谷大、小森直夫、石地与一郎。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 1月13日 政治・経済 市会の全議員が自治会、一二会等の会派を解散して市会の翼賛団体「金沢市政奉公会」を結成した。結成式で「一切の私心を去り臣道実践職域奉公の実をあげ、市政振興に寄付する」との申合せをした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 1月14日 政治・経済 (初代小松市長に山口又八が当選した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 2月11日 政治・経済 金沢市連合壮年団の結成大会が市公会堂でおこなわれた。団長沢野市長、副団長嵯峨保二、尾戸助役。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 2月12日 政治・経済 大政翼賛会金沢市支部結成式が国民協力会議議長末次信正大将を迎え、市公会堂で挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 3月5日 政治・経済 県は商工業再編のため犠牲となる県下中小商工業者のため「転廃業の指針」というパンフレットをつくり、各組合を通じて配布した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 3月9日 政治・経済 市は15年度分の市都市計画事業は、起債許可額が14万円に削減されたので、金沢駅―二万堂線のうち、長土塀小学校角から富本町広場に至る230メートルの都計道路を設置することになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 3月11日 政治・経済 飯米の通帳配給制が県下一斉に実地された(配給制を実地の予告発表は2月24日)。配給量は一般消費者の8歳から60歳までが1日2合8勺、4歳から7歳までと60歳以上が2合。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 3月29日 政治・経済 金沢商工会議所議員選挙が行なわれ、無競争で32人が当選した。新人は17人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 3月29日 政治・経済 金沢電気軌道会社と子会社の石川電気、手取川水力電気の各会社は臨時株主総会で、会社を解散して北陸3県下12会社の統合による北陸合同電気株式会社に参加することを決議した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 4月1日 政治・経済 陸軍師管区域の変更があり、長野県が金沢師管に編入されて金沢師管は金沢、富山、長野の3連隊区制となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 4月2日 政治・経済 金沢市大衆免出身の住友本社総理事小倉正恒が近衛内閣の国務大臣になった。金沢出身の6人目の大臣である。金沢市と母校馬場国民学校からお祝い品を贈った。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 4月9日 政治・経済 金沢商工会議所の議員総会で会頭に石黒伝六(再選)、副会頭に新名弥三吉、久保田可全が選出された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 4月11日 政治・経済 大政翼賛会石川県支部の協力会議議員31人が発令され、議長に千田俔次郎が就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 4月23日 政治・経済 大日本赤誠会北陸地方本部の結成式が市公会堂でおこなわれ、安達十六が北陸地方本部長と石川県連合支部長に就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 4月24日 政治・経済 大政翼賛の第1回金沢市協力会議(市営会)が常会員55人出席して市公会堂で開かれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 5月1日 政治・経済 市は産業課を廃し、農協、経済両課を新設した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 5月18日 政治・経済 政府は本月から市町村吏員に臨時手当を支給することになった。俸給月額165円以下の吏員に対し、俸給の1割5分の率で7円から15円までを支給するもの。金沢市の該当吏員は国庫支弁によるもの225人、市費支弁330人、同電気水道局員約500人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 5月18日 政治・経済 さる3月29日創立50周年を迎えた金沢商工会議所が、物故議員追悼会と祝賀会を開催した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 6月9日 政治・経済 市会全議員を委員とする市の臨時配電管理対策委員会が開かれ、市営電気事業の配電統合除外を推進することを決議した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 6月12日 政治・経済 (石川県は自発的に砂糖の切符配給制を実施していたが、政府から正式に砂糖の切符制地域に指定された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 6月14日 政治・経済 県下で家庭用クギの切符制が実施された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 7月7日 政治・経済 第9師団を主とする支那事変の第1回生存者論功行賞が発表された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 7月18日 政治・経済 第2次近衛内閣が総辞職し(16日)、第3次近衛内閣成立。金沢出身の小倉正恒が大蔵大臣として入閣した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 7月29日 政治・経済 北陸3県下の電気会社12社(石川県下は金沢電気軌道、手取川水力、石川電気、石川電力、小松電気、大聖寺川水電の各会社)を統合して設立する北陸合同電気株式会社の創立総会が富山市で開かれた。資本金8,800万円、社長山田昌作。本社は富山、支社は金沢、富山、高岡、鯖江。新会社は金沢電気軌道会社(街鉄)の電鉄事業を継承する。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 7月29日 政治・経済 県市営電気事業の統制問題について、沢野市長ほか関係府県市代表を内務、逓信両省との会合が東京で開かれ、「統計の結果、地方財政に悪影響を及ぼさぬよう公納金制度を設け、配電会社からの配当金と税収入が従来の利益の95%未満の場合は、95%に達するまで10年間配電会社から公納金を納める」ことで解決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 8月1日 政治・経済 金沢市で木炭の通帳配給制が実地された。世帯人員数、畳数とガス使用の有無により配給量をきめるもの。(従来は世帯単位の切符配給制) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 8月1日 政治・経済 金沢師団に兵務部が新設され、情報部が報道部と改称された。金沢師団の初代兵務部長は倉石忠一郎小将。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 8月9日 政治・経済 金沢市調査による本年6月16日現在の市内の生活用品小売物価指数は、支那事変当初の12年7月16日を100として202.8で、当時の約2倍に高騰していることがわかった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 8月19日 政治・経済 配電統制案が本月2日国家総動員審議会で可決されたので、北陸地区配電会社の設立準備委員会が名古屋で開かれ、金沢市営電気を代表して沢野市長が設立委員になった。新配電会社に参加するのは、北陸合同電気のほか福井県下大半を配電区域とする京都電灯福井市支社、富山県下の日本電力の3会社と金沢市の4者である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 8月27日 政治・経済 金沢では本日から飯米に1割程度の麦を加え配給した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 9月4日 政治・経済 沢野市長は金沢財界人による新街鉄会社の設立計画に対し、積極的支援方針を市の臨時配電管理対策委員会で発表、全市会議員の承認を得た。さきに金沢電気軌道会社(街鉄)等12社を統合発足した北陸合同電気会社が、北陸配電会社へ参加を決定したことに対し、政府当局から交通部門の切離しを命ぜられたので、金沢の財界有力者20余人を発起人とする街鉄事業買収の新会社(資本金500万円)設立準備が急速に具体化しているもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 9月9日 政治・経済 貯蓄債券と報国債券計9万円が初めて金沢市に割り当てられたので、市社会教育課が各校下(全市534町内会)に割り当て、購入をすすめることにした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 9月10日 政治・経済 北陸配電株式会社設立に関し、逓信大臣から沢野市長に対し、金沢市営電気事業の設備一切を配電会社に出資するよう正式命令書が到達した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 9月30日 政治・経済 市会議長朴木元次郎が議長を辞職した。在職4年。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 10月20日 政治・経済 石川県で食肉と鮮魚の出火配給統制が実施された。(料理屋等の大量需要者の産地直接買付けも禁止) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 10月28日 政治・経済 石川県は冬季青物の不足に備えて、次の野菜10品種の県外移出を禁止した。れんこん、里山、にんじん、ごぼう、大根、ねぎ、白菜、かんらん、かぶら、つけな。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 11月1日 政治・経済 金沢市の住宅調査がおこなわれた。(厚生省が全国24都市で実施したもの) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 11月3日 政治・経済 金沢市内360余軒の青果物物商が共同で、連区ごとに7ないし10ヵ所の野菜果物の共販配給所を設けることになり、1,2,4,7連区の共販配給所は本日開所した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 11月10日 政治・経済 金沢鮮魚介配給統制協会が設立された。出荷および消費関係12団体を構成分子とし、金沢市内へ配給される鮮魚の配給計画を樹立するもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 11月15日 政治・経済 県下で統制会社の設立は、いま木材(資本金500万円)繊維製品(200万円)石油(30万円)みそ(3万円)しょうゆ(10万円)の5部門が準備中である。みそは13日創立総会を終り、石油は株式の7割を小売業者に割当て、従来の石川県石油共販会社を改組して新出発し11月下旬までに設立終了予定、他の部門も年内には全部完了する。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 11月24日 政治・経済 飯米小売値が金沢で1升につき5厘引上げられ(金沢以外の県下は1銭)、14キロ4円30銭が4円35銭になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 12月1日 政治・経済 新聞の共同販売が全国一斉に実施された。石川県下の共同販売所は76、配給所は23。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 12月8日 政治・経済 (日本、米英に宣戦。大東亜戦争はじまる。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 12月13日 政治・経済 市会は聖旨奉体国難突破決議案を満場一致可決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 12月21日 政治・経済 北陸配電会社設立委員会は金沢市営電気事業の出資評価額を1,430万円と決定した。(会社資産の総評価額は1憶701万5,000円) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 1月25日 社会・文化 今夜から県下の商店、百貨店、歓楽街の一斉減灯節電が実施された。また料理屋、旅館、百貨店の暖房電熱器が停止された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 1月27日 社会・文化 金沢市山科の大桑層化石産地と甌穴が文部省から天然記念物に指定された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 2月6日 社会・文化 午後11時35分ごろ東馬場のクリーニング店から出火、同店と商店2戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 2月7日 社会・文化 午後1時ごろ石川郡内川村字堂の農家から出火、同字21戸のうち11戸を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 3月10日 社会・文化 島田庄兵衛横浜で死去。82歳。明治年間横安江町入口に小間物屋「島庄」を経営、金沢における勧工場の草分の一人であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 3月24日 社会・文化 金沢在住最後のアメリカ人、在沢20年の北陸高等女学校付属幼稚園主事アイリン・ライザーが金沢を引揚げ、帰国した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 3月28日 社会・文化 金沢高等工業学校長青戸信賢が勇退し、後任に山梨高等学校教授森慶三郎が任命された。青戸は大正9年12月同校創立以来の校長。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 4月1日 社会・文化 (小学校が国民学校と改称された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 4月1日 社会・文化 青年学校本科義務制の実施に伴い、小将町国民学校内に市立小将町青年学校(商科)、市立工業学校内に市立工業青年学校が開設された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 4月2日 社会・文化 午前1時10分ごろ笠舞町の養鶏業者宅から出火、住宅と鶏舎を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 4月5日 社会・文化 石川県青少年団の結成式が市公会堂でおこなわれた。団長は田中知事。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 4月6日 社会・文化 琵琶湖畔で合宿練習中であった第四高等学校漕艇班員8人と先輩3人計11人が湖岸の会津と近江舞子間で遭難、全員死亡した。(最後の死体が引きあげられたのは6月10日) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 4月15日 社会・文化 市は紀元2,600年記念事業として、西町の金谷館(延べ340坪)を卯辰山運動場前の高台に移築して修練道場「卯辰山会館」とすることにした。金谷館跡の敷地1,300坪のうち、約1,000坪は尾山神社の神域拡張にあて、残り300坪は公会堂の自動車駐車場として市が使用する。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 4月17日 社会・文化 市内の旧男女連合青年団、旧少年団、各単位青少年団を改組、結成した金沢市青少年団の結成式が市公会堂でおこなわれた。団長は沢野市長。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 4月 社会・文化 犀川、浅野川両大橋詰めの警鐘台が電気サイレンに変り、市庁舎内のスイッチで市庁舎のサイレンと同時に鳴ることになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 5月28日 社会・文化 午前4時40分ごろ五宝町のふろ屋から出火、3戸を全焼、1戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 6月24日 社会・文化 粟崎町の木谷吉次郎は、大野川沿いの自邸(宅地2,077坪、住家7むね延べ216坪)を金沢市に維持保存費1万円と共に寄付した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 7月1日 社会・文化 河北潟沿岸4漁業組合が組織する河北潟沿岸漁業組合連合協会は、河北潟の釣人から年3円の入漁料を徴収することにした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 8月5日 社会・文化 午後8時40分ごろ森本駅前石川製作所の鋳物工場から出火、同工場1むね(80坪)を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 9月9日 社会・文化 ガソリン使用禁止のため、タクシーの代燃車への改造申請が9月1日以降毎日10数件保安課に出ている。(改造のため発生炉取りつけには300円以内の補助金がある) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 9月10日 社会・文化 桐生悠々(政次)愛知県で死去。69歳。金沢市出身、四高時代、北國新聞紙上に小説「校花染」などを書き、のち信濃毎日新聞主筆となったか、昭和8年8月「関東防空大演習を嗤う」の社説で失脚、名古屋で個人雑誌「他山の石」を発行し、最後まで軍国主義に熱烈な抵抗の文字を書き続けた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 9月14日 社会・文化 大政翼賛会、石川県支部により石川県文化委員会が結成され、第1回委員会が開催された。委員は51人、委員長は嵯峨保二。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 9月16日 社会・文化 金沢高工、県立一中、二中、第一高女、市立工業生徒の稲刈奉仕と旧市内国民学校児童6,000人の落穂ひろいが本日からはじまった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 9月19日 社会・文化 在京の石川県出身文化関係者の間で創立準備が進められていた「石川県文化人連盟」の結成総会が、会員130余人出席して有楽町糖業会館で開催された。会長伍堂卓雄、副会長畠山一清、理事長笠間杲雄。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 9月27日 社会・文化 広坂通の第四高等学校校門の鉄とびら(150貫)が取りはずして献納された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 10月1日 社会・文化 金沢市仏教会は市内各宗派寺院一斉に、おときを廃止することをきめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 10月20日 社会・文化 金沢市カフェー同業組合の女給160余人が勤労報国隊を結成し、市内工場で昼間の作業についた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 11月2日 社会・文化 新旧各派合体の石川県俳人協会の結成式が兼六園館で開かれた。会長小松砂丘。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 11月3日 社会・文化 (大学、専門学校、高等学校、大学予科の明後18年 3月卒業予定者は一斉に17年 9月末に卒業を繰り上げることに決定した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 11月10日 社会・文化 北国毎日新聞が北国夕刊新聞を合併した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 12月10日 社会・文化 県、金沢市、翼賛会県支部主催の米英撃滅国民大会が冷雨ふる護国神社前で挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 12月15日 社会・文化 金沢市翼賛壮年団の結成式が市公会堂で、全市30分団の団員約3,000人が参集して挙行された。団長中林貞治、副団長直山与二、小倉周六、理事長岡野正策。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 12月16日 社会・文化 石川県翼賛壮年団の結成式が市公会堂で挙行された。団長千代田俔次郎、副団長小倉周六、中島栄治。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 12月26日 社会・文化 金沢医大、同薬学専門部、金沢高工および県下実業学校14校の3ヵ月繰り上げ卒業による卒業式が一斉に挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十六年(1941) 12月 社会・文化 上柿木畠に遺家族の母子を収容する清和寮ができた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 1月1日 政治・経済 食塩が配給制になった。家庭用の配給量は年齢に関係なく1人1ヵ月200グラム。家庭用みそ、しょうゆをつくるため臨時に必要なときは、町会長でまとめて専売局に申請して切符の交付を受ける。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 1月13日 政治・経済 市会は金沢市営電気事業の設備一切を配電統制令に基づき、新設国策会社の北陸配電株式会社に譲渡し3月31日限り市営を廃止することを可決した。市の出資額1,430万円。北陸配電の資本金は1憶3,800万円、金沢市以外の各社出資額は1,175万6,000円、日本電力(富山県内一部配電)630万4,000円、北陸合同電気7,495万5,000円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 1月17日 政治・経済 北陸合同電気会社の配電会社参加と共に分離される街鉄事業を、市の財界有力者と金沢市が買収して、市民の手により新街鉄会社を設立する計画は、評価の点で北陸合同電気と金沢地元側の意見一致を見ず、交渉はついに不調に終った。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 1月24日 政治・経済 北陸合同電気会社は新たに同社会全株主をもって北陸鉄道株式会社(資本金500万円)を設立し、北陸鉄道はさきに合同電気が旧金沢電気軌道会社(街鉄)から買収した電車、バス等金沢市を中心とする交通事業一切を、617万円で譲受けて経営することを決定した。北陸鉄道の株式会社は、北陸合同電気の全額払込みずみ株式14株に対し1株の割りで株主に交付される。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 1月26日 政治・経済 産業組合中央金庫金沢出張所が広坂通の石川県信連事務所階上に開所した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 2月1日 政治・経済 衣装全部に点数制による総合切符制が実施された。県下では金沢、小松、七尾3市は年間1人あたりの点数100点(乙地区)、3市以外は80点(甲地区)。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 2月21日 政治・経済 市会は、新年度から市長の年俸6,000円を7,000円に、助役3,800円を4,300円に、収入役2,400円を2,700円に増額を可決した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 3月1日 政治・経済 みそ、しょうゆの通帳配給制が実施された。金沢、小松、七尾3市の割当量はみそ1人1ヵ月100匁、しょうゆ1人1ヵ月5合。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 3月6日 政治・経済 大政翼賛会石川県支部役員の任期満了に伴う新役員が東条総裁から指名発令された。常務委員15人中新顔は3人である。(常務委員)乾健多朗、石黒伝六、河村栄太郎、玉置一、谷内星七、中林貞治、中島松雄、中島栄治、前川吉栄、沢野外茂次、嵯峨保二、菊知順一、千田俔次郎、吉田他吉、村沢義二郎。(県協力会議議長)武谷甚太郎。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 3月18日 政治・経済 (小松商工会議所が設立された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 3月23日 政治・経済 今次衆議院議員総選挙の候補者推薦母体となる翼賛政治体制協議会石川県支部の結成式が石川護国神社でおこなわれた。支部長千田俔次郎以下支部会員14人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 3月28日 政治・経済 北陸配電株式会社の創立総会が富山市で開催された。資本金1憶3,800万円、本店は富山市、支店を富山、金沢、福井3市に置き3県下7市551町村にわたる配電事業を営むもの。社長は山田昌作、金沢支店長に常勤理事広瀬先一(金沢市電気水道局長)監事に久保田可全、相談役に沢野市長が就任。金沢市は今後毎年、出資(1,430万円)による配当金100万1,000円(年7分)と、10年間は別途の公納金30余万円を受ける。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 3月31日 政治・経済 市営電気事業の北陸配電株式会社への統合により金沢市電気水道局は本日付で廃止され、新たに市ガス水道事業部が設置された。部長は当分尾戸助役兼務。市営電気事業の発足以来20年6ヵ月である。市電気局員中約250人が北陸配電に移り、約150人がガス水道事業部に残った。(庁舎は当分北陸配電と同居) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 3月31日 政治・経済 大衆免公設市場が閉業した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 4月1日 政治・経済 北陸配電株式会社石川支店が本多町の旧市電気水道局庁舎で営業を開始した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 4月1日 政治・経済 北陸鉄道株式会社が発足した。資本金500万円、社長は石黒伝六、本社位置は北陸合同電気会社の時と同じ。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 4月1日 政治・経済 県下で家庭用酒の切符制が実施された。金沢市は県酒類販売会社から各校下連合町会長に配給券を渡す。(4月分は1戸当り7~8合) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 4月18日 政治・経済 太平洋上の空母から発進した米軍機約10機が、日本本土を初空襲して支那大陸へ向った。被空襲地は東京、名古屋、神戸。石川県警防課は県民に改めて防空必勝への構えを要望した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 5月1日 政治・経済 日本銀行金沢支店長石橋義雄は本店検査部長に転じ、後任に秋田支店長斎藤良弼が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 5月2日 政治・経済 東条内閣下で翼賛選挙と銘打って、衆議院議員総選挙が満5年ぶりで4月30日おこなわれ、第1区第2区とも翼賛政治体制協議会推薦候補者各3人が全員当選した。〔第1区〕当選23,557票 永井柳太郎(前) 同9,752票 村沢義二郎(新) 同9,744票 箸本太吉(前)次点9,282票 長谷長次(前) 8,236票 江川為信(新) 6,037票 殿田孝次(新) 5,170票 安達十六(赤誠会新) 1,345票 林周盛(東方会新) 〔第2区〕当選17,667票 桜井兵五郎(前) 同11,545票 喜多壮一郎(前) 同11,325票 青山憲三(前) 次点8,362票 益谷秀次(元) 5,373票 富田喜作(新) 3,351票 重山徳好(新) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 5月8日 政治・経済 6月8日に行なわれる金沢市会議員選挙の候補者推薦母体「金沢市翼賛選挙協議会」が結成された。会員は沢野市長から市内各界有力者24人と校下連合町会長30人、会長に中島徳太郎、副会長に安藤謙治と河野義雄が就任。事務所は上柿木畠元愛国婦人会県支部事務所。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 5月16日 政治・経済 去年11月から下本多町3番丁金沢一中跡に建設中の金沢連隊区司令部庁舎が一部完成したので、同司令部は旧城内から新庁舎に移転、執務を開始した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 5月16日 政治・経済 金沢市翼賛選挙協議会は、市会議員候補者として各校下連合町会長から持ち寄られた158人の中から40人(現議員12人新人28人)の推薦を決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 6月9日 政治・経済 4年半ぶりに改選の金沢市会議員選挙(定員40人)が8日おこなわれ、本日開票の結果、金沢市翼賛選挙協議会推薦候補40人、自由立候補31人計71人から翼協推薦候補29人、自由候補11人が当選した。新旧別では新人は翼協推薦に23人、自由候補に2人計25人、前議員は翼協推薦に6人、自由候補に9人計15人、また最高点当選は岡良一の997票、最下位当選は392票。当選者次の通り。岡島友作、井口清次、田守太兵衛、鳥畠徳次郎、青木正一、武谷甚太郎、中村栄俊、新田甚作、津田鉄喜知、中村外二、神谷文次郎、井村重雄、岡田清、吉田長久、徳田与吉郎、島田喜一、平野芳泰、石坂三郎、西原佐一、前川吉栄、荒木為久、武村慶一郎、河野信次郎、伊藤与三郎、綿谷小作、石見谷弘三、山田藤太郎、新田蒼、乾健太朗(以上翼協推薦)岡良一、金田一次、新谷喜一、中川外吉、水野宗次郎、高倉与三松、尾本伊三郎、森岡武吉、村本惣太郎、田原太三郎、西村与儀(以上自由立候補) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 6月17日 政治・経済 市会は正副議長選挙をおこない、議長に前川吉栄、副議長に水野宗次郎を選出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 6月24日 政治・経済 県は全国にさきがけて薪の配給統制を実施した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 7月1日 政治・経済 (県下8郡に地方事務所が開設された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 7月2日 政治・経済 市会議員全員(40人)が「金沢翼賛市政会」を組織、尾山神社で発表会をあげた。会長前川議長、副会長水野副議長。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 7月3日 政治・経済 金沢と朝鮮間の電話が開通した。(金沢、京城間1通話3円90銭) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 7月21日 政治・経済 市会は7月30日任期満了の助役尾戸次作の再任を決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 9月1日 政治・経済 市収入役小竹芳朗が8月28日任期満了退任、後任に副収入役九里次作が市会で選任され、同時に副収入役制が廃止された。小竹は昭和5年以来収入役在任12年。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 9月22日 政治・経済 大政翼賛会石川県支部事務局が設置され、事務局長に県翼賛壮年団長越生虎之助が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 10月1日 政治・経済 野町3丁目に普通局(旧2等局)の野町郵便局が開局した。敷地450余坪、総工費9万8,000円。集配区域は犀川以南の全市域と野々市郵便局の集配区域全部。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 10月1日 政治・経済 政府は官吏優遇策として戦時勤勉手当(棒給の1割)の支給と、家族手当月額1人当り3円を5円に引上げを決定、同時に民間会社に対しても家族手当の引上げを指示した。(地方吏員も実施。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 10月14日 政治・経済 市会議員尾本伊三郎の死去により、6月8日の市議選挙で次点の作田二三郎(翼協推薦)が繰上げ当選となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 10月17日 政治・経済 下本多町3番丁に新築完成した金沢連隊区司令部の落成式が挙行された。総工費9万8,000円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 11月1日 政治・経済 主食の総合配給にあたる石川県食糧営団が10月22日設立され、県下各郡市に11ヵ所の支所を置き本日から業務を開始した。営団の構成員は県米商連、小麦粉特約店商組、各郡米商組等18団体。営団の取扱う物資は米、麦、乾めん、パン、小麦。理事長は大島源太郎、営団事務所は十問町元米穀取引所に置くが、改装完成まで田丸町と玉井町に分れて執務。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 11月1日 政治・経済 (地方官官制の一部改正に伴い、石川県庁は知事官房を拡充して官房長を置き、総務、学務両部を内政部に統合し、従来の総務、学務、経済、警察4部が官房および内政、経済、警察の3部制となった。課も29課を24課に整理統合した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 11月3日 政治・経済 (江沼郡作見、塩津両村が合併して片山津町が発足した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 11月18日 政治・経済 宮市大丸、丸越百貨店の金沢店は商工省の売場面積縮小方針に従って、宮市大丸は売場面積の20.4%604坪、丸越は16.4%209坪を縮小して公共団体等に供出することになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 11月20日 政治・経済 下本多町金沢一中跡に県警察練習所が完成、落成式をあげた。敷地703坪、木造2階建、工費14万1,980円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 12月1日 政治・経済 市は中央ならびに県の行政事務簡素化に呼応して、市役所の部課を従来の1部13課から1部10課に統合整理した。新設課は、厚生課(社会、衛生両課を統合)配給課(経済課を廃止)工務課(土木、建築、都市計画の3課を統合)の3課。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 1月8日 社会・文化 第1回の大詔奉戴日。田中知事は県民に告論を発して県民の向うところを示した。市内各官公庁では大詔奉読式をし、職員がそろって石川護国神社に参拝、必勝を祈願した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 1月18日 社会・文化 大政翼賛会県支部文化委員のあっせんにより、石川県建築文化協会、石川県工芸文化協会、石川県美術文化協会が生れ、発会式が行なわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 2月9日 社会・文化 亜鉛鉄板が県に特配されたので、県統制課は非常用バケツ2,000個をつくり金沢、小松、七尾3市に特配することにした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 2月12日 社会・文化 午後10時40分ごろ八坂町日赤救護班寄宿舎から出火、同寄宿舎を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 2月18日 社会・文化 政府はシンガポール陥落を記念し、本日を戦勝第一次祝賀行事日と定めた。金沢市では昼間、雪の四高校庭で県、市、翼賛会県支部主催の祝賀大会、市役所その他の官庁、学校で祝賀式、学童の旗行列等、また夜は市立青年学校生徒と男女青年団員5,000余人の市中行進がおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 3月7日 社会・文化 百々女木村の「百々女木の松」が石川県指定の天然記念物になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 3月31日 社会・文化 市は全市535町会の町会長を選任発令した。町会長の任期満了に伴い、各町会から推薦した候補3人のうちから市長名で選任したもので、再任が約8割。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 4月16日 社会・文化 午前3時ごろ河北郡花園村字利屋町の農家から出火、8戸を全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 4月19日 社会・文化 午後1時25分ごろ玉川町のモーター店から出火、強風の中で11戸を全半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 4月19日 社会・文化 財団法人私立金沢中学校長兼理事長河合常治死去。50歳。同校の創設者。後任校長には実弟松井芳太郎が就任。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 5月6日 社会・文化 午後2時ごろ枝町から出火、1戸を全焼、3戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 6月4日 社会・文化 本多町金沢地方海軍人事部校内に新築された北陸海軍館の落成式が挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 6月18日 社会・文化 石川県翼賛壮年団長千田俔次郎はボルネオ西部州司政長官に転じ、後任団長に予備役陸軍中将越生虎之助が就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 7月17日 社会・文化 愛国、国防両婦人会が合同して大日本婦人会発足。金沢では市内全家庭婦人を会員として大日本婦人会金沢支部ができ、結成式が市公会堂で挙行された。支部長沢野光(市長婦人)副支部長石黒雪子、赤倉外世喜。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 8月27日 社会・文化 午前2時半ごろ高岡町下藪の内の車両工場から出火、工場と物置2むねを全焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 9月5日 社会・文化 本年4月11日ボルネオ方面軍最高指揮官に任命された侯爵前田利為中将は、飛行機に搭乗して軍務遂行中、本日午前11時ごろ旧サラワクのビンツル北方海上で副官、飛行士と共に沈没した。58歳。搭乗機は数日後、香川県水産指船寿丸が海中から発見、引き揚げたもので、陣没は10月28日陸軍省から発表され、同日陸軍大将に昇進(9月5日付)正2位に叙せられた。利為は上州七日市の旧藩主前田利昭の5男、前田利嗣の養子となり明治33年家督を相続、襲爵した。家族は菊子夫人、嗣子利建のほか3女がある。沢野市長は発表と共に市民を代表して上京、前田家を弔問した。(陸軍葬は11月20日東京都築地本願寺で執行され、遺骨は前夫人渼子も眠る京都大徳寺芳春院に埋葬) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 9月13日 社会・文化 県下の29文化団体を一丸とした石川県翼賛文化団体連盟の結成式が、尾山神社で挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 10月5日 社会・文化 市会議員尾本伊三郎死去。61歳。金石町出身、市議2回当選。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 10月19日 社会・文化 (鶴来町舟岡山に、県が紀元2,600年記念事業として建設した石川県修練道場「白山塾」」の落成式が挙行された。敷地5,581坪、建築費14万5,700円を含め総経費21万8,000円。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 12月1日 社会・文化 県、金沢市、翼賛会県支部主催の米英撃滅国民大会が冷雨ふる護国神社前で挙行された。市合同主催の故前田利為大将慰霊祭が、高岡町国民学校講座で菊子、利建らの遺族も参列して盛大に営まれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十七年(1942) 12月26日 社会・文化 金沢市内の撞球場は、撞球の健全娯楽化をめざす県撞球組合の決定により、本日から男女採点係の廃止と料金の時間制を実施した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 1月16日 政治・経済 県内全部の鉄道、バスを一丸として交通統合会社を設立するための設立準備委員会が、初めて北陸鉄道会社で開催された。統合対象の会社は北陸鉄道、能登鉄道、温泉電軌、金沢電鉄、浅野川電鉄、金石鉄道、北陸自動車、七尾交通自動車、門前自動車、トモエ自動車、湯涌自動車、金沢交通等28業者。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 2月1日 政治・経済 金沢市は商工省の方針に基づき、家庭用と不急産業方面に対してガスの割当量を削減、一般家庭は1戸2孔口までとし、平和産業と商業は孔口を半減した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 2月1日 政治・経済 北陸配電会社が3県下で大幅節電を開始した。規制量は電灯3割~5割、動力5割~8割。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 2月3日 政治・経済 泉本町の株式会社津田製作所は北陸航空工業株式会社と改称、川西航空の系列にはいった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 2月17日 政治・経済 富山県の日本海産業会社所有の北陸鉄道会社の株式1万7,585株が、石川県当局のあっせんで石黒伝六、林屋亀次郎ら石川県財界人に譲渡された。これで北陸鉄道株は全部石川県内に移り、県内交通事業の統合がはかどることになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 2月20日 政治・経済 市会は陸海軍に対する感謝決議案を可決し、また故林銑十郎大将に弔辞をおくることをきめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 2月23日 政治・経済 沢野市長は市会で、昨年暮れから着工予定だった金沢駅拡築(工費70万円)は、鉄道省が全力を輸送力強化に充当する方針のため、戦争終了まで延期されることになたことを明らかにしました。また中橋地下道の建設も資材関係で実現不可能と言明した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 3月27日 政治・経済 大蔵省の1県1行方針により、加能合同、加州、能和3銀行の合併が決定した。新銀行名は北國銀行、本店は金沢市。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 3月30日 政治・経済 大政翼賛会石川県支部の役員更新が発令された。支部常務員には再任13人のほか、次の5人が新任された。小倉周六、島田喜一、平沢三郎、谷口与平、大浜芳雄。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 4月1日 政治・経済 金沢市のガス、水道事業は従来同一特別会計に包含されていたが、本年度からガス事業と水道事業の別個の特別会計に分離された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 4月1日 政治・経済 市は農商課を廃止して農務、商工の両課を設置した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 5月12日 政治・経済 夜、県下を含む中部地区に警戒警報が発せられたが、中部軍参謀長は「警戎は相当長期にわたる見込み」と発表した。(本日アッツ島に米軍上陸) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 6月1日 政治・経済 (市制、町村制の改正法が実施された。改正法によると市長の選任は、内務大臣が市会をして市長候補者を推薦、その候補者につき勅裁を経て選任する。もし内務大臣の指定する期日までに候補者を推薦しないときには、内務大臣が勅裁を経て市長を選任することになった。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 6月30日 政治・経済 県下交通事業の第一次統合として北陸鉄道、温泉電軌、能登鉄道、金名鉄道、湯涌自動車、七尾交通の7会社の合併が県のあっせんにより決定、各会社は本日一斉に解散総会を開いた。新会社名は北陸鉄道会社、資本金1,029萬9,700円。合併は10月。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 7月1日 政治・経済 都市、府県間行政の総合連絡調整をはかるため、政府は全国9地区に地方行政協議会を創設した。北陸地方協議会(新潟、富山、石川、福井、長野5県)は新潟に置き、会長の新潟県知事には前田多門を任命した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 7月23日 政治・経済 石川郡戸板村の金沢市編入が市会で可決された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 7月23日 政治・経済 商工経済会法によって金沢、小松両商工会議所が解消し、県下各地の商工会を合併して、県を単位とする石川県商工経済会が設立されることになった。設立委員として石黒伝六、林屋亀次郎、東馬三郎、米谷半平、福田三次郎、春木藤兵衛が商工大臣から任命された。石川県商工経済会の構成員は5,018、うち金沢市内の法人312、個人1,445である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 7月23日 政治・経済 市は改正市制により、市長の相談役として市内における各種施設の重要事項につき審議を行なう「参与」を設置することになり、市参与設置条例制定を市会に提出、議決を得た。参与は8人以内、任期は2年。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 7月23日 政治・経済 県は県営大野川改修工事の本年度当初予算11万円のうち5万円を節減額として操りのべたので、金沢市は工事の昭和21年度完成を促進するため、5万円を一時立替えて予定工事を進めることにし、市会の議決を得た。これにより大野川河口の導流堤が着工される。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 7月27日 政治・経済 富山県下4銀行の合併による北陸銀行の創立総会が開かれた。資本金3,948万500円、頭取中田清兵衛、金沢市内の支店11、石川県内の支店と出張所29。(全国の支店131) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 7月30日 政治・経済 金沢市の増産計画雄進の総本部として、金沢市経済厚生委員会が設置された。委員は産業組合長、出張所主任、市翼壮副団長ら24人、会長は沢野市長。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 8月1日 政治・経済 市は改正市制により考査役を設置し、大島庶務課長を任命した。考査役は市営事業の管理、出納、その他の市吏員の掌理に属する事務の執行を考査するもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 8月1日 政治・経済 石川県青果物物配給会社が開業した(7月10日創立総会)。本社は市内石屋小路、支店は小松、七尾両市、社長新保武二。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 10月1日 政治・経済 石川郡戸板村が金沢市に正式編入された。戸板村は845戸4,416人、編入により金沢市の人口は194,964人になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 10月1日 政治・経済 石川県商工経済会が発足し、創設以来50年の金沢商工会議所と小松商工会議所が閉所した。県商工経済会の役員は会頭石黒伝六、理事長宮田治次郎、理事9人、監事3人、評議員35人、顧問12人で小松支部長は理事西田与作、七尾支部長は春木藤兵衛。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 10月11日 政治・経済 県下の電車、バス7会社の合併による北陸鉄道株式会社の創立総会が開かれた。資本金1,029万9,700円、本社は旧北陸鉄道会社、支社は羽咋町と山代町。社長林屋亀次郎(11月11日就任)、専務取締り役松木幸一。新会社は19自動車業者も吸収する。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 10月25日 政治・経済 金沢市内の百貨店、株式会社宮市大丸(資本金 250万円、社長井村徳二)と株式会社丸越(資本金 110万円、社長林屋亀次郎)が県にあっせんにより1対1で合同、株式会社「大和」として12月21日発足することにきまった。合併後も両社の本支店は当分そのまま存知する。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 10月26日 政治・経済 金沢駅前の市立観光会館は、観光部面を廃止して必需商品の販売本位に転換するため、「市立商工館」と改称した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 11月15日 政治・経済 金沢地方気象台は文部省所管から運輸通信省所管となり、「金沢測候所」と改称した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 11月23日 政治・経済 石川郡金石町、大野村、二塚村の金沢市編入が市会で可決された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 12月1日 政治・経済 石川郡金石町、大野村、二塚村の金沢市に正式編入された。編入人口と戸数は金石町1,289戸5,661人、大野村455戸2,415人、二塚村323戸1,839人。編入により金沢市の人口は204,879人(45,791戸)になった。市役所の金石市所、大徳(大野村)、二塚出張所が設けられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 12月6日 政治・経済 石川県農業会の創立総会が開かれた(発足は15日)。県下に8万農家に対する総括指導機関として農村の32指導団体を翼下に入れたもの。会長江川為信(県農会長)副会長中島栄治、金沢支部新田蒼。事務所は金沢市、県下の支部は12。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 12月12日 政治・経済 県下の木材統制機関として加能合同銀行、加州銀行、能和銀行の合同による北國銀行の創立総会が開かれた。資本金2,000万円、頭取米谷羊平、取締役会長泊宗一、専務取締役福井弘一、常務取締役山上喜之松、桜井久光、寺本松次郎。本店は現加能銀行本店、支店を県下16ヵ所と大阪に設置。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 12月18日 政治・経済 県下の木材統制機関として石川県地方木材株式会社が設立された。資本金400万円、社長通善直次郎、副社長杉原亀次郎。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 12月20日 政治・経済 北陸銀行が金沢貯蓄銀行(資本金50万円)と富山合同貯蓄銀行(資本金50万円)を吸収合併した。北陸銀行の資本金は4,200万円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 1月12日 社会・文化 安宅弥吉(金石町出身)の実業界引退記念として、安宅商会から石川県に奨学金100万円の寄付があり、県はこの100万円で特別会計「石川県育英資金」を設定した。育英資金の給与は4月から開始し、対象は県内に本籍と現住所を持つ男子で中等、高等、大学、陸軍幼年学校の学生生徒。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 1月25日 社会・文化 森下八左衛門死去。83歳。尾張町の菓子舗森八の元経営者、明治28年森八を改名して第12代八左衛門を襲名。明治30年中川長吉らと金沢電気会社を創設したのをはじめ多くの事業を手がけ、県下実業界の先駆者であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 1月27日 社会・文化 金沢市は全国最高位を占める市の乳幼児死亡率を減らすため、乳幼児保健特別指導地区として弥生町市営住宅と天神町1、2丁目を指定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 2月4日 社会・文化 元首相林銑十郎大将東京で死去。68歳。現在大日本興亜同盟総裁。旧加賀士族林孜々郎の長男。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 2月22日 社会・文化 宝円寺住職増田雪巖死去。76歳。福井県武生町の出身、曹洞宗大学に学び50余年間北陸仏教会につくした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 3月9日 社会・文化 午後10時50分ごろ中本多町の石川県立工業学校本館から出火、2階建本館(375坪)講堂(100坪)漆工科実習室、控え室等計705坪(全校舎の約34%)を焼失した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 3月19日 社会・文化 市は紀元2,600年記念事業として、西町の金谷館として、西町の金谷館を卯辰山山上に移築して市民修練場「卯辰山会館」(仮称)をつくることにし、建設費8万8,580円を本日の市会に提出、議決を得た。(建築資材入手困難のため最後的決定が昨年来のびていたもの) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 3月30日 社会・文化 市は市有財産野田山の松杉2,000本(目回り3尺以上)を造船用材として供出することを決定した。同山の樹木1万数千本のうち、供木の規格に合う松杉は約4,000本である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 3月31日 社会・文化 県は県庁構内の赤松、杉、モミ、ケヤキ等7本(目回り5尺、長さ7間以上)を伐採供出することにきめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 4月1日 社会・文化 金沢市立女子職業学校は金沢市立第一高等学校に、金沢市立実科高等女学校(高岡町国民学校内)は金沢市立第二高等女学校に改称された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 4月1日 社会・文化 師範学校が専門学校に昇格し、予科3年本科3年の6年制(従来5年制)になった。石川師範学校長に清水暁昇、同男子部長に田沢次郎、同女子部長に清水敬治が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 4月1日 社会・文化 金沢高等工業学校に「付設工業教員養成所」が新設された。修業年限3年、募集人員40人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 4月1日 社会・文化 (富山県立富山高等学校が官立に移管された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 4月11日 社会・文化 文部省の新体練方針に沿って第四高等学校野球部が解散することにあなり、金沢野球倶楽部と記念試合をした。(金沢高等工業学校野球部も5月に解散) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 4月23日 社会・文化 金沢市翼賛壮年団長中林貞治が辞任、新団長に福島和吉郎予備役少将が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 4月29日 社会・文化 大日本体育会石川県支部の発会式が石浦町仙宝閣でおこなわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 4月29日 社会・文化 県土木課は石川、福井県境から倶利伽羅峠に至る国道の並木林と県道金石往還等の並木のうり、目まわり1尺5寸以上のもの1,700本(1万2,000石)を供出に決定した。代価は船材供出と県道補修にあてる。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 4月 社会・文化 市は県結婚奨励要綱に基づき、市役所厚生課内に金沢市結婚相談所を設置した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 5月2日 社会・文化 県下の少年文化団体を統合して石川県少国民文化協会が結成された。会長石黒伝六。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 5月15日 社会・文化 石川県資源回収協議会は金属非常回収の具体的方針を決定、6月中に県下各地の戦利品、記念保存物、橋の欄干、広告板、銅像等の回収を断行することにした。なお県下の銅像130余基のうち兼六園の日本武尊像は回収から除外する。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 5月15日 社会・文化 大日本武徳会石川県支部の結成式が県会議事堂でおこなわれた。支部長田中知事。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 5月24日 社会・文化 大日本婦人会金沢市支部は「モンペ着用」の街頭運動を開始した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 5月 社会・文化 県は中等学校、青年学校、国民学校生徒の県外修学旅行を禁止した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 6月1日 社会・文化 金沢市立図書館は良書を多くの市民に読ませようと、本月から各校下に町会文庫を設置した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 7月1日 社会・文化 北鉄の金沢市内電車に女性の補助車掌が乗務をはじめた。国民勤労報国協力令に規定する金沢市内の該当女子82人が、女子勤労報国隊を編成して服務するもので、年齢は17歳から25歳までのもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 7月6日 社会・文化 夏季の上衣なし運動が本県にもひろまり、県庁は「上衣なし登庁差しつかえなし」の通達を出した。また各学校も上衣なし通学を生徒に許した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 7月28日 社会・文化 食糧増産のため兼六園長谷川邸跡の慶寧公銅像前約750坪を、松任農学校内青年学校教員養成所生徒約50人と、県立金沢第一高女生徒約20人が開墾して第一高女の報国農園とし、ソバ約1斗3升をまいた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 8月24日 社会・文化 野田寺町松月寺の桜(大桜)と広坂通堂形のシイの木(県庁前)が文部省から天然記念物に指定された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 9月1日 社会・文化 自動車に代って金沢市内はじめ県下各地に最近激増している客車月自転車(輪タク)の公定料金が県公報で告示、実施された。最初の1キロ以内は30銭、以後半キロ増すごとに10銭。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 9月15日 社会・文化 県下で金属非常回収運動が開始された。市内外の銅像では銭屋五兵衛(金石町)永井柳太郎(永井善隣館)本多政均(大乗寺)前田慶寧(兼六園)護国神社の軍馬像はじめ大半の銅像が供出される。(19年7月までに県下133基の銅像中129基が供出完了) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 9月18日 社会・文化 各学校の繰上げ卒業式が、本日の四高を最初につぎつぎに行なわれた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 9月26日 社会・文化 金沢市出身の木村栄死去。74歳。理学博士、前緯度観測所長、Z項を発見し世界の天文学界を驚かせた。明治44年第1回学土院恩賜賞の受賞者で、昭和12年第1回の文化勲章を受けた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 9月30日 社会・文化 第四高等学校長岡上梁が勇退し、後任に東京外国語学校長石井忠純が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 10月6日 社会・文化 北国毎日新聞社社長林政武死去。50歳。新社長に副社長嵯峨保二が就任した(9日)。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 10月14日 社会・文化 新竪町善隣館の落成式がおこなわれた。工費7万余円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 10月26日 社会・文化 兼六園霞ヶ池のコイを増殖用種コイにするため、県水産試験場員が地びき網で2,3尺の大コイ約200匹を生けどり、試験場加賀分場へ運んだ。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 10月30日 社会・文化 金沢高等工業学校長森慶三郎が室蘭高等工業学校長に転じ、後任に横浜高等工業学校教授横山盛彰が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 11月13日 社会・文化 金沢医大、四高、高工、師範4校の入隊学徒を送る出陣学徒壮行大会(県教育会、北国毎日新聞主催)が四高校庭で盛大に挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 11月18日 社会・文化 徳田秋声(末雄)東京で死去。73歳。金沢出身、帝国芸術院会員、日本文学報国会小説部会長であった。一昨年母校の馬場国民学校で講演をした。長編「縮図」が最後の作品となった。代表作に「黴」「あらくれ」「仮想人物」など。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 12月1日 社会・文化 金沢市で豆腐、油揚げが配給制になった。(隣保班ごとに順番配給) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 12月3日 社会・文化 明年4月実施する県下商業学校の戦時転換が県で決定した。県立金沢商業は存置、金沢市立商業は金沢市立第二工業学校として機械、金属工業の2科を設置、小松商業は農業学校に、七尾商業は七尾工業学校に転換する。また県立工業は図案科を廃止し科名を改称する。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 12月17日 社会・文化 金沢高等師範学校の明年4年設置が内定した。科は数学、物象、生物の3科120人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十八年(1943) 12月24日 社会・文化 明年4月から石川県立青年学校教員養成所の官立専門学校へ昇格が政府で決定した。修業年限男子3年、女子2年制。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 1月10日 政治・経済 県は航空機と木造船の増産を推進するため、石川県生産増強本部を設置した。本部長田中知事。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 1月14日 政治・経済 県は木炭不足を補う代用燃料4万2,602俵(棒炭、コーライトなど)を1月分木炭の代替として配給する。このうち金沢市への割当は2万9,812俵(木炭の俵に換算したもの)。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 1月19日 政治・経済 本日から県下で不急不用品を買ったり、遊興飲食宿泊に一定額以上支払うときは、貯蓄券をあわせて購入しなければならなくなった。添加される貯蓄券は、遊興飲食費が5円の場合1割、10円以上の場合は2割、20円以上の場合3割、宿泊費は1泊8円以上1割、15円以上2割。また演劇、映画、相撲などの入場料2円以上の場合も2割の貯蓄券が添加される。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 1月25日 政治・経済 (県警察部に輸送課が設置された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 2月1日 政治・経済 県は金沢市内一般家庭の魚類入手難を緩和するため、現在旧市内276軒の魚屋の店舗を81ヵ所の配給所にまとめ、一方、入荷する魚類を軍需用、大工場用、冷凍用、加工用、業務用、家庭用に6大別して、家庭用は配給所の手を経て一般家庭へ4、5日に1回は必ず配給するという方法を実地することにした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 2月18日 政治・経済 県は調理用の電熱や営業用電気アイロンの使用を禁止した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 2月22日 政治・経済 国勢調査に準ずる人口調査が全国一斉におこなわれた。金沢市の調査結果は47,875世帯、人口219,203人(男104,720人、女114,483人)であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 2月23日 政治・経済 北陸鉄道は(イ)輸送力増強のため市内電車小坂神社終点-野町駅間を市内線に編入(ハ)市内線を10銭均一制に値上げの件、につき金沢市の承認を求めてきたので、市会協議会で審議の結果、値上げは新線着工と同時実地の条件つきでこれを承認した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 3月1日 政治・経済 県警防課は金沢市内の防空小区に対し、旧市域の防空小区や需要工場付近の各道路、空地には必ず公共待避所を増設するとともに、各隣保班でも屋外に地下式の防空待機所を急速につくるよう指令した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 3月1日 政治・経済 官庁の常時執務体制実地で、今月から官庁の日曜休日は2週間に1回だけ交代で休むことになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 3月1日 政治・経済 石川県貯蓄銀行(資本金50万円)が北国銀行に合併した。合同による北國銀行の資本金は2,050万円、預金は2憶5,862万円。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 3月2日 政治・経済 大都市から金沢への疎開者受入れあっせんのため、市役所庶務課に「金沢市疎開相談所」が開設された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 3月20日 政治・経済 市は市役所の課の統合を実地、本庁は従来の11課が10課になった。〔新設〕市民課、産業課、軍事警防課、戸籍課〔統合または分割のためか解消〕社会教育課、配給課、農務課、商工課、軍事戸籍課〔改称〕学務課を教育課に、庶務課を総務課に、会計課を経理課に。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 3月26日 政治・経済 県の印刷業者整備により金沢市内では95軒の印刷所が33軒に減ったが、県は25,26両日にわたり、これら廃業印刷所の活字類を堤町の厚生倉庫金沢出張所に集め、需要工場へ発送した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 3月31日 政治・経済 昨年暮、宮市大丸と合併した旧丸越の大和武蔵野店は、時局工場へ転身のため百貨店を閉業した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 3月31日 政治・経済 市は市営公益質屋を廃止した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 4月1日 政治・経済 大政翼賛会石川県支部役員の任期満了による委嘱替えが発令されたが、常務委員は再任16人新任4人で、新任は生産部門から林屋亀次郎(北鉄社長)二宮喜三(山中航空社長)直山(石川製作所長)中村哲男(磐城セメント工場長)。また金沢市支部の役員は全員再異属された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 4月1日 政治・経済 金沢市内の電話度数科が5銭(従来4銭)に引上げられた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 4月28日 政治・経済 政府は勅令で市町村長の高等官待遇を発表、人口20万の金沢市長は高等官3等待遇(従来は4等待遇扱い)になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 5月1日 政治・経済 日本銀行金沢支店長斎藤良弼は、本店計理局長に転じ、後任に福島支店長伊藤斉が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 5月16日 政治・経済 血戦非常措置要綱により、県下のバス115路線のうち金沢市内路線はじめ85路線が一斉に運休休止になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 5月28日 政治・経済 決戦下の輸送増強のため北陸貨物自動車、加賀貨物自動車運送、能登貨物自動車、鳳珠貨物自動車の4会社合併による北陸貨物自動車株式会社が創立された。資本金241万2,200円。社長鳥畠徳次郎。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 6月8日 政治・経済 市ガス水道事業部はガス用原料炭の割当が減少したので、本日から供給停止時間を延長し、従来の午前0時から翌朝午前4時まで停止に強化した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 6月8日 政治・経済 幼児の主食増配が本日から全国一斉に実地されたが、石川県では従来数え年1~2歳の乳児えお持つ母に1日78グラム(5勺)の特配をしていたのをやめ、1~3歳の配給量を120グラム(8.4勺)4歳、5歳を162グラム(1合1.4勺)6歳~10歳を242グラム(1合7勺)と、いずれも42グラム(1合7勺)と、いずれも42グラム(3勺)増配した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 6月15日 政治・経済 満州牡丹江省の第9師団に沖縄へ転進命令が下った。(師団は7月12日沖縄上陸、首里市い師団司令部を置いたが、同年11月17日さらに台湾へ転進を命ぜられ、12月30日台湾上陸に備えたが、20年8月15日終戦、21年1月内地帰還) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 6月16日 政治・経済 敵機、北九州地方空襲。石川県下に15日夕刻警戎警報が発令された。県警察部は本日から当分の間、警戎警報発令中は映画、演劇等一切の興行物の中止を命じた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 6月17日 政治・経済 鮮魚介の公正配給のため、県のあっせんで金沢合同魚市、小松魚市、大聖寺魚市の3会社が合同して石川県鮮魚介配給株式会社(資本金80万円)が創立された。取締役会長青山憲三、常務取締役二木幸次郎、北岡次郎吉。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 6月24日 政治・経済 金沢、小松、大聖寺、能登の4織物工業組合と県織物工業組合を統合して全県一丸の石川県織物統制組合が創設された。理事長本多政樹、副理事長中川幸平、西川外吉。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 7月8日 政治・経済 府県の経済部が経済第一部(食糧行政)と経済第二部(軍需生産)の2部制となり、官房長制度が廃止された。石川県庁では知事官房ができ、経済第二部に軍需課が新設された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 7月14日 政治・経済 市会は7月30日任期満了になる市長沢野外茂次の3選推薦を可決した。市長の3選は金沢市政はじめて。(30日内務省から市長選任を発令) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 7月18日 政治・経済 大本営がサイパン島の玉砕を発表。田中知事は県民の奮起要請の談話発表、また県は全市町村にサイパン島憤激貯蔵(1戸5円以上)の実行を指令、金沢市内の各工場代表者500余人は19日石川護国神社で、サイパンの英霊感謝と増産必勝祈願式を挙行した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 8月12日 政治・経済 生活必需品取扱いの県下32団体を統合して、石川県生活必需品総合配給統制組合が設立された。理事長宮田治三郎。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 9月1日 政治・経済 金沢市内の4信用組合が合同して金沢信用組合が発足した。本店は南町、支店は金石町と胡桃町の2ヵ所。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 9月5日 政治・経済 金沢市選出の県会議員、市会議員岡良一が応召した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 9月9日 政治・経済 県は兼六園内石川県商品館に保管されている県有美術品を県庁構内に移し、商品館のあとを改修して、県庁構内にある各種団体事務所40余をここへ移すことを県参事会にかけて決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 9月11日 政治・経済 金沢市内各在郷軍人分会は一斉に防衛隊を編成した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 9月15日 政治・経済 県は本日から1ヵ月間の予定で金、銀、白金、ダイヤモンド等の貴金属買上げ運動を開始した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 9月22日 政治・経済 大日本赤誠会石川県支部恢弘塾が解散した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 9月30日 政治・経済 大本営がテニヤン・大宮島の玉砕を発表。平井知事は談話を発表、県下の映画館はじめ各興行場は同夜哀悼の意を表し休業。遊廓、料理店、遊技場は2日までの3日間休業、また大衆食堂、温泉旅館等は3日間酒類不提供を申合せた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 10月3日 政治・経済 石川食糧営団は端境期10月分の主食に、金沢、小松、七尾3市にはサツマ芋6日分を配給すると発表した。これで10月の金沢市の代替食配給は精麦3日分、小麦粉または乾麺5日分、サツマ芋6日分計14日分。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 10月10日 政治・経済 石川県生活必需品総合配給統制組合理事長に就任したため、石川県商工経済会理事長を辞任した宮田治三郎の後任理事長に浅田啓次が就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 10月11日 政治・経済 (北陸線動橋、大聖寺駅間に作見駅が新設された。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 11月2日 政治・経済 内務省は市町村長優遇に関する勅令により、沢野金沢市長の勅任官待遇を発令した。(全国の勅任待遇市長は17人) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 11月8日 政治・経済 県は61歳以上の老人の米配給量を、1日280グラム(1合9勺)から300グラム(2合1勺)に増量した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 12月2日 政治・経済 サツマ芋、ジャガ芋は石川県では従来、供出割当完納後は自由販売を許されていたが、本日から県令でも供出後も生産者の自由販売を禁止した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 12月7日 政治・経済 県は航空燃料として松根油の緊急増産運動を開始した。政府から県への供出割当量は明春3月末までに5,088石で、この割当量を消化するには250万貫の松根の掘り起しが必要。(県下の現状は12工場で年間生産量1,000石未満) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 12月14日 政治・経済 高橋金沢師団参謀長は「敵機はすでに長野県へも侵入、盲爆している。県民は就寝時の消灯励行、防空壕の完備はじめ万全の態勢を確立されたい」と要望した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 12月25日 政治・経済 軍霊会社による県下の指定軍需会社は現在次の7会社である。石川製作所、小松製作所、日本電気治金会社、東京航空中島工場、大同工業会社、津田駒工業会社、大日特殊伊工作所。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 1月12日 社会・文化 兼六園長谷川邸跡の前田慶寧銅像の献納祭がおこなわれた。(14日撤去) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 2月1日 社会・文化 県は今春の中等学校入学考査で、金沢地方に初めて学区制を実地することにきめた。学区制は金沢市と石川、河北両群を1学区として、学区内の志願児童は総合考査により県立金沢一中、二中、三中、県立金沢一高女、二高女、松任高女、津幡高女に収容するもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 2月2日 社会・文化 市内三社川岸に真性天然痘患者が1人発生した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 2月10日 社会・文化 午前7時ごろ竪町の印刷製本工場から出火、竪町と片町の商店等7戸を全焼、4戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 2月24日 社会・文化 市は町会および町会連合会に、3月までに配給部を設置することにした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 2月26日 社会・文化 市会は全員戦死が発表されたクェゼリン、ルオット両島日本軍の英霊に感謝敬弔の誠をささげるため、全議員の今期3ヵ月分の歳費4,000円を陸海軍へ2,000円ずつ国防献金することを決議し、直ちに議員代表が連隊区司令部と海軍人事部に行き寄託した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 3月4日 社会・文化 市は百間堀小運動場900坪のうち350坪を、市立第一高女と女子職業学校に開墾報国農場用として無償貸与することを決定した。(6日から耕作を開始した) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 3月5日 社会・文化 政府は本日から高級料理店、芸妓置屋等の全国一斉休業を実地した。現在金沢市内の料理店は52軒、芸妓置屋は東廊と主計町47軒芸妓124人、西廊46軒158人計93軒282人。芸妓のうち相当な数は鍔甚の日本夜光塗料の女工員に就職する。料理店等のうち、すでに建物の転身ずみは金城楼(県産報会館)主計町演舞場(三浦製作所工場)等。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 3月6日 社会・文化 新聞の夕刊が本日から全国一斉に発行休止、朝刊は4ページ建(月曜、木曜は2ページ)となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 3月25日 社会・文化 金沢市を中心とする県下の天然痘はまだ終息せず、本日現在で発生数は初発以来55人になった。55人中金沢市は46人で、うち金石町が23人である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 3月25日 社会・文化 候爵前田利建の家族が東京から金沢に疎開してきた。(4月初旬から古今亭に居住) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 3月29日 社会・文化 浅野川電鉄会社経営の粟崎遊園が閉鎖し、軍需工場に転換した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 4月1日 社会・文化 金沢高等師範学校が新設開校し、校長に前文部省教学官倉林源四郎が任命された。校舎は元中村町国民学校を使用し、理科第一部(数学)第二部(物象)第三部(生物)30人ずつ計90人を募集する。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 4月1日 社会・文化 専門学校に昇格の石川青年師範学校長に、県立松任農学校長五坪茂雄が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 4月1日 社会・文化 金沢高等工業学校は金沢工業専門学校と改称された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 4月1日 社会・文化 旅客運送の制限が強化され、100キロ以上の旅行には警察署または所属官公庁等の証明が必要になった。また汽車の1等車、1、2等寝台車および食堂車が廃止された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 4月1日 社会・文化 馬場4番丁に私立金沢女子商業学校が創設された。(昭和7年創設の明正高等簿記学校の後身) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 4月7日 社会・文化 午後2時ごろ上柿木畠の民家から出火、1戸を全焼、1戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 4月10日 社会・文化 市は旧市域青年学校男子部を小将町青年学校に統合した。これで市立青年学校は男子は小将町と新市域の14校に、女子は17校になった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 4月12日 社会・文化 県の出版物整理方針により県下の出版物250誌が廃刊になった。存続を認められたのは県庁の統合機関誌「石川月報」連隊区司令部の「部報」傷痍軍人や産業報国会等の機関誌、専門学校以上の学術機関誌(1校1誌)など20余種。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 4月13日 社会・文化 県は映画館に対する新措置を決定、実施した。これは金沢市内映画館の1日2回上映制を3回にふやし、また大衆の金沢市内集中を避けるため、金沢市内の封切館を減らして地方にふやすもの。このため香林坊付近に集中していた封切館4館のうち、スメル館、帝劇と尾張町の昭和劇場の3館だけが新しい毎週封切館となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 4月21日 社会・文化 前田家は小立野天徳院の同家墓地5,000坪のうちの参道1,000坪を、石川師範女子部附属国民学校の報国農場に提供した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 5月3日 社会・文化 魚族と農作物保護のため、県は河北潟その他の湖潟と、潟から4,000メートル以内の地域ならびに大野川等における魚釣りを県令で廃止した。違反は50円以下の罰金。(11月22日禁令解除) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 5月4日 社会・文化 県の調査によると石川県への疎開者は4月末までに1,096世帯(4,126人)、うち金沢市への疎開は232世帯である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 5月5日 社会・文化 豊漁の刺し網イワシの適正配給確保のため、県経済保安課は金石、大野、粟崎等への海浜へ直接買出しにくる金沢市民たちを一斉に取締った。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 5月6日 社会・文化 飲食店で提供する「雑炊」の規格について、玉川署管内飲食店組合は次の通りきめて新聞広告で市民に発表した。「どんぶりばちの縁スレスレ一杯に量をみたし、一見して満腹感を与えるようにする。米は平均4勺程度とし、濃度は中へハシを立てても倒れぬ程度にする。値段は1杯25銭。」 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 5月13日 社会・文化 タケノコの最盛期を迎え、広坂署は市内の窪、高尾両町付近へ買出しに繰り出す金沢の主婦たちを一斉に取締った。主婦たちの買出し価格は、配給小売価格の倍額の1貫目2円内外であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 5月19日 社会・文化 在郷軍人会金沢支部が国防思想普及のため、上柿木畠の丸内科医院跡に建設した石川国防会館の開館式が挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 5月25日 社会・文化 中央物資活用協会石川県支部のなべ、かま、バケツ巡回修理班が、全市域を5班にわけて巡回修理を開始した。このため市は修理券3万552枚を、町会の手を経て市民家庭に配付した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 6月10日 社会・文化 空席中の大日本婦人会石川県支部長に、金沢に疎開した前田利建夫人政子が推されて就任した。副部店長は米山久子、沢野光、玉置広子。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 6月13日 社会・文化 辰巳用水を築いた板屋平四郎の表功碑、祠堂、案内標が兵四郎の霊所金沢市郊外浅川村字袋の恩善寺境内に建ち、落城除幕式がおこなわれた。建設者は片岡安ら有志の板屋平四郎顕彰保存会。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 6月17日 社会・文化 5月中の石川県への疎開者は1,321人(385世帯)で、うち金沢市へは456人であった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 6月21日 社会・文化 小売書店の企業整備が行なわれ、金沢市内の残存書店は17店になった。新雑誌はこの17店で古本古雑誌と交換で販売される。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 6月23日 社会・文化 女子勤労挺身隊強化要綱にもとづき、県は40歳までの未婚女子の動員計画をきめたが、その第1回分として金沢国民勤労動員署は市内の35歳までの未婚女子1,300人を選考のうえ、7月5日から1年間管内の重要7工場へ配置することになった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 6月26日 社会・文化 金沢市内に開設される「大衆食堂」は13ヵ所に決定した。給食人員は1日約1万500人、飲食物は雑炊、定食、どんぶり物、素うどん、酒類で7月初旬から開業する。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 6月26日 社会・文化 午前0時半ごろ大音町のクリーニング店から出火、1戸を全焼、1戸を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 7月3日 社会・文化 石川県教育会が大日本教育会石川県支部に改組された。支部長は知事、副支部長は県内政部長と三島理保。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 7月10日 社会・文化 北陸鉄道市内電車の新運賃が本日から実施、片道10銭均一となり、金石線と新西金沢-野町間が市内線に編入された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 7月21日 社会・文化 豪雨のため犀川、浅野川金腐川が5尺ないし1丈増水、犀川大桑橋、新橋の支柱が沈下、蛤坂新道が一部くずれ、中町と尾張町で一部浸水した。(県下の土木被害約100万円) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 7月25日 社会・文化 石川県へ大阪、神戸、尼崎3市から学童1万5,000人が集団疎開することに近畿地方行政協議会で決定。県は本日受入れ協議会を開いた結果、約1万人を山中、山代、片山津、粟津、和倉、湯涌、辰ノ口、深谷の8温泉宿に収容し、その他は鉄道沿線主要市町村およびその地域の寺院等に収容することを決め、準備に着手した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 8月1日 社会・文化 県は学童疎開本部を設け、疎開学童の市郡別割当てを決定した。金沢市の割当は1,750人、近郊の犀川村、浅川村、川北村各100人。割当ては停留場から5キロ以内、市町村の防空上の条件、寺院の数、旅館の収容力、医師の分布状況等を考慮して決定したもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 8月5日 社会・文化 愛知県派遣石川学徒隊680人(3中隊)が在校生の校歌に送られて金沢駅を出発した。学徒隊は金沢一中、二中、三中、金沢、輪島、小松、七尾、羽咋、大聖寺、飯田、の10中学校の再高学年生で、愛知県刈谷のトヨタ自動車工業、同自動織機、同製網の3工場で学年末まで勤労作業する。隊長は吉野勝太郎(金沢一中教頭)。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 8月11日 社会・文化 県は県下男女中等学校の第3学年以上全生徒を、県下44工場に勤労動員することに決定した。期間は9月から明春3月まで。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 8月21日 社会・文化 鷗召、応徴の住職に代る女僧侶養成のため、金沢東別院に大谷派本願寺の「女子教師受験準備講習所が開設された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 9月3日 社会・文化 政府の指示により官庁は本日の日曜日から第1、第3日曜の休みを廃止した。金沢市役所もこれらにならった。県内の銀行も両日曜は開店することにした。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 9月6日 社会・文化 午前10時40分ごろ金沢医科大学構内の結核研究所2階研究室(56坪)から出火、同所を半焼した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 9月13日 社会・文化 県の調査によると、4月以来石川県への一般疎開者は8月末現在で1万3,951人(うち金沢市は2,487人)である。住宅関係は縁故先に同居が5割7分(7,915人)、間借りが1割8分、1戸を借りたものが1割などとなっている。また疎開者の年齢は10歳以下が4割6分、10歳から20歳が2割8分で大半はこどもと女性。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 9月16日 社会・文化 石川県への集団疎開学童の第一陣大阪市都島区内8国民学校の2,740人が臨時列車で来県、金沢駅には北都島校3年生以上の男女307人と教職員32人が到着した。駅前で金沢市関係者、学校関係者、学童らによる歓迎式の後、男女147人は西別院、男45人は八坂雲竜寺、女45人は金石大宝楼、男102人は大乗寺へ落ちついた。(18日受入れ各校で入校式を挙行) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 10月1日 社会・文化 金沢市内電車のラッシュ時の混雑を緩和するため県警察部は北陸鉄道と協議、本日から市内停留所の廃止10ヵ所、整理統合3ヵ所、移転1ヵ所、運転台数9台増加、女学生の時差登校などを実施した。廃止停留所は安江町、下堤町、片町大和前、寺町2丁目、県庁前、尾張町、味噌蔵町、石引町、森下町。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 10月8日 社会・文化 貴族院議員堀啓次郎大阪府箕面町で死去。78歳。金沢市出身、中橋徳五郎のあとに大阪商船社長をつとめ、関西財界で活躍した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 10月20日 社会・文化 石川県ならびに軍人援護会県支部主催で、支那事変以来の県下戦没者をまつる大東亜戦争戦没者慰霊祭が、兼六園日本武尊銅像前広場で盛大に挙行された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 10月 社会・文化 小野慈善院は戦災疎開者に対して、空室を貸与することを認可された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 11月3日 社会・文化 舞鶴海軍工廠は石川県立金沢第一高女、同第二高女、私立藤花高女の3校を優良挺身隊として表彰した。3校挺身隊員は昨年12月繰上げ卒業して本年1月舞鶴へ出動したもので、各校25人ずつである。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 11月7日 社会・文化 県下の少年兵諸学校の志願者受付けが締切られたが、連隊区司令部調査によると少年飛行兵志望が最も多く県下で3,145人、うち金沢市内の志願者は2,599人である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 11月20日 社会・文化 県下中等学校3年生と国民学校高等科生徒が県の勤労動員により、県下の軍需工場で勤労作業を開始した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 11月27日 社会・文化 金沢郵便局はハガキの再使用方法について発表した。一度使用ずみのハガキの表と裏にあまり厚くない用紙を一面にはって、3銭切手をはればそのまま郵便ハガキとして取扱われるというもの。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 12月4日 社会・文化 永井柳太郎東京で死去。64歳。金沢市主馬町出身、大正9年39歳で金沢市から代議士当選以来連続当選。拓相、逓相、鉄相等を歴任、現に大日本教育会長、大日本育英会長であった。(6日東京での葬儀後、10日金沢天徳院で盛大な告別式が執行された) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 12月7日 社会・文化 午後1時36分ごろ金沢地方に弱震、震源地は遠州灘。金沢市郊外で建築中の工場1むねが倒壊した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 12月10日 社会・文化 県防空本部および県警察課は石川県へ来る疎開者受入れ態勢強化のため、明年2月末までに住宅5,000戸の供出を促進することをきめた。金沢市内の供出割当ては広坂署管内95戸、玉川署90戸、金石署20戸。改造資材は県があっせんし、改造工費2,000円以上のものに対し1,200円の改修助成金を出す。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 12月12日 社会・文化 ビルマ国から前ビルマ方面最高軍政顧問桜井兵五郎を通じて贈られた仏舎利が、駐日ビルマ大使と桜井に奉持されて金沢に到着、石川郡湯涌谷村高尾山に建立の大東亜寺仮殿に安置された。(13日盛大な寄遷大法要が行なわれた) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 12月13日 社会・文化 県特高課は明年2月から県下の映画館19館のうち8館の整備休業が決定したと発表した。金沢市では共栄館、昭和劇場、東宝館、文化劇場が休業、帝劇、スメル館、松竹座、金沢東宝劇場の4館が存続。休業4館のうち1館は健全娯楽の演芸場に転換する。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和十九年(1944) 12月18日 社会・文化 京大名誉教授松本文三郎京都で死去。76歳。金沢市出身、かつて京都大学東方文化研究所長をつとめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 1月28日 政治・経済 政府はさきに石川県に対して銀の供出1,200貫を割当ててきたが、県は割当量を突破して供出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 1月28日 政治・経済 政府はさきに海軍機乗員の海上浮胴衣制作資材として「ススキの穂」450貫の供出を石川県に割当ててきたが、ススキの穂採集の時期はずれであったにもかかわらず、県下学童や婦人会の努力で283貫を集荷して供出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 2月1日 政治・経済 地方行政協議会の管轄区域が変更され、従来の被いがたに本拠を置く北陸地方行政協議会は廃止し、石川、富山両県は新設の東海北陸地方行政協議会(会長愛知県知事吉野信次)に包轄されることになった。行政協議会の行政区域と軍管区の一体化が目的。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 2月11日 政治・経済 軍管区が従来の4管区から6管区になり、金沢師管区(金沢連隊区、富山連隊区)は中部軍管区から新設の東海軍管区に移った。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 2月11日 政治・経済 軍需省は北陸軍需監理部(富山市)を廃止し、石川県庁内に東海軍需監理部石川支部を設置した。支所職員は約15人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 3月1日 政治・経済 県に「石川県疎開受入れ本部」が開設された。本部長は県内政部長青木重臣。市町村には疎開受入れ協議会が設けられる。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 3月21日 政治・経済 衆議院議員と地方議員の1年間任期延長が決定した。道府県会議員は明年8月末まで、市町村会議員は明年9月20日まで任期が延長される。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 3月27日 政治・経済 毎日午前10時、金沢駅に到着の大坂方面からの戦災疎開臨時列車は、第10回目の26日で打切りを予定のところ4月1日まで延長し、名古屋方面からの災害者も運ぶことに決定した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 3月31日 政治・経済 本土決戦場化による国土防衛に備えて、陸軍は各連隊区司令官に郷土出身の師団長級元将官をあてる異動を発令、金沢連隊区司令官には越生虎之助中将が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 4月1日 政治・経済 軍制改編で金沢師団司令部は金沢師管区司令部となった。金沢師団長井関仞中将は東北軍管区兵務部長に転じ、金沢師管区司令官には藤田進中将(金沢出身)が任命された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 4月1日 政治・経済 金沢憲兵隊が金沢地区憲兵隊と改称した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 4月6日 政治・経済 未明、B29の1機が福井方面から高度5~6,000メートルで初めて石川県に侵入、金沢市上空に達して偵察後、富山県へ向った。金沢師管区参謀は「石川県の空襲近し」と断言、県防空本部は防空への心構えを改めて県民に警告した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 4月7日 政治・経済 小磯内閣総辞職(5日)のあとを受けて鈴木貫太郎内閣成立、金沢市出身の広瀬豊作が大蔵大臣に、鳳至郡柳田村出身の桜井兵五郎が国務大臣に就任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 4月7日 政治・経済 運通省は新潟逓信局を廃止して北陸(金沢)信越(長野)福岡の3逓信管理部を設置した。北陸逓信管理部は石川、富山両県を管轄し、仮庁舎は金沢郵便局内、部員96人。初代部長山下豊。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 4月10日 政治・経済 県は5,000トンの自給製塩をめざし、石川県自給製塩指導実施要綱をきめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 4月13日 政治・経済 正午ごろ、B29の1機が高度9,000メートルで、海岸線から石川県上空に侵入、県外へ去った。県上空への侵入はこれで2回目。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 4月16日 政治・経済 ヒマの種まき期にはいるとともに、石川県は昨年度の5倍、生産目標4,795石の確保を政府から要請された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 4月18日 政治・経済 早朝、B29の1機が高度約9,000メートルで金沢市上空に侵入して富山方面へ行き、間もなく反転して高度約6,000メートルで再び金沢市上空に現われ、福井方面に去った。県上空への侵入は3回目。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 4月22日 政治・経済 早朝、B29の1機が高度約7,000メートルで金沢市上空に侵入、富山方面へ去った。県上空に侵入は4回目。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 4月26日 政治・経済 午後1時すぎ、B29の1機が福井県から海岸線ぞいに高度約9,000メートルで石川県内に侵入、奥能登で反転して金沢市上空から岐阜方面へ去った。金沢市内の一部で初の待避命令が出た。県上空への侵入は5回目。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 4月28日 政治・経済 平井知事が金沢周辺山地の松根油採取現場を回り増産を督励した。金沢市の20年度松根油生産割当量は16万3,703貫(県下割当量809万7,000貫)。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 5月3日 政治・経済 本日から市の警報のサイレンが変った。警戎警報は1分間連続、空襲警報は8秒間をおいて4秒ずつ5回、空襲警報解除は1分間連続吹鳴。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 5月8日 政治・経済 正午ごろ、B29の1機が富山湾から石川県へ高度約8,000メートルで侵入、県外へ去った。県上空への侵入は6回目。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 5月10日 政治・経済 金沢地方専売局が廃止され、名古屋地方専売局金沢支局になった。金沢支局の管轄は石川県下だけ。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 5月12日 政治・経済 正午ごろ、B29の1機が岐阜方面から石川県へ高度約8,000メートルで侵入、県内西南地区で旋回ののち海上に去った。県上空への侵入は7回目。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 5月15日 政治・経済 市は軍需省の指令に基づき、本日から民需ガスの供給を全面的に停止した。供給を継続されるのは軍用、軍需工場、生活必需品工業用、医療用、試験研究用と大衆食堂である。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 5月19日 政治・経済 政府は国民義隊に全国民の活動力を集中するため、大政翼賛会、翼賛壮年団、大日本婦人会、大日本青少年団、商業報国会、農業報国会等の主要国民運動団体を6月10日限りで解散することに決定、石川県の各団体支部も政府の方針に従い、解散準備に着手した。翼賛会県支部は発足以来4年6ヵ月になる。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 5月21日 政治・経済 建築物の間引き疎開の指定権が政府から知事に委任されたので、県は金沢、小松、七尾の3市と重要建築物、竪ろう建築物のある町村について調査を開始した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 5月22日 政治・経済 石川県国民義勇隊本部結成式が護国神社で挙行された。本部長平井知事、副本部長嵯峨保二、総務部長吉田他吉、動員部長兵地栄一、訓練部長河野義雄。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 5月24日 政治・経済 金沢市国民義勇隊が結成された。隊員沢野市長、副隊長前川吉栄。各町会で小隊、各校下町会連合会で中隊を編成した。推定男女甲種隊員は5万5,000人。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 5月24日 政治・経済 (B29約250機、東京を夜間大襲撃) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 5月25日 政治・経済 午前1時すぎ、B29数機が富山方面から金沢、七尾方面上空を2時間余にわたり飛び、七尾港付近の海中と海岸付近の山中へ、落下さん付き磁機雷数個を投下して去った。県上空へ侵入は8回目。県防空本部は「本日の本格的初来襲に対する石川県民の防空活動はまだ不完全である」と警告を発した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 5月28日 政治・経済 北陸鉄道金沢市内線の金沢駅の金沢駅前-六枚町-白銀町の環状線(1.3キロ)が開通した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 6月1日 政治・経済 石川県は飯米の家庭配給量を改訂、従来の年齢別7段階を10段階にした。その結果、3歳から13歳の幼児は1日10グラムないし30グラムの増配となった。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 6月1日 政治・経済 (B29約400機、大阪を昼間大空襲。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 6月2日 政治・経済 早朝、B29の1機が岐阜県高山方面から白山上空を経て大聖寺、小松を旋回、さらに金沢、七尾上空を偵察して去った。県上空への侵入は9回目。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 6月7日 政治・経済 (B29約250機、大阪地方を昼間空襲) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 6月9日 政治・経済 県の調査によると、石川県が疎開者の受入れを開始した昨19年3月から本年5月末までの県内転入者は約5万2,500人、1ヵ月平均3,500人であるが、本土空襲激化のさる4月、5月の転入数は1ヵ月5,000人にのぼった。府県別では東京都から最も多く大阪、京都、神奈川、愛知が続いている。転入者のうち約1万1,000人が県に阿の軍需工場に就職中。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 6月10日 政治・経済 列車大削減がおこなわれ、北陸線は廃止4本短縮11本で、上野行は金沢始発が1本(従来2本)に減った。七尾線は上下3本が廃止。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 6月10日 政治・経済 政府は全国8地域に地方総監府を新設し、従来の地方行政協議会を廃止した。東海北陸地方総監(総監府は名古屋)は同行政協議会長であった小畑忠良。地方総監府には中央の権限を大幅委譲し、自戦自活の地方決戦行政態勢をとる。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 6月10日 政治・経済 乗車券発売を合理化するため、全国主要駅に旅行統制官が配置され、石川県内では金沢(3人)七尾(1人)羽咋(1人)の3駅に置かれた。 0
    昭和二十年(1945) 6月14日 政治・経済 金沢市内の職域(50人以上)の国民義勇隊は159職域が結成を終った。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 6月22日 政治・経済 午前0時すぎ、B29約10機が長野県中部、糸魚川付近から日本海に出て伏木、七尾付近に機雷を投下した。また同じころ、志摩半島から北上した少数機が金沢から富山湾を偵察して、機雷投下の主力と合流して飛び去った。県上空への侵入は10回目。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 7月1日 政治・経済 早暁、B29の9機が1機ずつ長野、糸魚川を経て伏木、七尾付近に機雷を投下して南へ去った。県上空への侵入は11回目。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 7月11日 政治・経済 政府は本日から端境期の10月まで、現在の主食配給量(基準配給量2合3勺)の1割削減を実地した。県は対策として芋、大豆、野菜の増量とくに都市家庭に家庭菜園を強く呼びかけている。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 7月12日 政治・経済 県防空本部は金沢、七尾、小松3市の人員疎開方針を発表した。疎開対象は防空活動能力のない65歳以上の老人、国民学校児童と入学以前の幼児、妊産婦、不具廃疾者等。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 7月12日 政治・経済 県防空本部は金沢、小松、七尾の3市で4,000戸(うち金沢が9割を占める)の建物疎開を実施すると発表した。疎開建物の移住者は告示から10日以内に立のかねばらない。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 7月16日 政治・経済 大日本政治会石川県支部の発会式が尾山クラブで挙行された。支部長武谷甚太郎(総裁南次郎大将)。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 7月17日 政治・経済 建物疎開の第1次分として、県は金沢市内の重要建物、竪ろう建物周辺の間引き疎開地区を告示し、第1次疎開対象566戸に対し疎開命令を発した。これによりできる疎開空地は25ヵ所2万9,920坪。交付補償金は建物1坪約150円、故材1坪約100円、移転費世帯員1人120円~150円、2人~4人240円~300円。疎開後の土地は1坪年5円で借りあげる。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 7月19日 政治・経済 (午後11時10分ごろ、B29約120機が福井市を波状的に空襲、約3時間にわたり焼い弾と焼い爆弾を投下した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 7月20日 政治・経済 午前7時40分ごろ大型機2機が富山市東岩瀬地区に侵入、爆弾数個を投下した。金沢師管区司令部と石川県警察部は県民に共同談話を発表し、「敵機来襲は必至、即刻防空必勝の備えを点検せよ」と要請した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 7月24日 政治・経済 県と金沢市は市内建物疎開を27日から実地するため、県市の係官から成る石川県疎開実行司令部を設置した。司令部は石井県経済第2部長。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 7月31日 政治・経済 金沢市内の建物疎開の取り壊しは27日からはじまり、駅前、武蔵ヶ辻、中央通り、白菊町等の各地で軍隊、国民義勇隊、中学生、専門職人ら数百人が出動ぢて進められているが、30日までに約100戸が取り壊された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 8月2日 政治・経済 (午前0時半ごろ、熊野灘方面から侵入したB29機が富山市を波状空襲し、3時間にわたって焼い弾を投下した。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 8月2日 政治・経済 県は建物疎開の第2次分として、金沢市内の主要路線6線の幅員を15~20メートルに拡張するための除去家屋764戸(897世帯)に対し、疎開命令を発した。移転完了は11日まで。12日から取り壊しを開始する。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 8月4日 政治・経済 富山空襲の戦訓にかんがみ、金沢師管区司令部で軍官民の防空研究会議を開いた結果、人命と資材の損傷を最小限に食い止めるための民防空対策を決めた。金沢市民に対しては、空屋ができてもよいから老幼病人等の非戦闘員を速やかに徹底的に疎開させるほか、支周辺の山地に決戦家屋を急造すること等をきめた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 8月6日 政治・経済 福井、富山の空襲以来、金沢市民の不安は急に高まっているが、金沢検事局と県特高課は敗戦的デマを流すものは厳罰にするむね警告するとともに、各地で検挙を開始した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 8月6日 政治・経済 (広島に原子爆弾投下。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 8月8日 政治・経済 県は建物疎開の第3次分として、超重要建物周辺の建物除去を本日告示し即日実施した。この第3次緊急疎開の対象は県庁舎および市役所、電話局の周辺で、まず県庁舎周辺から着手する。県庁舎周辺の除去範囲は、軍建物、四高、師範女子部、付属校、二高女の各一部、日赤支部、武徳殿の全部ならびに公園下から市役所までの民家全部で、四高と県有地内の建物は本日から取りこわしはじめ、民家は8月下旬に除去する。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 8月9日 政治・経済 金沢医大は耐火建築防衛のため付属病院と校舎の1割を、四高は約7割の建物の自発的疎開をそれぞれ決定、取りこわしに着手した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 8月9日 政治・経済 (長崎に原子爆弾投下。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 8月13日 政治・経済 北陸逓信管理部は不要不急電話の緊急回収を決定、金沢電話局管内では2,000個(加入者の約半数)を明日から回収する。回収した電話器材は防衛通信、空襲被害復旧用や軍需工場等に回される。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 8月15日 政治・経済 日本、ポツダム宣言を受諾し戦争終結。平井石川県知事は直ちに石川県告論第1号を発し「県民は冷静沈着、万難を克服して戦後建設に当れ」と述べた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 8月15日 政治・経済 県下で実施中の家屋疎開は本日正午で中止された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 8月18日 政治・経済 県は戦後の食糧問題や県民生活の安定をはかるため、各界有力者を集めた石川県戦後建設顧問会議(12人)および参与会議(13人)を設置し、初会議を開いた。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 8月20日 政治・経済 今夜から灯火管制が解除された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 8月23日 政治・経済 北陸線に列車4本が増発、4本が区間を延長された。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 8月28日 政治・経済 (米軍、厚木に進駐。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 8月30日 政治・経済 (マッカーサー元帥、厚木に到着。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 9月2日 政治・経済 (ミズリー号艦上で降伏文書調印式。) 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 9月3日 政治・経済 市長沢野外茂次が辞表を前川市会議長に提出した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 9月6日 政治・経済 第1区選出衆議院議員村沢義二郎は議員を辞任した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 9月9日 政治・経済 在郷軍人会金沢市連合分会は石川護国神社前で解散式を挙行し、各分会旗を焼却した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 9月14日 政治・経済 大日本政治会石川県支部が解散、新政党出現まで支部役員により石川県政治クラブを結成した。 金沢の百年 大正・昭和編
    昭和二十年(1945) 9月18日 政治・経済 市会