「加能越三箇国高物成長」(以下「高物成帳」と省略表記)は,加賀藩前田家の領地である加賀・能登・越中の各村の「村御印」を集録したものである。
「高物成帳」の高は各村の生産高であり,物成は田畑の本租,年貢のことである。
つまり,各村の生産高たる草高と,それを基に起算されるところの税額と税項目を記したものであり,発給者である藩主の印が押されていることから,加賀藩ではこれを「村御印」と通称している。
史料には,まず本書作成期の草高が,次いで本文(寛文10年の調査内容)が記載されている。
記載項目は,米穀生産高を示す「草高」,村方からの申告による草高と免の増加を示す「手上高・手上免」,上納税率を示す「免」,本税としての物成に対して雑税としての「小物成」項目,藩からの借入米である敷借米の利息となる「敷借利足」などの項からなる。
年貢の元帳ともなるものとして,この「高物成帳」以前にも加賀藩は幕府に提出するため,正保3年(1646)に「郷村高辻帳」,元禄14年(1701)に「加賀国・能登国・越中国郷帳」,寛文4年に「加賀国・越中国・能登国各四郡高辻帳」等が作成されたことが記録されている。用語として「高辻帳」「郷帳」「高物成帳」等が出てくるが,この他にも「郷村高辻帳」「郷村高帳」「高免帳」の用語も使用される。これらは年貢元帳としては同性格のものと考えてよいものであろう。
本史料は全35冊からなる。
加賀の「加賀郡」は「河北郡」のことで,元禄13年(1700)から「河北郡」に統一使用された。
同じく能登の「能登郡」は「鹿島郡」のことで,同じく元禄13年から「鹿島郡」に統一使用された。
なお,加賀の江沼郡は大聖寺藩領,越中の婦負郡は富山藩領であるため,ここには記載されない。
また,ここに記載された「村御印」は全て寛文10年(1670)に発給されたものとは限らず,寛文10年以降に発給されたものも含まれる。
本史料では,寛文10年の「村御印」の発給村のみではなく,その後に村立したところなど,本史料作成時の村名が見出しとして記載されている。本書の構成として,ここに記載されている村数と各史料の墨付きを示したのが以下の表である。
巻 | 国名 | 郡名 | 見出村 | 墨付 |
---|---|---|---|---|
1 | 加賀国 | 加賀郡 | 94 | 130 |
2 | 加賀国 | 加賀郡 | 76 | 87 |
3 | 加賀国 | 加賀郡 | 97 | 137 |
4 | 加賀国 | 能美郡 | 85 | 110 |
5 | 加賀国 | 能美郡 | 77 | 97 |
6 | 加賀国 | 能美郡 | 85 | 111 |
7 | 加賀国 | 石川郡 | 65 | 101 |
8 | 加賀国 | 石川郡 | 99 | 148 |
9 | 加賀国 | 石川郡 | 87 | 118 |
10 | 加賀国 | 石川郡 | 71 | 99 |
11 | 能登国 | 羽咋郡 | 89 | 142 |
12 | 能登国 | 羽咋郡 | 61 | 98 |
13 | 能登国 | 羽咋郡 | 57 | 87 |
14 | 能登国 | 能登郡 | 75 | 108 |
15 | 能登国 | 能登郡 | 90 | 138 |
16 | 能登国 | 珠洲郡 | 63 | 87 |
17 | 能登国 | 珠洲郡 | 49 | 91 |
18 | 能登国 | 鳳至郡 | 92 | 112 |
19 | 能登国 | 鳳至郡 | 115 | 137 |
20 | 能登国 | 鳳至郡 | 92 | 127 |
21 | 越中国 | 砺波郡 | 203 | 163 |
22 | 越中国 | 砺波郡 | 152 | 206 |
23 | 越中国 | 砺波郡 | 135 | 170 |
24 | 越中国 | 砺波郡 | 168 | 227 |
25 | 越中国 | 射水郡 | 129 | 146 |
26 | 越中国 | 射水郡 | 89 | 122 |
27 | 越中国 | 射水郡 | 70 | 82 |
28 | 越中国 | 新川郡 | 75 | 90 |
29 | 越中国 | 新川郡 | 134 | 150 |
30 | 越中国 | 新川郡 | 103 | 114 |
31 | 越中国 | 新川郡 | 88 | 103 |
32 | 越中国 | 新川郡 | 119 | 127 |
33 | 越中国 | 新川郡 | 57 | 71 |
34 | 越中国 | 新川郡 | 128 | 117 |
35 | 越中国 | 新川郡 | 142 | 148 |